20世紀の遺産から考える装飾

石岡良治(早稲田大学文化構想学部准教授)+砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講師)

哲学・思想と創作──マイナーな営みへの関心

砂山──コンピュータによる連続と離散をめぐる抽象性の議論がある一方で、より即物的で具象的な観点もあります。ゲーリーのいくつかの作品においては、形態と構造の一致なんてへったくれもない。ゲーリーは形への関心があり、手でつくった模型をスキャニングして情報化し、構造はあとからとってつけたように配置もする。その強引さや、スマートではなさ、アンチモダンな態度が、逆に前述のDigital Projectなどのソフトウェアテクノロジー開発をあと押ししたと思います。ヘルツォーク&ド・ムーロンも、即物的な物理モデルをデザインの起点としているという点で、ゲーリーと共通しています。《エルプフィルハーモニー・ハンブルク》(2017)に表われているように、コンピュテーションによって非常に複雑な物の質、テクスチャーを制御して、装飾的な表情を生み出しています[fig.2]。彼らはかつてETHZでマテリアリティの研究をしていて、『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars Muller Publishers, 2005)という彼らの著作には、金属に穴を穿つパターンの研究など、多くの素材と加工による装飾的な研究が掲載されています。また、彼らの《プラダブティック青山店》(2003)の模型のなかに、プラ板を熱で歪めた、透明で揺らぐ建築表面のスタディがあります。そのように、まず物理的な次元で獲得された物の質を、スケールを飛び越えながら建築に置き換えるという操作は、とても情報的な操作だと考えています。《エルプフィルハーモニー・ハンブルク》においても、木材のなぐり加工のようなパターンを、デジタルでシミュレーションしてCNC加工で再現するという手順が取られています。彼らは、ヨーゼフ・ボイスからの影響を公言していますが、ボイスは、物の中にある熱力学的なエネルギーに関心を寄せた彫刻家でした。物が加工・変成されたときに生じるエネルギーに着目し、そのエネルギーの痕跡を造形性として提示する態度です。そのような物質を介した非物質的な現われへの関心は、ヘルツォーク&ド・ムーロンのコンピュータによる設計にも見受けられます。
ざっくり言ってしまえば、デジタル以後の時代には、物の特性を情報として操作することが可能になり、「素材と向き合う」という言い方に表わされていたような自然主義的特権性が相対化され、物のなかにある情報性、情報のなかにある物性が思考されていると言えます。現代の装飾性とはそうしたポストデジタル的な思考の往還のなかで現われてくると思います。そして、情報や物と言ったときに、必ず関連して哲学や思想領域との関係が取りざたされることも重要です。一昔前の連続性は、生成の概念と結びつけられましたし、離散性で言うと昨今のネットワーク論やオブジェクト論と結びつけて考えられたりしますね。石岡さんはまさに2000年代から、『10+1』などにおいて、思想・哲学の観点から当時の状況を論じてらっしゃいました。

fig.2──ヘルツォーク&ド・ムーロン《エルプフィルハーモニー・ハンブルク》
[photo by Frerk Meyer (2017) / CC BY-SA 4.0 / Adapted]

石岡──私は博士課程ではジル・ドゥルーズを研究していたのですが、ここしばらくはもっぱらポピュラーカルチャーの批評・研究をしてきたと言えるでしょう。知られている仕事の大半がマンガやアニメについてのものですが、最近ようやく再び「思弁的な」仕事を立ち上げようとしているところです。
1990年代にグレッグ・リンらが「Folding Architecture(フォールディング・アーキテクチャー)」★11などと言っていた頃、建築と思想が結びつくことに対して、「これはファッションにすぎない」とか「情報にすぎない」という言い方がありましたが、そうした批判はファッションや情報の領域の知見を侮っているようで好きではないんですね。私も最初は哲学学生だったのでそうした態度や警戒がまったくなかったわけではありませんが、思想と創作の歴史を調べていくと、あらゆる時代において本当に浮ついたものと、そうではなくて十分に考えられるものと両方があることがわかります。そして「いわゆる知的流行現象に見えるものへの漠然とした軽蔑」は、多くの重要な思考や問いを取り逃すことになる、というのが私の信念です。「抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム」★12では、まさにfoaによる《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》なども検討しています。
思想や哲学研究は、既存のアーギュメントがあって、論証形式も決まっていて、論文のコミュニティもしっかりしていますし、その価値を否定するつもりはありません。ただ、美術や建築領域との結びつきは警戒される傾向が強く、例えばジャン・ボードリヤール、ジャン=フランソワ・リオタール、ジャック・ランシエール、グレアム・ハーマンといった思想家の著作は「作品のプレゼンのために都合よく呼び出されている」と見る向きも少なくないと思います。とりわけ近年の日本では、分析哲学の手堅さが広く知られるようになっていて、「派手だが内実が伴わない(ポストモダンと蔑視されることもある)大陸哲学」と対置されることも少なくありません。けれども私は、芸術をはじめとしたさまざまな作品と制作について考える際には、一見軽薄に見える思想や理論の援用を捉え直すこともできると考えているわけです。
私の哲学・思想研究はミシェル・フーコーからスタートしています。今なお一貫して関心を持っているのは、例えば狂人や犯罪者などの社会的逸脱を法が裁きますが、他方で逸脱が法をつくっていくというような、狂気と理性の内/外を明確に表わせない、捻れた歴史や関係です。例えばフーコーが『狂気の歴史』(新潮社、1975)で示しているのは、デカルトの「方法的懐疑」において、自分自身が狂人であるかもしれない可能性を検討しつつも、その可能性を排除しつつ「理性」を打ち立てていたということでした。また『監獄の誕生』(新潮社、1977)における、ジェレミー・ベンサムが考案した「パノプティコン」すなわち一望監視装置についてのフーコーの鮮やかな分析は、監獄にはとどまらずさまざまな建築の監視テクノロジーを考察する手がかりとして多大な影響がありました。
とりわけ私が惹かれたのは、哲学を安定した体系として考えるというよりは、体系について考えていくとその外側が示されてしまうような発想です。そのために、例えばアダム・スミスの経済学ではなく言語論を分析するといった仕方で、重要な思想とマイナーな思想の区別をもシャッフルしているんですね。これはジャック・デリダが「パレルゴン」で示したような、体系の外と内の境界、すなわち絵画で言うところの「額縁」に着目することと近いかもしれません。デリダとフーコー自身は何度か論争を繰り広げていますが。
フーコーやドゥルーズの芸術に関するテクストを集めてみると、現代で言うアール・ブリュットないし、アウトサイダー・アートに近い営みへの関心があることがわかります。ただ、それらを保護の対象にする眼差しとは異なり、逸脱が生み出す潜勢力が芸術を食い破る仕方に注目しているんですね。例えばレイモン・ルーセルはフランス文学史を大作家の殿堂とみなすならば、お金持ちのアウトサイダーで、自費出版で風変わりなテキストを刊行していた人という扱いでしょう。シュルレアリスム運動の外縁で関心を持たれた人なのですが、フーコーは『レーモン・ルーセル』というモノグラフを書いており、今でも日本でルーセルの『アフリカの印象』(平凡社、2017)や『ロクス・ソルス』(平凡社、2004)の翻訳書が読まれているきっかけを与えたわけです。
私がドゥルーズに関心を持つのは、DVDになっているTV番組『アベセデール』の愉快なトークが示すように、大学教師として型破りなところや、パリを離れなかった今で言う引きこもりに近いライフスタイルですね。有名でありつつどこかマイナーなところに惹かれます。
以上の説明はあくまでも20世紀後半の「68年の思想」あるいはポスト構造主義についての標準的な説明にとどまっていると思いますし、今世紀に入り展開された思弁的実在論などの話題は今なおフォロー中のところがあり今後の課題です。ただひとつ確実に言えることとして、デリダもドゥルーズも500年スパンで考えるならば、ハイデガー派としてまとめられる公算は強いのではないでしょうか。けれども、ハイデガーと彼らの違いこそが重要だと思っています。ひとつは、ナチズム、民族本質主義なものとの結びつきに対する抵抗です。ハイデガーは、ギリシャ神殿の精神をゲルマン人がどう受け継いだかといった、近代ドイツのナショナリズムを無批判に強化するような、今から見れば残念な面があり、近年話題になった『黒ノート』では粗雑なユダヤ陰謀論を信じたまま、他方で遺稿の『哲学への寄与』におけるような深遠な思想を育んでいたという二面性があるわけです。ここで厄介なのは、ハイデガーの偏見と思想の凄みを切り離すことが困難だというところでしょう。
ドゥルーズも、じつはハイデガーが芸術活動の根源を「建てること(Bauen)」に置いたのと同じようなことを言っていますが、そこでドゥルーズが持ち出すのはギリシャ神殿ではなく、ビーバーの巣づくりなどです。ビーバーにとっては、自身の環世界(Umwelt)を構築することと、巣という建物を建てることが一緒になっています。それを徹頭徹尾エステティックな活動として捉え、人間中心主義を突き崩すんですね。「芸術の始まりは建てることである」という同じテーゼが、ハイデガーの場合は「ギリシャ精神をゲルマンが引き継ぐ」というものであるのに対して、ドゥルーズの場合は「人間も動物もテリトリーをつくっては壊しつつ生活していく」という洞察になっているわけです。生き物の生活とテリトリーの構築を不可分のものとして考える仕方は、構造と意匠というような分割をすり抜けているものがあります。そうしたレベルからすれば、人間が生み出すさまざまな秩序(オーダー)みたいなものを捉え返すこともできるかもしれません。
そう考えると、何世代にも渡ってつくられている動物の巣に比べて、1990年代以降のコンピュータによるシミュレーションで生成された多様な形態は、その持続性が問われたままなのかもしれません。時間のなかで試されているという意味で、そうした形態の可能性と限界の両方が表われていますね。


★11──"Folding in Architecture", Academy Press, 2004
★12──石岡良治「抽象からテリトリーへ ジル・ドゥルーズと建築のフレーム」『10+1』No.40(INAX出版、2005年9月)。db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/630/



201804

特集 装飾と物のオーダー
──ポストデジタル時代の変容


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装飾・テクスチャー・物の現われ──ポストデジタル時代の可能性
建築の修辞学──装飾としてのレトリック
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