ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ

金野千恵(建築家)+矢田明子(Community Nurse Company代表)

ケアは専門性とその外とが曖昧なほうが良い

金野──これまで立場が守られてきた専門性の外へ出るというのは、ある種とても勇気がいることだと思います。外の世界で本当に生きていけるのか、さらに、専門家であることの誇りやアイデンティティの確立という意味で、難しい局面はないのでしょうか。

矢田──コミュニティナースが実現したいことは、街のなかで人が元気になったり喜んだりすることで、それは多くの人が願っていることでもあります。現在まで看護師免許を持っている人からコミュニティナースを広げてきましたが、人の幸福や健康に貢献するのが自らの専門性だと思っている人たちが、社会のなかに実装されることで、そのアイデンティティがキープされると思っています。確かに、誰でもやっていることであれば私たちではなくてもいい、というように、専門家のアイデンティティにゆらぎが起きてしまうこともあると思いますが、そのゆらぎを乗り越えていく秘訣は、看護業界のほうを向くのではなく、社会のほうを向き、それこそがこれからの専門家に求められるコンピタンス(能力)なのだ、と肯定されることです。社会へ入っていくと同時に、社会からの肯定を確かめていくことも肝だと思います。専門家という壁によって隔てられてきた存在が、社会のなか、日常のなかに存在し、壁の外を恐れないコミュニティナースの活動が各地で始まっています。

金野──看護師免許を持っている人に絞って始めたという意味では、やはり専門知識も大切なのですね。

矢田──そうですね。ただ、さまざまな分野で専門性の領域が変わってきているとも思います。これまで専門家だと言われていた人たちの知識や活動が、今は専門家以外にもどんどんシェアされていく時代です。専門家とその外側とを区切り、制度化することで、既得権益化し、権威やお金が発生します。それによって専門家の立場と生活が守られてきましたが、特に「ケア」は、その専門内・専門外の線引きが曖昧なほうが、これからの社会に向いていると思います。専門性の線引きによって、安全で高度なものが生み出せることは確かですが、日本の社会ではそれを50-60年続けてきたことによって、提供する人/される人という一方向性をつくってしまいました。少子高齢化によって、その一方向性ではこの社会を支えきれなくなってきたのが現在です。今こそ専門家が持っているものを、社会のなかで専門家以外の人とも共有し、みんなで存分に使うのがケアにふさわしいと思います。ケア領域のなかでもそうしたことに気づいている人は、技術や、診療所などの施設自体を外部と融合させていこうとしています。

金野──そうですね。とても共感します。私たちは、すでに経済の成長が大きくない時代に生きていて、安全・安心・安定ということよりも、いかに幸せに生きていけるかを考える世代です。その時に、自分自身の居場所があり、存在理由があるということは、すごく現代的な価値観だと思いました。

金野千恵氏

矢田──2年ほど前から会社組織をつくって、コミュニティナースの育成により力を入れています。コミュニティナースというあり方が今社会に必要だと思っている担い手候補の方々、看護師免許を持っている方々と、コミュニティナースとしての着眼点や知恵を共有するために、実験型の講座を開いています。すでに約100名以上が講座を修了しました。企業や自治体、市民団体などとアドバイザリー契約を結び、環境側にナレッジを供給していくことも行なっています。[figs.3-5]

ナレッジの供給とは、具体的にはとてもシンプルです。これまでのケアは、病院や介護施設などのなかで提供されてきましたが、コミュニティナースとはそうした機能を社会化していくものなので、その人、その街に適した暮らしや生活の動線を探してもらいます。例えば病院などで週に1回保健室をやっていたとしても、そこへ来る人はケアが必要な人のほんの一部ですが、先ほど例を挙げたガソリンスタンドなどはまさに暮らしの動線にあります。公民館や人気の喫茶店などそれぞれですが、基本的には街の既存の空間や場所です。


figs.3,4──コミュニティナースプロジェクトの講座の様子[提供=Community Nurse Company]

fig.5──コミュニティナース全国マップ[提供=Community Nurse Company]

通常のケア領域の学習は、高齢者施設であれば高齢者、小児科であれば小児とその母親など、性別・年齢・属性といったもので対象を分けて学ぶという特徴を持っています。けれども、街のなかではそうした人たちがごちゃごちゃに混ざっています。属性別で個別に関わるのではなく、集団のなかでどう立ち振る舞うかもトレーニングしています。

また、「聞く」こともナレッジとして伝えていきます。これまでのケアでは、「傾聴」と言われるように、受け止めることをトレーニングしますが、実際の社会や街のなかには無数の人がいるので、一人ひとりに関わっているときりがありません。なので、自分がコミュニティナースとして存在し、その結果として、人びとが自然と互いをケアしていく動きを促すようなアクティブリスニングをトレーニングします。聞いて受け止めるだけではなく、その人が何をしたいのかや、できそうなことを聞き出し、場合によってはその背中を押すのです。

あとは多岐にわたる先行事例を学んで最適解を考えたり、実地訓練をしながら育っていきます。実践のなかでよりコミュニティナースのあり方がクリアに見えてくると思います。

コミュニティナースの講座では、このような枠組みを示していて、身近な活動領域と社会から求められる領域の重なるところをプランニングすることを促しています[fig.6]。今、個人がそれぞれのキャリアを生きていく時代です。必ずしも病院で働いていさえすれば安定というわけではありませんし、それぞれの幸せのポイントが異なっていることを踏まえながら、社会のなかでコミュニティナースを実践していくことを推奨しているのです。個人の幸せと職能がうまく両立すれば、ガソリンスタンドや居酒屋にいることも怖くなくなります。そして、社会から肯定されていれば、そこで研鑽を積んで人びとの役に立つことができます。

受講者の年齢層は看護師免許を持ったばかりの若い人から、リタイアした人まで、男女共に幅広くいます。退職した方は社会的ニーズに対応し終えたということですから、自分の幸せや暮らしの範囲で役に立てばいいのです。自分が暮らしているところで、活動範囲の大小や関わる人の多少にかかわらず、できる範囲で可能です。看護師でありながらまったく同時にガソリンスタンドの店員である人もいますし、週3日は病院で看護師をしながら、ほかの日はコミュニティナースをしている人もいます。

fig.6──社会のなかでのコミュニティナースの活動領域[提供=Community Nurse Company]

金野──さまざまな事情を抱えた個人が、自分らしい働き方を取り戻すことをデザインしているわけですね。

矢田──そうですね。さらに修了生が周りの人を掘り起こし、背中を押していくので、最近は75歳のコミュニティナースも誕生しました。とてもかっこいいです。

人の世話をすることを覚悟して選んでいることもあって、優しくて話をよく聞く人が多いという特徴もあります。男性と女性との違いがあるとすれば、男性はコミュニティナースとして社会へ出ていく時に、マネタイズへの挑戦意欲があります。コミュニティナースは、ボランティアからちゃんとお金をもらっている人まで幅広いですが、男性は稼がなければいけない、という固定観念も影響していると思います。

建築の仕事では、公共建築以外であればお客さんから直接お金をいただくと思いますが、ケア領域では、過去60年ほど、お客さん本人よりは制度、つまり社会保障費からお金をもらって仕事をしてきています。そのせいで、お客さんから直接お金を取ることに抵抗があったり、稼いではいけないという思い込みがありますが、普通の社会はそうではありません。制度にもとづいてやれば制度からお金がもらえますが、知識や技術を使って新たな価値を生み出し、それが社会に求められるのであれば、普通に稼いでもいいはずです。


201812

特集 ケア領域の拡張


ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ
身体をリノベーションする──ケア空間としての障害建築
幽い光、あいだの感触
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