ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ

金野千恵(建築家)+矢田明子(Community Nurse Company代表)

ケアの空間・場所、都市と地方

矢田──明確な目的を持った空間よりも、じつは、必要があれば使ってくださいというような曖昧な空間のほうがうまく使われるということですね。ただ、単に目的がない空間がそこにあるだけでは不十分だと思いますが、それが機能する状態とはどういうことなのでしょうか。

金野──そうですね。目的がない場所は魅力的ですが、条件によっては全く持続せず廃墟になる可能性もあります。どういった目的空間と隣り合うか、あるいは近接して関係性を持つかがとても大事だと思います。さらに、先ほど矢田さんが仰ったように、それらのセットがどんな生活動線のなかにあるかによって大きく性格が異なってくると思います。

ネパールのバクタプルには「パティ」と呼ばれる東屋があります[fig.12]。街の重要なパブリックスペースである広場に、ヒティという水場(井戸)や、仏教寺院、ヒンドゥー寺院という複数の宗教の祈りの場があり、その隣にパティが位置しています。街の人たちが資材を提供したり、建設の手となるなど、各々が可能な方法でこの空間の建設に参加し、今もみんなが当事者意識を持って維持している空間です。ここには、ヒティに水汲みに来てくつろぐ人、新聞を読みに来る人、手仕事に集まる人などさまざまな情景があり、人々の生活の一部を担っていることがわかります。

fig.12──ネパール・バクタプルの「パティ」[撮影=金野千恵]

矢田──まさに暮らしの動線のなかにあり、リズムを一段階ゆるやかにするような空間ですね。アクティブで慌ただしい空間だけでは何か新しい関係を育むのは難しく、一息できるところが良さそうです。

金野──都市部と地方では、既存の建物の密度や人びとの生活のリズムが違っていると思いますが、コミュニティナースのあり方に違いはありますか。

矢田──地方型コミュニティナースは、日常の暮らしや地縁をベースとして存在しています。そこではつながりが求められますし、つながりそのものに対しても好印象ですが、他方の都市型コミュニティナースは、テーマ別に存在していることが多い傾向があります。例えばシェアオフィスのコンシェルジュのようなコミュニティナースもいますし、飲食店などで接点を持つコミュニティナースもいます。都市部では、一定のカルチャーや価値観が共通するところでつながりが求められるので、そうしたテーマや趣味嗜好別の動線に乗ることを促しています。

ただ、じつは今チャレンジしようとしていることは、都市型のつながりへの潜在的希求にアプローチしてみることです。都市にはさまざまな人がいますが、その分、不安があったり、つながりの欠如が言われます。例えば、都市部の駅では人々はほとんど留まることなくアクティブに動いていますが、まさにそうした場所でゆるやかなつながりが生まれるような空間を運営したらどうなるのか、JR東日本さんと共に西日暮里駅構内で社会実験をやろうとしています。山手線というプラットフォームでのコミュニティナースの実践です。屋台のようなものと椅子があり、お茶を提供したりもします。何が起こるかはわかりませんが、都市インフラとしての駅を使うことで、街が元気になればと思っています。


金野──都市部でも地方でも、課金されずに座ることのできる場所はとても大切ですね。都心では、お金を払うカフェの中などにしか、座ったり休んだりできるところがなく、歩き続ける以外許されないように感じることがあります。その意味で、駅のような最も慌ただしい空間で「お茶しながら相談できる場所」をつくるという社会実験はとても楽しみです。

ケアに関わる建築の設計で言えば、都市部のほうが明らかに人の行き来が見えるので、アクティビティの予測は立てやすく、そういう場所に人の居場所を設えることで、偶然の関係性は増えると感じます。実際、都市部では「床面積=お金を生む面積」とカウントされがちですが、多様な関係性がつくる新しい経済循環のためには、時に、お金を生まないスペースを確保するという決断が必要だと思います。

一方、地方や郊外の密度の低い地域では、観察していてもなかなか人の動きが見えず、予測がなかなか立たないことがあります。でも、往々にして土地に余裕があるので、最近は、まず雨と日射を遮れるような日陰の居場所から考え始めるのが良いかな、と思っています。

制度設計を超えるケアの現場

金野──専門は違っても、地域をいかに理解し、生活をどう組み立てるか、あるいは、専門性によって細分化された職能を、どうやって自分たちの生活のなかへ取り戻すか、という意味で、矢田さんの活動とは多くの共通点があると感じました。そして、お話を聞いていて、地域に入っていく際の、専門によるボーダーを軽々と越境する姿勢や、個々人のリズムによって働き方をつくっていく様子に、本当に素敵だなと感心しました。今、ケアの空間に携わるなかで、ワークショップをやったり、地域の新聞をつくったり、1日中おばあさんとしゃべったり、自分の仕事の広がりに戸惑うこともあります(笑)。でも、そうした細分化された縦割のプログラムを再びつなぎ合わせることで、新しい風景を生む必要性を、今日、改めて感じました。

──介護支援制度と子育て支援制度がわかれている問題など、制度設計について何か意見はありますか。

矢田──私はじつは制度設計への不満はまったくありません。なぜなら、制度設計をする側の友人も沢山いますが、「これはやってはいけない」という禁止にはならないよう、制度上バッファーが設けられているからです。例えば、介護支援制度のなかで、そこに子どもを混ぜてはいけないとか、高齢者と一緒に交流する子育て支援もついでにあってはいけない、とはどこにも書かれていません。自治体の担当者でかなり柔軟な人もいます。逆に言えば、推奨もされていませんし、「バッファーがあります」とも書かれていませんから、思い込みがある人もいます。もっと現場の人、事業者、自治体の担当者、いろんな人がうまく制度を運用したり、使い倒せるようになれば、現状の制度でも十分だと思います。

私自身の幸せもありますから、制度を変えるためのロビーイング活動には今は関心が向いていません。そういった活動をする仲間や友人たちはいるので、彼らに任せています。私は今の活動や価値観を社会に提示し、経済としても、介護保険制度に入ってから社会に還元されるというかたちではない、直接自分たちのなかで回るモデルを組み立てることに集中したいですね。

金野──建築に関して言えば、制度上の制限は大きいです。もちろんバッファーのような部分をうまく解釈できるところもありますし、自治体の担当者にもよりますが、実空間では不要な制度として使途の線引きが出てくるのは事実です。法を満たしたうえで空間を豊かにしていく工夫や技術には、ある種の専門性の必要を感じるところでもあります。

建築基準法は常に更新されていますが、時代に遅れていると感じる部分もあります。それは、施設型のビルディングタイプが未だに、近代化当初もしくは戦後の人口増大期の規模感の塗り替えで設定されているからだと思います。昨今は、それぞれの機能が小さくユニット化され、自宅やその周りの地域のなかで暮らし続けることが主題になっており、基準法の線引きが想定する暮らしとのズレを感じます。小さな施設にこれほどの立派なシャッターが本当にいるのかと思ったり、複数の機能が入ると小規模でも各々で設備を完備する必要があったりと、クライアントにも無駄なお金を払ってもらっているような気分になります。

空き家などの活用が叫ばれているなか、改修については徐々に緩和されてきていますが、まだまだ厳しい部分も多いです。ただ、建築基準法の改正は相当大変なことなので、私も矢田さんと同じように、自分がそこに直接携わっていくかというと、違う気がします。一番の近道は、良い実践例をつくって世の中に発信していくことかなと考えています。

ある年長の建築家に、介護保険制度を使うということは国家権力や制度の下にいることになる、ケアを受けたくない、あるいは必要ない人には関係ないものなので、ケアの空間はそうした人を阻害するものになり、地域の核にはなりえないという批判を受けたことがあります。それはあまりにもったいない考え方だと感じます。今、こうして地域を耕したいと思っている人、自分で持ち出してでも地域の持続の種を蒔こうという気概のある人がいますし、(介護保険)制度にとどまる問題ではありません。ケアという概念もだいぶ変わってきているのを感じます。やはり、仮想敵をつくってそれに対してものづくりをしていく世代と、私たちのように使える資源は使えばいいし、足かせになるのであれば違うことを考えればいいという、資源を発見して組み立てることをデザインにする世代とでは断絶があると感じます。新しい動きのなかからクリエイティブなことを考えることにエネルギーを注いでいきたいと思います。

矢田──本当にその通りです。私はケアの領域にはこの人が師匠だ、という方は特段いませんが、ヒントにしているのは自分の子どもたちの世代です。若い人たちは生きた教科書です。長男はもう17歳なのですが、嫌がられつつも、彼らがどういうものを面白いと思っているのかや、何に高揚するのか、何にほっこりしているのか、その言葉にならない感性を参考にしています。

金野──私も設計した空間に遊びに来ている子どもたちから「福祉って、だんのらしのあわせ、らしいよ」と教わりました。何かやらねば! と力みすぎているところに、ごく自然に、本質的な姿勢を教えられた瞬間だったと思います。

矢田──既存のケアという枠組みにはまらなくても、新しい感性や関係性を踏まえて社会のなかでリアルに実現していくことが重要です。そうでないといつかは求められないものになります。「保健室」というコンテンツはわかりやすく、安心できますが、次世代を見ていると、あったらいいな、はそれだけにとどまっていないのです。コミュニティナースは、そのあり方を学び、共有し、それぞれが独自であることを推奨しています。それぞれがイケてると思えるものをつくっていけたら面白いし、次世代とも関わることができるはずです。ケアをもっと日常のなかで意識しないくらいの、当たり前のものにしていくことですね。今回の「10+1」のような特集ができなくなるくらいの世の中になるといいですね。


[2018年11月1日、LIXIL出版にて]


金野千恵(こんの・ちえ)
1981年神奈川県生まれ。建築家。2011年東京工業大学大学院博士課程修了、博士(工学)。2013-16年日本工業大学生活環境デザイン学科助教。2015年t e c o共同設立。主な作品=《向陽ロッジアハウス》《ミノワ 座 ガーデン》《幼・老・食の堂》ほか。

矢田明子(やた・あきこ)
島根県生まれ。2014年島根大学医学部看護学科卒業後、NPO法人おっちラボ立ち上げ。2017年Community Nurse Company株式会社設立。


201812

特集 ケア領域の拡張


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幽い光、あいだの感触
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