平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ

八束はじめ(建築家、建築批評家)+市川紘司(建築史家)+連勇太朗(建築家)

社会へ介入するための手法──ラピッドプロトタイピング、ビジネスモデルの刷新、ユーザーオリエンテッド、情報技術

市川──ともあれ、近年は眼前の社会的課題に直接コミットしようとする態度が、建築家にも、より若い建築学生にも当然のように見られるようになっています。ある種のオブセッションと言ってもよさそうです。建築そのものというよりは、建築の外側にある課題に応えることを重視すれば、おのずと個別的で具体的な状況に応答することになるわけで、それらを大きく総括するようなステートメントやヴィジョンへの拒否感が出るのは当然ですよね。

八束──「反ステートメント、反ヴィジョン」という括りは気に入りましたが、例えば磯崎新さんが「反建築」と言っても、結局は大文字の建築に回収されていくわけです。磯崎さんは、建築という領域の外に出る気はじつは毛頭なく、「アーティスト・アーキテクト」なのです。磯崎さんのなかで「大文字の建築」と「反建築」はいささかも矛盾していない。既視感の話ばかりしているみたいですが、そうした回収の現象は、「建築というプラットフォーム」のみならず、20世紀を通して反復されてきました。ただし、繰り返されているのだとしても、そうしたゆらぎや広がりがクラシックで正統的な枠組みに回収されるのでは先がありません。「反ステートメント、反ヴィジョン」は、その裏返しにヴィジョンがあるものなのか、ただのエクスキューズでしかないのかが問われると思います。

市川──よくわかります。そもそもステートメントやヴィジョンがメディアなどから聞かれることがなければあえて「反ステートメント、反ヴィジョン」とは言わないわけで、それは建築というプラットフォームを前提としている振る舞いと言えそうです。その意味では注目されている状況下での甘え、と言ってもよいかもしれません......。実際、そのようなヴィジョンを社会に対して提示しようとしないのであれば、大企業の外側にわざわざ自分の身を置いて、個人で活動することの意味がそもそもよくわからない(社会や資本の大きな論理になんらか違和感があってそこに組み込めない個人の価値観を維持して表明したい人種、というのが作家であると僕は思います)。ただ、「反ステートメント、反ヴィジョン」であることには時代的な必然性があるし、同時代の人間として単純にシンパシーもあるので、それは焼き直しだよねと大上段から切り捨てたくはないし、またそういう立場からの新しい建築が生まれてくることに期待したい。だから、ともかくまずは歴史的に位置付けておきたいというのが個人的な思いです。

八束──親切なおせっかいですね(笑)。でもそういうアンビバレンツは必要だと思います。

──八束さんの指摘は非常に重要です。「反ステートメント、反ヴィジョン」という態度がどこに向けられているのか。市川さんの指摘された徴候3なるものが建築領域内の差異のバリエーションのひとつなのであれば、それは特定のコミュニティで受容されるカルチャーとして大切に育てていけばいいだけの話です。しかし今、建築(家)の社会的役割を根本から問うのであれば、建築というプラットフォームの外に出て「反ステートメント、反ヴィジョン」という立場にどれだけの強度があるのか問わなければいけません。

あえて平成という元号にこだわるのであれば、このあいだに多大な影響力を持った建築家のひとりは妹島和世さんだと思います。圧倒的な数の模型をつくることが示しているように、従来型の建築の形式、様式、理論から距離を取り、個別具体から出発することにより創造的な建築を実現した建築家だと思います。理論・理念先行型で創作をしない、あるいは抽象化・一般化を経由しない建築への取り組み方を実現したという意味で、妹島さんは「反ステートメント、反ヴィジョン」の立場かもしれません。私も創作論という観点からそれは理解できます。ただ、建築の諸問題は、単体の建物だけにとどまらない複雑性を備えているわけで、材料はどこからきているのか、お金はどこからきているのか、50年後や100年後はどういう状態になっているのか、運営はどうしていくのか、そもそもこの建物はいるのか、など、建築(物)が不可避的に結びついてしまう(創作論を超えた)領域に対して思考を巡らす場合、やはりヴィジョンは必要になってくるし、そういう部分に対して盲目的になってはいけないと思います。私は、多くの建築家、あるいは若手はヴィジョンをもっていると思います。だからこそ、質の高い作品がつくれるわけで、それを言語化し他者と共有するということをしていないだけです。あるいは「作品」がそれを物語っているという立場も当然ありうるわけですが、作品を経由してヴィジョンを伝えることができる人は限られていますし、作品を通して伝えられるヴィジョンのあり方も限定されます。自分たちがどこに向かおうとしているのか、それを言語化し、外の領域に対して晒すことを恐れてはいけないと思います。そこから新たな議論、可能性、課題が立ち上がっていくわけですから。平成は、建築に限らずあらゆる専門領域が島宇宙化していったことの弊害が顕在化した時代だったのではないでしょうか。

八束──建築の領域外、周辺ということで言えば、僕はメタボリズムのことを調べていた関係で、古い雑誌をよく見ていましたが、平成の最も大きな問題は官庁=役人の劣化だと思っています。1960年代には、役人が建築雑誌に登場してずいぶんとテキストを寄稿していて、それらはかなりおもしろいです。例えば、人工土地や海上都市には建設省の人たちがかなり肩入れをしていて、『新建築』にもそういう文章を書いたりしています。1970年以降、大髙正人さんや菊竹清訓さんを中心に人工地盤の研究が行われますが、その音頭をとったのは通産省です。『Project Japan: Metabolism Talks...』(Taschen、2011[日本語版=平凡社、2012])でそういうことを調べたレム・コールハースは強い印象を受けたみたいですね。

連さんに質問ですが、モクチン企画のプロジェクトが批評性や戦略に意識的だというのはわかるけれど、東京のような大都市の問題を根底的に解決するわけではなく、部分的な介入しかありえないのでは、所詮、程度問題とは言えませんか。現実に関わり方を強めていけばいくほど、宮台真司の言うところの「終わりなき日常」に絡め取られる危険性もあるのではないか、という質問です。東日本大震災後に「『終わりなき日常』の終わり」を言った人もいましたが、僕には終わったという実感はありません。

──モクチン企画の基盤にあるのはハッカー的なものが由来の想像力やアプローチです。つまり、大きなシステムすべてを一気に変えることは困難なので、一部分に介入し、そこからシステム全体に影響を与えていく。ですからモクチン企画は、木賃アパート単体の改修で終わるのではなく、それによって特定のエリアを変えていくことや、実践を通してぶつかる社会制度や政治的問題へ介入していくことも目指しています。

作品単体をつくることが目的ではなく、社会や都市を改善していくことが目的であり、そのための「楔」が木賃アパートなわけです。そういう意味では木賃アパートの再生ですら目的ではありません。大量にあるビルディングタイプであるということ、地域空間のなかに点在しているということ、そしてさまざまな社会的問題と深く結びついているという3つの特徴を有するから、私たちにとって木賃アパートは都市的規模に介入するためのリソースになりうるわけです。

そしておもしろいのはここから先で、例えば「建築作品」という縛りを解いて、「木賃アパートにまつわる諸問題」へアタックするフレームをずらすと、空間だけでは解けない税法、相続、不動産、生活困窮者の問題などのあらゆる課題が芋づる式に見えてきます。社会システムは、当然ながら建築ハードだけでは解けませんから、さまざまな専門家とチームを組んで取り組む必要があります。モクチン企画でもそうした試みをいくつかのプロジェクトで開始しているところです。

そういう意味で八束さんの質問に答えるならば、ポジティブに「程度問題」だと言い切りたいです。いきなり巨大なシステムを相手にして「無力だから」と諦めてしまうのではなく、それを前提にしつつも、変えることができる範囲から確実に変えていくことで、そこから学ぶことや、アプローチの可能性も見えてくるわけで、あとはその射程や程度を広げていけばいい。僕はそうしたコミットしていく態度は倫理でもあると思っています。以前、「10+1 website」でもそういった趣旨の文章を書きました★4。スケールを大きく、賢く社会を変えたいという思いもありますが、一人ひとりが社会の恣意性を自覚したうえで、自分たちの力で変えられる線を見極めながら行動していくことの総体が都市的でもあるとも思いますし。

八束──聞いていて思い出したのが大髙正人さんです。大髙建築設計事務所出身の藤本昌也さんに話を聞いてすごいと思ったのは、「人工土地」を語るときに、税法上の扱いから変えていかなければならない、建築のストラクチャーの話をしてもつまらないと熱弁されていたことです。彼らは法律情報誌の『ジュリスト』(1967年6月15日号)に寄稿したりもしています。かつて『メタボリズム──1960年代 日本の建築アヴァンギャルド』(INAX出版、1997)を書いたときには大髙さんにインタビューをしていますが、メタボリストから距離を取るようになってから、「横浜みなとみらい21」のマスタープランをやっていて、そこでは護岸線をどう決めるかに最も苦心していたという話も聞きました。ルールを変えなければ護岸線のデザインはできないわけで、延々と運輸省港湾局と折衝し、社会システムを変えていこうという意欲があったようで、それにはとても感心しました。大髙さんのそうした仕事はまったく注目されていませんが。

──まさしくそういう点で大髙さんは最近の私の興味の対象で、非常にシンパシーを感じています。大髙さんは、組合やコーポラティズムについても関心があったようですが、社会的組織と建築のハードをいかにリンクさせるかというチャレンジをしていたと思います。社会的組織の部分に関しては、税法や所有権をはじめとした社会制度を扱わなければいけません。そういう部分に大髙正人の建築の凄みがあるわけで、社会システムまでを含めてデザインしようというその態度は、一般的にわれわれがイメージする「建築家」とは大きく異なりますね。今、若い建築家のあいだでもコミュニティは重要なキーワードですが、コミュニティもそういうレベルで捉えていくと実践の射程が広がるのではないでしょうか。

八束──山名善之さんのおじさんが東大建築科の出身で大髙さんの同級生だったようですが、全国農協の幹部だった関係で、大髙さんは農協の建物をいくつも設計していました。それは単に建物をつくるのではなく、都市近郊の農業共同体のネットワークをデザインしたかったようですし、大髙さんは農村の出身でしたから、狭い国土の中で農村の人口を増やすしかないという考えもあったようです。結局、実際にはディベロッパーにそそのかされた農家に裏切られて、ヴィジョンが壊されたという話もあるようですが。晩年の活動を追ってみると、多摩ニュータウンで住宅公団にも裏切られていたり、インタビューしがいのある人でしたが、メタボリストのなかでは最も関心がもたれていないのは残念です。メタボリズムをメガストラクチャーやカプセルだけでイメージするのは大きな間違いで、僕のアメリカ人の友人で吉阪隆正さんや大髙さんから都住創など最近のものまでの人工地盤の展開を追っている本を書いている人がいます。今の「反ステートメント、反ヴィジョン」の人たちは、そうしたことは関心外かもしれませんが。

──大髙さんのそうした社会変革への志向は、従来の建築論の文脈では正当に評価できない部分が多く含まれていると思います。既存の枠組みとは異なる新たな知の領域を再設定しなければいけないのかもしれません。同じようなことは例えばブルース・マウの『Massive Change』(Phaidon Press、2004)にも言えます。デザインをビジュアルの領域だけで語るのではなく、社会変革のアプローチとして位置付け直すというプロジェクトです。「Massive Change is not about the world of design; it's about the design of the world.」というステートメントは端的に彼の狙いを示しています。デザインとは、さまざまな制度を通過したうえで最後に味付けするためのものではなく、その力をより広い領域へと及ばせて社会を変えようという所信表明です。

じつはサービスデザイン、メタデザイン、スペキュラティブデザインなど、さまざまなバリエーションで「デザイン」そのものの位置付けを模索する動きが存在しています。もっと言えば、実証的な科学と対置するように、ひとつの独立した知の体系としてデザインを捉える試みです。建築も、内向きの言説ではなく、そうしたリフレーミングが必要な時期にきているような気がしますし、いまこそ磯崎さんとは違ったかたちでやり遂げるべきです。

八束──先ほど、「建築のプラットフォーム」という言葉を使いましたが、連さんのように建築論の枠組みの話を問題にする人が出てきたのはとても心強いと思います。マウの本は目から鱗もので、ものすごくおもしろいですね。反面、若い建築家たちが、現実の仕事の枠組みからすればステートメントとか、いわんやヴィジョンなどと言ってられない、言うことに無力感を覚えるというのもわかります。やれることは小さなことなのだから、と言うのはジャン゠フランソワ・リオタールの「大きな物語の終焉」と並行していますね。ただ、リオタールの場合は社会の多様化みたいなことが背景にあったと思いますが、(戦術的)有効性の問題としてどこまで小さくしていけるのか。建築の実務というのは、ある意味現状の枠組みに嵌らない限り、成り立たないわけですよね。いささか乱暴な言い方をすれば「建てること」は現状追認にならざるをえない、ということにもなります。そのあたりはどうですか。

──やはり従来の建築の専門領域とは違う枠組みをつくらないといけないということだと思います。プラクティカルなレベルで言えば、それは新しい事業モデルをつくっていくことです。ポスト冷戦ということをあえてもち出せば、資本主義がグローバルなレベルで社会のOSとなった時代において主体性を維持するには事業モデルという船が必要なわけです。当然、共産主義体制であれば別のモデルが想定されるわけです。今、多くの若い建築家が、従来型の設計の請負ではないことをやっています。食堂であったり、場づくりであったり、ウェブサービスであったり。それらを単に無批判な地域主義であるとかソーシャルな活動と見なしてラベリングするのではなく、建築家の職能を再定義していくためのフレームワークとして積極的に批評・評価していくべきだと思います。建築家にとって「建てること」がどれだけ大事か、改めて問い直すべきです。

市川──設計の請負だけではない建築家のあり方ということで言うと、VUILDの秋吉浩気さんの活動に注目しています。デジタルファブリケーションの技術を援用しながら、地域ごとの建築の生産システムを組み直すことを試みている。建築を建てるという行為、あるいは環境そのものを設計し直そうとしていて、「アーキテクト」ではなく「メタアーキテクト」だと彼は言っていますね。秋吉さんとは「現代の群居を考える」というテーマで運動体を起こそうとしていて、ちょうどその最初のイベントのテーマも、「建てる」ということの再定義・検討でした。

「建てる」ということの再定義という点では、ひとつには設計と施工の関係性を書き換えるということがありますが、中国でも一部でじつは似たようなことが起こっています。建築学会の「建築討論」2018年10月号で「チャイニーズ・プレファブ──量にコミットする建築家たち」という特集を組んだのですが、建築家が軽量鉄骨などの材料の加工や運搬、施工までを一体的にデザインするような試みが出てきています。これが批判的地域主義的なフレームに収まっていた中国の現代建築の主流よりも断然興味深い。彼らにとっては、図面を描くという意味でのデザインは建築家の活動の一部でしかなくなっている。中国の政権は革命政権で、それまでの生産手段を「奪取」して誕生したわけですが、結局今もかなりの量の人民には近代的なサービスが行き届いていません。そのために生産手段を「再奪取」する取り組みだと捉えています。その点でとても中国的とも言える。より大きく言えば、マリオ・カルポの『アルファベット そして アルゴリズム: 表記法による建築──ルネサンスからデジタル革命へ』(鹿島出版会、2014)はデジタル技術によってルネサンス以来の図面を描く職能としての建築家像が変革すると論じていたりと、生産システムなど建築が拠って立つ基盤そのものへのアプローチは日本や中国に限らないですね。


八束──僕の研究室出身で、産業廃棄物の回収までやっているというOBがいますが、既存の建築家の職能を越えていくことでしか生産サイクルが改変できないという意識が出てきたのだとすれば、おもしろい話につながるかもしれないと思います。2019年夏頃にロシア革命を扱った『汎計画学』という本を出すのですが、そこでも「構成主義から生産主義へ」というパラダイムを扱っています。結局、直接的にはうまくいかないのですけれどね。

── 慶應SFCの水野大二郎さん(現在は京都工芸繊維大学)が指摘しているように、社会が複雑化することに比例して、デザインそのものの概念も拡張しているという認識をもてば、もっと素直にこの問題を考えられるはずです★5。水野さんは、デザインが扱う対象が、プロダクト、グラフィック、ファッションなどモノを扱う「プロダクト」レベルから、「サービス」レベル、そして法律や政治までを含めた「システム」レベルに拡張していっていると指摘しています。また、それに合わせて勃興しているデザインの新たな潮流や歴史的文脈も整理しています。今まで「新しいコップ」をデザインすることがデザイナーの役割だとしたら、そのコップがどのような環境で使われるか、売られるかまで含めて考える、あるいはその障害となってしまう社会の諸制度まで含めて変えていく。そうしたことにより「新しいコップ」の可能性を最大化できるわけです。コップという表現がよかったのかわかりませんが(笑)。

また、HCI(Human Computer Interaction)の一部の分野も非常におもしろいです。コンピュータのインターフェースは使いにくいものは広まらないので、いかにユーザーの振る舞いの観察のなかからインターフェイスを改善していけるかという徹底的なユーザー・オリエンテッドな世界があります。そうしたなかから、実際のユーザーの潜在的な新しいニーズや想像力と出会う瞬間があり、世の中を変える契機があったりするわけです。

また、これからますますバイオテクノロジー、遺伝子工学、ナノ・テクノジーが発展し、倫理も問われてくるなかで、その現実とは別の想像力が求められるようになると思います。そういうときにこそ、その現実とは異なる目線で状況や環境を徹底的に観察し、ありえるかもしれない関係性をデザインする可能性があります。技術が進展し、空間が変わり、ユーザー自身も変わっていくなかで、それらの総体を観察し、いかに別の可能性を見せられるか。それは文学やアートの想像力の可能性でもあります。スペキュラティブデザインはそうしたあり方を鮮やかに見せてくれていますね。おもしろいのは、こうした批評性を持ったデザインも、その中心にはユーザーがいるということです。

八束──存在しないかもしれない、あるいはこれから生まれるかもしれないものをターゲットにするという意味では、計画という行為とは何が違うのでしょうか。

──計画は理念先行型と言い換えてもいいかもしれません。理念によってマスタープランをつくり、それを実行するという手順ではなく、例えば「友だちとつながりたい」というようなユーザーの潜在的な欲求を観察することによって、方向性を修正していく。結局順番が問題なのかもしれませんが、理念先行ではないわけですね。もちろん、ユーザー潜在的ニーズを見る視点そのものに作家性や個人の価値観がフィルターとして入り込むわけですが。

八束──おもしろいし共感するところも多いのですが、小さな部分から干渉や介入していくアーバニズムやビジネスモデルがどのくらいの空間的・時間的スケールをもちうるのでしょうか。ユーザー・オリエンテッドであれば、住宅産業のマーケットですでにやられているとも言えます。モクチン企画のように対象を絞ると、具体的にユーザーが見えてくるかもしれませんし、〈みんなの家〉は、東日本大震災で傷ついた人の共同体なのかもしれませんが、それだけで納得してよいのでしょうか。

──スタートアップの世界で、サービスを開発する際に参考にされるいくつかの考え方がおもしろいです。例えば、サービスを開発する際に、イノベーター理論において「アーリーアダプター」を狙うということや、ペルソナの「ユーザーインサイト」からサービスを組み立てるといったことが行われるわけですが、どれも少数、あるいは個人の感覚から始まるケースが多かったりします。けっしてマスからは始めない。そこから一般化あるいはスケールアップしていくという手法が取られるわけですが、何か大きな変化を起こそうと思った場合には、その始まりはむしろ小さく個人的なもののほうがよいし、ヴィジョンは最初からあるわけではなく、仮説と検証を高速に回していくことで事後的に組み立てられるものであってもいい。そのサイクルさえ回っていれば、あとはそれを大きくしていけばいいわけですから。大きなヴィジョンや計画を最初から設定してサイクルが回らないのでは意味がありません。だから、コミットしやすい自らの生活圏を良くするという段階と、そのサイクルを最大化するという段階で、議論をふたつにわける必要があると思います。

今の行政も、この複雑な社会ではマスタープランをいきなりやるよりは、実際に起こっている小さな成功から学ぼうという態度が少なからずあると思います。部分的な解をつくった方が実際に社会を変えやすくなっていますから、建築に限らず、現場の成功を国や行政の制度的レベルにもっていくことが有効な方法で、都市計画で言えば、まさに「タクティカル・アーバニズム」です。タクティカル・アーバニズムもベンチやマーケットをやればOKという「スタイル」になってしまうことには疑問がありますが。

八束──なるほど。実際にやれているのかという話を突きつけるのは可能性の芽を潰すことになるので厳しいと思いますが、そうした戦略への志向性があるかどうかは問われるべきだと思います。「建築」の「」を外さなければいけないという意識が広まってきているのは確かで、「反ステートメント、反ヴィジョン」を掲げるのもよいのですが、そのときの戦略や哲学が問題です。

東京大学で都市生活学やネットワーク行動学を専門にしている羽藤英二さんは、品川駅から東京駅周辺のゾーンを新しくする仕事に携わっています。「リニア中央新幹線」の開通に向けた開発や、羽田空港の再開発などがあり、交通を含めた量を扱うため、シミュレーションを多用しつつ、非常に大きなプロジェクトで、彼はまさに官庁や法律といったシステムに食い込んでいます。おふたりよりは少し上の世代ですが、彼は大きなスケールやデータを扱いながら、まさにヴィジョンやステートメントを発信する能力があります。連さんと連動すると現実への関与の仕方が極端に違うからおもしろいかもしれませんね。同じようにテクノロジーに関心があると思うし。

市川──「ヴィジョン」や「ステートメント」と言うからややこしいのであって、仮説とその検証、と言い換えれば、思考や創作をする人間であれば普遍的に誰しもがやっていることなんですよね。歴史研究で言えば、仮説が先か資料が先かという議論が古くからあるわけですが、仮説がなければ資料というものは存在しえないし、逆に素材となる資料がなければ仮説も精密に組み立てられない。往復運動のなかでしか両者は構成できないんですよね。大文字のヴィジョンを掲げる必要なんてなく、ただ仮説のセッティングとその検証作業を高速に繰り返していくことが重要、というのは、身体的によくわかる。一方で、「反ステートメント、反ヴィジョン」というのは、「建築家」という主体やその作品としての「建築」が個別具体のプラクティスを越えて、より大きな何かを代表・表象してしまうことへの本質的な拒否感の表明なのだと思います。極端に言うと、国家や宗教のモニュメントなどになりますが、そういう建築という巨大な表現物をつくるときに生まれざるをえないフィクショナルな役割に耐えられなくなっているというか、嫌になっている。エビデンスやアカウンタビリティが強く求められる時代にそんな実感の伴わないこと言えないよ、という気分があるのではないかと思います。だから個別具体に寄り添うリアリズム、というわけなのですが、テクノロジーによってそういう個別的な情報をそのままスケールアップして処理できれば、確かに大きなイシューやエリアを扱うことはできますね。

八束──比喩的な言い方でしかないけれど、テクノロジーがもつ抽象性、モデル性が中間項の代理を果たしてくれるかもしれません。「みんな」=ユーザーと計画者のあいだにテクノロジカルなモデルを挟むと、何かを生み出す可能性がある。

──テクノロジー、特に情報技術の問題は大きいです。GoogleやAmazonが圧倒的なテクノロジーと資金をもとに、都市開発や宇宙開発に関わっていますから、そうした意味での新しいアーキテクト像を想定することもできるわけです。ただ、それは建物を設計するという古典的な分野とはまったく違う話でもあります。モクチン企画の活動も、ウェブインフラがあってこそ成立しています。そのことでアイデアを流通させることができますし、「レシピ」が使われている状況をデータベースとして蓄積できますから、それをもとに次のアクションを考えるサイクルが生まれます。

話の方向性を少し変えると、平成を強引に総括すれば、建築に限らず日本社会全体として情報化に対応できなかったことと、古い大企業主導型の経済から転換ができなかったことは大きな損失だったと思います。それは教育のレベルでも言えることで、情報技術や働き方の問題をどう教育のプログラムのなかで捉えていくか、大改造が必要だと思います。そこからさらに、アーキテクトの職能や枠組みを考えるのであれば、ベタですが、大学教育の手術が必要です。今日議論していることは、歴史上何度か繰り返されているとは思いますが、その根本は教育の問題であり、教育によって状況が再生産されている部分も多大にあると思います。八束さんの志向する「計画」や「メタ」は、ひとりの実践からではなく、教育という枠組みを通して初めて実現できるものかもしれません。


市川──確かに平成の日本建築界は世界的なコンピュテーションの潮流からは外れていますね。ベタに言えば(連さんが先ほど挙げた妹島さんがそうであるように)大量の模型をアナログな手作業でつくったり、ガラパゴス的に独自の生態系を築いていった感が強いです。グレッグ・リンやピーター・アイゼンマン、フランク・ゲーリーなど、コンピュテーションを契機として建築やその設計手法の従来的な形式を問う動きはあったはずですが、そのあたりとはうまく連動していない。

八束──でもリンやアイゼンマンのコンピュテーションは、結局新奇なフォルムを作ることに向けられているだけではないのかしら。彼らのヴィジョンには社会や生産という意味でのプラットフォームの改変への志向性は入っていません。特に生産(というテクノロジー)に関してはまったくわかっていないように思います。マリオ・カルポもそのあたりで大きな飛躍があるという印象があります。CADとCAMのあいだには、プロダクトはいざ知らず、建築に関してはまだまだ距離があります。

★4──連勇太朗「ファブリケーション、それは組み立てて捏造すること」「10+1 website」(2017.5)
★5──水野大二郎「学際的領域としての実践的デザインリサーチ──デザインの、デザインによる、デザインを通した研究とは」『KEIO SFC JOURNAL』vol.14 No.1(2014)


  1. 「中間項」の不在と開発──1980年代生まれのふたりが見た平成
  2. 社会へ介入するための手法──ラピッドプロトタイピング、ビジネスモデルの刷新、ユーザーオリエンテッド、情報技術
  3. 建築家の職能はどこまで切り分けられるか──リアリズムとコンフォーミズム

201904

特集 建築の実践と大きな想像力、そのあいだ


平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ
ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために
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