第9回:20世紀様式としてのフレーム構造

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

20世紀の構造表現主義とは何だったのか?

さて、本稿では20世紀の建築形式の本質がフレーム構造にあったという仮説のもとに、それを「20世紀様式」と定義して、ここまで論じてきた。「20世紀様式」はシカゴ派とフランソワ・エヌビックによって技術的に準備され、ル・コルビュジエによって建築理念にまで高められた。

一方で20世紀末になると、おそらくジャック・デリダの「脱構築」にも影響されながら、フレーム構造に留まらない建築が登場しはじめる。それがチュミの建築理論の立場や、バルモンドの構造設計の立場からのフレーム構造批判へと結びついてきたのではないかと、ここまで概論してきた。

だが、このように20世紀建築史を位置づけ、フレーム構造がその本質にあったと論じたとき、当然ながら無視することができないのが、いわゆる構造表現主義と呼ばれる作品群の存在である。20世紀にも非フレーム構造に対する志向が、たしかに存在していた。ジェンクスは、バルモンドの構造デザインを構造表現主義と区別しようとしたが、20世紀の構造表現主義に見られる技術的な挑戦は、間違いなくバルモンドのみならず21世紀の現代建築のなかで豊かに花開いている「構造デザイン」あるいは「空間構造」などと呼ばれるものの源流に位置づくだろう。

技術的な発展という意味において、両者は明らかに連続している。しかし、ここまで論じてきたテクトニックな観点による「構造と装飾の融合」「フレームと外皮の融合」「エンジニアリングとアートの融合」という理念そのものを重視するならば、構造表現主義やハイテク・スタイルと呼ばれるものは、本稿が論じる意味において、20世紀的であるようにも思われる。それは「はじめに構造形式ありき」という点において(シェル、スペースフレーム、膜構造、ケーブル構造、etc.)、フレーム構造と同様に「構造」と「装飾」(あるいは外皮としての「デザイン」)とのあいだに、明確なヒエラルキーを残存させるからだ。そのヒエラルキーの背景にある理念は、21世紀の新しい挑戦とは断絶しているように思われる。むしろそれは、19世紀のヴィオレ=ル=デュクに見出された「構造合理主義」のコンセプトの延長に位置づくものであろう。

構造合理主義という用語は、19世紀の修復建築家、ゴシック建築研究者として知られるヴィオレ=ル=デュクと結びつけられて理解されている。彼のゴシック建築評価は、リブ・ヴォールトに代表されるゴシック建築を構成するさまざまなエレメントが、いずれも構造的な機能を有しており、リブ・ヴォールトやフライング・バットレス、そしてバットレスの上に載る小尖塔(ピナクル)までもが、いずれも構造的に論理的で機能的なものであり、単なるデザイン要素ではなかった、という新しい見方をもたらした。

創造的行為の一種である建築術において、それぞれの部材の真の機能は、その機能と結びつけられた形態によって際立たせなければならない。
──ヴィオレ=ル=デュク『中世建築事典』 ★15

中世ゴシック建築に対してこのような評価軸を与えたことは、間違いなくヴィオレ=ル=デュクの功績である。しかし実際には彼のゴシック建築観は、こうした「合理的」あるいは「機能主義的」な見方一辺倒だったわけではなく、もっとずっと多義的なものだった。彼自身は「構造合理主義」を標榜したことはなく(実際のところ彼は合理的[rational]という言葉よりも論理的[logique]という言葉を用いることが多かった)、むしろゴシック建築の「合理的な」側面に熱狂したのは19世紀後半から20世紀初頭にかけての建築家たちであった。こうした建築家たちによる、近代建築モデルとしてのゴシック建築に対する期待感が、構造合理主義という一面的なゴシック理解を強固なものとしたといえるだろう。

しかし1920年代〜30年代のモダニズムの全盛期になると、ゴシック建築をモダニズムのモデルとする見方に対する反動が生じはじめる。土木技師のヴィクトル・サブレは「交差リブ・ヴォールト:リブの役割は単なる装飾」(1928)を著し、ゴシック建築の構造合理主義的解釈の象徴的エレメントであったリブ・ヴォールトは、構造的な役割を有していたわけではなく、単なる装飾であったと断じた★16。さらに建築家ポル・アブラアムも『ヴィオレ=ル=デュクと中世の合理主義』(1934)を著し、ヴィオレ=ル=デュクの理論を「合理主義」と定義する一方で、その「合理主義」的解釈が誤りであったと指摘する。アブラアムは、サブレと同じく、ゴシックのリブ・ヴォールトが合理的であったと考えられてきたヴィオレ=ル=デュク以来の見方を批判し、リブは「実際的な有用性のまったくない付随的な線条部材に基づいた、理想化された構造という幻想」★17に過ぎないと、結論づけたのだった。

たしかにヴィオレ=ル=デュクは、ゴシック建築の構造的/装飾的エレメントが「論理的」で「機能的」だったことを強調した。だが実際には中世のゴシック建築はもっとずっと多義的なものであり、「構造的」であると同時に「装飾的」でもあるという両義性を有していたはずである。実際、ヴィオレ=ル=デュク自身も彼の『中世建築事典』の随所でその点を指摘している。

しかし近代主義的な建築家たちは、ゴシック建築を絶対的な「構造合理主義」として理解しようとしたわけである。彼らは当初、ゴシック建築の合理的理解に熱狂し、その後、それが必ずしも合理的ではなかったとなると、今度は一転してゴシックのリブ・ヴォールトは「装飾」だったと批判した。モダニズム期の建築家たちにとって、機能/装飾あるいは構造/装飾は、完全なる二項対立であり、曖昧さは許容されなかった。20世紀の終わりにチュミがいったような、同時に「両方である」または「どちらでもない」という評価軸は、そこでは存在しえなかったわけだ。

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ゴシック建築理論は、現代建築理論と密接な関係にあった。しかしそれは、ゴシックの構造が「合理的」であると考えられていたあいだに限られた現象だった。ゴシックの構造が「合理的」ではなく「装飾的」だったかもしれないという疑いが差し挟まれたとき、ゴシック建築は現代建築のモデルとはなりえなくなったのだった。

しかし20世紀の一部の構造家たちは、より純粋な「構造合理主義」を志向していった。それこそが「構造表現主義」だったといえるだろう。ゴシック建築が完全な合理主義を実現できなかったのならば、20世紀の技術によって、真の構造合理主義を実現しよう。合理性、論理性、機能性のないデザインではなく、すべてが構造の表現としてあらわれるデザイン。そのもっとも単純な形式こそがフレーム構造であり、シェル構造や膜構造のような表現主義的な構造は、その発展形と見ることができるのではないだろうか。ドミノ・システムもまた、20世紀最初の、そして究極の構造表現主義だったのだ。

構造表現主義と重なり合う概念として「ハイテク」もある。こちらは、《ポンピドゥ・センター》(1977)のように、配管のような非構造部材も含めて、未来的、SF的に「表現」するという側面も含むようなので、必ずしも構造表現主義と完全に一致するわけではない。しかしハイテクもまた、「機能」表現主義なのである。ここでも構造や設備といった「機能」と、装飾的な意味における「デザイン」とが区別され、デザインや表現が、機能に従属することになる。はじめに機能ありき、という概念上のヒエラルキーが強烈に支配していたわけだ。

「20世紀様式」の先にあるもの

19世紀から20世紀にかけての建築の議論を強烈に支配してきた概念のヒエラルキー。機能がはじめにあり、デザインは後からついてくるという考え方(form follows function)は、施設設計という意味における「用途としての機能」の問題以上に、構造や設備のような「必要としての機能」の問題を、表現の理由として求めるようになった。そして必要性(機能)を有さないものを建築躯体に貼り付ける行為はすべて「装飾」であり、装飾はすべて悪であると、信じ込まされてきたわけである。こうした概念のヒエラルキーは、ある種の倫理観として、20世紀の建築理論を席巻してきたといえるだろう

だがこうした考え方は、建築における被覆やマテリアリティの議論を妨げてきた足枷になってしまってきたのではないか、と論じたのが連載第2回「マテリアリティとは何か?」であった。連載第9回となった本稿は、20世紀の建築を決定づけたフレーム構造に、「構造とデザイン」あるいは「フレームと被覆」の分離と、両者のあいだに横たわるヒエラルキーの構図を見出し、ここまで論じてきた。

現代建築はモダニズムから始まったと信じている私たちは、フレーム構造(あるいはラーメン構造)を、正統的で絶対的な構造形式と考えがちである。筆者自身、「フレーム構造をやめて組積造に回帰しよう」などということを主張するつもりは毛頭ない。しかし組積造建築の開口部のデザインに見てきたような、「構造であると同時にデザインでもある」という様相は、フレーム構造以前の建築における、建築の本質的な魅力のひとつであったように思うのだ。

近代の建築観が設定してきたヒエラルキーを盲信し続けることは、建築の魅力を一面的なものにしてしまわないだろうか。20世紀の100年のあいだ正しいとされてきたことに、少しの疑いを差し挟み、思考の枠組みを整理し直すこと。そうして無意識の思考停止から脱却したときに初めて、「20世紀様式」の先を考えることができるように思われる。建築におけるマテリアリティに着目すること、テクトニクスに着目することの意味は、そこにある。

今回は特にフレーム構造を、無意識のうちに私たちのなかに刷り込まれてきた20世紀様式と捉えることで、この問題の再考を試みた。ベルナール・チュミや、セシル・バルモンドを例に取り上げることで、無意識の20世紀様式からの脱却が始まりつつあることも、ここまで見てきたとおりである。

また、海外に目を向けるまでもなく、日本には《せんだいメディアテーク》がある。20世紀の最後の年にあたる2000年に竣工したこの建築は、国内ばかりでなくおそらく世界に向けて「20世紀様式」の先にある可能性を鮮やかに示してくれた。《せんだいメディアテーク》の構造を担当した佐々木睦朗は、建築家と構造家の協働、芸術と技術の融合を繰り返し主張し、実際、特に《せんだいメディアテーク》以降の伊東豊雄やSANAAとの協働では、それを圧倒的な説得力をもって実践している。そこに見られるのは、筆者が「構築的」と呼んで前近代の建築に見出している建築の魅力と重なり合うものであるように思われる。

これらの建築作品においては、建築家の頭のなかにも、構造家の頭のなかにも、アプリオリな構造形式は存在しない。建築家の観念的な空間イメージと、構造家による実体的な空間イメージが、同時に組み上がって初めて成立する建築といえるだろう。私たちはこれらの建築を訪れた際、それを既存の形式に当て嵌めて理解することができない。あるのは、ワクワクするような建築体験ばかりである。

構造形式の生成や実現が目的化しないという点において、セシル・バルモンドと同じく、佐々木睦朗による構造デザインもまた、構造表現主義とは異なる位相にある。ジェンクスの言葉を借りれば、「建築物の構造を蟹や亀のように構造的に表現」することが目的ではないとも言えるだろうし、佐々木自身の次の言葉に、それが明快に表れている。

「せんだいメディアテーク」の構造デザインでは(...中略...)いわゆるハイテク・スタイルにはほとんど興味がなくなっている。実際にはすごくハイテク(...中略...)なことをやっているんだけれども、ハイテク・スタイルじゃない。ハイテクノロジーではあるけれども、スタイルにはならないし、してはならないと考えています。
★18

「20世紀様式」としてのフレーム構造の先にあるのは、形式化を目的としない構造であろう。アプリオリな構造形式の生成や実現を目的とするのではなく、一つひとつの建築が個別性を持って構築されたとき、その建築は限りなく魅力的に見えてくるように思われるのだ。




★1──拙著『ゴシック様式成立史論』(中央公論美術出版、2012)
★2──Chad Wallin, Builders' Story: An interpretive record of the Builders' Association of Chicago, Builders' Association of Chicago, 1966(高山正実「企業活動へのクリエイティヴな対応:シカゴ派の建築」『プロセス・アーキテクチュア』35号、1983)
★3──Le Corbusier, Pierre Jeanneret, Œuvre complète 1910-1929, t. 1, p.128.
★4──Ibid., p.128.
★5──Ibid., p.128.
★6──Ibid., p.129.
★7──Ibid., p.23.
★8──Eleanor Gregh, "The Dom-ino Idea", Oppositions, winter-spring, 1979, pp.61-87.
★9──ベルナール・チュミ『建築と断絶』(山形浩生訳、鹿島出版会、1996)240頁
★10──同、243頁
★11──同、244頁
★12──セシル・バルモンド『インフォーマル』(山形浩生訳、TOTO出版、2005)14-15頁
★13──同、15頁
★14──同、8頁
★15──Viollet-le-Duc, Dictionnaire raisonné de l'architecture française du XIe au XVIe siècle, Paris, 1841-68, t. IX, p.500
★16──Victor Sabouret, "Les voutes d'arêtes nervurées, rôle simplement décoratifs des nervures", Le Génie Civil, 3 Mars, 1928.
★17──Pol Abraham, Viollet-le-Duc et le rationalisme médiéval, Vincent, Fréal & Cie., Paris, 1934, p.115.
★18──対談:難波和彦+佐々木睦朗「建築家と構造家の共同作業論」(佐々木睦朗『構造設計の詩法』住まいの図書館出版局、1997、169頁)



加藤耕一(かとう・こういち)
1973年生まれ。西洋建築史。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。博士(工学)。東京理科大学理工学部助手、パリ第4大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)、近畿大学工学部講師を経て現職。主な著書=『時がつくる建築──リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会、2017)、『ゴシック様式成立論』(中央公論美術出版、2012)、『「幽霊屋敷」の文化史』(講談社現代新書、2009)ほか。訳書=P・デイヴィース『芸術の都 ロンドン大図鑑──英国文化遺産と建築・インテリア・デザイン』(監訳、西村書店、2017)、H・F・マルグレイヴ『近代建築理論全史1673-1968』(監訳、丸善出版、2016)、S・ウダール+港千尋『小さなリズム──人類学者による「隈研吾」論』(監訳、鹿島出版会、2016)などがある。


201908

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