建築の新しい位置づけ
刊行記念対談:『仲俊治|2つの循環』

仲俊治(建築家)+能作文徳(建築家)

作家主義を超えた建築の新しい位置づけ

司会──今日のトークのタイトルは「建築の新しい位置づけ」となっていますが、そのことを理解するために、一般に建築が何に重きを置いてデザインされるのか、チャートを作成してみました。

「かたち─形式─プログラム─アクティビティ」のチャート

これは今回の対話の叩き台にするためだけのごく大雑把な構図ですが、仮に「かたち」「形式」「プログラム」「アクティビティ」の4つが建築のデザインを成り立たせる主な要素だとすると、おそらく仲さんと能作さんに共通して、「形式」の重視が指摘できると思います。たとえば安藤忠雄さんや妹島和世さんの建築は「かたち」において傑出していて、たとえコンクリート打ち放しや鉄骨造のガラス張りといった「形式」を真似したとしても、ほかの人が安藤さんや妹島さんの建築の質を獲得するのは困難です。一方で仲さんや能作さんのお仕事は、それぞれの建築単体の価値とは別に、その「形式」を他者が共有することが、社会や地域の水準において、より大きな価値に結びつく。ある種の作家主義、作品主義を相対化する態度ですね。本の最後で仲さんが書かれている「風景の獲得」(154頁)というのは、そういうことだろうと思います。

「形式」の重視はお二人の先生である山本理顕さん、塚本由晴さんにも指摘できますが、たとえば仲さんは「かたち」や「形式」と合わせて考えることで山本さん的な「プログラム」をアップデートされようとしていますし(同書4-2「動的なプログラム論――閾論のアップデート」)、能作さんが最近ご自宅をめぐって実践している「アクティビティ」は、塚本さんがいわれる「ふるまい」ともまた異なる様相を見せているように思えます。とりあえずこの4つの要素のあり方を考えることが、お二人それぞれの「建築の新しい位置づけ」を捉える手がかりになりそうな気がしました。

能作──話題に出してくださったので、自邸《西大井のあな 都市のワイルド・エコロジー》(2018)についてお話させていただきます。残念ながら経済的に仲さんのように新築では建てられず(笑)、バブル期に建った築30年ほどの鉄骨4階建の中古住宅を購入し、住みながら自分たちでリノベーションをしています。

1階が設計事務所で、2階がゲストルーム、3階がリビング、4階が寝室という構成で、仲さんがおっしゃる小商い的な要素も入っている職住一体型の住宅ですね。雨水利用や太陽エネルギーの利活用も想定していますので、"2つの循環"に近いものがあります。

《西大井のあな》断面パース
提供=能作文徳建築設計事務所+mnm

空間構成の特徴のひとつが、このコンセプト図において赤で示したスラブのヴォイドです。4層を貫き垂直方向に空間的な広がりをつくり、そこから光や空気などの循環を導けないかと考えました。

《西大井のあな》ヴォイド
提供=能作文徳建築設計事務所+mnm

既存のALCの壁を解体して樹脂サッシを取り付け、路地に向けて開放しました。解体直後に引っ越して、住みながらつくっているため、あらゆるものが露出した乱雑な場所で仕事と生活をはじめています。私自身はアクティビティという言葉をあまり使わないのですが、つくることと使うことの境界に対してやや懐疑的なところがあるんです。住みながら少しずつつくっていくことで生まれるさまざまな気づきを、段階的に創作のなかに組み込んでいければと思っています。

自ら手を動かしているのはもちろん予算的な理由もあるのですが、これも社会批評の一部と思ってやっています。これから日本の経済が縮小し、多くの人が新築できない社会になった時──あるいは持ち家という、国が住宅施策の根幹に据えていた概念すら疑わないといけない社会のなかで、はたして建築家に何ができるのか。このような中古の建物も都市の資源ですので、その活かし方も提示したいと思っています。

能作──環境シミュレーションによって、太陽、風、生命などを知ることができるんですよね。コントロールするのではなく、自然現象を知ろうとする姿勢に共感します。太陽、風、生命と共存してきた集落の暮らしの仕組みを現代のわれわれが想像するのは難しい部分もありますが、エンジニアリングの力を使って理解しようとする試みは興味深いです。

──能作さんのご自宅はまだお訪ねしていませんが、レム・コールハースの「ヴォイドの戦略」を思い出しました。少し前ではありますが、もはやフロンティアはなくなったので、シルエットを競う建築はもういらない。だから内側に向かうのだ、とコールハースは述べています。「ヴォイドの戦略」が収録された『S,M,L,XL』が刊行された1995年当時、僕は東京大学の大野秀敏先生の研究室にいたのですが、内なる輪郭として開口部に着目すると建築デザインは面白くなるという議論を聞きました。窓やガラスといってしまうと面白くないので、もう少し厚みをもった境界線、あるいは中間領域ですね。大野先生は「表層」とおっしゃっていました。

能作──コールハースの「ヴォイドの戦略」と関連して指摘をいただいたのははじめてです(笑)。先ほど司会の方から作家主義に関するお話がありましたが、やはり作家的なスタイルに拠るのは、われわれのスタイルではないですよね。私はアノニマスなものへの憧れがあるのですが、仲さんはいかがですか?

──一般化したいという意味では、ありますね。そうした感覚が僕を「流れ」ではなく「循環」に導いているのかもしれません。「流れ」というとどうしても刹那的なイメージがあるのですが、《五本木の集合住宅》の雨水利用を例に挙げると、空から降ってきた雨を貯めて使わせてもらい、それが蒸発して空に還り、そしてまた戻ってくるという、信頼のようなものが「循環」には見出せるんです。自然現象に限らず、人と人の関係においても、何らかの関連性をもちながら建築や地域をつくることは、僕のモチベーションにもなっています。自分が世界とつながっていて、その一部であることを信頼したいんですね。

司会──それは能作さんが重要視している「ネットワーク」の問題と関連しそうですね。

能作──僕が時々話すのは、例えば木造建築をつくるにあたり、使われる木が、植林・伐採・乾燥・製材を経てきたという履歴やプロセスを遡ることで、自分たちが何に取り囲まれているかを知り、そうした関係性の網目の一部を組み直すことによって、新たな価値やそれに伴うナラティブが創出されるということです。仲さんがおっしゃっている「つながり」は、例えばEcologicalな観点からいうのなら、窓から入ってくる風にしても、もとを辿れば地球の自転で生まれた偏西風から始まって......という見方なのでしょう。

いずれにせよ一昔前なら台風や豪雨は偶然の自然現象であり、人間がそこに関与しているとは思っていませんでした。今や人間の過剰なエネルギー消費によるCO2の排出が地球温暖化を引き起こし、海水温度が上昇し、結果として台風や豪雨が頻発する。このような気候変動にわれわれは直面しており、その原因についても把握している。すなわち現在は建築を、環境・エコロジーとのリンクなしに考えることができない時代なのだと思います。仲さんが、「流れ」だけだと刹那的、とおっしゃられたのには、このような背景もあるのではないでしょうか。

──そうだと思います。ただ、僕がぶつかっている課題は、Ecologicalな循環といった時に、切り口が風・雨・光・熱くらいしかないなあ、ということ(笑)。能作さんがおっしゃるネットワークは産業も視野に入れて、有機的な広がりがありますよね。

さきほど「自然と戯れる」といっていただけたのが嬉しかったのは、身の回りのごく当たり前の自然現象を切り口としているにもかかわらず、自分の遊び心を介すると、クリエーションにつなげられることをあらためて示唆いただけたからです。この考え方はとても楽しめそうだなと思っています。

能作──戯れの話は、環境哲学者ティモシー・モートンの「playfully serious」という言葉を思い出しながら考えていたのですが、すごくいい言葉だなあと印象に残っていたんです。汚染された環境をあまりにもシリアスに捉えすぎるとトラウマ状態に陥ってしまいますよね。仲さんの建築は「playfully serious」を体現していますね。

生活のなかに、建築の発見がある


司会──さて、予定の時刻も迫ってきましたが、客席からご質問などあればうかがいたいと思います。

──すみません、逆に僕からお願いしてもいいですか? 今日は皆さんご存知のEurekaの稲垣淳哉さんが客席にお越しくださっています。僕は稲垣さんに案内してもらって、愛知県岡崎市にある賃貸長屋《Dragon Court Village》(2014)を拝見して、非常に刺激を受けました。住むことと働くことが巧みにミックスされているうえ、風環境についても鮮やかに解析されていますよね。今日の話について、ぜひ一言いただければと思います。

稲垣淳哉──ご紹介あずかりました稲垣です。同世代として仲さんにも能作さんにも共感させていただいています。今日は、仲さんが時間をかけて"2つの循環"に辿り着かれた過程をうかがえて、感銘を受けました。

われわれEurekaは計画・意匠・構造・環境エンジニアの4人でチームを組んでいます。私個人としては、先ほど能作さんがおっしゃったアノニマスなものへの憧れがあり、そこから現代の住宅に応用することを試みています。《Dragon Court Village》については、チームに環境エンジニアがいるので、愛知県岡崎市という土地に合わせて最適化する必要があるだろうと環境シミュレーションをしたところ、住む方たちのネットワークや地域社会の求めるものにたまたまマッチしたという具合でした。仲さんに見ていただいたのは、ちょうどコミュニティが熟成されてきたよいタイミングでした。

《Dragon Court Village》では週末に入居者主催による「スミビラキ」というマルシェが開催されているのですが、私たちは関与しておらず、住民の間で自然発生的に続けられています。逆に、自分としてはこの現象を作り手側としてどう語ればよいか悩んでいたのですが、今日のお二人のお話をうかがって、さまざまな現象があってこそ建築は魅力的なのだと思い、勇気づけられました。

先ほど仲さんが、能作さんのネットワーク論のほうが有機的で広がりがあるとおっしゃっていましたが、私はふだんからチームでやっていおり、仲さんはよく事務所のなかだけでやっていけているなあ、と感服します。僕も建築を通じて社会批評をしつつ、社会に還元したいという思いがあり、その思いを分かちあえるメンバーに支えられているようなところがありますが、仲さんのように孤高を目指すのは熾烈な戦いですよね。

──孤高というわけではぜんぜんないですけど(笑)、山本理顕さんと対話する機会をもたせていただいているのが大きいと思います。それから、先ほどのアノニマスの話に通じることでもあるのですが、僕にとっての建築設計って、生活と地続きで、ママチャリに乗って子どもを保育園に送っていって、事務所に出て打ち合わせをしたり、図面を引いて、子どもが風邪を引いたら医者に連れていって、という繰り返しの毎日のなかにあるのです。

ストイックに建築を突き詰めて、クリエーションに没頭している建築家はたしかにたくさんいますよね。そうした方たちと比べると僕は没頭できていないのですが、ごくふつうの生活のなかからこそ、発見できるものがあるんじゃないかと思っているのですね。まあそう思うしかない、ともいえますが......。そして、そうしたなかでの発見をもとに建築をつくりたい。その意味においても、建築家は特別な存在ではなくアノニマスなほうがいいなあ、と考えています。

組織規模については、正直、大きなほうがいいとは思っています。僕はパートナーの宇野悠里と2人でやっているのですが、最近はもっとさまざまな意見をもとにつくったほうがより遠くに跳ぶことができるのでは、という思いもあります。今は金沢美術工芸大学のプロジェクトをSALHAUSとカワグチテイ建築計画、仲建築設計スタジオの3社JVで進めているのですが、SALHAUSのディレクションもあり、組織事務所でもアトリエ事務所でもなく単なるJVでもない不思議な組織形態をとっているので、その可能性も「かたち」に繋がるといいなと思っています。

司会──ありがとうございました。そろそろお時間ですので、最後に仲さんにまとめていただけたらと思います。

──今日は「建築の新しい位置づけ」というテーマを設定いただいて、一見関係ないと思われるものを取り込んだり、遠くの世界とつながることで見えてくるものがあるということの意義を、あらためて実感しました。

建築は、隣地や前面道路など直接的に関係する範囲は得意としていますが、地球の裏側で起こっていることも見逃してはならない。それを能作さんはネットワークと呼び、僕は循環を取り込むといいます。言葉は違うものの、少し離れたものを取り込んで建築や風景をつくることが僕たちに共通した特徴なのではないかなと思いました。

風景についていえば、じつは新著ではやや言葉が足りなかったのですが、これからさらに積極的に考えていきたいと思っています。

これは原広司さんの『集落の教え100』(彰国社、1998)で紹介されている富山県の砺波平野の風景です。家のまわりに防風林がポツポツと立っているのがおわかりになりますでしょうか。けっして整然と並んでいるわけではないのですが、風景のタイポロジーのひとつとして理想的な姿だと思います。離散的だけれども一貫性をもって、ひとつの風景が織り成されている。さらにクローズアップしていくと、建築と植物が相補的に存在していることに気づかされます。

富山県の砺波平野の風景
引用出典=原広司『集落の教え100』(彰国社、1998)179頁

これを見て、必ずしも集合、あるいは連続していなくても風景をつくることができるということに勇気づけられました。"2つの循環"を捉えることで、いずれ、何らかの風景がつくれるのではないかと。僕自身も実践してみたいですし、そうした風景へのまなざしについても、本書から汲み取っていただければ幸いです。

本日はどうもありがとうございました。


[2019年9月10日、HMV&BOOKS SHIBUYAにて]


仲俊治(なか・としはる)
1976年生まれ。建築家。仲建築設計スタジオ共同主宰。法政大学江戸東京研究センター客員研究員。主な作品=《白馬の山荘》(2011)、《食堂付きアパート》(2014)、《五本木の集合住宅》(2017)など。著書=『2つの循環』(2019)。主な共著=『地域社会圏主義 増補改訂版』(2013)、『脱住宅──「小さな経済圏」を設計する』(2018)。

能作文徳(のうさく・ふみのり)
1982年生まれ。建築家、能作文徳建築設計事務所主宰。東京電機大学准教授。主な作品=《高岡のゲストハウス》(2016)、《ピアノ室のある長屋》(2017)、「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(会場設計、2019)、《西大井のあな》(2018-)。主な共著=『WindowScape 窓のふるまい学』(2010)、『アトリエ・ワン コモナリティーズ──ふるまいの生産』(2014)。



  1. 2つの循環──SocialとEcologicalの重なり/産業革命以降の人類の活動と建築
  2. 作家主義を超えた建築の新しい位置づけ/生活のなかに、建築の発見がある

201910

特集 建築・都市・生環境の存在論的転回


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