リサーチとデザイン
──ネットワークの海で建築(家)の主体性と政治性を問う

青井哲人(建築史・建築論、明治大学教授)+連勇太朗(建築家、モクチン企画代表理事、@カマタ共同代表)

漸進的デザインを支えるフィードバック回路、あるいはネットワーク

青井──もうひとつ、デザインとリサーチの視点からは一見遠そうですが、東日本大震災(2011~)の災害過程で発生した「出来事」と、それがある種の知的・技術的な「発見」につながった例を簡単に紹介してみます。

この複合大災害では6万戸もの膨大な仮設住宅が必要になりました。ところが、プレファブ建築協会が2011年8月までのあいだに供給できるのは3万戸までで、福島・宮城・岩手の各県にそれらが1万戸ずつ割り振られることになったんですね。理不尽な災害にあえぐ福島では、秋以降の供給を「待つ」選択がなかった。そこで別の2つの方法が出てきます。一方は福島だけではありませんが、民間アパートの空室ストックを公共が借り上げるいわゆる「みなし仮設」です。「みなし」そのものは以前からある制度でしたが、東日本大震災では破格の規模になりました。都市空間が全体として空きストックをまだらに抱えたスポンジみたいな組織であることは以前からイメージされていましたが、その無数の穴がいざというときに公共性をもちうる潜在的ストックだったことが発見されたわけです。他方で、福島県では従来から県産材を使った木造住宅生産の取組みを進めていたこともあって、県内の設計・施工者のチームから木造仮設の提案を募るプロポーザルを行い、選ばれた複数の案によって約6,000(最終的には約8,000)戸を供給しました。これにより地域の設計者から林業産地の人々にいたるまでが災害過程に主体的に介入でき、そしてそうしたネットワークが活性化する経験によって多くの生産者・技術者の意識が変わる、そういう状況を生み出したのです。木造仮設を設計するために、迅速に施工できて、かつ仮設の集約などに際しても解体移築できるような技術の開発に取り組んだ会社が、復興関連施設にも木造で取り組むようにもなり、以前とはまるで違う組織になった。解体移築が可能な別のタイプのものは、仮設団地から被災した町や村に移動して復興へとつながるような活用のされ方もしています。さらにいえば、「みなし」や「木造」が大規模に展開したことで、熊本地震以降の災害でもこのふたつが災害初期過程のデフォルトになっている。

大きく捉え返すと、「近代復興」などと呼ばれることもある従来型の災害過程マネジメントが概して都市中心で、開発主義的で、マッシブで、大企業主導であったとすれば、それがうまく働かない条件の災害が起きたにもかかわらず、それ以外の準備がないためにとにかく手持ちの仮説を走らせるしかない状況であったということです。それゆえに限界が露呈し、それを補っていたら新しい可能性もマッシブに生まれた。しかし、出来事を可能性に変えた人たちがいるということが重要です。ハプニングを、都市や地域、それを動かしている人たちのネットワークなどにとって有益なものとして読み替えることのできた人たち。彼らの知的な視野はどのようにして変化したのか──、これはある意味では重要なdesign as researchの問題でしょう。仮説を走らせてみて起こった出来事から、どんな知的変動が起きたかということですからね。

災害復興のようなものは、平時ではなかなか漸進的に改良されるものではないし、都市と農村の違いなんてこともあまり考慮されていない。だからコンテクストとの不適合がもともと起きやすいものなのでしょう。不思議なことに「戦後半世紀」は「震災間期」とも呼ばれるほど大きな地震が少なく、また災害が起こってもその個別性・多様性は経済成長へのダイナミズムに覆われて見えなくなっていた。あるいは見なくても済んだ、ということだったのかもしれません。そうしたなかで温存され、膨張したシステムが機能不全に陥った。それを地域の社会経済を変えるチャンスと捉えると同時に、実践につながる知的な視野の変容として捉えられるかどうかが重要だと思います。

福島の原発事故災害のようなケースでなければ、仮設住宅の供給そのものが今後は解消される(ごく少数に抑えられる)可能性もあると僕は思っています。「10+1 website」で饗庭伸さんが書かれていた記事も、ぜひ皆さんに読み直してもらいたい(饗庭伸「創造的復興のジャッジ」)。災害の起こった現場で、直後からバラックを許容し、──やや乱暴な類型的表現になりますが──「スラム」形成をよしとする。そうすれば地域社会も生業もおおむね維持できる。饗庭さんが展開しているのはそういう生活のなかで、環境を漸進的に改善すればよいといった議論です。これは我が意を得たりと膝を打ちました。連想を広げれば、70年代以降、東南アジア、南アジア、南米などで実践されてきたスラム改善事業、例えば、コア・ハウジング、サイト・アンド・サービスなどのアイデアも、あるいは福島の木造仮設の技術開発も、都市をインフラ、建築、部屋、部材などに「ほぐせる」ものと見る感覚に通じるはずです。だからこそ、リノベーションで建築・都市のリテラシーを変えようとしている建築家にとっては重要なフィールドになるかもしれない。この「ほぐせる」感覚は、たんにプロセスのなかを「泳ぐ」というより、むしろ建築が大きな社会システムの水準に介入できるという判断に関わりうることが重要だと思います。

青井哲人氏

──非常に重要な指摘だと思います。背後にあったネットワークが「事件」を通して顕在化され、意思を持った人々によってその可能性が「発見」され、一連のプロセスを通してネットワークそのものが再編される。青井さんは今、こうした循環のありかたを指摘されたのだと思います。ただ、そこに人々の多大な思いや労力があったとはいえ、今の話だけでは結果論で終わってしまうおそれがある。理論的な試みとして、そうした状態を確率論として高めることができるか、もっと言うと計画論や創作論としてどのように捉え直すことができるか、考えてみたいと思います。

ひとつは、建築家がネットワークに入っていく際のコツとして、時間の扱い方が大事だと思っています。私は最近、「デュレーション(時間の持続性)」という言葉で自分の実践について考えなおそうといくつか理論的な検証を試みています。昔は「コミットメント」と言っていましたが、今は時間の概念を含む「デュレーション」を気に入って使っています。例えば、私の場合は図らずも「木賃アパート」という存在とこの10年間付き合い続けてきたわけです。すると、さまざまなネットワークが木賃アパートを通して見えてくる。木造在来という構法の体系、不動産投資や資産相続が表象する空間と経済システムの関係、物件オーナーや不動産管理会社、地場の工務店といった町の風景をつくっている人々の結びつきなどです。さらに言えば、住宅のセーフティネットの問題や高齢化の問題など、社会的課題も断片的にではなく芋づる式に見えてくる。これは従来型のクライアントから依頼を受けて設計するようなショートスパンの仕事では発見できない類のつながりです。このように、ある対象に持続的にコミットすることで、不可視のネットワークがじわじわと見えてくる感覚がある。あるいは解像度が高まっていくと言ったほうがよいかもしれません。

しかも、ネットワークが見えるだけでなく、私たち自身がそこから学習し、自らが変容を繰り返しているし、切実なレベルでは事業やビジネスの点で経済的な結びつきも形成している。モクチン企画自体が10年というスパンを通してネットワークの一部に組み込まれてしまったわけです(笑)。ただ、それがおもしろいのは、ネットワークそのものを自由にコントロールできないものの、何かが起こったときにはこのネットワークに影響を与えられる状況がつくれていることです。こうした対象との持続的な結びつき、すなわちデュレーションを構築することで建築家として状況への介入可能性を高めていると言えるでしょう。こうしたネットワークを創作者としての建築家がどのように有しているか──、ここを問うような創作論や言説のあり方を発展させることに可能性があると私自身は思っています。まだあまり表には出していませんが、モクチン企画ではモクチンレシピによる小さな改修以外にもさまざまなプロジェクトが動いています。これらは震災ほど大きなものではないにせよ、ちょっとした「事件」や「出来事」を通してあるタイミングに突如生み出されるわけです。そうして実現されるプロジェクトが再度我々が有するネットワークを豊かにしていくし、意図的にそうした循環を作り出そうとしてきました。

もう少し発想を広げるために分野の違う例を挙げたいと思います。私の友人に島影圭佑氏というプロダクトデザイナーであり起業家がいます。彼は、視覚に障がいがあることで文字を読むことが難しい人々とともにOTON GLASSという文字を代わりに読み上げてくれるメガネを開発しています。このメガネをつけて文章を見ると、インターネットで通信し、クラウド上で処理を行い、文字を音声で読み上げてくれる、そういう特殊なメガネを開発しています。プロダクト単体としても非常に魅力的でイノベーティブなのですが、ここから先がおもしろい。彼は今、それを普通に大量生産で販売するのかを悩んでいるんです。その代わりにどうしようとしているかと言うと、ユーザーコミュニティを形成し、OTON GLASSを基本モデルにして、限られた人たちとさらに特殊なメガネを「作品」として開発することを検討している。彼の目的は社会において多様性をつくり出すことです。そうしたとき、OTON GLASSを量産して販売すると、それはマーケットメカニズムの力によって、「マイノリティにおけるマジョリティのためのプロダクト」になってしまうわけですよね。ここに島影さんのジレンマがあって、彼は本当はエクストリーム・シティズンと自らがよぶOTON GLASSのユーザーたちと、もっとラディカルなものづくりをしたいと思っている。だから、プロダクトの製造・販売ではなく、OTON GLASSのユーザーコミュニティを形成しようとしている。こうしたプロダクト開発の手法は、近年発達しつつあるデジタル・ファブリケーションの下支えがあってこそ実現するものだということも指摘しておきたいと思います。そうした少品種のものづくりがDIY的に可能になった世界観で、ユーザーコミュニティとの濃密なコミュニケーションを通してプロダクトを開発する構想を彼は「ファブ・ビオトープ」と呼んでいます。

こうした取組みが端的に示すように、作家が有しているネットワークを通して作品やプロジェクトが生み出される「循環系のデザイン」を前提としたとき、デザインとリサーチの関係は、コーン・モデルがそうであるように、リサーチ→デザインと線形的に進むのではなく、介入者を媒介にして相互循環的に表裏一体のものとして関係し合うわけです。ですから必然的に作家が背景に持つネットワークや土壌がどのようなものかによって、制作や作品のあり方も変わってくる。ちなみに建築家が最も儲かるのは自分をブランド化し、財界や高級ブランドとコネクションをつくって単価の高い仕事をとるような方法でしょうか。建築家や創作者がどのようなネットワーク(フィードバックの回路)を意識的にデザインしようとしているのかを見ることが大事で、そこに作家性の違いが現れると言えるのではないでしょうか。

中動態的建築家像と政治思想的スタンスを表明すること

──デュレーションと合わせて青井さんの投げかけを理論的に検証してみる作業として、ここで少し強引ですが、磯崎新さんの「切断」というキーワードを導入してみたいと思います。プロセス・プランニング論のなかで語られた、プロジェクトを最終形態としてどのように「切断」するのかを問うた、いわずと知れた概念ですね。コーン・モデル的パラダイムのなかでは、コストや時間など物理的な契機が訪れたとき、作家がその身体でもって一回かぎりの「切断」を果たして作品が生まれると理解されてきました。しかし、ここにネットワークというレイヤーが入ると、今までと違った決定=切断のあり方が構想できると思うんです。そもそも、磯崎的切断は図書館の設計の経験がもとになっています。当然規模も大きいし、「切断」の意味も大きい。しかし、ネットワークを持った建築家にとっての「切断」はデュレーションを構築しているかぎり複数回訪れるものになる。当然一つひとつのプロジェクトは一回性のものですが、ネットワークがあるかぎり、規模の大小はあっても似たようなプロジェクトが繰り返し発生する可能性が高まるわけです。こうした整理をすると、サンドウィッチ・モデルにおける作品は、もっと「バージョン」や「プロトタイプ」といった概念に近づいていくのではないかと考えることができます。このあたりのことを『新建築』2019年11月号の巻頭対談でもファッションデザインをやっている川崎和也さんと議論したことがあります★5

一回の切断がネットワークにせよ、データベースにせよ、コミュニティにせよ、そうしたものに否応なく反映される循環があるとき、建築家の判断や切断の哲学的意味も変わってくるのではないでしょうか。

青井──ネットワークの視点から、「切断」の意味を再検討してみようということですね。先ほど福島の木造仮設住宅の話をしましたが、昨年末に亡くなった建築家の芳賀沼整さんは、それを社会的・産業的なシステムの問題として考えなければならないと言い続けていました。芳賀沼さんたちが開発したログを発展させた構法は、断熱材も内装・外装材も不要で、欠損なしに解体移築(再利用)ができるのが特徴です。さきほども言ったように、設備をのぞけば県産材だけで、県内の産地から設計者、施工者、職人がそれをつくりました。通常の在来工法ではそうはいきません。どういう設計をするかが、ネットワークの形成を左右するわけです。設計技術者としては、他のさまざまにありうる方法を捨て、ログにしぼり、どんなディテールにするかは決定的に重要であって、その決定は、政治性を帯びざるをえません。

芳賀沼さんのアプローチは明確に地域主義的です。ただし、地域の記号的表徴としてのスギ材を使うといった意味ではありません。リージョナリズムはもともと政治学用語です。「地方主義」と訳すとかなりその意味に近づきます。地方分権を強く含意する概念。それが設計の大事な部分に関わる決定(切断)を根拠づける倫理であったと僕は思っています。

──倫理や政治の話になるのはおもしろいですね。2020年1月号の「10+1 website」では、谷繁玲央さんが「グラデュアリズム──ネットワークに介入し改変するための方策」で、フェルベークの技術媒介論を参照しながら、アクターネットワーク理論的世界観における設計者の倫理について書いていたことにも通じるかもしれません。以前、これもやはり「10+1 website」で八束はじめさん、市川紘司さんと鼎談したときに、市川さんが、1980年代生まれの建築家の態度として「反ステートメント、反ヴィジョン」という特徴があることを指摘されましたが(八束はじめ+市川紘司+連勇太朗「平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ」)、今日議論していても、程度の差こそあれ、何かしらのヴィジョンが必要だということはあらためて強調したいと思います。それは不可避であるし、別の言い方をすると「政治性」が求められるということだと思います。当然、ここでいう政治性はデモにいったり投票したりすることだけを言っているわけではありません。作家を成立させているフレームワークそのものに対して批評的であるということです。それがあってはじめて作家論としての反ヴィジョンが成立しうる。その洞察を欠いたまま設計することは、みずからの創作が「スタイル」として上位の経済システムに組み込まれることを意味します。そのなかにおいて政治的なスタンスが明確に問われると思うんです。しかし、この点に自覚的な建築家はあまりにも少ない。

青井──「資本主義に抗する」みたいな論議はよくありますが、たいていは抽象論ですものね。

──だからこそ今、建築家の活動モデルやビジネスモデルのデザインがとても大きな意味を持つのだと思います。でも、こうした議論は矮小化され、「どうやって食っていくか?」みたいな単純な問いに回収されてしまう。このことについてはいつもフラストレーションを感じています。今こそ、資本主義的な理屈のなかで自分の立場をデザインすることを真剣に考えないといけない。

青井──連さんにとっては政治的な立場はそうして具体的な経済的回路をつくることで確保されるものだということですね。コミュニティのため、地域のため、と言っているだけではそれが何かにつながって自身に倫理的な矛盾になるような事態を抱え込むこともありうる。

──中動態的な立場をとるにはそうした政治的な意思表明と、その表明を支える社会的な構造が逆説的に重要になるということだと思います。

崇高性の表明としてのコミットメント

青井──さきほど、動かしがたいものと見えていたシステムの機能不全をきっかけに、知的視野の変動と、新しい実践とが同時に生まれるといったことの事例として、「みなし」や「木造」を挙げました。これらを、たんに利便性が高いとか、暖かくてすごしやすいとか、そういう視点で評価するだけではまったく不十分です。「街中=便利」、「木造=温かい」というのはステロタイプへの後退ですからね。産地から設計・施工までの生産のネットワーク、仮設から復興までのフェーズの架橋、そうした社会的・生産的なダイナミクスに関わる部分が、じつは熊本以降は忘れられているのではないかとの指摘もあります。

──その点で言うと、やや唐突ですが、今後ますます創作することの「崇高さ」が大事になってくると思います。これも「10+1 website」の特集「ファブリケーションの前後左右──ネットワーク時代の生産論」で書いたことなのですが(連勇太朗「ファブリケーション、それは組み立てて捏造すること」)、英語のfabricateには「捏造する」という意味があるんですね。つまり、ものをつくる際に、創作者は架空の物語をそこに組み込む余地を残されている。先ほど仰った「街中=便利」、「木造=温かい」はPC的なものですね。言葉は横すべりするし、「木造=暖かい」のように正義として定式化されると、それ自体が反論の余地のない、動かせないものになってしまう。しかし、ものづくりはそもそも非言語的コミュニケーションの世界に属しているので、PCが入り込む余地のない崇高な領域がたくさん残っています。

高度資本主義社会と民主主義社会における「ものづくり」は、PCやスタイルから上手に距離をデザインしていかないと、どんどんつまらなくなる感覚があります。ヴェネチア・ビエンナーレで門脇さんがやろうとしていることは、モノそのものがもっている「よい/悪い」を超えた情報量や複雑性を、そのまま会場に持ち込み、展示することだと思うんですね。そうした情報量や複雑性は、ときとして「空き家改修=正しい」「サステナビリティ=正しい」というPCを超越する可能性をもっている。そのことはきちんと言っておく必要があると思うんです。

青井──今さらっと「崇高さ」ということを言われましたが、どういうことですか。例えば、モクチン企画の考える「崇高さ」とはどういうものでしょうか。

──いくつか水準があります。例えば「モクチンレシピ」に掲載されているアイデアの一つひとつはちょっとした納まりの工夫があったりする。これは僕らがフェティッシュに決めている領域と、施工性がよいとか入居者にメリットがあるとか外部的な要因で決めている領域と、ふたつの領域にまたがっています。後者はネットワークとのコミュニケーションのなかでつねに最適化されますが、前者はある意味、自由に楽しくユーモアやフェティシズムを入れ込む余地があると言えます。ネットワークに影響を与えない範囲であれば、私たちが気まぐれに変えてしまうことができる領域であり、レシピユーザーにとっては気づきもしないどうでもいい部分です。施工が難しいとか、工事費がかかるといった実害・実利が生まれる部分であれば、それは「興味の対象」になるわけですが、ものづくりの現場において、ユーザーにとって「興味の対象外」に該当する部分はいっぱいあるわけです。この領域こそが「崇高さ」が宿る部分であり、非常にパーソナルな領域でもあり、さらには立場上、特権的にコントロールできる部分でもあります。民主的に決めることが不可能、あるいは不可知の部分とでも言いましょうか。ネットワークに回収されない領域ですね。実際にものを組み立てる建築、デザイン、ものづくりの可能性はまさにそこにあるわけで......。

連勇太朗氏

青井──なるほど。理解がズレるかもしれませんが、たぶんリサーチ(研究)の側にもある種の崇高性の契機が求められるのかもしれません。例えば、僕は少し前まで被災地のような深刻な現場に研究の視点で入ることは倫理的に許されないという気持ちがありました。入るなら研究という意識を捨ててコミットするしかない、そうでなければ手を出さない方がいいというような。それから、研究するなら社会に還元せよということは、学生のころから折に触れて言われていたのですが、あれは研究を禁じはしないけれど、往々にして罪悪感を刷り込み、知的にも萎縮させる。でも、3.11以降、岩手県の津波被災地と福島..の原発事故被災地に通い続けて、そこに批評的な研究の知性を働かせることの重要性は確実にあるのだとわかってきました。研究に罪悪感を覚えさせる暗然たる圧力はいったいどこから来ているのか。たぶん研究とは論文を書いて業績をあげることだ、というように、研究がやせ細ったことに由来する捻れた倫理観なんじゃないかな。

設計者も、社会的・生産的なネットワークの再建や変容、フェーズを動かす時間的構想を含め、それをいかに知的で批評的な営為として捉えられるかが重要だと思います。建築論・都市論や、それに関わる認識論や創作論を根本から書き換えるようなモメントを実践の回路に組み込んでいること、それこそが逆に公共性を担う技術者としての建築家の倫理を支えることはあると思います。

──研究者のパーソナルな知的欲求や知的好奇心、それを駆動させている領域は誰にも関与・否定できないという意味で崇高です。実際の実践介入の局面においては、社会的意義とこの崇高な領域のバランスが問われるのではないでしょうか。

そして、そこに向き合ってこそ真に知的な生産が可能になるのだと思います。なぜ、そうなのか。精神医療の分野を例にすれば、治療者と患者という立場の違いがあるとは言え、それらは「治す‐治される」の関係ではなく、ユング心理学で言う「変容」のプロセスをたどることが重要だからだと思います。ショートスパンで終わる設計や研究のあり方では、そうした倫理のあり方を育みにくい。そのためにも、デュレーション(時間の持続性)を生み出すモデルを主体的につくることが重要です。そのときにはじめて、研究者にしろ、建築家にしろ、崇高な領域を持っておくことが許されるし、逆に重要になるのだと思います。


  1. 観察と実践をめぐる中動態的モデル/
  2. 漸進的デザインを支えるフィードバック回路、あるいはネットワーク/中動態的建築家像と政治思想的スタンスを表明すること/崇高性の表明としてのコミットメント/
  3. プチ・デミウルゴスと自信のないリヴァイアサンたち/これからの批評とメディア──新たなネットワークを組みなおすこと

202003

特集 [最終号]建築・都市、そして言論・批評の未来


独立した美術・批評の場を創出するために
いまこそ「トランスディシプリナリティ」の実践としてのメディアを ──経験知、生活知の統合をめざして
リサーチとデザイン ──ネットワークの海で建築(家)の主体性と政治性を問う
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