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178 中世インドヒンドゥー寺院

178 中世インドヒンドゥー寺院

民族、言語、環境、宗教、そのほかどのような枠組みをもってしても、インドという国をとらえることは難しい。聖と俗、富と貧、生と死、不変と変化、すべてが境界なく入り混じっている様子に圧倒され、その多様性を「混沌」という言葉により伝える紀行文は数多く出版されている。しかし一方で実際に現地に赴くと、そうした混沌と並存する統一性のようなものを感じることができる。
寺院というものひとつを取り上げても、そこには彫刻群などに多様性に溢れた姿を見ることができるが、同時に寺院として統一された建築空間としての美を見出すことができる。
ヒンドゥー寺院は神が御座す神聖な住居で、像や神のシンボルが置かれる寺院の本殿は光が入らず、重々しく暗い。本殿のみであった寺院は、時代が経ると、儀式などを行なうと考えられる拝殿、さらに柱廊玄関が付随するようになる。玄関から入り本殿に向かうにつれ内部に入る光は絞られ、光から闇へ、視覚的経験の複雑から単純へ、本殿に導かれるよう空間が設計されている。
本殿、拝殿、玄関と連なる寺院平面は、本殿中心を焦点とした、ヴァーストゥ・プルシャ・マンダラと呼ばれるグリッドシステムによる宗教的力学によって設計されている。そのため寺院の各部分は本殿と正しい比例関係があり、寺院それ自体がヒンドゥー教のコスモロジーを体現する装置となる。
今回紹介するのは、中世ヒンドゥー寺院の代表と称されるカジュラーホの寺院群と、オリッサ州の州都ブバネーシュワルに多く存在する中世の遺構である。喧騒の街を歩いていると、突如として現われる統制された美としての中世の遺構。私たちは時代が錯綜したその様子に戸惑い、圧倒されるのである。しかし現地の人々にとってはそれが原風景なのであり、時空すら飲み込んでしまうインドというものの不思議に調和された魅力を感じるのである。



[撮影者:村松裕(東北大学大学院)]

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