ここに紹介する写真は2007年3月上旬に撮影されたものである。今回13年ぶりに訪れたロンドンは、好景気を反映してか街全体にものすごい勢いが感じられた。そこここに建つクレーンたちは、良くも悪くも様変わりしつつある都市景観を予見しているかのようだ。とりわけテムズ越しに眺めるシティは高層ビルの建設ラッシュで、近い将来香港と大差なくなるのではないか......。
冗談はさておき、ここでのテーマはゆるやかに「鉄の隠蔽から謳歌へ」としたい。まずは、大英帝国絶頂期までの建築の発展における鉄の役割を考えてみる。産業革命以前の城塞や聖堂において、鉄は煉瓦や石材をつなぎとめる補強材であり、表立って表現されることのないマイナーな存在であった。それが産業革命で大量生産されたことによって、駅の上屋や庭園の温室といった、大空間を象徴する構造材となる。だが、これとて当時は「建築」の表現とは見なされなかった。依然として「建築」には装飾が必要であり、鉄は表現要素にはなりえなかったのである。それでも、鉄の役割は水面下で拡大していた。カールトン・ハウス・テラスのドリス式円柱は鉄でつくられたし、国会議事堂の屋根や大英博物館付属の図書閲覧室のドーム屋根にも鉄が大々的に使われた。いずれもぱっと見、そうは見えないところが面白い。そして鉄が表現の主役となった現代、ロンドンにもミレニアムの建築特需は訪れ、そこではハイテックが高らかに謳い上げられている。と同時に都市スケールでは景観問題が頭をもたげ、表現に自制を促してくる。鉄の隠蔽から謳歌へ、いずれもある時代の建築美観を支えたポリシーであるが、この推移は都市景観のレベルでも同様の展開を辿るのだろうか。冒頭の件はあながち冗談とは言えないかもしれない......。