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l○┼l net. 五十嵐太郎/南泰裕編『エディフィカーレ・リターンズ』「何よりも書き続けること。考え続けること。」──今村創平 l○┼l net.
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『informal』
2003年7月発行
トランスアート社
定価:4,800円 (税別)
ISBN4887521812
A5判 並製 334頁
 
『エディフィカーレ・リターンズ』は、1991年から96年に渡って東京大学建築学科の大学院生が計7冊発行した同人誌『エディフィカーレ』を再編集してまとめたもので、同人のコア・メンバーであった五十嵐太郎、南泰裕両氏がその作業にあたっている。僕は、ここでの執筆者たちと同世代にあたるが、いままで『エディフィカーレ』本誌を手にする機会はなかった。「エディフィカーレ」というタイトルから連想される単語edificeには「大伽藍(カルナップ神殿のような)」、edifyには「教化する」という意味があり、それと東大を結び付けて、なんか気後れするものを感じてもいた。それは、天邪鬼(あまのじゃく)な僕の勝手な思い込みであることは、そのあと気付いたのだが、同人誌という性格上なかなか実物に巡りあうことはなかった。今回、オン・デマンドという今日的な形態で発行されることになったが、そのため残念ながら一般書店では手にすることが出来ない。そのため、ここではこの本の元となっている同人誌『エディフィカーレ』について解説すべきとまず考えたが、今回新たに書き下ろされたふたつの巻頭文が、そうした内容について余すことなく解説しており、それをそのままなぞるのはどうかと思い直した。ふたつの巻頭論文とは、五十嵐太郎の「エディフィカーレと1990年代のメディアをめぐる状況」と南泰裕の「リフレクションズ・オン・エディフィカーレ」であり、それぞれのタイトルどおりエディフィカーレの位置づけと、それに深くコミットした当事者の視線から回想がつづられている(*1)。ともに充実したテキストで、二人のこの同人誌への思いが伝わってくる。

本の中で何度か繰り返し書かれているように、同人誌が成立した経緯には、何かを書きたいという衝動と、それを受け入れる既成のメディアがなかったことがあげられる(「メディアとの接続不良ゆえに、そして言葉を発表できない不満ゆえに、自ら雑誌を創刊せざるをえなかったのである」[五十嵐、p.1])。であるから見返りを期待できないのはもちろん、膨大なエネルギーを自発的に注ぎ込むことで、この同人誌は成立していた。そして、今回のリターンズ発行にあたっても、担当した二人は報酬もなくこの手間のかかる作業をしたわけで、そこに当初の情熱の継続を見る気がする。

五十嵐も書いているように、こうした紙を媒体とした同人誌という形態はコストと手間の問題から、今後インターネット上のHPや掲示板に取って代わられるのかもしれない。実際、最近は情報量に富むHPも増えてきたが、掲示板の多くは読むに耐えないものが多い。手段が簡単すぎるため、内容もイージーに流れてしまうのだろう。相変わらず紙の雑誌は減らないように、今後も紙の同人誌に可能性があるかもしれない。

話がそれてしまったが、この自由に自発的に書けるということが大切であって、そこには問題意識がダイレクトに表明されたりもする。最初の今井公太郎の集合住宅に関する論考は、現状に対する強い不満が述べられている典型的な例である。思考を始めるには、まず問題意識を持つことが大切ということだ。まだ充分に展開できていなくても、その引っ掛かり(塚本由晴風に言えば「気づき」)を大切にし、それを自分の身の丈で捉えること。そして、それを自分だけの問題として持っているだけでは、いつまでも未熟なままであるので、それを仲間や外部に晒すことにより、鍛えるのである。

ただ、20代中ごろからの文章であるので、読む前は、未熟なものが多いだろうなと想像していた。未整理であってもそこに可能性の萌芽が見られればそれはそれで充分だなどと失礼ながら勝手に思っていた。しかし通読してみて、全体的にレベルが高いことには驚いた。僕がこの原稿を書こうと思ったように、同世代に対してはエールを送りたいと思うのは自然なことだろう。一方、そこに才能があることを見るのは正直辛いというのは誰もが抱く感情であろう。現在も彼らの仕事を嫉妬交じりに眺めているが、ずっと前から彼らには能力があったのだ。

通常、雑誌等に掲載されている論文は依頼原稿であるから、その雑誌の希望に沿うことが望まれることがほとんどであるし、あまり「角が立つ」文章は好まれない傾向にある。批評的でありたいと思い、また決して悪意からではなく自分の感じていることに素直であろうとも考えるが、人の不利益になることを書くと騒音が発生したりして、そうしたことに面倒くさくなったりもする。自前のメディアであれば、そうした煩わしさに惑わされずに、書きたいことが書ける。また商業誌などでは、時として人目を気にするあまり気負ってしまい、見苦しい文章になってしまうことがある。ここでは、若さゆえの直截な言葉が、そのまま投げ出されていたりもするが、そこには却ってこなれた形になっていない直感の正しさが垣間見える。

先の文脈とは少しニュアンスが違うが、ストレートな物言いとしては、南のこんな言葉も見つけた。「自分のことを鷹だと思っている烏や天狗が多すぎるのである。彼らはいずれ、すべてそろって地獄へ落ちていくだろう。それまでは、私も闘い続けなければならない、ということか」[p.231]。 すこし、柄谷行人が入っている気もするが、テンションの高さは充分伝わるであろう(誤解されると困るので一応フォローしておくと、南は勢いよく熱く物事を語ることもままあるのだが、普段はどちらかというと一歩引いて処する謙虚な好人物である)。

『エディフィカーレ』の元メンバーは、現在建築界の言論の部で中心的な役割を果たしているといっても決して大げさではなく、特にここ数年の活躍は目覚しい。五十嵐は、その活動を列記するのが不可能なほど多産な文章家であり、また多くの企画等にも関わっているのは周知のことである。南、今井、太田浩史はここ一年で揃って住宅を発表した。南は昨年初の著書『住宅はいかに可能か』を上梓したし、太田は最近関心の高いサステイナブルなど環境について若手で一番の論客である。そうした彼らの活動の原点が『エディフィカーレ』にあることは、本の中のいくつかの証言からも明らかであるが、現在を知ってこの本を読むと、彼らの関心や問題意識の方向や文章の文体が10年以上前からあまり変わっていないことがわかって面白い。

五十嵐や南の当時の文体がすでにいまに近い形であることは正直驚きであるし、先にも述べたように今井はやはり熱く語っている。太田は環境、エコロジー、コンパクトシティなどに関心があるわけだが、それが平板な科学的な興味ではなく、もっと世界に対するヴィジョンに結びついていることが確認できる(「万人のための建築について」[p.33])。だから、フラーのことを語っていたのだなと腑に落ちた。第6号はヴィジュアル・デザインに大きな進歩が見られるが、それは槻橋の貢献だそうだ。最近の建築評論は、その社会背景や存在意義などを扱ったものがほとんどだが、槻橋の現代建築批評は建物の形態そのものへの関心が高いという気が以前からしていた。改めて、彼は視覚的なものへの感受性に富んでいることがよくわかった。

こうして彼らの昔の文章を読むことで、現在の彼らの考え方がより理解できたのは僕にとって収穫だった。南は「あとがきにかえて2」で以下のように言っている。「ベルグソン的な言い方に倣えば、いわば、エディフィカーレという過去が現在に染み込んでくるのだ。(…中略…)その活動を今のこの時点で未来に折り返してみると、未来が現在に染み込んでくる様が、わずかに見えてくる気もする」。いまの彼らの活動に惹かれる若い人がいるならば、それがこうした過去の真剣な取り組みから連続していること。そしてそれが未来につながっていること。それを是非読み取ってもらいたい。

最後にもうひとつ付け加えると、ここで活躍した元メンバーは「ことを起こす」ということに長けている。彼らにそれぞれ会えば、「いまこんなことを準備している」といった話を毎度のように聞かされ、何か新しいことをし続けようとうずうずしている様子からいつも刺激を受けている。それには『エディフィカーレ』という場を作ったことが経験として生きているからであって、その活動は困難も伴ったであろうが、充実した楽しいものであったのであろう。そうしたいまの日本の建築シーンを前に進める原動力として認知されつつある彼らのエネルギーを、一回り若い世代にも受け継いで欲しいと思うのだ。建築を志すすべての若い人にこの本を是非手に取って欲しい。ここにある可能性に、目を向けることを強く願う。「何よりも書き続けること。考え続けること」[P.66]。

*1:「エディフィカーレ・リターンズ」は、南洋堂書店で店頭で扱っており、また同書店のウェブサイト(http://www.nanyodo.co.jp)にて、この五十嵐の巻頭言を読むことが出来る。
 そのほか、京都のスフェラ・アーカイブ(http://www.ricordi-sfera.com/)やトランスアート社のウェブサイト(http://www.transart.co.jp/)でも入手可能。

[いまむら そうへい・建築家]

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