サービス精神の旺盛な企画展だった。
意欲のほどは、展示の記念出版物からもうかがえる。会場の出口が見え始め、いつも 通りに資料を買おうと机に向かうと、図録が無い(展示内容は今後、CD-ROM化されると聞く)。その代わりに置かれていたのは「建築 仕掛け絵本」である(米山勇監修 『東京——建築・都市伝説』TOTO出版)。明治初めから現在までの東京の名所11か所が、ペーパークラフトで表現されている。飛びだす帝国ホテルあり、短冊を引くと窓からキリンが首をのぞかせる同潤会アパートあり。バサッ、バサッ。厚紙をめくる重い感触と共に、楽しませよう、そして啓蒙しようという気遣いが、ひしひしと伝わってくる。「平面」から「立体」へ。「鑑賞」から「参加」へ。そんなキャッチフレーズが脳裏に浮かぶ。お、これが今回の建築展の特徴を要約しているのでは?
話の糸口にうってつけ? 喜び勇んで、本を閉じて、会場を後にした。
この会場というのは「江戸東京博物館」であり、もう1つ「江戸東京たてもの園」でも同時に開催されていた。
「序 江戸から東京へ」「第1幕 開化の街並み−明 治−」「第2幕 ゼロからの出発——関東大震災」と、ここまでが「江戸東京たて もの園」の管轄。第3幕からは「江戸東京博物館」に場所を移して、震災復興→焦土化→また復興→バブル→未来、と続く。
建築をテーマにした展覧会も今や珍しいものではないが、一般には図面やスケッチを 鑑賞の中心にすえている。模型や建物の断片があっても、展示ケースの中に収められていることが多い。視線は平面的なのである。「ジョサイア・コンドル展」(東京ステーションギャラリー、1997)のような作家中心型のものも、「未来都市の考古学」(東京都現代美術館他、1996)などの企画主導型も、この点では共通する。「美術館タイプ」と言えよう。
それに対して今回は、立体的な復元模型を積極的に活用していた。絶対的な数からす れば平面的な見せ方(図面資料や説明パネル)のほうが多いのだが、原寸模型の迫力はそれを上回る。また、復元対象の選択にも、従来と違った狙いが感じられる。美術的な価値というより、むしろ社会的価値に重きが置かれているようだ。そもそも、会場となった「江戸東京たてもの園」は、移築された建築の展示が特徴であり、「江戸東京博 物館」は多くの模型を駆使して江戸〜東京の歩みを物語る。博物館といっても収蔵品を見せるだけではない。そうしたありかたの延長上に、今回の建築展が考えられたに 違いない。従来の「美術館タイプ」と異なる、新たな「博物館タイプ」と言ってよいだろう。
展示物の時間軸を横軸に、「立体」の度合いを縦軸にとってグラフを描く。すると、 少し中央が陥没した正規分布グラフが得られる。序幕と第1幕はオーソドックスにパネル中心の構成である。模型が少々。第2幕では「震災仮設住宅」の原寸復元が興味深い。傍らに並んだ建物の破片がリアリティを添えている。復元建造物の目玉は、「第3幕 再起する東京−震災復興−」にある「同潤会アパートメント」2DK部分の再現である。ちゃぶ台をはじめとした調度品も揃っている。次の「第4幕焦土と羨望と−戦争、そして占領下−」で「立体度」が減少するのはやむを得まい。戦争の 前後で実作が減少したのだから。それでも、戦争直後の「壕舎住宅」「汽車住宅」の模型や占領軍住宅家具の再現によって、平面を眺めるだけの展覧会から脱していた。 「第5幕 国際都市へ−高度成長と技術革新−」の入り口には、工業化住宅「ダイワハウスA型」の復元がどんと構えている。と思えば、丹下健三やメタボリストたちの プロジェクト模型も並んでいて多種多様。それにしても、「東京計画1960」の模型がこれほど大きく、ついさっき出来たようにきれいなことははじめて知った。「立体度」はここから再び低下して、「第6幕 東京繚乱−ポストモダン・バブル−」、「第7幕 未来都市・東京」と続く。
「同潤会アパートメント」と「ダイワハウスA型」の2つの復元建造物では、日に数 回、ドラマ仕立てで当時の生活の様子が演じられていた。ここでの「参加」は観客としてのそれだが、会期の間にはさまざまな関連事業が行われ、市民の参加と学習の機 会が与えられた。巨大なエアドームの中に段ボールハウスを組み立てたり、建築オリエンテーリングを開いたりといったような。こうしたアクティビティが一体となって 「建築東京展」は企画された。
しかし、気になったこともある。後半の「立体」の度合いの下降線が、私の興味の下降線と同期していたのだ。
あれ?と思い出したのは、いわゆるバブル期前後の建築写真パネルが、何のひねりもなく、壁面を埋め尽くす辺りからだった。その後に、妙に納まりの良い「トーキョー-マンガ論」と、保存再生事例のパネルが、無関係に通路の両面に並んだ。そして、 建築デザイナーやゼネコン設計部による未来東京の「絵」の羅列。時節柄、リサイクルの話にも触れていたような気もする。それでおしまい。勉強にはなる。しかし、この展覧会でなければ、という感触が展示に関して欠けてい る。まだ叙述の「定番」が定まっていない戦後編で、それが特に露呈しているように思われた。
「東京建築」なる、地理的にも概念的にも広漠とした対象を扱うことは容易ではない。その先駆的な試みとして、今回の展覧会が果たした役割は大きい。大量の資料の収集には大変だっただろう。しかし、いくらがんばっても、せいぜい中が空洞の紙の 模型を作ること位になりはしないか。1枚の資料がより多くを語ることがあるように、(過去も含めた)現実を切り取る視点が、建築展でも求められるだろう。例えば「住まい」だけに絞ったら、また違った問題提起が可能だったように思う。「サービス精神」だけでは、どうすることもできないこともある。
近頃の一般の方々の(というのもおかしな言い方だが)、建築への教養には驚かされることがある。「建築趣味の涵養」などと言い続けた大正期の建築関係者が見たら、涙を流して喜ぶのではないか。街角のちょっと古い建築に、驚くほど通じている人がいる。内外の建築デザイナーの名前に詳しい人も珍しくない。もちろん一人が両方を兼ねていることもある。事実関係については私(一応専門家)が教えられることがあったりもする。そんな彼(彼女)は、満足して見たのだろうか?
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『東京——建築・都市伝説』表紙 |
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