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  . 吉村靖孝
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ピム・フォルタインと〈ピッグ・シティ〉
フォルタイン党の党首ピム・フォルタインが暗殺されてすでに2カ月あまりが過ぎ、ロッテルダムも一応の静寂を取り戻したという話を聞いていたのだが、ひさしぶりに再会したヴィニー・マースは、まずこの話題から近況を語り始めた。というのもこのフォルタインはMVRDVの〈ピッグ・シティ〉を彼の政治的プロパガンダの一翼を担うものとして利用しており、画像や文章の引用を繰り返していたのだそうである。この日のヴィニーのレクチャーがまさにその〈ピッグ・シティ〉などリサーチ系プロジェクトを軸に組み立てられていただけに、僕は一瞬自分の耳を疑ったのだが、実は、結果的にフォルタイン党は同情票を集めて躍進しており、棚からぼた餅と言えば不謹慎かもしれないが、MVRDVにも政治の場で大きな発言力を与えられる可能性がでてきたというのだ。今回彼が、リサーチを前面に打ち出したレクチャーを編成したのは、一見机上の空論と受取られかねないこれらの研究活動にも、激動する社会のなかで確かな手応えを感じているからに違いない。
〈ピッグ・シティ〉の骨子は単純なものである。人口とほぼ同数の豚を飼うオランダでは、その飼育方法を有機法(口蹄疫などの予防に効果があるとされる)に切り替えた場合、実に国土の8割近くを養豚の用に供さなければならない。苦労して国土を切り開いてきたオランダにおいてそんな提案が罷り通るはずはないが、しかし彼らにはこれを拒んでいる余裕はない。住む場所を失うか、豚肉をあきらめるか、という二者択一の瀬戸際に立たされているのである。MVRDVは、得意の高層化によってこの問題にアプローチしている。国土全域に広がる産地を集約し、飼料の生産農場も取り込んだ垂直方向のサイクルとすることで、感染可能性のある経路を短縮する提案をしたのである。それはとりもなおさず輸送費用の削減、トラックによる二次的な公害の減少をも意味している。なにより、豚は現状よりもはるかに豊かな生活を手に入れることができる。
〈ピッグ・シティ〉のこのシンプルな筋書きはしかしさまざまなサブ・ストーリーを吸収しながら長編へと膨らみつつある。ここで手短にそのプロセスも俯瞰してみよう。もともとこのプロジェクトは彼らが展開している三次元都市論のフード・プロダクションを分担するものとして起草され、事務所の片隅でほそぼそと続けられていた。しかしそのころにはまだ、真剣に耳を傾ける者は誰もいなかったと言って差し支えないだろう。ところがそれから数年の後、例のBSEや口蹄疫の表面化で一気に衆目を集めることになる。オランダだけでなく、ヨーロッパの多くの国の報道機関が取材に訪れるようになり、マスメディアでの露出度も上昇してゆく。はじめはこの提案を一笑に付していた者たちも、家畜が焼かれるショッキングな映像が画面を賑わし、問題が泥沼化するにつれ、次第に無視できなくなる。気鋭のポピュリスト、ピム・フォルタインがこの動きを見逃すはずはなかった。彼は自身がゲイであることをカミング・アウトした政治家として知られ、同性愛者を教条的に差別するイスラム系の移民と対立することで「ヨーロッパの右傾化を象徴する人物のひとり」とさえ言われていた。イスラム教徒にとって不浄の動物である「豚」を養護するのは、なるほど彼の政治的な立ち位置を明確にするのにうってつけだったはずだ。しかし、オランダ総選挙に向けて過激なキャンペーンを繰り広げた彼は、投票日を9日後に控えた5月6日、あるラジオ番組の収録直後、局に隣接する駐車場で銃殺されることになる。その場所は、MVRDVの出世作が立ち並ぶヒルヴァーサムのメディアパークであった。

〈ピッグ・シティ〉と「建築」、「都市」
こうしてみると社会に対して一定のインパクトを与え得たプロジェクトであることは間違いなさそうだが、では、都市計画、あるいは建築計画の観点から見た場合〈ピッグ・シティ〉の何が新しいのだろうか。ひとつには、そういう「観点」自体を無効にしてしまう大胆な領域横断を成し遂げた点が評価されるべきではないか。ふつうなら都市問題や環境問題と言われてしかる分野の課題を扱うのに際し、MVRDVは、道をどうレイアウトするかという次元の「都市」計画的解法をスキップし、超集約型の「建築」を提案している。「シティ」と銘打ってはいるが、これはいわゆる都市計画ではないのだ。メタファーやシンボルという話に想像力を逞しくするのをやめ、よりリテラルなトランス・ジャンルに踏み切ったと言えるだろう。これによって従来「建築」と呼ばれてきたものは守備範囲を広げ、「都市計画」もその可能性を拡張している。
もう一点興味深いのは、コンパクト・シティの原理に則る計画でありながら、居住のための空間を問題にしていない点であろう。都市を集約するプロセスから抜け落ちやすい「食料」の問題をクローズアップすることで、実にユニークな立ち位置を獲得している。人間の生活を豊かにするために「建築」がなすべきことは、自分たちの住む「空間」を豊かにすることだけではない、というわけだ。人口が減少傾向に転じ、居住空間の高密度化というコンセプトをそのままではアプライしにくい国々にあっても、フード・プロダクションの集約というのは依然未開の領域であり、今後の展開を期待してよいだろう。

〈ピッグ・シティ〉と日本

〈ピッグ・シティ〉は豚肉の大量消費/輸出国であるオランダの文脈から生まれた提案であるが、これを食糧危機への対処法と眺める地点までズームバックした場合、まさしく同じ問題に直面し、対策を必要としている国がある。
日本である。元来食料の自給率が低く、そのうえ食品加工業者の信用も失墜した日本は、彼にとって格好の標的なのだ。そのことに気づいて、今回のレクチャーを反芻してみると、潜在的なクライアントを強く意識したものだったと理解できる。つまり彼は、実現した「建物」のスライドを「見せない」ことで、クライアントを選別するプロセスを演出していたのである。
しかし結局のところ、どの会場の反応も彼を満足させるには至らなかったようで、講演終了後の彼は「オーディエンスがどう感じているのかさっぱりわからない」と再三繰り返していた。僕ははじめ「日本のオーディエンスは大人しい」というようなクリシェを反復しているのかと思ったのだが、どうもそれだけではなさそうである。彼は、大いに期待をしてこの国にやってきた。彼にとって「講演会」とは、安い宣伝や、薄っぺらい教育の場ではなく、ましてやステイタスを噛みしめる場でもない。それは対話を通じて自分の位置を確認し、必要ならば修正し、展開していくための重要なステップなのである。彼の目には、日本がその実験場たる資質と責任を備えた国と映っていただけに、会場の静けさには落胆の色を隠そうとはしなかった。
レクチャーは反応するに値しなかったのであろうか? あるいは、コンパクト・シティを理想とし、データスケープを操る彼らの手つきはもはや見慣れたものなのだろうか? 彼には見えていない問題が多すぎるのだろうか?
徒に扇動するつもりはないが、彼のメッセージに同調するにしても、それを退けるにしても相応の論陣を張って備える必要がありそうである。おおいに不満を残した彼は、「近いうちに再来日する」と言い残して次の目的地、北京への旅路についた。

fig.1, 2
7月18日、レクチャー東京会場
 
 
 
 

fig.4, 5
東京、築地市場を見学

fig.5
京都、清水寺にて

いずれも筆者撮影