地下街にて
田中裕之 TANAKA Hiroyuki
 


ずっとフィールドノーツというかたちで地下街フィールドワークを記述してきたので最後もそのようにして書き記したい。  
約一年かけてやってきた地下街フィールドワークを締めくくるにあたって、かつて書かれたフィールドノーツを読み返すことは、自分自身の思考の痕跡をたどるようで興味深くもあり、なんだかとても恥ずかしい気もする。 当初はどうしても政府の「大深度地下計画」や「東京はインテリア都市である」という建築家の言説の影響が強すぎて、そうしたものとの関係から地下街を何か大きなものとして考えていたようだ。(この手のボツ案は多数) つまり地下街を考えるときに見え隠れする、背後にある「大きな物語」のようなものにたえず振り回されていた。特に八重洲のときはそうで、僕自身、相当ピントがぼけていたように思う。 地下街にはそれぞれ特徴があるのだから、各々の特徴を抽出すればよいと気付いたのはその後だったが、次に興味の対象となったのは、その地下街を可能にしている空間構造にであった。例えば池袋では「ワンルーム」という構造を抽出できたわけだが、それがなぜかというところまで自分自身踏み込んで観察することはしていなかった。 偶然にも東京大学の佐々木正人研究室助手の宮本さんから「視覚障害者ナビゲーションー池袋地下街ー」というビデオを借りることができ、池袋地下で盲人が天井の高さや梁のでっぱり、壁や柱の位 置を言い当てるという映像をみることによって、やっと僕は観察するということに気づくことが出来たのだと思う。


その後、横浜、新宿、渋谷、新橋、神田と続くフィールドノーツからは少しずつ建築の言語が減っている。これを自分なりに考えてみると、こういうことなのだと思う。 先に述べたように、当初は地下街という建築の一つのビルディングタイプを相手にしながらも、しかし実は背後にある大きな社会やシステムを想定していた。それによって、地下街からは視点は外され、ピントはぼけてしまう。途中、観察することの重要性に気づき、些細な「もの」や「こと」に目を向けることでようやく肩の力を抜いてフィールドワークをすることができた。都市にあるトリヴィアルなものに目を向けるとは、たしかベンヤミンか誰かが言っていたはずだけど、そういったモチベーションへと向かっていたことは確かだ。(したがって、おのずと建築の言語は減っていく。) 問題は地下街かどうかではない、と開き直ってしまえば、話はもっと簡単になる。地下街を通 して、そこで起きている問題を抽出し、観察し、記述していくことが重要なのだ、と。しかもそれは抽象的な「社会」を相手にするのではなく、もっと身近にあるものに着目して。


ところで、ぼくらが歩いた7つの地下街は今どうなっているのだろうか?八重洲ではあいかわらずおじさんが植裁に水をやり、新宿では地下からそのままビルにアクセスするサラリーマンがいて、神田では床屋のおじさんが千円カットをしているんだろうか?過去の出来事を思い出して感傷的な気分に浸るほどぼくはナイーヴな性格ではないけれど、それでも時々思い出してしまう。 ぼくらが観察したのは何も建物だけではなかった。地下「街」というだけあって、そこは「街」なのだからそこにいる人は地下街を成り立たせるための重要な要素であるし、人に焦点をあてても、それで「街」が背景に退いてしまうような、そんな弱さはなかった。そして、神田で最終的にいきついたぼくなりの結論とは実はこういうことだった。あなたがもし地下街を探検するような機会を得たならぼくと同様にきっとそのことが気になるだろう。



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