アートの現場から[2]
Dialogue:美術館建築研究[4]

Dialogue[1][2][3]
   奈良美智
 +
 青木淳                        
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光/空間/構成
▲図33
▲図34
▲図35
▲図36
▲図37
 

青木──描いていく時に、やっぱこんな空間だなぁっていうのはなんとなく頭にあるわけですか。
奈良──実際、熱中するとなくなってしまいますね。できてみてから、これができちゃったからこっちの絵は小さくしなきゃとか。一番理想的なのは、たくさんある中から会場に合わせて自分の持ち駒を配置してゆくという感じが一番やりやすいんですよね。正直言うと、空間に合わせてつくるというよりも、空間にあるものを当てはめてゆく。その空間のために作るということとはちょっとちがうんだけど。それがベストですね、自分にとっては。
青木──でも、横浜の場合でも、新作をいくつかつくって、それと、今までつくったものでもできるじゃない。
奈良──できますね。
青木──でもそうしなかった。全部ある時期につくってという形を選択されたわけでしょ。
奈良──そうですね。反省してます、それについては。というよりも、勉強になってますね。
青木──回顧展やってるわけじゃないから、その時に思ったことで全部の作品が統一した方が面白いし、強い。横浜の空間は、大きいと感じましたか。
奈良──最初は大きいなと思ったんですけど、何回か見に行く内に段々小さく感じてきて、プレッシャーがほとんど無くなってきましたね。
青木──やはり最初はプレッシャー感じたんですか。
奈良──そうですね。やはりああいう建物ですから、余計に。
青木──ライティングっていうのは随分考えたんですか? 
奈良──ライティング、僕は考えない、というか、その場でやってみてという感じですね。
青木──作品は制作中のアトリエと同じような状態で見えないと困るとか。
奈良──僕は全くないですね。
青木──確かにここの光は無造作かな(笑)。逆に言うと、展示室がこういう蛍光灯剥き出しの照明であっても全然かまわない?
奈良──僕はどっちかというとこういう照明の方が好きなんですよ。なぜかわからないけど。
青木──それは特別に奈良さんだからかな。
奈良──やっぱ展示する時に壁があったら、一個一個が独立した絵であるという考えの人は、スポットとかでも良いと思うんですけど、この絵の順番を決めたりして、やっぱこの壁ひとつ、あるいは部屋ひとつで展示しようと思うんですよね。そう考えると、スポットとかは本当にスポットでなきゃいけないものに対しては、それじゃなきゃいけないと思うけれども、そうじゃないものに関しては、ニュートラルに見えるものの方が良いでしょうね。
青木──横浜の場合は基本的にスポットでしょ。
奈良──そうですね。
青木──逆にあれは、スポットを使ってなるべくフラットにしようと思ったわけかな。そうすると、自然光採光の方が良いよね。
奈良──そうですね。確かに自然光の方がやりやすいんですけど、僕はなぜか蛍光灯っていうのがすごい好きなんですよ。多分それは、絵を描く時に蛍光灯が一番フラットで明るくて描きやすいていうのがあるんだろうけど、なんででしょうかね。
青木──蛍光灯そのものが好き?光が、というだけじゃなくて。
奈良──やっぱり白い壁には蛍光灯が一番合うなぁと思うんですよ。
青木──うん。一番素直な感じがしますよね。作為的な感じがしない。
奈良──ドイツ人は描く時に割と光にこだわらないんですよ。なんていうか、学校なのに蛍光灯のない暗いところでも、あまりこだわらずに描くんですよ。僕はとにかく明るくなくちゃいけない。なんでなのか分からないけども。皆が皆そういうわけではないだろうけども。日本人でも裸電球で描くのが好きな人もいるだろうし。
青木──この前テレビでバルテュスの番組を見たんだけど、彼は人工光は絵を殺すと。自然の光で今夕方だから、本当の色が出てきた、と言っていました。
奈良──夕日を堪能するんですよ、みんな。
青木──堪能する?
奈良──日が沈む瞬間の、夕焼けができるあの時間帯っていうのは、日本だったら暗くなったから電気をつけるじゃないですか。ほとんど電気をつけないで、それを堪能するんですよ、普通の家庭でも。一般家庭の照明も間接光が多くて、日本みたいに上からポンとぶら下がっているのはないですけどね。
青木──蛍光灯はないでしょ?
奈良──蛍光灯なんて!という感じですからね。だからバルテュスの言っていることはいつもよく分かるんだけど、ただ自分が育ってきた環境とか文化、僕が言っているのは日本古来の文化とかではなくて、僕が生まれて経験した短いスパンの文化なんだけど、それだとやっぱ蛍光灯なんですね。
青木─—小学校だって蛍光灯ですからね。
奈良──その中でつくることが、身体の中に染みこんじゃってる。
青木──今はライティングという絵に当たる光の話だけど、それとは別に、絵の中の光というか、絵の中にも空間があるわけですね。そういう絵のなかの光はどうなんでしょう。蛍光灯が良いというのとなにか関係があるものですか。蛍光灯の光というのは、陰影がないというかどちらかというと影がない光じゃないですか。先ほどの夕方の光というのは、夕焼けなんかは赤いけれども、基本的には青が一番最後まで残るような暗さでしょ。そういう非常にニュアンスのある光に対して、蛍光灯の光というのは均質になってしまう。
奈良──僕は蛍光灯の光だと嘘がつけないし、良い意味で……。
青木──技法でやらなくてはいけない?
奈良──そうですね。
青木──こういう質問はあまり意味がないかもしれないけど、ここに絵がありますね。顔がある。後ろがグレーになってますよね。このグレーのところは空間なんですか。
奈良──僕は空間を感じますね。なんというか、こういうものが[図33]描かれていたら、見る人は横から見るとここに視線が当たるわけですけど、視線が当たるんだけどこの中にもう一つ部屋があって広がっているような。
青木──ああ、そうなんだ。
奈良──僕が思う良い絵というのは、覗けばこっちに行ってしまうような。これが一番手前にあって、これがすごい奥まであるというか。そういうイメージがありますね。
青木──それはその絵を描く方法として、そういうことができるんですか。つまり、そういう後ろ側にあるものが奥行きをもっているというのは、実際に描く時にはどうやってやるんですか。
奈良──それは試行錯誤しかないんです。それはホントに絵の内容とは関係ない。これが例えばこういう赤い四角が描かれている絵でも良いんですけど、これが子供とか動物じゃなくて四角でも、そういう風に見えることが僕は平面のイリュージョンていう、なんていうか多分人間にしか分からないんだろうなと思うんだけども、そういう面白さ。
青木──そういうのはやっぱりこの面そのものじゃなくて、このエッジによりますか。
奈良──そうですね。なんかそういう考え方が僕の中にあって、あのお皿の絵も出てきたんですよ。こっからちょっとこう離すという。
青木──ああ、そういうことなんだ。
奈良──すると今度はここが一番手前になるんですけど、ものが描かれていたら。
青木──背景の方が前に出てくるわけね。
奈良──そう、背景の方が前に出てきて、遠く離れたところから見ると、人間の目のフォーカスって中の方よりもこのエッジにあるんですよね、カメラと同じで。すると、ここら辺[図34]にエッジがあった瞬間に、今度はこれが一番手前にあるのに、中に入っているように見えるというか。よりここの中に、穴になっててバァーと広がった世界があるという、そういう視覚的効果があるわけで。
青木──二次元の平面だと、真ん中にあるものがあってそっち側がやっぱり勝ち過ぎちゃうわけですか。
奈良──そうですね。それもあるし、角が一番勝ちすぎるんですよ[図35]。この角をうまく処理するために、こっちの形[図36]を処理していかなきゃいけなかったりするんですね。うまく説明できないですけど。マチスとかはそういうことやっているんですけど、ところがそういうことをやっていると、記号の組み合わせというか、今度は僕が描きたいものというのを変えていかなくてはならなくてなっちゃって。
青木──方法の問題の方が勝っちゃうわけだね。
奈良──だから学生時代なんかは特に、ここにこういう色が来たら違う色をこう入れて、四隅を全部違う色で構成して[図37]。描きたいものは真ん中でうまく見せるようにとかやってましたね。
青木──なるほど。
奈良──でも丸いものを支持体にして描こうという発想が生まれたのは、多分部屋が四角かったからっていうのも多分あると思います。もし丸いところだったら、逆に四角の方が面白いかもしれないなぁ。
青木──そうね、丸い中に丸いのはちょっとね。

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