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  . 田中浩也+横山美和
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fig.2=ムービーウィンドウやメニューウィンドウから構成されるwebサイト

fig.3=バナー広告が垂直に累積するWebサイト(「スタック」)

fig.4= 各階に看板が設置されたビル(「スタック」)

fig.5= Windows XPの情報表示システム。フォルダの中身が半透過的に示される

fig.6=アイコンが配列されたWindowsのデスクトップ画面

fig.7=窓にポスターが貼られた秋葉原のビル
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コンピュータ・インターフェイスとランドスケープに共通の現象が発生している事例として、最も特徴的なものに、JR渋谷駅前の景観が挙げられる。渋谷駅前の景観は、看板をはじめ巨大なスクリーンを含む多種多様なファサードから構成される。重要と思われる点は、それらが1箇所からほぼ平面的に見渡せるように設置されていることであり、その景観はコンピュータのウィンドウ表示とも酷似していることなどから「スーパーフラット・ランドスケープ」とも呼ばれている[fig.1 ]
fig.1=渋谷のスーパーフラット・ランドスケープ ▲クリックで拡大

 スーパーフラット・ランドスケープという用語は,全体の印象を直感的に把握するために有効である。しかし筆者は、それらを具体的に掘り下げるために、コンピュータにおけるハイパーメディアのパターンを導入することが可能と考えている。ハイパーメディアとは, 多様なメディアがハイパーリンクによって連携された現在のWWW(World Wide Web)のような構造を指す。この語はまた、テッド・ネルソンが提唱した「ハイパーテキスト」から、文書のみならずより多様なメディア(音声・画像・映像など)へと拡張されたという経緯で説明される。このようなハイパーメディアを視覚的に配列し表示するのがOS(Operation System)やWEBブラウザのGUI(Graphical UserInterface)機構である。この観点から述べるならば、渋谷駅前の景観は複数のハイパーメディアのパターンが重層して表出したインターフェイスと捉えることができよう。Q-FRONT付近は巨大な映像を中心として構成されたマルチウィンドウである。また地階から最上階に渡ってすべての階に横長の看板が設置されているビル群は、バナー広告がマトリクス状に整列する「スタック」と呼ばれる画面構成に近い。このような景観は、ある種,情報のリンク集・ポータルサイトとも捉えることができる[fig2〜4]

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渋谷はまた、現状のコンピュータ・デスクトップを一段越える性質も持つ。森川嘉一郎氏が指摘するように、渋谷はガラスを用いた,透明性を主眼とする建物が非常に多い場所として知られている★4。そのため、あるリンク集(たとえば店舗のインデックス)からより細部のリンク集(商品のインデックス)までを同時に見渡すことができる。これは、現在コンピュータの分野で「半透明(シースルー)ウィンドウ」として新しく提案されてきているものとほぼ符号する。WindowsXPにおいては、既にフォルダの中身を「透かして」表示するための機能が一部実装されているが、このような「見透かし可能性」の設定は、コンピュータ・インターフェイスと現実のランドスケープに共通の問題を提起しているといえる。マーコス・ノヴァックは,物理的身体は一箇所でありながらも「すべての場所に同時にいる/いられる」ような空間認識の発生を指摘し,それを「パントピコン(Pantopicon)」と呼んだ.言うまでもなくこの語は「パノプティコン」(一望監視施設)との語呂合わせでもあるが,現在は「監視」といった単一のメカニズムよりも、複合的な「検索」が空間認識の中心となっていることはまず着目すべき点であろうと思われる[fig.5]

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渋谷や新宿は典型的であるが,ハイパーメディアのパターンはそれ以外の場所にも飛び火している。秋葉原に興味深い事例がある。秋葉原は、特に97年以降マンガ・ゲーム・アニメ関連の専門店が大量に進出し、日本一のオタクのメッカとなった場所である。それに伴って、極端に窓の面積を小さくした建物が建設されてきたことが指摘されるが、これはヴァーチュアルな人口環境に没入していこうとする嗜好が、内部と外部を遮断する自閉的な個室環境を生み出したものと説明されている★5。そのようななかで、既存の建物を再利用した、特徴的な事例を発見した。建物のそれぞれの窓に内側からポスターを貼り(この場合もはや窓は窓ではない)、ファサード一面を情報のインデックスとして見せるものである。この景観は、コンピュータのデスクトップにおける「アイコン」の配列と非常に良く似た視覚像を持つ。コンピュータにおいて,アイコンとは同サイズ(一般的に小さな矩形)の2次元画像であり、ユーザはそのなかから任意のものをクリックすることで、ウィンドウを開き,内容を閲覧する。現実空間においては、クリックは実際に店舗に入ることに相当するだろう。
 東浩紀氏は,コンピュータのウィンドウのように、瞬間的に視界が切り替わり,その中間が抜け落ちるような、認知的兆候を繰り返し指摘しているが★6、これは高密な情報をもつ景観のみに焦点を合わせ、その間の一見低密な景観を無意識的にスキップする「Piloting」と呼ばれるプロセスの肥大化を説明したものともいえよう。奥行きは、単なるリンクとしか捉えられず,距離や方向の意味が削がれることになる(コンピュータにおいて、リンクとは本来距離や方向を持たないものである)。3次元都市は、高密な情報を持つ2次元景観とその間のリンクに分解される。東氏の論考では,さらにハリウッド映画が,刺激的なエフェクトとその連鎖(リンク)で構成されることもほぼ同様の現象と説明されているが、これも極めてWebの考えかたに近いものであるといえる[fig6〜7]