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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

光岡寿郎

メディアとの接点で都市と建築のゼロ年代を振り返るとすれば、都市におけるスクリーンの偏在の問題は注目に値する。社会学では、20世紀後半からすでに「監視社会論」のなかで都市空間の隅々にまで浸透した監視カメラに対する注意は喚起されてきた。けれども、ゼロ年代に入って顕在化してきたのは、都市や生活空間の表面そのものがスクリーン化していくという現象ではないだろうか。日常的にパソコンのスクリーンに向かって仕事をこなし、通勤中には携帯電話の液晶でメールや一日の予定をチェックし、気がつけば従来紙媒体だった電車の車内広告や通りの広告ももはや液晶スクリーンである。ファミリーレストランや回転寿司店に行っても、注文はタッチパネルのスクリーンからということもしばしば。また、銀座や表参道に林立するガラス建築もまた、誤解を恐れず言えば都市の表面自体のスクリーン化である。そして、このようにスクリーンが偏在する都市では、私たちの「場所」を巡る感覚が揺らぎ始めている。このような都市の現状を考えるための材料として以下を挙げておきたい。

ジョージ・オーウェル『一九八四年:新訳版』(早川書房、2009)

言わずと知れた来たるべき監視社会を描いた名作。戦後まもない時期にスクリーンを通した監視社会を予見していたオーウェルの感性には改めて脱帽。

ジョシュア・メイロウィッツ『場所感の喪失(上)──電子メディアが社会的活動に及ぼす影響』(新曜社、2003)

いささか翻訳の時期を逸した感があるが、スクリーンが社会に偏在する以前、特に衛星中継を介して「どこか遠くの現在」を「今ここに」映し出しているテレビが、私たちの「場所」感覚に与える影響を読み解く論考。

Marc Augé, Non-places : introduction to an anthropology of supermodernity, London and New York: Verso, 1995.

フランスの文化人類学者による後期近代における「場所」概念の変容を描いたエッセイ。文化人類学の前提となっていた領域的な「場所」感覚が機能不全に陥り、場所の固有性の記述が困難になった状況を記述している。この場所の「非‐場所化」に深く関わっているのがスクリーンの偏在である。初版は1990年代だが、第二版が昨年出版になるなどゼロ年代に入ってもその重要性は変わらない。惜しむらくは未邦訳な点か。

『一九八四年:新訳版』/『場所感の喪失(上)』/Non-places : introduction to an anthropology of supermodernity

『攻殻機動隊S.A.C』(2002〜2003)/『攻殻機動隊S.A.C 2nd GIG』(2004〜2005)/『電脳コイル』(2007)/『サマーウォーズ』(2009)

都市におけるスクリーンの偏在は、最終的にはメガネやスカウターのようなガジェットを媒介に、実際の都市空間にヴァーチャルな環境を重ね合わせるような夢を抱くだろう。そして、この夢は世界カメラによって部分的にはすでに実現されている。スクリーンの内と外とは、つねにリアルとヴァーチャルの間での境界線が引き直されるアリーナであり、その関係性が近年根底で変容している気配もある。上述の3つのアニメーション作品は、ゼロ年代における場所に介在するリアリティ感覚の揺らぎを振り返る上での好材料。いつの時代も、変化の胎動を最初に可視化するのは研究者ではなく表現者である。
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