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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<
志岐豊
ゼロ年代とは、私が建築を学び始めた年であり、建築設計の実務を始めた年である。建築を学んだ期間と実務経験を積んだ期間がちょうど半々というわけである。また、ポルトガルの設計事務所に勤務しているため、半分は日本、半分は海外と、建築メディアに触れる環境は前半と後半で大きく異なる。しかし、一方でブログなどの新しいメディアの出現によって、もはや建築の出来事は国内と国外で別々に起きているのではなく、世界同時に進行している。そのような状況において私が「経験」したゼロ年代の建築界における主要な出来事を以下にまとめた。
1──建築作品
OMAによるダイアグラムを用いた建築思考方法
ゼロ年代初期、建築を学び始めた私が衝撃を受けたのは、OMA設計のカーザ・ダ・ムジカのコンセプト模型であった。リサーチを徹底的に行ない、その結果をグラフィカルなダイアグラムとしてまとめ、それを建築設計に利用していく思考方法は、当時学生であった私たちだけではなく、世界各地の建築家や建築教育に影響を与えた。
SANAAによるプロジェクトが続々と竣工
日本発で世界においていまだショッキングでありつづけるSANAAだが、白く薄く軽やかな模型で表現される彼らのプロジェクトがゼロ年代を通して世界各地で竣工した。また彼らのミニマルな模型、図面表現方法は良くも悪くも若い世代に影響を与え、そのことがゼロ年代後半になって問題視されたりもした。
2──書物
Aires Mateus, 2G, 2003.
日本において白いミニマルな建築が(少なくともわれわれの世代において)もてはやされるようになった頃、ユーラシア大陸最西端の国ポルトガルの現代建築もいくらかの注目を浴びた。ポルトガルと言えば、アルヴァロ・シザが絶対的な知名度を誇るが、その若い世代の建築家達の作品は日本の同世代の建築家達に共感をもって受け入れられ、リスボンの建築家アイレス・マテウスの作品群はそれを代表する存在であった。
Paulo Mendes da Rocha - Fifty Years, RIZZOLI, 2007.
2006年のプリツカー賞を受賞したパウロ・メンデス・ダ・ロシャの半世紀にわたる作品を集めた作品集。ポルトガルで建築設計に携わることになったという個人的な経験、趣向は、いつしか私をポルトガルと密接な関係にあるブラジルの建築にも向かわせた。ポルトガルのモダニズムがブラジルのそれに多大な影響を受けていることを認識しただけでなく、自由な曲線と幾何学を組み合わせたワクワクさせるプランは現代の日本の建築家たちにも間接的に影響を及ぼしていることを知る。また、同建築家による
Maquetes de papel(紙の模型)(COSACNAIFY, 2007)は模型による建築思考のおもしろさを再認識させてくれた。
- Aires Mateus/Paulo Mendes da Rocha - Fifty Years
3──メディア
PASAJES Arquitectura y Critica
隔月出版のスペインの建築雑誌
PASAJES Arquitectura y Critica。厳密には1998年創刊でゼロ年代ではないが、ぺらぺらとした薄い冊子(海外の新聞サイズ)、解像度にこだわらない図版、5ユーロ程度という低価格、キオスクで購入可能、などその気楽さは新しい建築メディアとして刺激的であり、ゼロ年代を通して欧州やスペイン語圏を中心に浸透した。その後、同様なスタンスの建築雑誌がいくつか創刊されている。
- PASAJES Arquitectura y Critica
建築系情報ウェブサイト、またはブログ
紙媒体の建築情報誌が次々と規模を縮小、もしくは廃刊していくなか、「10+1 web site」などの建築系情報ウェブサイトはその穴を埋める働きをした。またインターネットが社会へ浸透するのにともない、海外の建築情報ウェブサイト「
Europaconcorsi」「
Dezeen」なども国内で閲覧されるようになり、日本で活動する建築家にとっても作品発表の場として機能している。これによって、掲載するには狭き門であった従来の建築雑誌に代わり、すべての建築家がフラットに作品を発表する環境ができた。また、五十嵐太郎らによる「建築系ラジオ」は私のような海外在住者が日本の建築関係者の生の声を聞くことを可能にし、ゼロ年代に誕生した画期的なメディアと言える。
4──展覧会
SDレヴュー2005
本展でSD賞を受賞した石上純也による《長屋のちいさな庭》は従来の建築とは明らかに趣が異なり、それは各審査員の戸惑いと期待を同時に抱かせるコメントに現われ、建築界に大きな影響を与える可能性を感じさせた。現に、その後石上はメディアで大きく取り上げられるようになり、石上本人は2008年にヴェネツィア・ビエンナーレ日本館を担当し、世界的にも注目される存在となった。個人的には長谷川豪の《森のなかの住宅》に強く魅惑され、同世代の建築家たちの新しい試みに期待を抱いた展覧会であった。