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特集:200912 ゼロ年代の都市・建築・言葉 アンケート<

藤村龍至

「空間から状況へ」展

(会場:ギャラリー・間、会期:2000年10月17日(火)〜12月23日(土)、出展:アトリエ・ワン、千葉学、遠藤秀平、西沢立衛、阿部仁史+小野田泰明、梅林克、クライン ダイサム、松岡恭子、みかんぐみ、宮本佳明ほか)

2000年にギャラリー・間で開催された若手建築家のグループ展である。出展者はマニュエル・タルディッツ(当時41歳)から、貝島桃代(当時31歳)までの若手建築家で、ナビゲータを五十嵐太郎(当時33歳)が務めた。
ちょうどこの頃、バブル崩壊後に襲った空虚さのなかで、建築家不要論がささやかれていた。社会学者の宮台真司は地方都市に建つ公共施設を例に挙げ、「地域性」を表現したバブル公共建築は地域の人が誰も使わないからテレクラの待ち合わせ場所として有効に機能していると指摘した。1990年代初頭のバブル・エイジに確立した建築家のロールイメージ、すなわち自らが高額の商品となり、膨大なコストをかけて実用的ではない箱をつくり、難解な言語を操り自己満足しているというステレオタイプの理解は90年代を通じてすっかり浸透し、社会からの信頼は大きく失われてしまった。
2000年頃、1960年代生まれを中心とした当時の若手建築家たちは、そんな逆風のなか、ゼロから建築の役割を再考しようとしていた。展覧会の会期中6回にわたって開催されたシンポジウムでは、身の回りの環境を読み直すこと、即物的にアプローチすること、新しい作家像を提示することなどが盛んに議論された。五十嵐太郎は1960年代のシチュアオニストの言説を参照し、彼らのスローガンである「漂流と転用」をもじり、90年代の若手建築家の実践を「状況と適用」と総括した。80年代の華やかさに比較するといかにも地味だが、身の周りに徹することで失った信頼を回復することが当時の若手建築家たちの選択であった。

あれから9年後の2009年、大阪のAD&A galleryで「ARCHITECTURE AFTER 1995」展が開催された(会期:2009年11月6日(金)〜11月17日(火)、出展者:乾久美子、梅林克、dot architects、中山英之、中村竜治、藤本壮介、藤村龍至、宮本佳明、吉村靖孝ほか)。出展者は現在「若手建築家」と呼ばれる乾久美子(41歳)から岸上純子(30歳)までの若い世代の建築家である。また、キュレーションを務めたTEAM ROUNDABOUTの藤村と山崎はそれぞれ、33,34歳であり、年齢だけ比較するならば、「空間から状況へ」展の構造が見事に反復している。同展では「状況へ」展にも出展した梅林克、宮本佳明、ナビゲータの五十嵐太郎も加わることで世代をブリッジする役割をはたし、2000年に提起された問題はどのように継承されうるかが討議された。

2000年代を通じて建築家が試みたことのひとつは、バブル前後を通じて無駄なハコモノを量産してきたというステレオタイプから脱皮し、人々のコミュニケーションのベースであるアーキテクチャを設計する専門職という、自らの職能を見つめ直す作業であった。特に、1995年を境に拡大した情報環境がリテラルに人々の日常生活に実装されてきて既存のモデルの書き換えが進む現在、私たち建築家は、自らの社会的な位置づけや方法論を大きく書き換える時期に差し掛かっている。
特に、1960年代に盛んに議論され、その後しばらく議論されることのなかった設計プロセス論は、ウェブを始めとする情報技術の浸透によって新たな想像力が明らかになった今日のコンテクストにおいてこそ、新たな役割を発見しつつある。10年代の始まりに見えてきたのは、そんな風景である。
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