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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

今村創平

●A1
まずは、昨年同様、2013年に鑑賞した展覧会で、これはよかった!と思うものを挙げてみます。

「Japanese Junction 2012」(HAGISO)
「アーネスト・サトウ展 light and shadow」(gallery 916)
「フランシス・ベーコン展」(国立近代美術館)
「ス・ドホ展」(金沢21世紀美術館)
「日本の民家一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」(パナソニック 汐留ミュージアム)
「マテリアライズ展」(東京藝術大学陳列館)
「和洋の書」(国立博物館)
「スミルハン・ラディック展」(メゾン・エルメス)
「Ninety Nine Failure」(東京大学工学部前庭)

「Japanese Junction 2012」は、留学している日本人の建築の学生が、世界各地の建築学校で製作したプロジェクトを持ち寄るという企画。実は、2012年末に見たものだが、前回のアンケートには間に合わなかったものの、一年で一番面白かったといえるくらい良かったので入れている。きわめてユニークで濃厚なプロジェクト群が、古い木造家屋の中に配され、建築を生み出す熱気に満ちていた。
「アーネスト・サトウ展」は、この写真家の魅力を教えてくれた。この写真専門のギャラリーでは、ほかにも上田義彦、森山大道の優れた展覧会を観たが、古い倉庫をリノベーションしたスペースそのものが、日本のギャラリーでは稀有な質を有していて、訪問するたびに感心した。
「フランシス・ベーコン展」「ス・ドホ展」、どちらも2度足を運んだ。現代美術展ははずれが多いが、本当に優れたものから受ける刺激は、クラッシックなアートから受けるのとはまったく別の質で、それは現在の私たちの感受性と響きあうものだから現代美術は面白い。 今年一番記憶に残るのは、「マテリアライズ展」と「Ninety Nine Failure」だ。ともに、こうした領域のプロジェクトが、日本でこのレベルに達したのかと、ある種の感慨を覚えた。もちろん、アルゴリズムやデジタルファブリケーションは今に始まったことではなく、foa《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》の完成は2002年とすでに10年以上前のことであるし、『10+1』誌で「アルゴリズム的思考と建築」特集が組まれたのも2007年のことだ。だが、今年は、田中浩也さんが以前から主唱してきた3Dプリンターやファブラボが広く社会的に認知されるようになり、これまで完成した建築のみを対象としてきた『GA』が『GA JAPAN』誌でコンピュテーションの特集を組んだ(7月刊行、No.123)。これまでは、先端的ではあるものの、ある一部の人が熱狂していたものが、だんだんと広がりを見せている。「マテリアライズ展」と「Ninety Nine Failure」でのプロジェクトも、きわめてレベルの高い試みであり、またそれが限られた趣味者のものではない展開を見せていた。おそらく、次の数年で、格段に進化したプロジェクトが登場するのではないかとの予感がある。

●A2
2013年は、マンフレッド・タフーリと近代/現代建築との関わりについての書、Marco Biraghi著『Project of Crisis』が出版され(タフーリについては、以前Andrew Leach という人が評伝『Manfredo Tafuri: Choosing History』を書いている)、またヴェンチューリとスコット・ブラウンのラスヴェガスのリサーチについての書、Martino Stierli著『Las Vegas in the Rearview Mirror.』も出版された(彼らのラスヴェガス論については、Aron Vinegarによる『I am Monument』という本もある)。『Log』の2013年夏号では、レイナー・バンハムの論考「ストックテイキング」を今日試みようと、ここしばらくの建築理論を総ざらいする特集を組んでいた。ついでながら、レイナー・バンハムの評伝 Nigel Whiteley著『Reyner Banham: Historian of the Immediate Future』も最近入手した。
何を書いているかというと、1960年以降の建築理論を再考する本が次々と出ており(近年、アーキグラム、セドリック・プライス、シチュアシオニストに関する本も出ている)、それらを入手はしているものの、積読状態なので、2014年はまとめて読みたいと思っているということです(蛇足ながら、2013年『現代都市理論講義』という拙著を上梓し、そこで扱った1960−70年代の都市に関する理論について、より理解と考察を深めたいと考えている)。
また、2013年は、ジェフリー・キプニスによる現代建築についての評論を集めた『A Question of Qualities』が出版され、すでに一昨年だが、アレハンドロ・ザエロ・ポロの論考を集めた『The Sniper's Log』も出ており、ここしばらく言われ続けている、建築批評の不在というのは、どこの話?といった感じであり、また建築批評が不在なのは、もしかして日本だけなのかという気もしてくる。建築批評の不在を嘆いているのは、私も含めて単なる怠慢のためであって、建築批評が成立する土壌が消えてしまったためではなくて、建築批評を書いたり建築理論を組み上げようという努力の不在のためではないかという気がしている年末である(次の設問の、国立競技場を巡る状況からしても、批評は不要どころか、求められているのではないか)。

Marco Biraghi『Project of Crisis』/Martino Stierli『Las Vegas in the Rearview Mirror.』/『Log』(2013年夏号)/Nigel Whiteley『Reyner Banham: Historian of the Immediate Future』/今村創平『現代都市理論講義』/Jeffrey Kipnis『A Question of Qualities』

●A3
日々情報が足され、新しい意見が出される現状のなかで、計画の内容等について「感想」のようなものをここで書いても、あまり意味がないと思いますので、それは控えます。twitterやfacebookであれば、その瞬間に反応して書くことがそのメディアの特性でしょうが、こうした年度区切りのアンケートには、もう少し耐久性のある見解が求められているように思われます。すみませんが、今の私にはその用意がありません。
一方で、今回広範な関心と議論とが生み出されたことは、とても良かったと思います。いくぶんコレクトな言い方ですが、まずはさまざまな知見により理解が深まりましたし、また当初想定していなかった、いわば反対の意見からも、学ぶところがありました。優等生的な意見で、コレクトなのですが、これは実感です。一方で、自分と異なる考えを否定したり、取るに足りないものとするのは、理論の場においても起こりますが、今回のような具体的なケースでは、それらを簡単に片付けられないようです。議論をすべきだというのは正論ですが、議論をすることの難しさ、さまざまな意見をと言いながらも、無意識のうちに好ましくない議論は切り捨ててしまうこと、「正しさ」が厄介さを抱え込んでいること(「正しさ」が人を追い込んでしまうこと)に思い至りました。
また、そもそものきっかけである槇文彦氏の論考は多くの人が共有していると思いますが、その後の議論というのは世代などの違いにより異なっており、ほとんど共有できていないのではないかと思います。ですので、こうした大きな問いについて、世代や領域を超えた議論をしようとしても、難しい状態があります。新聞を読んでいる学生は1割もいなく、新聞は60歳以上の高齢者向けメディアになっているという調査が先日ありました。今回の問題が、新聞でも繰り返し伝えられているとしても、若い人たちはほとんどそれを読んでいません。一方では、このサイトなどは、20代と30代の読者が過半でしょう。例えば、facebookをやっている人は世代を超えて多数いるといっても、facebookでの情報は自分に近い世代や立場の人からが大半でしょうから、結局はその外からの情報というのは、ほとんど入って来ない、そういう使い方をしている人が多いでしょう。新聞やTVが、メディアのインフラであった時代は終わり、近しい人とのコミュニケーションが主流となっています。建築が建築家の創造性の産物であることよりも、より社会と関わり組み上げられていくべきだという最近の傾向は是とした場合、ではいかに広範に意見を集め、共通の議論の場を作れるのでしょうか。
今回、さまざまな意見を読んだと冒頭で書きましたが、とはいえ、私も積極的に情報を集めているわけでもなく、自然に目の前に流れてきたものを、時間に余裕があるときには拾い読みした程度です。私がたまたま目にした以外に、多くの情報や意見があり、また私が目にしたものに、どの程度偏りがあるかもわかりません。小さなメディアが無数にあるような時代に、どのように今回のような問題を考えればいいのか、模索は続きます。
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