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174 日本の駅舎
写真はここ4年ほどのあいだに、日本各地を旅行してきた際に利用した駅を撮影したものだ。駅を見るための旅行をしたわけではなかったのだが、行く先々で撮りためてきた写真を、駅という括りで集めてみたところ、これだけの枚数になっていた。
今回はそのなかでも現存最古の私鉄駅舎である浜寺公園駅から、最近の上州富岡駅まで、私鉄と公営鉄道(と第三セクター)の駅舎を集めて紹介する。作品名は鉄道会社+駅名としており、建設された当時と鉄道会社や駅名が異なる場合は括弧で付記してある。
かつて駅はそれぞれの鉄道会社の顔であり、その地域の顔として建設されてきた。とくに、私鉄は競合する他社との競争のなかで成長してきたという歴史があり、それが私鉄文化と呼ばれることもある。ターミナル駅はこの文化の象徴のひとつといえるだろう。今回紹介するなかでも、東武浅草駅はその代表格。近年リニューアル工事を行ない外観を復元したことからも、いまだにこの文化が色あせていないことが感じられる。
都市のなかにはこのようにそれぞれの文化を発展させていく路線がある一方、各地には、観光地へ乗客を運ぶことが目的の路線がある。そこでは、地域の特色や雰囲気を表現して、地域の顔としてデザインされた駅舎がつくられてきた。しかし、なかにはロバート・ヴェンチューリの『ラスベガス』を思い出させるようなキッチュな駅舎もあり、デザインの方向性について疑問を感じる。
近年になり、鉄道と地域がどのように共生していくのかという課題が浮き彫りになっているように思える。言い換えれば、鉄道と地域は運命共同体であるという認識が少しずついろいろなところで見られるようになってきた。2000年以降、全国で37路線が廃止されている。鉄道が敷設された当時とは社会、地域が一変し、いまでは乗客の大半が高校生という状態を改善できないローカル線がほとんどだ。「乗って残そう」という標語をしばしば見かけるようになった。場所によっては鉄道に乗ること自体を観光の目的にしてもらおうと、さまざまな取り組みをしている場所もある。そんななかで、地域と鉄道の接点である駅がどんな姿となるべきか、いま一度考える必要があるだろう。
[撮影者:関根理(横浜国立大学大学院)]
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