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28 横浜[2]
輸入や西洋風スタイル住宅流行は日本住文化の破戒行為であるとの声を耳にする。はたしてそうなのだろうか。この根強い西洋館嗜好はここ最近だけの傾向だけではなさそうである。はたして何処からきたのだろう。そのひとつが観光客と横浜の山手西洋館郡を散策するとわかってくる。
居留地の居住エリア山手は異人館と、暮らしを支える豊かな西洋文明とともにスタートした。山手西洋館は欧米最先端の技術とライフスタイルを具現化した西洋文明の象徴「憧れの的」となりつねに全国に伝播し続ける。現存する山手西洋館群は大正から昭和初期にかけてであるが、この時代になるとJ・H・モーガンをはじめ、山手西洋館の作り手たちは日本の気候風土を配慮した、日本化西洋館を実現し始める。
彼等により全国各地の素封家や知識人に受け入れられやすい西洋館となり、住文化の一部として根付いたのではないだろうか。
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pic J.H.モーガン《山手111番館》 [1] [2] [3] [4] [5] [6]
pic 山手267館
pic 朝香吉蔵《山手234番館》 [1] [2] [3] [4]
pic アントニン・レーモンド《エリスマン邸》 [1] [2] [3] [4] [5]
pic 朝香吉蔵《えの木てい》 [1] [2] [3] [4]
pic J.H.モーガン《ベーリック・ホール》 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
pic J.M.ガーディナー《外交官の家》 [1] [2] [3]
pic 山手214番館
pic 浦辺鎮太郎《大仏次郎記念館》
pic 浦辺鎮太郎《神奈川近代文学館》
pic 神奈川県営繕課《横浜地方気象台》
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