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第三の手法としてのリノベーション 本書は、月島の現代美術ギャラリー、タマダプロジェクトにて行なわれた連続シンポジウムの記録である。二○○一年七月から二○○二年一二月までに、合計八回のリノベーション・スタディーズのプログラムが開催された。その形式は、筆者がディレクターをつとめ、ゲスト・コメンテーターのほかに、数名のパネリストが参加するというものである。多くのシンポジウムはゲストが一方的にしゃべり、ほとんど質問がないまま終わるのだが、リノベーション・スタディーズでは、パネリストを交えての討議の時間を長くとることが大きな特徴だ。第一回では聴衆全員のコメントをもらった。最初は手探りで始まったが、議論は回を追うごとに過熱し、密度を増していった。なかなか味わえる体験ではない。それだけこの問題が時代の動きと共振し、建築の現在を深くえぐりだしているからだろう。 一九九○年代の後半からリノベーションは急速に注目されはじめた。それまでは建築家による開発か、歴史家による保存かという二項対立がしばしば語られたことを思えば、リノベーションはまさに両者を媒介する第三の手法といえよう。最近では、二○○二年にリニューアルした横浜の赤れんが倉庫や丸ビルが登場した。東京では巨大開発が続いているが、そのことが空きビルを多く発生させ、リノベーションへの注目が増している。いわゆる二○○三年問題である。学生の卒業設計でも、ごく自然にリノベーションに関するものが増えた。一九八○年代には考えられなかったことである。「大改造!!劇的ビフォーアフター」のようなテレビ番組も人気だ。おそらくゼロから新築したものを判断するよりも、改築前と改築後を比較するほうが素人にもわかりやすい。そうした意味で、リノベーションは建築の外部に開かれている。 美術界でも、二○○二年末の東京佐賀町、食糧ビルの閉鎖と二○○三年初頭の新川の複合ギャラリーの誕生など、古い建物を再生した物件の話題が続く。ここ数年では、発電所を美術館に転用したヘルツォーク&ド・ムーロンによる《テイトモダン》の開館、谷口吉生による《MoMA》の増築、《東京国立近代美術館》のリニューアルなどの動きもある。筆者の住まいの近くでも興味深いプロジェクトがあった。建築家の郡裕美が仕かけた「Green Library」(二○○二)は、使われなくなった旧武蔵野市立中央図書館に本をテーマにしたアートが介入する。からっぽの書架や閲覧室が、かつての図書館の記憶をよびさましつつ、市民の記憶のアーカイヴをひきだす。けっして予算はかかっていないが、すぐれたアイディアだ。実はシンポジウムの会場になっている東京月島のタマダプロジェクトも、倉庫をリノベーションした空間である。 建築界において、こうした流れは、『SD』一九九九年一○月号の特集、「東京リノベーション」がひとつのきっかけをつくりだしたが、その編集者である松口龍氏を第一回のゲストとして迎え、以後はパネリストとして参加してもらった。また二○○一年九月に筆者が企画したA/E/C SYSTEMS JAPANの建築コンフェランス「ラディカル・リノベーション」は、ヲダマサノリ、丸川哲史、岡田哲史、宮脇勝、貝島桃代、阿部仁史の各氏を集めて開催したが、今回の企画でも三人にもう一度語ってもらうことで議論を継続した。団地、駅、オフィスビルなど、リノベーションのトピックは散発的に現われているが、リノベーション・スタディーズのシリーズは、そうした動向の集大成となるべく企画された。また実践書やマニュアルとしてよりも、理論的な問題を掘り下げることを意図している。 プロジェクトの始動まで 当初、リノベーション・スタディーズの目的は以下のように定められた。 「現在、日本は右肩上がりの経済成長モデルからの変換期にあります。これはストックを残すことなく、高速度に回転するスクラップ・アンド・ビルドの方式を安易に選択できない社会環境に入ったことを示しています。しかし、それは必ずしも悲観すべきことではありません。既存の建築を有効に再利用して、増改築することによって今までとは別の用途として機能させる『リノベーション(Renovation)』という再生の方法があります。リノベーションの手法により、既存施設を再活性化させ、文化的なストックを蓄積するチャンスと見ることも出来ます。レクチャーでは、リノベーションの様々なケーススタディを検証しつつ、建築家の新しい社会的な役割を見出すことが一つの目的となります。また、美術やデザインなどの分野からも、リノベーションの意識と方法論を学び、意見交換することを目指しています」。 告知の案内に用いていた文章だが、このヴィジョンは今も揺らいでいない。だが、リノベーション・スタディーズの開始に至るまでは紆余曲折があった。二○○○年、タマダプロジェクトの玉田俊雄氏から筆者に電話がかかったことから、すべては始まっている。もともとはヴェネツィア・ビエンナーレの建築展を日本に持ってくる企画の相談だった。その過程において、後にパネリストとなる建築家の槻橋修や新堀学、編集者の磯達雄、キュレーターの伊藤留美子らが加わる。幾度もミーティングを行ない、メールのやりとりを重ねた。しかし、巡回展そのものは諸事情により見送られた。 とはいえ、準備は無駄に終わったわけではない。タマダプロジェクトという場所をいかに有効に使うかを考えるようになったからだ。建築と美術が交差する必然性のある企画はないのか、と。東京のギャラリーはビルのなかの狭い部屋ばかりだが、ここはもと倉庫だけに、例外的に天井も高く、部屋も広く、ゆったりとしている。しかもスタッフによる手作業ながら、もとの空間の質を活かしたすぐれたリノベーションなのだ。メンバーの誰もが魅了された。すぐれた空間があるのだから、それを使う側の構想力が試されている。急いで大がかりな展覧会を開くよりも、この場所を使って、まず着実にかたちにできることは何か。かくしてリノベーション・スタディーズの方向性が導かれた。振りかえってみて、この判断は間違っていなかったと思う。時間はかかったが、納得のいく成果が得られたからだ。つまり、企画のプロセス自体が空間のリノベーションだったのだ。 リノベーション・スタディーズの軌跡 当時の臨場感を伝えるために、ウェブ上に掲載している筆者のコラム「Twisted Column」の文章を引用・編集しながら、簡単に各回をレヴューしておこう。 第一回:二○○一年七月一三日――松口龍 建築家兼編集者の松口龍さんが、全国的にどんどん廃棄されるガソリンスタンドを有効なインフラとみなし、いかに新しいプログラムを与え、再生させ、ネットワーク化するかの戦略を語る。全国のガソリンスタンドのフィールドワークも興味深い。そして建築、美術、社会をめぐる現在の展望が討論された。 第二回:二○○一年一二月一八日――DO+ 同潤会アパートの保存を主張するDO+のメンバーが語る。ネットを通じて人が集まり、フライヤー配布、安藤忠雄さんとの会見、保存要望書の提出、ワークショップなどの活動を行なう。その過程で、さまざまな人間や権利の関係にぶつかり、保存運動の困難さにも直面する。開発の後手にまわらない今後の活動のあり方が議論された。 第三回:二○○二年二月一九日――松村秀一、竹内昌義 研究者の松村秀一先生が、団地再生を軸に今後の建築界、NPOの可能性、コミュニケーターの必要性、プロジェクトの失敗例など、幅広くヴィジョンを語る。明快な語り口にみな感心。また竹内昌義さんを交えて、空きが多いオフィスビルを居住施設に転用する研究についても討議。 第四回:二○○二年五月二○日――曽我部昌史、宮脇勝 みかんぐみの曽我部昌史さんは、一般の人も建築をカジュアルに考えるひとつの手段として、団地再生のプロジェクトを位置づける。千葉大の宮脇勝さんは、ヨーロッパのリノベーションの事例と、彼による北大でのリノベーションの作品を報告。リノベーションは建築と都市をつなぐ手段であり、しかもときとしてアート的な美しさを生むことがよくわかる。日本とヨーロッパの違い、保存原理主義の問題などが議論された。 第五回:二○○二年七月三○日――小泉雅生、宮本佳明 二人の建築家がゲスト。敷地の問題について。小泉雅生さんは自ら手がける増築例を紹介。母屋・樹木・敷地境界線が自動的にかたちをつくる、もんじゃ焼きのようなシステム。将来、環境が変わっても、その外形をうつしこんだ増築部分がかたちの記憶を伝える。宮本佳明さんは、新築ながら敷地の性能を向上させる苦楽園のプロジェクトなどを紹介。そして土木的なインフラや古墳など、大きなスケールのものが痕跡として残り、現在の環境に異物を発生させる「環境ノイズエレメント」のリサーチについて語る。 第六回:二○○二年一○月五日――中谷礼仁、馬場徹 町家再生に関わる二人がゲスト。建築史家の中谷礼仁さんは、歴史と設計をつなぐ歴史工学を提唱しつつ、弱い技術によるアーカイヴの保存や、更新される過去と現在の建築的なルールの重要性を語る。建築家の馬場徹さんは、町家のリノベーションを通し、人のネットワークから、細部の物語をつくり、モノのリサイクルを積極的に行なう。興味深いのは、中谷さんのほうが建築家的で、馬場さんは逆に建築家の位置を従来のものからシフトしていたこと。ともに建築家の職能について問題提起する。 第七回:二○○二年一一月九日――青木茂、古谷誠章 二人の建築家がゲスト。青木茂さんのリファイン建築は、新築のようにリノベーションしてしまう力技。今後の展開として、廃校になる学校の転用プロジェクトや、集合住宅を使いながら補強していくプログラムを語る。一方、古谷誠章さんは、創造的修復としてのレスタウロの概念を説明。的確に建築を語る名講義。スカルパが展示の構成もリノベーションも等価に見ていたことや、彼の異なる要素をひとつながりの空間に再編成する手腕、将来の朽ち果て方も想定する時間の流れへの想像力などが指摘された。 第八回:二○○二年一二月二一日――青木淳、中村政人、阿部仁史、小田マサノリ 建築家とアーティストがゲスト。雨でしたが、聴衆もいつもの倍近く。青木淳さんは、新築の物件も寄与の形式というフィクションを設定することにより、リノベーションの感覚を取り込む設計手法を語る。中村政人さんは、会場に到着するまでの街の風景や古い家のリノベーション作業を撮影したものを見せながらしゃべる。何気ない日常からのさまざまな痕跡を読む(ほとんど芸の領域に達している)。阿部仁史さんは、家を増改築したアトリエ、倉庫を改築した新アトリエ、商店街にしかけたイヴェントなど、アクティヴィティを誘発するリノベーションを紹介。ラストの小田マサノリさんのテーマは「リミックスのやめどころを知る」で、一時間を超える圧巻のプレゼンテーション。リミックスの原理をヒップホップ誕生の現場にさかのぼり、そこから「一、批評的であること、二、補欠的であること、三、ブードゥー的であること」を抽出し、自身の作品やプロジェクトを紹介。続いて、民博のリノベーション案を提示。 複数のリーディングに向けて 本書の目次は、各回ごとに順番に構成されている。 もちろん、それぞれのゲストの組み合わせは、建築の手法、敷地の分析、町家再生、建築と美術などのテーマを設定しているが、リノベーションをめぐる諸問題は、そうした枠組を超えて、複数のリンクを生みだしている。目次はさまざまにつくりうるのだ。そこで他の読み方も提示しよう。 歴史ものとしては、宮脇氏と古谷氏がスカルパに言及した西欧におけるリノベーションの報告であり、さらに中谷氏の歴史工学が接続するかもしれない。小泉氏も記憶の継承を扱う。集合住宅としては、松村氏と曽我部氏は団地再生を掲げており、さらにDO+の同潤会問題にもつながる。新築のようにリノベーションを行なう青木茂氏と、リノベーションのように新築を行なう青木淳氏を比較するのも興味深い。小田氏も言葉の再定義を行なう。日常風景の観察としては、宮本氏と中村氏。中谷氏の視点も近い。建築家の職能をめぐっては、松口、松村、馬場、阿部の各氏の発言を横断して読むべきだろう。ちなみに、初回の「【Re】エイジ・ソーシャルデザインの処方箋―例えば、ガソリンスタンド再生計画」は、多くの問題を提起しており、全体のイントロダクションとしても機能している。DO+の活動は、未来への指針を考えさせるエンディングとしても読めるのではないか。 リノベーションとは、主体をなくすことではない。判断保留でもない。つねに現場で何を残し、何を壊すかの判断が要求される。そして壊すからには前よりも良くする確信が必要となる。リノベーションが増えるにしたがって、首をかしげるような事例も目につくようになった。批評的でもなく、オリジナルへのリスペクトもないものがある。つまり、リノベーションにおいても、あらゆる瞬間に主体が問われているのだ。しかし、同時に既存の施設や条件という他者をいかに受け入れるのかも重要である。新築以上に、建築の思考だけで完結するものではない。 リノベーション・スタディーズの第一期を締めくくるかたちとして、ちょうど本書が刊行される。これを契機に、限定された場所における熱い議論が、書物というメディアを通して、もっと社会に開かれることを期待したい。さまざまな他者は、議論のレヴェルにおいても現われる。今後は、リノベーションを軸としながら、都市、思想、経済、行政など、異なるジャンルの専門家との対話が、ますます必要になるだろう。 [いがらし たろう・建築史] |
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