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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<天内大樹
●A1筆者は美学芸術学を専門としながら、本年度より来年度(予定)まで、工学部建築学科に所属することになった。眼前で展開されている具体的な設計教育と建築という営みの全体像との連関をいまだ摑みそこねていることから、以下の記述は大局的な視点からのものに多分に限定されてしまうことと思う。
すなわち、建築と社会という古典的かつ現代的なテーマの展開である。五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』(彩流社、2010)、山本理顕『地域社会圏モデル──国家と個人のあいだを構想せよ』(LIXIL、出版2010)などで、フォーカスが当てられる規模はまちまちながらも、建築が実現される基盤としての社会を問う方向性が示されてきた。これが震災を経て現実への介入に結実しつつあると言える。
この指摘はもちろん、藤村龍至氏を中心とした東洋大学建築学科「鶴ヶ島プロジェクト」を念頭に置いているが、アーキエイドの活動もめざましい。前者は市町村レベルの数十年の将来像を自治体に提示しながら計画した試みで、後者は従来のコミュニティへの介入や仮設住宅にこれから形成されるコミュニティへの贈与といった現状・近未来を想定している。彦坂尚嘉+五十嵐太郎+芳賀沼整『3・11万葉集 復活の塔』(彩流社、2012)に掲載された、ログハウス仮設住宅地(南相馬市鹿島区牛河内)に建てられた壁画のある集会所と3色に塗られた木製の塔は、コミュニティにおける象徴性の問題を提示している。
筆者は以上のテーマを豊川斎赫『群像としての丹下研究室』(オーム社、2012)、また東京駅復原や国立競技場コンペなどと併せて考えたい。これは、東京駅は本来皇室の乗降駅として整備されたこと、初めて同駅に降り立った人物は、第一次世界大戦でドイツ租借地・青島の奪取を指揮し、参内のため凱旋した陸軍神尾光臣中将らだったという経緯(仮設の凱旋門も駅前に建てられた)、あるいはオリンピックという政治的行事がアジェンダに加わっている現状に鑑みてのことである(これは開催地として実際に東京が選ばれるか否かにかかわらない)。背景としての国家主義/国権主義の高まりについては、ここでは言わずもがなだろう。
●A2
上記の点は、デザインに関する百科事典(イギリスで出版予定である)の掲載項目「(日本の)現代建築」の執筆過程で考えていきたい(発行時期は確言できないが、原稿の〆切は2013年中である)。ほかに自身が関わっているものでは、田路貴浩氏を中心にした「分離派100年研究会」で、1920年に結成された分離派建築会(大正時代の建築運動団体)の活動を再読する試みを始めている。単訳・共訳書もそれぞれ準備中で、特に太平洋を囲む/囲んだ諸帝国と物質文化の関連を扱った単訳書は本年中に刊行予定である。建築系ラジオでも現在本を制作しており、筆者もお手伝いしている。
●A3
さまざまな教訓をもたらすエピソードの個別性を捨象するつもりはないが、ここでは抽象的な話題に論点を絞りたい。眼前の課題を「とりあえず」片付けて、いわば博奕を重ねてきた戦後日本の根本に再検討を加える契機となった、あるいは検討の必要性をさらに認識させたのが震災だったと筆者は振り返る。国民年金も原子力発電もインフラのメンテナンスも大学教育も国土開発そのものも、当座を利して将来を食いつぶしてきた判断のツケを払わねばならない事態が増えてきた。
といっても、根本を問い直し現況を打破するのは、イデオロギーや戦争ではなく地道なイノベーションでしかありえない。イノベーションを誘導する要因として浮上するべきは、技術か概念かである。人々は再度皮相の博奕に勝って溜飲を下げたいのかもしれないが、個別の危機を安易に全体の危機に横滑りさせず、個別の対策を編み出しながら、全体像の調整につなげる根気強いプロセスが必要だろう。ある対象や分野について、どうせ衰退するのだから放置せよという判断は簡単だが、この国自体がそもそも衰退するのだから、放置してよいのだろうか。いずれにせよ「もの」(=新たな技術を適用できる対象)を「丁寧」に(=概念的裏付けを伴って)作ることの価値を、地道に高めていきたい。