【書評】菊地宏『バッソコンティヌオ』|保坂健二朗「はじめに色彩ありき」──菊地宏が色を使う理由
本書には、エッセイが29篇収められて、それぞれにはタイトルがつけられている。「はじめに」「色がわからない」「白の呪縛」とはじまり、「物の照らされる順番」「遠いものと近いもの」ときて終わる。「はじめに」はあっても「おわりに」はない。さもありなん。菊地がここでとりあげようとしているのは、答えをすぐにだせるような話題ではないからだ。
菊地は、それぞれのエッセイについて、「明確な結論に至っている話もあれば、かろうじてきっかけが見えてきた話もある」(6頁)と書いている。ここに私見を付け加えるならば、なにか大切なことが書かれている話もあれば、当たり前のようなことが書いてある話もあるのが本書の特徴である。ゆえに、本書の読後感はとても不思議なものとなる。でも、だからこそ、また手にとってしまう。テキストの対向ページに添えられている、菊地自らが撮った写真もよい。いわゆるフォトジェニックとは全く別のところで、ただただ、あるかすかな現象をなんとかとどめようという思いに貫かれたそれらの写真は、誤解をおそれずに言えば、建築家にしか撮れないタイプのもので、そうであるがゆえに、また見たいと思わせる。
ところで、先ほど、本書に収められている文章のことを、私は「エッセイ」と呼んだ。言うまでもなく、このエッセイというスタイルを確立したのは、フランスのモンテーニュだと言われている。そのモンテーニュは、『エセー(随想録)』の冒頭部分で次のように言っていた。「もし世間からもてはやされることをめざすのだったならば、わたしは自分を派手にもっと飾りたてただろうし、気どったあるき方であるくところを見せるようにもするのだろうが。わたしはただそこに、単純な、自然本来の、ふつうのあり方をした、念を入れたところや細工をこらしたところのないわたしを見てもらいたいと望んでいる。つまりわたしの描いているのはこのわたしなのだから」(モンテーニュ『エセーI 人間とはなにか』荒木昭太郎訳、中公クラシックス、2002、3-4頁)。
菊地も、本書で、飾り立てることがない。「昔は、本当に色というものがわからなかった」(10頁)と吐露するところから始める。そして、「しかし、色はある日を境に突然わかった。(...中略...)どの色とどの色の組み合わせがいいか、かなり明確にわかるようになった」としながらも、すぐさま「それでもまだよく理解できない色もある」と書き加える。「何よりも色の追求は、自然の理解なくしてはできないと思っている」と抱負を述べながら、でも、「ただ、たとえ追求したとしても、その先には人間の持つ感覚的限界があるような気もする」と素直に書いてしまう。疑問から理解へと至るや否や、新しい疑問が生まれる。そうした思考のプロセスをそのまま書き記す、とりわけフランスに根強いモラリスト文学の系譜に、本書を位置づけたくなるのは、菊地が、次のようにも語っているからだ。「建築の振る舞いや謙虚さのようなものを最後に感じてもらえれば嬉しい」(6頁)。この言葉は、当然のことながら、建築=建築家=菊地と読み替えることが可能である。
そんな謙虚なエッセイのなかで、繰り返し出てくる話題が、光であり色である。光と色とは、「見る」あるいは「感じる」という観点からは同一視できるのであるが、その理由について、ゲーテの色彩論などの訳業もある前田富士男が見事にまとめているので、少し長くなるが引用しておこう。「可視的な明るさの場があり、そこで光線が分化しない限り、色はみえない。逆にいえば、われわれ人間の視覚世界がくまなく彩り豊かな色である事態は、可視光線が極度に多様に分化して眼に届いていることだ。すなわち、われわれの可視世界にある事物はすべて、太陽光や自然光を受けつつ、その光線の特定の部分を吸収し、吸収できなかった残りの部分を反射し、また不完全に透過し、われわれの眼に特定帯域の光として送り届けていればこそ、われわれは世界を見ていることになる。(...中略...)いずれにせよ反射物体や透過物体がないかぎり、われわれには色をみることはない。(...中略...)光は、それ自体では見えないのである。われわれ人間の視覚経験にとり、『はじめは光ありき』ではなく、『はじめに色彩ありき』なのである」(前田富士男編『色彩からみる近代美術──ゲーテより現代へ』三元社、2013、用語集の3頁)。
この「はじめに色彩ありき」という、人間にとっては本来的であるはずの体験は、しかしなかなかできることではない。モネの絵画や蜷川実花の写真を見てそう感じることがあったとしても、現実の世界=空間でそう感じる人は、あまりにも当然のことすぎてか、なかなかいないというのが実際のところだ。でも菊地には、幸運なことに、そういう瞬間が訪れた。それはひょっとしたら、菊地が、誰よりも激しく、「白い表現に没頭していた」(14頁)時期があるからかもしれない。しかも菊地の場合、「そのとき、色に好き嫌いがあるはずもないということもわかった。好き嫌いというつまらない視点でしか色がわかってなかった自分を責めた。色は、自然界が与えてくれた序列のつけようのない世界。まず、その序列のない世界をそのまま受け入れることから始まり、世界がとても豊かな色の組合せでできていることを受け入れた」(26頁)。
色彩を使った建築家と言えば、スティーヴン・ホールを思い出す人も少なくないはずだ。彼は、《シアトル大学聖イグナチオ・チャペル》(1997)では開口部のガラスに色を施し、《ニューヨーク大学哲学部校舎》(2007)では、窓ガラスにプリズムフィルムを貼ることで、白色、すなわち無色の光が、実際には色彩の集合であることがわかるようにした。しかしそれらは、一見フェノメナルなようでいて、実は極めてリテラルな作法であった。建築における空間は、壁・床・天井という輪郭があってはじめて成立する。にもかかわらず、その輪郭の表面の色彩がもたらす効果については、熟慮された形跡がほとんどないからだ。言ってみれば、ホールは色を使うことで色から逃げたのである。空間を色づけるという目的をリテラルに考えるあまりに、光に色をつけたり、あるいは光(無色=白色)を色に分解したりしてしまった。
菊地は違う。壁に色を塗る。その意味では、ジェイムズ・スターリングにまだ近いかもしれない。しかも2人は、色数についての認識が共通している。スターリングは次のように語っている。「私は強度の観点から色彩を見ており、最低二色は必要だと思っています。減色もあれば、動かず、静的な色もあるし、振動する色もあります。オーバーオールなコンビネーションに伴って、異なるメッセージを得ることができるのです」(James Stirling, "The Clore Gallery. Interview with Charles Jencks," James Stirling: Writings on Architecture, ed. by Robert Maxwell, Skira, 1998, p.252.)。菊地の場合は、こうだ。「色がどんなものであるか」の答えとして、「単色そのものに価値があるのではなくて、色の組み合せにある」「最近になって三色目が必要かもしれないと感じるようになってきた。(...中略...)二色だけだとどうもその関係を相対化できないようで、第三の色があるとなんとか相対化できる」(86頁)と書いている。
だが、菊地とスターリングの間には、もちろん、関心の相違がある。ここで詳述することは残念ながらできないが、スターリングが色彩を使う理由は、そこを訪れる者の記憶に働きかけるためであった。そうすることで、もう一度来たいと思わせることができる。つまりその意味では、スターリングが色彩を使えるのは、美術館のように、多くの人間にとっては非日常的な、公共建築であればこそであった。しかし、菊地は、住宅という、むしろ日常的な生活空間においてなぜ色を使う。なぜか。なんのためにか。
それは、きっと、空間を抽象化させるためだろうと私は予想する。あるいは、空間に対する人間の認識を(再び)顕在化させようとするためではないかと考える。
そもそも、色を定式化しながら建物の設計に使っていくことは、相当に難しい試みである。なぜか。色の認識には個人差が生じる可能性があるからだ。極端な事例を言えば、色覚異常のケースがそれにあたる。日本だと、先天的に色覚異常を持っている人は、男性で5パーセント、女性で0.2パーセントだと言われている。だから少なくとも話を男性に限った場合では、20人に1人は、菊地と(あるいは他の人と)同じようには色を見ないということになる。
いや、色覚異常の事例なんて出さずとも、もっと簡単に、色ほどわからない「もの」はないと言っておくだけでよいのかもしれない。ここで「もの」とあえて括弧を付したように、色は、現象なのか事実なのか意味なのかそれすらもよくわからない。あのウィトゲンシュタインにとっても(いや、ウィトゲンシュタインだからこそ、というべきかもしれないが、それはさておき)、色は、困難な対象であった。「ウィトゲンシュタインはその哲学的活動の初期より色彩という現象に注目し、自らの発想を表現する手段としても用いてきた。しかし、一方では色彩現象はウィトゲンシュタインにとって捉えきれない対象でもあり、しばしば彼の世界観を内側から食い破った(...中略...)。一度は「問題はその本質において最終的に解決された」として、哲学的活動に終止符を打ったはずのウィトゲンシュタインが、再び哲学的問題に取り組まざるをえなくなったきっかけのひとつが色彩問題であったことはよく知られている」(粂川麻里夫「ウィトゲンシュタイン色彩論の再評価──ゲーテ自然学の継承者として」『色彩からみる近代美術──ゲーテより現代へ』三元社、2013、470頁)。
菊地だって、もちろんそんなことくらいはわかっているはずだ。それどころか、「方角によって色は異なる」(94頁)、「時間によって色は異なる」(98頁)と、様々な偏差があることを認識している。だがそれでも彼は色を使おうとする。なぜか。それは色をもたらすところの光と空間の認識とが、不可分であるからだ。菊地は言う。「[光があることによって、私たちは]物であれば、その形を認識し、空間であれば、その器の輪郭を確認することになる」(22頁)。
さきほど私は、ホールの建築を語るところで、「建築における空間は、壁・床・天井という輪郭があってはじめて成立する」といったが、ひとつ大切なものを省いていたと告白しよう。それは、光であり色である。あるいは、壁・床・天井に反射して、色を現象させる光である。建築の誕生を考えること、つまり、人間にとっての空間を抽象化させることとは、この、壁や床や天井の色の考察なくしてありえない(もし建築が人間のためにあるというのでないのであれば、光=色について考えなくてもかまわないだろうけれど)。そして、この「コロンブスの卵」的な事実に、おそらくは多くの建築家たちが見て見ぬふりをしてきた事実に、菊地は、今まさに、取り組もうとしている。本書は、その試み(エセー)の、静かな宣言である。
菊地は、それぞれのエッセイについて、「明確な結論に至っている話もあれば、かろうじてきっかけが見えてきた話もある」(6頁)と書いている。ここに私見を付け加えるならば、なにか大切なことが書かれている話もあれば、当たり前のようなことが書いてある話もあるのが本書の特徴である。ゆえに、本書の読後感はとても不思議なものとなる。でも、だからこそ、また手にとってしまう。テキストの対向ページに添えられている、菊地自らが撮った写真もよい。いわゆるフォトジェニックとは全く別のところで、ただただ、あるかすかな現象をなんとかとどめようという思いに貫かれたそれらの写真は、誤解をおそれずに言えば、建築家にしか撮れないタイプのもので、そうであるがゆえに、また見たいと思わせる。
ところで、先ほど、本書に収められている文章のことを、私は「エッセイ」と呼んだ。言うまでもなく、このエッセイというスタイルを確立したのは、フランスのモンテーニュだと言われている。そのモンテーニュは、『エセー(随想録)』の冒頭部分で次のように言っていた。「もし世間からもてはやされることをめざすのだったならば、わたしは自分を派手にもっと飾りたてただろうし、気どったあるき方であるくところを見せるようにもするのだろうが。わたしはただそこに、単純な、自然本来の、ふつうのあり方をした、念を入れたところや細工をこらしたところのないわたしを見てもらいたいと望んでいる。つまりわたしの描いているのはこのわたしなのだから」(モンテーニュ『エセーI 人間とはなにか』荒木昭太郎訳、中公クラシックス、2002、3-4頁)。
菊地も、本書で、飾り立てることがない。「昔は、本当に色というものがわからなかった」(10頁)と吐露するところから始める。そして、「しかし、色はある日を境に突然わかった。(...中略...)どの色とどの色の組み合わせがいいか、かなり明確にわかるようになった」としながらも、すぐさま「それでもまだよく理解できない色もある」と書き加える。「何よりも色の追求は、自然の理解なくしてはできないと思っている」と抱負を述べながら、でも、「ただ、たとえ追求したとしても、その先には人間の持つ感覚的限界があるような気もする」と素直に書いてしまう。疑問から理解へと至るや否や、新しい疑問が生まれる。そうした思考のプロセスをそのまま書き記す、とりわけフランスに根強いモラリスト文学の系譜に、本書を位置づけたくなるのは、菊地が、次のようにも語っているからだ。「建築の振る舞いや謙虚さのようなものを最後に感じてもらえれば嬉しい」(6頁)。この言葉は、当然のことながら、建築=建築家=菊地と読み替えることが可能である。
そんな謙虚なエッセイのなかで、繰り返し出てくる話題が、光であり色である。光と色とは、「見る」あるいは「感じる」という観点からは同一視できるのであるが、その理由について、ゲーテの色彩論などの訳業もある前田富士男が見事にまとめているので、少し長くなるが引用しておこう。「可視的な明るさの場があり、そこで光線が分化しない限り、色はみえない。逆にいえば、われわれ人間の視覚世界がくまなく彩り豊かな色である事態は、可視光線が極度に多様に分化して眼に届いていることだ。すなわち、われわれの可視世界にある事物はすべて、太陽光や自然光を受けつつ、その光線の特定の部分を吸収し、吸収できなかった残りの部分を反射し、また不完全に透過し、われわれの眼に特定帯域の光として送り届けていればこそ、われわれは世界を見ていることになる。(...中略...)いずれにせよ反射物体や透過物体がないかぎり、われわれには色をみることはない。(...中略...)光は、それ自体では見えないのである。われわれ人間の視覚経験にとり、『はじめは光ありき』ではなく、『はじめに色彩ありき』なのである」(前田富士男編『色彩からみる近代美術──ゲーテより現代へ』三元社、2013、用語集の3頁)。
この「はじめに色彩ありき」という、人間にとっては本来的であるはずの体験は、しかしなかなかできることではない。モネの絵画や蜷川実花の写真を見てそう感じることがあったとしても、現実の世界=空間でそう感じる人は、あまりにも当然のことすぎてか、なかなかいないというのが実際のところだ。でも菊地には、幸運なことに、そういう瞬間が訪れた。それはひょっとしたら、菊地が、誰よりも激しく、「白い表現に没頭していた」(14頁)時期があるからかもしれない。しかも菊地の場合、「そのとき、色に好き嫌いがあるはずもないということもわかった。好き嫌いというつまらない視点でしか色がわかってなかった自分を責めた。色は、自然界が与えてくれた序列のつけようのない世界。まず、その序列のない世界をそのまま受け入れることから始まり、世界がとても豊かな色の組合せでできていることを受け入れた」(26頁)。
色彩を使った建築家と言えば、スティーヴン・ホールを思い出す人も少なくないはずだ。彼は、《シアトル大学聖イグナチオ・チャペル》(1997)では開口部のガラスに色を施し、《ニューヨーク大学哲学部校舎》(2007)では、窓ガラスにプリズムフィルムを貼ることで、白色、すなわち無色の光が、実際には色彩の集合であることがわかるようにした。しかしそれらは、一見フェノメナルなようでいて、実は極めてリテラルな作法であった。建築における空間は、壁・床・天井という輪郭があってはじめて成立する。にもかかわらず、その輪郭の表面の色彩がもたらす効果については、熟慮された形跡がほとんどないからだ。言ってみれば、ホールは色を使うことで色から逃げたのである。空間を色づけるという目的をリテラルに考えるあまりに、光に色をつけたり、あるいは光(無色=白色)を色に分解したりしてしまった。
菊地は違う。壁に色を塗る。その意味では、ジェイムズ・スターリングにまだ近いかもしれない。しかも2人は、色数についての認識が共通している。スターリングは次のように語っている。「私は強度の観点から色彩を見ており、最低二色は必要だと思っています。減色もあれば、動かず、静的な色もあるし、振動する色もあります。オーバーオールなコンビネーションに伴って、異なるメッセージを得ることができるのです」(James Stirling, "The Clore Gallery. Interview with Charles Jencks," James Stirling: Writings on Architecture, ed. by Robert Maxwell, Skira, 1998, p.252.)。菊地の場合は、こうだ。「色がどんなものであるか」の答えとして、「単色そのものに価値があるのではなくて、色の組み合せにある」「最近になって三色目が必要かもしれないと感じるようになってきた。(...中略...)二色だけだとどうもその関係を相対化できないようで、第三の色があるとなんとか相対化できる」(86頁)と書いている。
だが、菊地とスターリングの間には、もちろん、関心の相違がある。ここで詳述することは残念ながらできないが、スターリングが色彩を使う理由は、そこを訪れる者の記憶に働きかけるためであった。そうすることで、もう一度来たいと思わせることができる。つまりその意味では、スターリングが色彩を使えるのは、美術館のように、多くの人間にとっては非日常的な、公共建築であればこそであった。しかし、菊地は、住宅という、むしろ日常的な生活空間においてなぜ色を使う。なぜか。なんのためにか。
それは、きっと、空間を抽象化させるためだろうと私は予想する。あるいは、空間に対する人間の認識を(再び)顕在化させようとするためではないかと考える。
そもそも、色を定式化しながら建物の設計に使っていくことは、相当に難しい試みである。なぜか。色の認識には個人差が生じる可能性があるからだ。極端な事例を言えば、色覚異常のケースがそれにあたる。日本だと、先天的に色覚異常を持っている人は、男性で5パーセント、女性で0.2パーセントだと言われている。だから少なくとも話を男性に限った場合では、20人に1人は、菊地と(あるいは他の人と)同じようには色を見ないということになる。
いや、色覚異常の事例なんて出さずとも、もっと簡単に、色ほどわからない「もの」はないと言っておくだけでよいのかもしれない。ここで「もの」とあえて括弧を付したように、色は、現象なのか事実なのか意味なのかそれすらもよくわからない。あのウィトゲンシュタインにとっても(いや、ウィトゲンシュタインだからこそ、というべきかもしれないが、それはさておき)、色は、困難な対象であった。「ウィトゲンシュタインはその哲学的活動の初期より色彩という現象に注目し、自らの発想を表現する手段としても用いてきた。しかし、一方では色彩現象はウィトゲンシュタインにとって捉えきれない対象でもあり、しばしば彼の世界観を内側から食い破った(...中略...)。一度は「問題はその本質において最終的に解決された」として、哲学的活動に終止符を打ったはずのウィトゲンシュタインが、再び哲学的問題に取り組まざるをえなくなったきっかけのひとつが色彩問題であったことはよく知られている」(粂川麻里夫「ウィトゲンシュタイン色彩論の再評価──ゲーテ自然学の継承者として」『色彩からみる近代美術──ゲーテより現代へ』三元社、2013、470頁)。
菊地だって、もちろんそんなことくらいはわかっているはずだ。それどころか、「方角によって色は異なる」(94頁)、「時間によって色は異なる」(98頁)と、様々な偏差があることを認識している。だがそれでも彼は色を使おうとする。なぜか。それは色をもたらすところの光と空間の認識とが、不可分であるからだ。菊地は言う。「[光があることによって、私たちは]物であれば、その形を認識し、空間であれば、その器の輪郭を確認することになる」(22頁)。
さきほど私は、ホールの建築を語るところで、「建築における空間は、壁・床・天井という輪郭があってはじめて成立する」といったが、ひとつ大切なものを省いていたと告白しよう。それは、光であり色である。あるいは、壁・床・天井に反射して、色を現象させる光である。建築の誕生を考えること、つまり、人間にとっての空間を抽象化させることとは、この、壁や床や天井の色の考察なくしてありえない(もし建築が人間のためにあるというのでないのであれば、光=色について考えなくてもかまわないだろうけれど)。そして、この「コロンブスの卵」的な事実に、おそらくは多くの建築家たちが見て見ぬふりをしてきた事実に、菊地は、今まさに、取り組もうとしている。本書は、その試み(エセー)の、静かな宣言である。