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58 ジュゼッペ・テラーニ[1]

ジュゼッペ・テラーニ[1](1926-1933)
イタリア・モダン、合理主義建築を代表する建築家の一人として知られるジュゼッペ・テラーニ。1904年ミラノ近郊の街メーダに生まれ、1926年に現在のミラノ工科大学を卒業し、建築家として出発、出征を経て1943年に39歳で生涯を終えるまでの17年間の活動によって、現在に残された作品は22点。今回はその中から、建築家として、また合理主義の建築家グループ「グルッポ7」★1のメンバーとして頭角を現わし始めた1926年(22歳)から、隣国ドイツでナチスが政権を掌握し、ファシスト党のもと急速に臨戦社会へと傾いていった1933年(29歳)までに着手した12作品を見る。
テラーニの作品には、「民衆」の為の合理的な「インターナショナル」スタイルを追求しつつ、「国家」に求心力を与える「ナショナリズム」をも具現化し、「薄く、軽く、白く、透明」な合理主義建築の表現要素を用いた端正な美しさと、「重厚、荘重、陽と陰」といったイタリア・ヨーロッパの伝統的な象徴性を持つ空間的特徴が、共存している。この矛盾した魅力を、2002年よりローマに居住し、建築設計に携わるなかで機会を見つけて撮影してきた作品写真を、時系列に従って見てゆく事によって、再確認できればと考えている。

★1──Gruppo7。ルイジ・フィジーニ、グイド・フレッテ、セバスティアーノ・ラルコ、ジーノ・ポッリーニ、カルロ・エンリコ・ラーヴァ、そしてアダルベルト・リベラの若手建築家で構成され、彼らが1926年に「ラ・ラッセーニャ・イタリアーナ」誌に発表した「建築」宣言は、その後のジオ・ポンティやジョバンニ・ムツィオに引継がれて行くイタリア合理主義の最初の公式の文章となった。



[撮影者:杉丸淳(建築家)]

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pic  ジュゼッペ・テラーニ《ホテル・メトロポール・スイス》(ファサード改修)

pic  ジュゼッペ・テラーニ《エルバ・インチーノの戦没者慰霊碑》 [1] [2] [3] [4] [5] [6]

pic  ジュゼッペ・テラーニ《ノヴォコムン集合住宅》 [1] [2] [3] [4] [5] [6]

pic  ジュゼッペ・テラーニ《アルベルゴ・ポスタ》

pic  ジュゼッペ・テラーニ《ドメニコ・オルテッリの墓所礼拝所》 [1] [2]

pic  ジュゼッペ・テラーニ《ヴィトルム店舗》

pic  ジュゼッペ・テラーニ《ジャンニ・ステッキーノ廟》

pic  ジュゼッペ・テラーニ《レオナルド・ピロヴァノ廟》

pic  ジュゼッペ・テラーニ《コモの戦没者慰霊碑》 [1] [2]

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ジュゼッペ・テラーニ《コモのカサ・デル・ファッショ》

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pic  ジュゼッペ・テラーニ《ギリンゲッリ集合住宅》 [1] [2] [3]

pic  ジュゼッペ・テラーニ《ルスティチ集合住宅》 [1] [2] [3] [4]


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