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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

饗庭伸

●A1
夏頃に見た「テマヒマ展〈東北の食と住〉(21_21 DESIGN SIGHT)」には、いわゆるアーキテクチャーとしての展覧会のあり方を考えさせられました。東北の物産品をたくさん集めた展覧会なのですが、それらは展示会場の中で、分類され、格子状に配置され、等価等質に展示されていました。そういう展示をされると、普段は通り過ぎていた登米の油麩(みそ汁に入れるとおいしい)なんてものが、途端に食べ物として魅力的に見えてきちゃうわけです。おかげでわが家の2012年の下半期の食卓には油麩がしょっちゅう登場しました。
その展示は、物産品が背負っていた地形やら地質やら民話やら気質やらといった文脈(それはしばしば商品にどんくさい感じを与える)をはぎ取って、格好よく「売れる」商品に仕立て上げる東京の魔法でもあるように思いましたし、一方で、分類と格子状の配置、という百科事典的な作業をそのまま見せて意味や差異をギリギリ残すことにより、東北の物産品を、その多様性を壊さぬまま、東京の多様な消費者につなぎ、その多様性が失われないようにしましょう、という取り組みにも見えました。
アーキテクチャーの解釈には個人差がありますから、一緒にいった妻は「文脈のはぎ取り」が鼻についてしょうがなかったようですが、私としては「文脈のはぎ取り」と「多様性保持」のギリギリのバランスが保たれていたように思います。
「10+1 web site」でやらせていただいた対談で「一般解かどうかということは置くと、少なくとも石巻の初動は、東京がなければ起こり得ませんでした」ということを申し上げました。この展覧会のアーキテクチャーを見て、東北の、東京というアーキテクチャーの使い方ということに対するひとつの答えがこういうこと、つまり東京の役割は、分類、格子状の配置、直接消費の関係づくりのためのアーキテクチャーなのかな、と考えたました。東京のアーキテクチャーは、東北やアジアから、もっと使ってもらえればいいんじゃないか、というふうに思いますし、新しい猪瀬都政は、東京から文脈をはぎ取り、徹底的に使いやすいアーキテクチャーにするんじゃないか、と思っています。

「テマヒマ展〈東北の食と住〉」(21_21 DESIGN SIGHT、2012年4月27日〜8月26日)


●A2
10月に出版されたクリス・アンダーソンの『MAKERS』が示したメイカーズムーブメントは、しばらくの間は色々なものを引っ張るのではないでしょうか。それが本当に産業構造の再編に結びつくのかは横においておくとして、「産業構造の再編に結びつきそう」という大きな物語を少しだけ信じることによって、ファブラボやファブカフェやレーザーカッターや3Dプリンターが、世界を変えるんじゃないか、という熱気を帯びてあちこちにつくられたり置かれたりするでしょう。そういった熱気を帯びた小さな空間はスタバやコンビニとうまく混ざって都市空間を少し変えるのだろうな、と思いますし、限定的には、例えば郊外の小さな製造業には確実に影響を与えるだろうと思います。戸建て住宅団地の片隅にある世界一のネジ工場とか(これはあるそうです)、ニュータウンの近隣センターにあるユニクロの服を素材にしたオートクチュールの店とか(まだこういうのはないです)、出て来たら魅力的ですよね。
また私たちが真剣に考えなくてはならない建築業にも、少なからず影響を与えるんじゃないかと思います。ホールアースカタログ(スチュワート・ブランド)、秋葉原感覚(石山修武)......といったあたりの流れに、どう力が流れ込むのか、注目ですね。私も、大学にレーザーカッターを入れたので、それを使った手づくりのアーバンデザインの可能性をちょっと考えてみたいです。
ただこれが、大きな産業構造を変えるにいたるかは、まだ読めないです。それはメイカーズムーブメントがある程度高級な人たち(昔で言うところの知識労働者)の運動にとどまってしまうのではないかと思いますし、知識やら意欲やら技能やらをまったく形成できずに30〜40歳くらいになってしまった人たちのものにはならないかもしれない、という危惧があるからです。中国あたりの人件費がそろそろ日本の地方都市とあまり変わらなくなってきているという話もちらりと聞いたことがあり、日中韓台くらいは起業と成長の機会が均等にある空間になってしまうのかな、それは製造業の立地戦略を大きくかえるのかな、そこにメイカーズムーブメントは影響を与えるのかな、と思いますが、その「均質な状態」は、新しい問題の始まりではないかとも思います。どこかに新しい格差が出るでしょうし、現前している格差は解消できないようにも思います。まあ、人間社会、悩みが尽きないね、ということではありますが。
また、レーザーカッター、使ってみてわかりましたが、電気をたくさん使います。クリス・アンダーソンだって、電気で動くラジコンヘリで一山あてたことを喧伝しているわけですから、エネルギーの問題には、答えられていないわけですね(念頭にないと言った方がよい)。スチュワート・ブランドも最後はクリーンエネルギーとしての原発を強調してしまったわけで、アメリカ人の楽天的な考えをそのままは受け取れないですよね。
そんなことを考えながら、ファブリケーションの拠点と、循環型エネルギーをつくり出す拠点がまざったような場所が郊外に出来ると面白いなあ、などと考えながら、レーザーカッターとペレタイザーのカタログを漁っているところです。

『MAKERS──21世紀の産業革命が始まる』(NHK出版、2012.10)


●A3
すでに「『ポスト3.11』と言うことが格好悪い」みたいな言説が出てきているようで、そうなってしまうともう「言説だけの空間」の問題になってしまうので、あまり興味がありません。ちゃんと現実の空間との対応関係で議論してよね、というふうには思いますが、困ったことに、現場の風景が、すでに画像や映像で消費されてしまっており、多くの人は、現場に行っただけでは何も感じられなくなっているんですよね。
さて私は、現場を持てるだけ持っている(とはいえ持てるのはひとつだけですが)ので、復興の計画づくりなどが本格化してしまい、2012年は地元の人の顔ばかりをみて仕事をすることになりました。ですので、あまり言説をみる余裕がありませんでした。ありがたいことに、ツイッターやフェイスブック等で言説等が入ってくるので、ある程度効率よく押さえることはできていたのかもしれませんが、衆議院選挙の結果を見ると、自分がいかに普通の人と離れた言説空間に身を置いていたのかがわかり、愕然とします。でも結果的に、地元の人の顔ばかりみていたので、偏っていたかもしれない言説に影響されることはあまりありませんでした。
自身の現場としては、大船渡の綾里地区の5つの浜に継続的に関わり、だいたいの意志がかたまりつつあるところです。そこで何を行ない、何を考えているのかはここここにまとめましたので繰り返しません。私は、それほど特別なことをやっているわけではなく、誰でもできますので、色々な人が関わればもうちょっといい復興になるのにな、と思います。

綾里地区でのワークショップの様子


復興は幸か不幸か長期化しており、私はそこに、阪神や中越型の超速意志決定〜大建設で動く「近代復興」ではない、違う復興が、「しかたなく」登場するのではないかと思っています。その「しかたなさ」にあわせて浜の相談役として、ながく、継続的につきあえる専門家はまだ必要なのだと思います。
また、2012年の後半をかけて、日本建築学会の『建築雑誌』の「福島と建築学」という特集をまとめました。岩手や宮城に比べて福島は解き方が難しく、それを誰でもできるようにするにはどうしたらいいのか、知恵をしぼりました。この特集が、どなたかの2013年版「記憶に残った言説」になることを祈りつつ......。

『建築雑誌』特集=福島と建築学(日本建築学会、2013.01)

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