「『道』を育てる」が意味すること
──アーティストならではの新たな都市論

保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)

1 道へのオブセッション

そのDMはこう始まっていた。

この度、平成29年度より着手して参りました「道」が、東京・高円寺のキタコレビルに開通する運びとなりました。《Chim↑Pom通り》と命名したその道は、一般開放は24時間、近隣の公道や私道から、誰でも無料でご利用いただけます。★1

「キタコレビル」とは築約70年と推定される、外観も内観もバラックのような建物のこと。アーティスト・コレクティヴのChim↑Pom(チン↑ポム)は、そこに自分たちが運営する展示スペースを持っていた。じつはそのビルはもともと2棟の建物をつないでできたものであり、2棟の間にはかつて道があったらしい。そこにChim↑Pomは再び、しかし新たなかたちで、「道」を開通させたわけだ。

実際に訪れてみてその道に立つと、谷間にいるような、妙な安心感と不安感がない交ぜになった感情に襲われるのであった。谷間という印象は、通りの片側の家の下部が板壁になっている、すなわち褐色が主であるのに対して、上部が白色に塗られていることによって、いっそう強化される。また、頭上は透明波板で覆われているので、昼にはそこから外光を通すかたちで、夜には内部の光を反射するかたちで、道には、淡い光が充満する。そうした空間に身を置いていると、そこが「内」なのか「外」なのか判然としなくなってくる。「内/外」の境界を再検証しつつ、その境界を物理的に、あるいは認識論的に透明化していくことは、伊東豊雄が《花小金井の家》(1983)や《シルバーハット》(1984)でトライして以来、日本の多くの建築家が取り組んできた営みにほかならない。そんな問題に対してChim↑Pomは、若き建築家である周防貴之の協力を得ながら、私的な空間に公的な道を通すという方法論によって新たな回答を提示したのである[figs.1,2]★2。

figs.1,2──Chim↑Pom《Chim↑Pom通り》(2017)。これまでの住人による改築で、2棟の建物がなかば一体化したキタコレビル。Chim↑Pomは、その間に新たに舗装道路を敷設した。
[撮影=森田兼次] © Chim↑Pom

この《Chim↑Pom通り》(2017)は単発的につくられたわけではない。それは「Sukurappu ando Birudoプロジェクト」という、いまのところ三つの要素によって構成されているプロジェクトのひとつを成している。

一つ目の要素は、新宿は歌舞伎町の「歌舞伎町商店街振興組合ビル」という解体が決まっていた地上4階地下1階建てのビルで開催された、「また明日も観てくれるかな?」展(2016年10月15日〜10月31日)である。そこでは、部分的に切り抜かれた各階のコンクリート・スラブと、各階にあった調度品などをはじめとするさまざまな物を挟み込んだ《ビルバーガー》(2016)[fig.3]などが展示された。

fig.3──「また明日も観てくれるかな?」展で展示されたChim↑Pomの《ビルバーガー》(2016)。[撮影=森田兼次] © Chim↑Pom

二つ目の要素は、本論の冒頭にそのDMの一部を引用したところの、キタコレビルで開催された「道が拓ける」展(2017年7月29日〜9月5日)。歌舞伎町のビルの解体現場で生じた残材の一部を、高円寺まで移して道の一部の下に埋設するというように、一つ目と二つ目は密接な関係を持っている。ちなみに埋設された残材は、新宿以外にも、改築中の渋谷パルコや旧国立競技場からも集められていて、それらは地下階の一部の壁面がアクリルとなっていることで見ることができ、《The Road Show》(2017)[fig.4]と命名されている。

fig.4──Chim↑Pom「道が拓ける」展で初公開され、以降は常設展示となる《The Road Show》(2017)。[撮影=森田兼次] © Chim↑Pom

そして三つ目の要素は、『都市は人なり──Sukurappu ando Birudoプロジェクト全記録』と題した本の出版である(LIXIL出版、2017年8月刊)[fig.5]。タイトルがScrap & Buildではなくてローマ字表記になっているのは、その行為=概念=用語が和製英語であることに基づいているのだという。

fig.5──Chim↑Pom『都市は人なり──
Sukurappu ando Birudoプロジェクト全記録』
(LIXIL出版、2017)

2 細街路の魅力

さて、今回Chim↑Pomがつくった道は、幅員が4メートル未満の生活道路であるという点から、都市計画において「細街路」と呼ばれるもののひとつだと言ってよい。「〜のひとつ」と留保を付したのは、それがあくまでも私的な土地の、しかも家の中にDIY的に設置される道である以上、建築基準法や都市計画法の制約を受けないと予想されるからである(実際に法的にはどのように位置づけられ、また今回どのように処理したのかは、私は寡聞にして知らない)。

細街路自体は、周知のように、今日急速に姿を消している。防災の観点から4メートル以上の幅員が欲しい行政は、細街路に隣接する建物が建て替えられるときには、建物を土地の境界線からセットバックさせることを要求する。いわゆる「二項道路」の問題である。けっこうな資金を投入するのに使える土地の面積が狭くなるとなれば、当然、家主は建て替えを躊躇することになる。結果として、そうした細街路が集まるエリアは、行政やデベロッパーによって再開発の対象となりやすいのだ。単純化して言えば、細街路をなくしつつ土地をまとめることで、タワーマンションなどの大規模集合住宅をつくり、より多くの人が安全に住める街をつくりましょう、というわけである。立ち飲みの聖地として知られる京成立石駅前に広がるエリアも、今年2017年6月、都市計画が決定したことが発表された。

つまり、現状において細街路はまずもって「啓開」できないわけだが、細街路のある街が魅力的なのは紛うことなき事実である★3。その魅力は、写真や映画や漫画など、さまざまな視覚文化のなかで描かれてきたが、なかでも滝田ゆうによる漫画『寺島町奇譚』は、私娼街であった寺島町(いわゆる玉の井、現在の東向島)の迷路のような道の特徴をよく描き出している★4

『寺島町奇譚』を読んでいると興味深いことに気付く。道のあちこちに、「安全道路」「ちかみち」「ぬけられます」といった看板がかかっているのだ。それらは惹句として、あるいは言い訳として機能する。つまり、安全と書かれていれば、その先に何があるかを知っていても、「安全みたいだし行ってみようか」と自分に、あるいは隣人に言うことができる。「ちかみち」とあっても回り道かもしれないし、「ぬけられます」とあってもその先はむしろ迷路かもしれない。でも、そうした道こそがむしろ人を惹きつけるのだ。

3 問いかける道

キタコレビルのある高円寺も魅力的な細街路だらけの街であるが、《Chim↑Pom通り》の入り口にそうした惹句はない。だが、入ってみたくなる設えとなっている。例えば道路との境界においては、鉄扉が切断されているということがすぐにわかるようになっている。これは、かつては厳重に閉じられていた場所が、いまは常時開放されているというサインとなる。また、入り口に立つとすぐそこにマンホールが見える。ほとんどの人が、家の敷地内に(しかも家という建物の中に)マンホールを見たことはないはずで、つまりそれは、この入り口から先「も」、いま立っている道と同じように公共の場所であることをほのめかしている。そしてなによりも、足下はアスファルトで舗装されている。いわば「地続き」となっている。《Chim↑Pom通り》は、『寺島町奇譚』に見られるような人間の欲望をくすぐる惹句ではなく、ここから先は公共であるというサインによって人を誘うのだ[fig.6]

fig.6──《Chim↑Pom通り》には、オリジナルのマンホールキャップが据えられており、地階との出入り口になっている。[撮影=森田兼次] © Chim↑Pom

だが、そこに入ってみると、なにかがおかしい。「ここから先も公共の場所だ」というよりも、「ここから先こそが公共の場所なのだ」と強調しているように感じられる。それはこうも言い換えられるだろう。「ここから先においては、『公共とは何か』がリアルタイムで問われている」、そう感じられるのだ、と。

4 建築とアートの系譜から

ここで、Sukurappu ando Birudoプロジェクトが、建築とアート、それぞれのフィールドにおいてどのように位置づけられるかを確認しておこう。

まずは建築から。

建物の中に道を通した事例としては、レム・コールハース/OMAが設計したロッテルダムの《クンストハル》(1992)が真っ先に思い浮かぶことだろう。美術館の建物を、通りと公園とを結ぶ斜路=道が貫きつつ二分しているのである。その結果、一方が展示室、もう一方がカジュアルなホールとレストランというように明快にゾーニングされているのだが、じつは今回のキタコレビルも、《Chim↑Pom通り》によって、展示室/バー+ショップというように二分されている。

だが《クンストハル》は、そもそも建物自体が公共施設であった。「道」を引き込んだ私的な建物、すなわち「家」はこれまでなかったのか? ある。例えば、『住居に都市を埋蔵する』★5という著作もある原広司が設計した《粟津邸》(1972)や《原自邸》(1974)がそうだ。「反射性住居」という独特の用語で建築界に知られるそれらの家の中には、軸線として道が通っていて、その両脇に、都市における建物のような外観を持つかたちで部屋が並んでいる。道の上にトップライトが設けられていることで、そこには外光が差し込む。内部であるはずの空間がまるで外部のように思える点は、キタコレビルと共通する。また、原広司に学んだ小嶋一浩の《ヒムロハウス》(2002)には、ゆるやかに何度か折れ曲がることで先を見通すことのできなくなった延べ30メートルほどの長い空間が存在する。先を見通すことができないからこそ、奥へと行きたくなる気持ちを誘発する点は、《Chim↑Pom通り》の在り方と共通する。とはいえ、それらの家の中の「道」は、24時間、他者に対して開放されているわけではない。あくまでも、道の機能が私邸の中に「埋蔵」されているのである。

次に、アートではどうか。

道をつくったアート作品としては、川俣正によるオランダ、アルクマールでの《ワーキング・プログレス》(1996〜99)が思い浮かぶ。それは、アルコール依存症の病院に暮らす患者のリハビリテーションを兼ねて、湿原に木材で道をつくるというものであった。しかし「アートレス」の文脈で語られることの多い本作は、当然のことながら、今回の《Chim↑Pom通り》のようにプライベートとパブリックを問うものではない。

アーティストによる建物への直接的な介入という点では、やはりゴードン・マッタ゠クラークの一連の作品が想起される。歌舞伎町における床を切った行為は《Bronx Floors》(1972〜73)や《Office Baroque》(1977)を、高円寺での「家を切る」という行為は《Splitting》(1974)を、というようにだ。キタコレビルは借家であることから所有の問題ともリンクするが、マッタ゠クラークには《Reality Properties: Fake Estates》(1973〜75)という、土地を所有することの意味をめぐる作品がある(なんらかのかたちで生じた、建物などが建設できない切れっ端のような土地を、市が主催する競売で格安でたくさん買ったのである)。★6

下町の建物のリノヴェーションやコンヴァージョンにアーティストが関与するという点では、イギリスのアッセンブルやアメリカのシアスター・ゲイツの活動が思い出されるだろう。だが、ここで詳述する余裕はないけれども、アッセンブルにしてもゲイツにしても、少なくともアート界では、その成功の側面ばかりが語られるのは問題がある。彼らの活動は、都市計画でいうところのジェントリフィケーションやスラム・クリアランスにつながる可能性(あるいは危険性)を孕んでいる。「成功事例」を輸入することを求める(とりわけこの国の)文化政策においては、そうした本質的な問題が語られることはあまりない。安く借りられるスペースを求めてアーティストたちが住むことによって街が変わり、人気スポットとなる。その変化は該当エリアを抱える地方公共団体にとっては喜ばしいことかもしれない。だが、その結果として当然賃料は上がる。そのとき、それまで住んでいた住人は、どこに行けばよいのだろう? その点、Chim↑Pomのキタコレビルは、バラック的な様相をきちんと維持していて、地域との「持続可能性」を真摯に考えている点を高く評価したい。

5 アートならではの正直さ

以上のような先例や類例と対比することでChim↑Pomのプロジェクトの特徴を浮かび上がらせることもできるだろう。だが、Sukurappu ando Birudoプロジェクトが本当に興味深いのは、都市論、都市計画、建築、いずれにおいても素人同然の彼らが、日本を代表する建築系の出版社のひとつをも巻き込むかたちで、そうとう根本的な問題提起をしたという点にあるのではないか。

私がChim↑Pomを素人と呼ぶのは、彼らが建築家や建築系の大学の学生・院生たちが行なうような、綿密な事前のリサーチ+その分析+その図式化、というプロセスにほとんど興味を見せていないことを理由にしている。Chim↑Pomがリサーチをしないと言っているわけではない。彼らはむしろプロジェクトごとに、そのジャンルにおいて重要な人物にきちんと出会い、話を聞いている。だが彼らは、そうしたプロセスを作品の一部にすることを基本的にしない。図式化して明解に示すこともない。開示するとすれば、それはあくまでも、言葉で語られる。しかも往々にして、会話という、ヴィヴィッドな言葉で保存される。抽象化よりも記録のほうが重視されるとでも言えばよいだろうか。今回出版された本が「全記録」と命名されているのは、その点で非常に示唆的である。

いまや「research based art」なるものもあるほど、現代美術の世界でも、リサーチという行為の重要性は常識化している。そして、そのリサーチの成果をこれ見よがしに開示するインスタレーションが、国際展などの現代美術展ではしばしば登場する。だがChim↑Pomは、たとえ都市論を語ろうとする場合でもそのような方法論を採ることはない。そのことについて彼らがどれほど自覚的であるかは、かつての著作の中でこう言っていたことからわかるだろう。

現代美術のセオリーよりも、アートの純粋性や普遍性にこだわったリアルな新種。それはこれまでもたくさん生まれてきましたが、その胎動はこれからさらに大きくなってくるはずです。現代美術の余命がいくばくかは知りませんが、ややもすれば現代自体がひっくり返ることでその命は終わるかもしれない。社会はそんな激動期を迎えて、人々は新しいものを求め、デモであれアートであれ世界中のストリートでそれを爆発させています。そんな地殻変動の中で、アートの普遍性がいつか現代美術を否定したとしても、それはとても自然なことなのです。★7

彼らはリサーチから提案までのプロセスでは飽き足らず、行動に移さなければ気が済まないのである。そんな彼らが都市論に乗り出すとき、それは言ってみれば「介入型」となる。

かつて吉見俊哉は名著『都市のドラマトゥルギー──東京・盛り場の社会史』の中で、都市論の方法論を次の四つに分けていた。①文学的アプローチ、②写真家などによる体験型のアプローチ、③建築家を主とする、記号論的アプローチ、④都市を祝祭の場として捉える社会史的なアプローチ、である★8。ここにいまや、Chim↑Pomによって(少なくとも)五つ目の都市論が加わったというわけである。つまり、アクティヴィスト的な振る舞いにより都市への直接的な介入を試み、そこで生じる変容を測定し、それをフィードバックさせながら、より発展させた方法論を求めるというアプローチだ。

吉見による分類が対象にしていたのは、言語による分析としての都市論であったから、ここにオブジェクトベースの作品を中核としたChim↑PomのSukurappu ando Birudoプロジェクトを加えるのは不適切だと言われるかもしれない。だが、すでに述べたように、彼らのプロジェクトも、『全記録』と題されたテクスト(書籍)を含めるかたちで構成されているのである。というよりも、今回のプロジェクトを見て思うのは、今日における都市論とは(あるいは都市論とはそもそも)Chim↑Pomのような素人によって、失敗を厭わない、草の根的な、自己責任の運動によって、直接その土地に書かれていたと考えるべきだということだ。

6 展覧会を利用する

最後にもうひとつ付け加えておきたいのは、アートの展覧会というフォーマットが、Sukurappu ando Birudoプロジェクトの実現と急速な周知を可能にしたという事実だ。

通常であれば、今日の都市において新しく細街路をつくるためには、行政への陳情などが必要となるため長い年月が必要となる。また、細街路ができたとして、そこでブロックパーティを開催するためには、その道が親しまれるまでのさらなる年月を必要とするだろう[fig.7]。つまり「道」の意味を都市の中で実際に問うためには、計り知れない時間と労力を必要とするわけだ。

それを今回、数カ月間というスパンの中で実現できたのは、自分たちが使っているビルの中であるという条件に加えて、彼らが慣れ親しんでいる展覧会というフォーマットを最大限に活用したからにほかならない[fig.8]

fig.7──キタコレビルで行なわれた、どついたるねんのライブの様子。展覧会期中の土曜夜、「BLOCK PARTY 東京♡道♡ストーリー」と題して、ほかに宇川直宏、K-BOMB(BLACK SMOKER)、マヒトゥ・ザ・ピーポーなど、若者に人気のある多彩なゲストが出演した。
Courtesy of Chim↑Pom

fig.8──「道が拓ける」展では自らのアトリエなども公開し、オブジェや映像作品の展示空間とした。[撮影=森田兼次] © Chim↑Pom

展覧会やそれに準じたイベントを活用して、スクラップ&ビルドによって新しい都市をつくる......、もちろんこれにも先例がある。歌舞伎町という街の形成には1950年の東京産業文化平和博覧会の開催が大きく寄与したし、1964年の東京オリンピックの際に首都高速道路や多くのスポーツ施設が建設されていまに至るのは周知のとおりである。そして、2020年に向けて、いまの日本は、同様の事態を迎えようとしている。

スクラップ&ビルドという方法論自体を、変えることはできない。それを言葉で否定することは容易だが、巨大な利権と欲望がうごめくところでは、なんの実効性も持ちえないだろう。一方、「展覧会」という形式はどうだろうか? あるいは、そこで展示される「アート」や「建築」は? おそらくChim↑Pomはそう考えたのではないか。展覧会に大した利権などうごめいてはいない。そうした場所を利用して、交通のインフラとしての道ではなくて、人がそこで(さまざまな記憶と歴史を足下に感じながら)自発的なパフォーマンスをするための道をささやかであれつくることができれば、それをもって新たな、しかしともすれば強力に機能する都市論を提案することができるのではないか......。

Chim↑Pomによる「展覧会」というフォーマットの活用は、先日、台湾の台中でオープンしたアジアン・アート・ビエンナーレ★9で、もっと先鋭的なかたちで実現化した。彼らは、表の公道から美術館の建物の玄関を通って会場の入り口まで至る「道」に、アスファルトを敷いたのだ[figs.9,10]。幅がそれほどでなかったとしても、その道の規模はもはや「ささやか」とは呼べない。そして、オープニング・イベントのなかでChim↑Pomのメンバー、エリイは、拡声器を持ちながらこう述べた(その様子はYouTubeで見ることができる)。

本当の意味で自由な道にするためには、道を育てないといけません。道を育てる。「Negotiating the Future」。私たちはこの国立台湾美術館と協議して、公道のものとも美術館のものとも違う、この道のためだけのオリジナルのレギュレーションができるといいと思っています。例えば、デモ。美術館内ではいかなるデモも禁止されていますが、Chim↑Pom主催のデモならオッケーとなりました。もし、この美術館の中で主張したいことがあれば、一緒にデモしましょう。お声掛けください。[fig.11]

確信犯的な発言である。通常であればまず許されない公共施設の中でのデモを(しかも「台湾」の「国立」の「美術」館だ!)、Chim↑Pomの主催であれば可能だという約束を取り付けたというのだから。

figs.9,10──国立台湾美術館に設置された、Chim↑Pom《道》(2017)。公道から美術館の内部まで、1本のアスファルト道が続いている。
[撮影=前田ユキ] © Chim↑Pom

fig.11──アジアン・アート・ビエンナーレで、作品についての宣誓を行なうエリイ。
Courtesy of Chim↑Pom

Chim↑Pomが台中につくったアスファルトの道を空中から撮影した映像を見て、ランドアートの出来損ないのように見えるかもしれないとか、脱構築主義の建築を彷彿とさせるとか、少し思ってしまったのは事実である。しかし実際には、そんなことを言ったところでなんの意味もないのだ。多くの観客にとってそうした「歴史」は重要ではないし、Chim↑Pomにとっても、「これをアートと呼びうるかどうか」とか「これを建築と呼べるかどうか」などというのは、まったくもって重要な問題ではないからだ。活動を始めてもう10年以上が経ち、日本どころか、アジアを、あるいは世界を代表するアーティスト・コレクティヴのひとつとして認識されているいま、彼らはその立場を積極的に利用すべきフェーズに到達したことを自覚している。そして彼らは、周囲の人に、一緒に声を上げることを誘いかける。その声には、これまでの都市論の方法を批判する響きすら感じ取れる★10


★1──後述するChim↑Pom「道が拓ける」展 のDMより。Chim↑Pom『都市は人なり──Sukurappu ando Birudoプロジェクト全記録』、LIXIL出版、2017年、148頁。
★2──プライベートの空間に他者を招き入れる行為として、最近では「住み開き」が注目されているが、本稿では紙幅の都合上、触れられなかった。「住み開き」の詳細は以下の書籍を参照のこと。アサダワタル『住み開き──家から始めるコミュニティ』、筑摩書房、2012年。
★3──増淵敏之『路地裏が文化を生む!──細街路とその界隈の変容』(青弓社、2012)を参照。
★4──1968〜72年に発表された滝田ゆうの『寺島町奇譚』は、ちくま文庫として刊行されているが、現在は品切れ。
★5──住まいの図書館出版局、1990年
★6──ちなみに、私が勤務する東京国立近代美術館では、2018年の夏にゴードン・マッタ゠クラークの回顧展を開催する予定である(キュレーター=三輪健仁)。
★7──Chim↑Pom『芸術実行犯』、朝日出版社、2012年、171頁、原文では「胎動」に傍点あり。
★8──弘文堂、1987年、16頁。現在は、河出文庫でも入手可。
★9──「2017アジアン・アート・ビエンナーレ」は、「Negotiating the Future」をテーマに、国立台湾美術館で2017年9月30日から2018年2月25日まで開催。
★10──こうしたアーティストによる「規格外」の都市論への興味があればこそ、アート・コレクターとしても知られる大林組の大林剛郎は、大林財団による助成プロジェクト「都市のヴィジョン──Obayashi Foundation Research Program」 を発足させたのであろう。第1回(2017年度)の助成作家に選ばれたのは、Chim↑Pomの師匠筋ともいえる会田誠であった。


保坂健二朗(ほさか・けんじろう)
1976年生まれ。東京国立近代美術館主任研究員。2000年慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学分野)修了。同館で企画した主な展覧会に「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」(2010)、「フランシス・ベーコン展」(2013)、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(2016)、「日本の家 1945年以降の建築とくらし」(イタリア国立21世紀美術館[MAXXI](ローマ)ほか、2016〜17)などがあり、国外でも共同企画した「Logical Emotion: Contemporary Art from Japan」(ハウス・コンストルクティヴ美術館(チューリッヒ)ほか、2014)などがある。『すばる』、『疾駆』、『SPUR』で美術についての連載を持つほか、青木淳、井上有一、折元立身、ヴァレリオ・オルジャティ、ペーター・メルクリの作品集にも寄稿。


201711

特集 庭と外構


庭園と建築、その開放
庭的なるもの、外構的なるもの──《躯体の窓》《始めの屋根》《桃山ハウス》から考える
市街化調整区域のBuildinghood
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