第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割

吉田有里(アート・コーディネーター、港まちづくり協議会事務局員/MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+古橋敬一(港まちづくり協議会事務局次長)+青田真也(アーティスト、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+野田智子(アートマネージャー、MAT,Nagoyaプログラム・ディレクター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

アーティストの役割、新しい職能

浅子──アーティストである青田さんご自身が関わっていらっしゃることには、どのような意義があるのでしょうか。

青田──ふだんは自分の作品を制作し、ほかの場所で展示したりもしますが、この場所では、アーティストとしての視点で、ほかの人との関わりをつくることを大事にしたいと考えています。自分がいいなあと思う人を紹介したり、作品を最もよく見せられる状態を考えたり、人々が作品によってアーティストを面白いと思えるような場面をつくったり。そうすることが美術と街の双方にとって、なにかしらそれぞれが広がりをもって発展していくのではないかと考えています。

浅子──自分自身がアーティストだからこそ、どういう場所で展示したいかがわかるということですね。

野田──アーティストがアート・プログラムのディレクターを行なうことは珍しい話ではないと思います。文化施設では東京都千代田区の「3331 Arts Chiyoda」の中村政人さんや岐阜県美術館の日比野克彦さんなど、アーティストがアート・プロジェクトのディレクターを担っている例があります。彼らが第一世代だとするならば、青田さんはその後に続く第二世代なのではないかと考えています。上の世代がやってきたことや下の世代の動きをふまえたうえで、いまの自分の世代はなにをすべきかを分析的にみて動いているように感じます。大げさですが、定年までここでやり続けるというよりは、次の世代に引き渡していくことを意識していると思うのです。そういう意味で、新陳代謝がよいこともこの第二世代の大きな可能性だと感じています。

吉田──青田さんは、デザイナーとやり取りするのが得意です。チラシなどはいろいろなデザイナーと組んでいますが、うまくやりとりしてよりよい見え方を考えてくれています。本をつくるときの編集などでもそうですね。器用だし、見えていないことに気づくし、ほかの職種とも組んでいける。青田さんと間近に接していると、コンサルタントに近いようなことをアーティストはできるのではないかと感じます。

西澤──自分の専門だけでなく、隣接領域への関心やリテラシーがないと、仕事がそもそも成り立たない時代になっています。向かう方向はまちづくりや行政や教育などいろいろあるけれども、アーティストの作品をつくるために必要な技術や能力が、作品制作以外にも通じるということに多くの人が気づき始めています。アーティストのできることが再発見されていくという感覚です。ミラクルファクトリーのように、美術大学の学生だった人が、彫刻ではなくインストーラーとして活動していくような発展の仕方もそうした例のひとつかもしれないですね。そして同時に、あらゆるプロフェッションにとってもまたそれは同じことで、自分のもつどんな技能が別の人のもつどんな技能とブリッジできるのか、あるいは別の人の共感を得ることができるのかということの再編が、新しいアートを取り巻く状況やまちづくりにとって「有用」なのではないかと思います。

──日常的なMAT, Nagoyaから、さらに広がる種が出てくるようなことはあるのでしょうか。

吉田──スタジオ・プロジェクトに参加してくれた、家庭用編み機を改造してニットを素材に作品をつくるアーティストの宮田明日鹿さんが、その後、港にスタジオを構え、街の編み物自慢のおばあちゃんたちと「港まち手芸部」の活動を始めています[fig.07]。一般的にまちづくりの主流は自治会などに長く所属している人たちや商いをしている方々が中心で、おばあちゃんやママ層はこれまであまり関わってこない存在でしたが、「港まち手芸部」を通じてそういう人たちも関われるようになっていきました。宮田さんの作品自体は街を変えていないけれど、新しいコミュニティが生まれ、彼女の存在が街に少しの変化をもたらしています。

fig.07──「こんにちは!  港まち手芸部です。」展(2018)の様子
撮影=岡田和奈佳
写真提供=港まちづくり協議会

野田──私も「港まち手芸部」に参加していて、つくったものをSNSにアップしていたら、扇子をつくるブランドを立ち上げた友人から、おばあちゃんに扇面を編んでもらえないかという提案を受けました。実際にこの春、東京を皮切りに全国各地での展示会を予定しています。

青田──宮田さんはいいバランスの人だと思います。彼女自身は、美術と街の人との関わりについていろいろと考えていたようですが、うまくこの場所とシンクロした結果、さまざまな広がりをつくっていけたと思います。

野田──本人も手芸部で作品をつくるとは考えてはおらず、おばあちゃんたちから手芸の技術を学ぶというスタンスで活動をしているようです。

西澤──初期の構想からさまざまな方向へ動き出して、その後はどのように展開していきましたか。あるいはそこから次の方向性をどのように振っていけばいいのでしょうか。

古橋──現在、「まちづくり」という言葉がマジック・ワードになっていて、ワークショップさえ開いておけばいいというような風潮さえあります。一方で、僕はそんな「まちづくり」を仕事にしているので、「誰のなんのための活動なのか」については、つねに意識的であるべきだと考えています。ここの活動で面白いのは、「地域」という言葉の意味が必ずしも「地元」とイコールではなく、地域をつくる多様な内外の人々を主体にした活動のあり方を探ろうとしていることだと思います。僕としては、集まってきてくれる人たちのやりたいことからどんなことが生まれるかを見てみたい。複雑になっていくけれど、化学反応が起こるのを楽しみにしていて、けっして計画的ではないけれど、そこが面白さだと思っています。自分がいる意味は、そういうものを面白がって、あるべき方向に仕向けていくことかと思います。自分はまちづくりの専門家かと問われると必ずしもそうではなく、その一端を担っているという自覚はありますが、どちらかといえばチーム・ビルディングのようなことが自分の仕事だと考えています。さまざまにある専門性のある方が、それぞれに活躍できると同時に、いろいろな人がこの場を通じてなにかを吸収していってくれるのが理想です。逆に「なにかのためのひとつの現場」になってしまうと、面白くないですね。

浅子──古橋さんの仕事は、とても一言では言い表せないものになっていますね。ただ、まだ名前がついていないだけで、まちづくりにいま最も必要とされている職能なのではないかと思います。

非日常(仮説)のアート、日常(本設)のアート

浅子──次に「アッセンブリッジ・ナゴヤ」についてお聞かせください。

吉田──MAT, Nagoyaの活動がスタートした頃に、名古屋市から、名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)の50周年を記念して、コンサートホール以外で音楽祭をやりたいという相談があったんです。

古橋──もともと『み(ん)なとまちのVISION BOOK』のなかで音楽イベントの開催を掲げていましたし、音楽は文化的な港に似合うと思います。名フィル50周年記念に関しては、名古屋市から港まちでやるなら「港まちづくり協議会」と手を組みたい、一緒にやるにはどうしたらいいかという相談を受けたことから話が進みました。

吉田──とりあえず名フィルだけが決まっていて、それ以上のことはなにも決まっていませんでした。クラシックのコンサートは多くの集客があっても、その日限りのことなので、どのようなフェスティバルのあり方があるのかを考えました。

古橋──そうこうするうちに、名古屋市から文化の力で地元の活性化にも貢献したいという話が出てきました。話し合いを重ねるなかで、アートと音楽を組み合わせた「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」(会期=2016年9月22日-10月23日)を開催することになったのです。

吉田──「あいちトリエンナーレ2016」の開催時期(会期=2016年8月11日-10月23日)と重なることもあって、トリエンナーレのキュレーターだった服部浩之さんとともに、現代美術展のパートは、服部+MAT, Nagoyaで企画していこうと決めました。2016年の開催では、クラシックのコンサートは4日間の限定だったため、音楽と美術のコラボレーションがなかなか実現できなかったのですが、2017年の開催では、一柳慧さんの《タイム・シークエンス》をテーマにし、音楽と美術とのコラボレーションを取り入れました。

青田──「港まちポットラックビル」にいつもはないグランドピアノが置かれているのを見ると、日常的な活動も大事だけど、この場所で非日常的にやるのもいいのだという発見がありました[fig.08]

fig.08──一柳慧「アーティストトーク・《タイム・シークエンス》コンサート」(「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」における現代美術展「パノラマ庭園──タイム・シークエンス」より)の様子
撮影=怡土鉄夫
写真提供=アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

吉田──「港まちづくり協議会」としても、Botão Galleryは改装したけれども、予算の面でそれ以後は、空き家の改修ができていませんでした。そんななか「アッセンブリッジ・ナゴヤ」の会場として空き家を一時的に使うことで、持ち主と交渉する余地が生まれるかもしれないと考えていました。つまり、会場として使用したスペースを、アーティストの活動する場として残せるかもしれないという目論見もありましたね。

西澤──今後の展開を考えながら「アッセンブリッジ・ナゴヤ」をうまく使って改装していったんですね。

浅子──仮設が本設になっていくようで面白いですね。


201803

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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