シン・ケンチク
[撮影=山岸剛]
1 その、部分において感覚される手続的幾何学性
- fig.1──乾久美子建築設計事務所+東京建設コンサルタント《釜石市立唐丹小学校/釜石市立唐丹中学校/釜石市唐丹児童館》1階ワークスペース[撮影=山岸剛]
《唐丹小学校/唐丹中学校/唐丹児童館》(2018)の構造は、華奢でもなく、ごつくもない。
おそらく歩留まりをよくするためだろう、寸法体系は尺貫法による。ただし、半間(3尺=910mm)、1間(6尺=1,820mm)、2間(12尺=3,640mm)というような、キリのいい寸法ばかりが現れるのではなく、中途の寸法が多く採用されている。基本単位は、半間をもう一度、半分に割った455mmのように思われる。普通より小さな寸法をモジュールとする。そのおかげで、空間のスケールを繊細に整えることができる。[PDF:敷地図・断面図・平面図 『Inui Architects』pp.254-261より]
たとえば、教室の前に設けられた、「ワークスペース」と呼ばれる広い廊下の幅は、11モジュールと、なんとも微妙な数字でできている。独立柱の列柱が、その中央ではなく、やや窓に寄ったところに、4モジュールのスパンで並ぶ。この列柱、正確に言うなら、教室側から6モジュール、窓側から5モジュールのところにある。
梁が、独立柱ごとに、つまり4モジュールごとに架かる。しかし、その梁がぶつかる教室の幅は14モジュールなので、柱間7つで教室が2つになり、教室の境の壁が2教室ごとに柱と柱の中央にくる。それで、空間に動きが生まれ、柔らかくなる。
一方、教室に架かる梁は、廊下の梁と直交方向。大きさもスパンも違えている。こちらの梁間は廊下側の半分、2モジュールだ。
ただここに差があるということだけでなく、より重要なのは、その切り替えの場所で、そこだけ梁が大きくなるというような無粋なことが起きていないということだ。2つの、ほとんどまったく異なったと言ってよいくらいの空間が、軽やかに、ただ軒を並べて接しているというつくりになっている。
(ちなみに、1階の天井高は3.3mほどで、高さに余裕がある。2階の天井は2寸勾配の屋根に沿って、2m弱から始まって棟に向かってゆるやかに上っていく。横方向にのびやかさがある。どちらの階も、その階のありかたとして、まったく無理を感じさせない。
それはともかくとして、ワークスペースの天井のつくりが、1階と2階でずいぶん異なる。その差とそれがどのような感覚を引き起こしているかもまた興味深いことではあるが、それは写真ですぐに見てとれることなので、ここではくだくだと説明しない。)
- fig.2──2階ワークスペース[撮影=山岸剛]
これら木構造は、物理的寸法としての細さや繊細さを目指しておらず、やや、太いかな、といったところで落ち着いている。ときに、方杖が入って、潔い。廊下の独立柱は、1階で5寸角、2階で4寸角。
こういう一見無造作な木構造が、基本的には、あらわしで使われている。(どこで、なぜ、その基本を外れて大壁になるかも興味深いことではあるが、ここでは説明しない。)天井もシナ合板で、同じステインが塗られているから、構造と仕上げの視覚的区別は目指されていない。建具も木製で、やはり同じステインが塗られている。
ここには、モノのその物理的なありかたを無理強いするような、つまりモノを視覚的効果に従属させるようなデザインは、まるでない。そのかわり、緻密に、繊細に、スタディされた寸法体系ばかりがある。それはなにをも伝えない。ただ「くうき」だけが伝わってくる。
機械的というのとは逆の、徹底的に調整された複雑なつくりである。
- 1 その、部分において感覚される手続的幾何学性
- 2 その、全体において感覚される手続的幾何学性
- 3 手続的幾何学性、または配置計画
- 4 モノの民主主義
- 5 正道であること、すでに「建築」を逸脱していること