乗り入れ合う東京

太田浩史(建築家、東京大学生産技術研究所講師、東京ピクニッククラブ共同主宰)
ららぽーと豊洲から晴海を臨む。ここでは高密度居住自体が都市のスペクタクルとなっている。
筆者撮影
PASMOを使うようになったのはいつ頃だったろう。そう思って調べたら、そのサービス開始は、たかだか3年半前の2007年3月のことだった。JRのSuicaに続き、地下鉄、私鉄が非接触型ICカードを採用することで、駅を乗り換える、という行為は実にスムースになった。券売機を利用する人は、本当に減った。

SuicaとPASMOと時を同じくして、2000年代の東京では、多くの鉄道路線が誕生した。南北線(2000)、大江戸線(2000)、埼玉高速鉄道(2001)、りんかい線(2002)、みなとみらい線(2003)、つくばエクスプレス(2005)、副都心線(2008)。これらに加え、多摩都市モノレールの全通(2000)、ゆりかもめの豊洲延伸(2006)、舎人ライナー(2008)の開通などもあったし、目蒲線の目黒線と多摩川線への分割(2000)もあった。こうした路線の開通は方々で相互乗り入れを実現して、浦和美園から横浜中華街までが一本で繋がったり、有明の埋め立て地から大宮まで行けたり、ロマンスカーが地下を走って北千住と箱根を結んだりと、場所々々の関係は、10年前とはまったく違うものになった。「乗換案内」などの携帯サービスを使わなければ、どことどこが繋がっているのか、誰も正確に答えられないだろう。

この状況の背景には、山手線を中心に放射状に整備されてきた東京の鉄道網が完成期に入り、整備の力点が「速達性の向上」「シームレス化」に移ってきた、ということがある★1。それをソフトによって実現しようというのがSuicaとPASMOで、フィジカルに行なおうというのが、同一ホーム化、同一方向の乗り換え化、そして相互乗り入れである。後者は大工事を必要とするから、必然的に地下鉄がその舞台となって、郊外線と郊外線が唐突に地下鉄でリレーされるようになった。リゾーム=地下茎とはよく言ったもので、見えないネットワークが放射状の空間認識を歪ませて、思わぬところに中継駅ができた。豊洲、汐留、大井町、南千住、溜池山王に六本木、そして麻布十番。これらが再開発を伴っているのは偶然ではなく、もともと、投資効果が最大になるように路線計画が立てられていたのだった。造船ヤードだった豊洲、操車場だった汐留と南千住、まだ操車場を有し、開発ポテンシャルを有する大井町。これに東芝の工場があった川崎、東京機械の工場があった武蔵小杉なども含めて考えれば、この10年の路線開発の意図は明快である。都心外にある郊外ではなく、都心と都心の間の遊休地、いわば「都心間郊外」を発見した10年だったのである。

最後の放射状路線開発と言われたつくばエクスプレスでさえも、そうした性格を持っている。柏の葉や流山が開発に沸く一方で、先ほど挙げた南千住、そして北千住の変貌はめざましい。例えば、北千住に移転する東京電機大学★2は、かつての都立大の多摩移転とは異なり、5つある沿線から人を集める高密度、集約型のキャンパスを目標とする。つまり、多方面から乗り入れがある立地を持つことが大学の未来を決めていて、これは豊かなスペースのなかの教育・研究環境、というかつての郊外型キャンパスの論理を凌駕している。「交通強者」であることが価値となるのは、居住で言えば、豊洲や武蔵小杉のタワーマンションの人気、商業で言えば、泉岳寺─押上間の(つまり羽田と成田間の)新路線の拠点駅が噂される丸の内仲通りの野心にもうかがえるだろう。それはかつての郊外、もしくはその裏返しであるターミナル駅のデパートが持っていた完結性とは違った、外部からの乗り入れへの期待感に支えられているようでもある。

こうした「都心間郊外」の発見の一方で、郊外の拠点都市でも変化があった。都心への機能集中を抑制するために1988年に定められた業務核都市が、この20年のうちに成長を見せたのである。政令指定都市となったさいたま市と相模原市、もはや別個の都市として無類の個性を持つようになった横浜市、多摩地区の核として重要度を高める立川市。なかでも「柏デビュー」という象徴的な言葉を生んだ柏市は、昼夜間人口比率が82%(1995)から90%(2005)へと上昇したことから伺えるように、地域内での職住近接が進んで、その自立性を大いに高めた。ベッドタウンの状態が長かった横浜、川崎でも夜間人口が増えたし、逆に141%(1995)の昼間人口超過が見られた23区も、135%(2005)へと状況が是正された。これはまったくの偶然だろうが、ちょうどテレビで「アド街ック天国」★3が始まった1995年ころから、かつては圧倒的だった郊外都市と都心の文化的・経済的格差が縮まって、それぞれに自立した生活拠点として認知されはじめたようなのである。地元の生活がそれなりに充足するのであれば、別に「東京」の傘はいらないだろうし、むしろ違和感を持つ場合もあるだろう。この15年間で東京圏における東京圏出身者の割合は上昇を続けているというデータもあるから★4、「地元ラブ」が東京内で細分化して生まれる土壌ができあがったのではないか。そしてそのことが、総体としての東京の姿を見えにくくしているようにも思われる。

郊外都市の多核化と自立、そしてそれらの都市間の遊休地を舞台とした、集中的な再開発。それはもちろん東京の現在の一面でしかないけれども、今後を予兆として後者の状況を確認してみたい。先ほども挙げた、豊洲60ヘクタールの再開発。もとは石川島播磨の造船工場だった場所が、就業人口3.3万人、居住人口2.2万人の街へと変わりつつある。交通はゆりかもめと有楽町線で、東京まで20分、羽田まで25分。駅前にはららぽーと、豊洲公園、東京ガスの展示館があり、周辺からの集客力は高い。あっという間に揃った10本ほどのタワーマンション、オフィスビル、そして2009年に移転を果たした芝浦工業大学が街を構成していて、良くも悪くも都市計画の行き届いた、多用途混合が考えられた空間となっている。ららぽーと前の産業遺構のドックとクレーンは日本の開発には見えないバタ臭さがあるし、その向こうに開いた海の風景は東京の見え方としてかなり新しく、ピクニック向けである。ただ、晴海大橋のデザインが酷く、この珍しい眺めを台無しにしてはいるのだけれど。

こうした風景の抜けと開放感の一方で、豊洲のなによりの特徴は、その急速な高密化である。江東区によれば★5、豊洲に東雲、有明を加えた豊洲地区の人口は、2000年では4.8万人、2010年では10万人、2020年には20万を超えると予測される。この局地的な人口爆発のため、江東区全体が人口増加日本一となってしまっているのだが、たかだか610ヘクタールの豊洲地区に20万人が集中するという状況は、実は多摩ニュータウンの6割ほどの人口が、面積としてはその2割ほどの土地に住んでいくということを意味している。つまり多摩ニュータウンのヘクタールあたり110人に比べ、豊洲地区はヘクタールあたり330人という計算になるのだが、これはタワーマンションが建ち並ぶ豊洲駅前の風景(ヘクタールあたり360人)が、その10倍の広さに渡って展開されていく、ということになる。計算が間違っていたり、カウントされていない他の土地があるならばいいのだが、地区内に含まれる東雲キャナルコートの場合はヘクタールあたり900人という驚くべき高密度を達成しているから、案外、このウォーターフロントの超高密街区は、2010年代の東京における最も過激な居住形態にもかかわらず、あっさりと実現されてしまうのではないだろうか。

東京の成長は止まっていない。確かにかつての郊外開発の興奮はおさまりつつあるけれども、それは遊休地の再開発と都心回帰を組み合わせ、交通政策によって都市圏のバランス良い成長をはかるという、先進国に共通する施策の効果があらわれてきたからである。ただし、例えばイギリスで流行したアーバンヴィレッジが、中密度、コミュニティ志向、田園的なランドスケープを重視したのに比べれば、豊洲や武蔵小杉で進行している街区開発はあまりにも過激だから、密度についての感受性は、今後大きく変化していくと思われる。いずれにせよ、2010年代を生きる私たちは、より細分化され、より集約的で、より動的な居住に直面しつつあり、中心--周縁モデルでもなく、単なる多核モデルでもない、次数の高い複雑ネットワークモデルをもって東京の地理を読んでいく必要がある。なぜなら都内、都外にかかわらず、都市圏の方々にある遊休地が、いつ私たちの生活動線に乗り入れ、その特異な居住への関係を迫ってくるか、まったく予測ができないからである。


★1──一例として、国交省答申「東京圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について」(2000)において、「速達性の向上」「シームレス化」の方針が述べられている。
★2──駅前のJTの社宅跡地の1.8ヘクタールに槇文彦設計によるキャンパスが計画中。2012年4月に開校予定。
★3──「出没!アド街ック天国」。テレビ東京系列で1995年4月から放映されている、街の紹介番組。
★4──「第6回人口移動調査 2008(pdf)」(国立社会保障・人口問題研究所)
★5──報告書「江東区の将来人口の推計について」(江東区、2008年3月)
★6──16.4ヘクタールに6000戸を建設する都市再生機構を中心とした開発計画。中央ゾーンには伊東豊雄、山本理顕、隈研吾、元倉眞琴らによる「東雲キャナルコートCODAN」(2004-2005)が位置する。

201009

特集 郊外の変化を捉える


対談:郊外の歴史と未来像[1]郊外から建築を考える
乗り入れ合う東京
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