消滅可能性都市との向き合い方

木下斉(一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表)

昨年夏頃から話題になった「消滅可能性都市」。
しかしながら、消滅可能性都市の詳細や現在計画されている地方創生政策の問題点についてはあまり知られていません。今回は消滅可能性都市の捉え方について整理したいと思います。

消滅可能性都市が指摘しているのは、
地方消滅ではなく、"地方自治体"消滅

消滅可能性都市とは、増田寛也氏を中心に民間有識者でつくる日本創成会議が発表した、2040年に向けて20-39歳の女性の数が半分以上減少し、消滅する可能性のある都市を指定したものです。つまり、子どもを産める世代が一定割より下回ると、人口が一気に減少して自治体経営が破綻してしまいますよ、という趣旨の指摘です。民間団体のレポートですので、何か法的拘束力を持つとかではないのですが、増田寛也氏は元総務大臣も務めた政治家であり、その影響力が大きく、政府による地方創生政策へと繋がっています。この提言は、都市に住む人がゼロになって消滅するということではなく、人の数が少なくなったら税収が乏しくなって経営が破綻するという意味です。どうしても人口減少で人がその地域からいなくなってしまって消滅するというイメージになりがちですが、そうではなく、あくまで自治体経営の破綻を指摘しています。
逆に言えば、消滅可能性都市は「自治体の経営課題」のひとつを指摘したに過ぎません。過剰に消滅すると危機感を煽って、それで国の予算を引き出す理由になってしまっているのはあまり賛同できません。
なぜならば、自治体の抱える経営課題は人口問題だけでなく、大きな赤字を抱える財政問題であったり、仕事がそもそも地域に存在しない経済産業問題であったりと複合的です。むしろ、人口減少は自治体財政や産業などの複合的な原因が招く結果とも言え、財政破綻してしまえば人は蜘蛛の子を散らすようにいなくなるのは夕張市をみていればよくわかります。単に人を移動させようということばかりに気を配ってもだめなのです。

増田氏のこの提言では、人口規模に応じた自治体の統廃合やサービスの効率化には触れず、あくまで人を増やして地方自治体の不足税収などを補完していこうというものになっています。
しかしながら日本は都市別で縮小するだけでなく、国全体でも既に少子化トレンドは直近では止まりません。少なくとも移民を受け入れない限りは20年後に成人を迎える人数は今年の出生数でしかないのです。
個々の地域で人を増やして自治体の経営課題解決を図ろうと思えば、地域間で取り合いをするということになります。であれば、足りているであろう都市部から地方へ人を移動させればいい、それが今の政府による地方創生議論の着地点になっています。
それでは、足りないものを政策的に都会から地方に分散させられるのでしょうか。

地方の補完を意図した「地方分散政策」
──失敗の歴史から学ぶべき

地方には人が足りない。その足りないものを補完しようということで、東京等の大都市圏の産業機能の一部を地方に移転し、その雇用を頼りにして若者に地方居住を推進する。それに必要な特別交付金などを国が用意し、それを活用して各地域が取り組みを進める。このような都市機能分散の政策議論は初めてではありません。
例えば、1970年前後、高度経済成長期によって三大都市圏における急速な経済成長が国内の地方都市との格差を産んだことを是正しようという論調が高まりました。具体的には全国総合開発計画、日本列島改造論などを受けて、製造業の地方分散政策などを中心にして政治力によって都市経済機能の分散を図りました。
その筆頭格でもあった田中角栄は、多額の予算を国から地方へ振り向けることに成功しましたが、まさか2015年の今、地方が産業空洞化・少子高齢化のダブルパンチで消滅することになろうとは思わなかったでしょう。公共事業を通じて、都市部と同じような生活を地方でできれば、人は地方から減らない、便利になれば産業も全国に分散する、という信念に基づく政策は彼が失脚した後にも続けられています。今に続く整備新幹線の計画はほとんど日本列島改造論時代の立案がそのまま生きつづけて今に至ると言っても過言ではありません。しかし、それらによって、地方は立派になったものの、都市機能としてはストロー効果を生み出し、むしろ不便であるという物理的障壁で地元に残っていた経済さえ大都市部に統合されてしまうとは皮肉な話です。

そうした、当時の議論は、現在の地方創生議論に極めて近い内容とも見てとれます。
高度経済成長期の繁栄を日本全国で感じられるようにという言葉は、今は、アベノミクスの効果を全国津々浦々へという話に置き換えられています。
1970年代当時の政策は、一時期は規制によって、当時旺盛であった製造業の工場建設を地方などに移転させることにつながったものの、その直後オイルショックなども重なり、日本の高度経済成長期の終わりと共に失敗します。
さらに90年代以降は海外での現地生産体制が中心となり、旧来型製造業の工場はより人件費の安い海外へと移転してしまいました。結果、国の支援を受けて、製造拠点の地方移転を目指して整備した産業団地の多くも売れ残ってしまいました。
結果として、地方での「製造業」での雇用シフトは一時期発生こそしたものの、中長期的には製造業全体の雇用割合は減少し、大都市圏でのサービス産業を中心とした雇用時代が到来。現在日本のGDP、雇用数に締める割合は6割以上がサービス産業になっています。
また、1970年以降は地方への整備新幹線や高速道路、地方空港といったインフラ整備も併わせてすすめられるようになっていきました。これら公共事業の拡大は、一時的に地方雇用をつくりましたが、結果としてそれらインフラは中長期的には都市内のスプロール化、並びに都市間のストロー現象を生み出して、地方全体の活性化というよりは、むしろ衰退を加速する条件整備となってしまいました。
このような過去の工場立地政策、都市機能分散政策から学ぶことは、政治力による機能分散政策が都合よくできるわけではないということです。何より、産業は国際的な市場で動いているため、自国内での「都市か農村か」といった話や「東京か地方か」といったような内政的な二元論での政策対応がそのまま通用するわけではありません。

国内で都市部と地方の対立構造をもとに議論をし、都市部の生産性を犠牲にしても強制的に機能分散する政策を実行したとしても、国内にすべての機能がとどまるのではなく、一部機能は国外に持っていかれるということも十分にありえるわけです。首都圏空港は国内的には安泰だと見られ、地方空港に予算配分を重点的に行なって整備をしていたら、そのうちに東アジアのハブ機能を海外に奪われたりしているのは分かりやすい例と言えます。
私は、だからといって地方がどうなってもよい、とは思っていません。求められているのは、現実と向き合い、過去の反省を踏まえて、地方の活性化を考えなくてはならないということです。
地方における持続的な雇用と人口増加を目指すためには、大都市よりも生産性の高い産業構造を地方で実現することが大切です。税による再分配と、地方経済とごっちゃにしては、いつまでも余剰利益が地方に生まれず、必要なものを中央から税で埋め合わせてもらうという万年赤字体質が続いてしまいます。これでは働けど働けど地方の暮らし楽にならず、です。つまり、今の地方に必要なのは、自分たちに足りないものを都市から奪うのではなく、むしろ都市を上回る生産性を実現し、都市の消費市場などを食っていくくらいのアグレッシブさが求められているのです。

地方には予算ではなく、「経済のエンジン」が必要

実際、地方において実績をあげている事例は、すべて自ら稼いでいる案件ばかりです。しかも従来の各産業の生産性を向上する構造を実現しています。一つひとつの事例を、目に見える空間や、そこで頑張る人の顔だけで判断していては、その事業を地方において活性化に寄与しているかどうか、は分かりません。その内情である数字を見なくてはわからないのです。
何か国から莫大な予算をとってつくられた有名建築家の公共施設なんてものは、それは自治体の維持費が増大するだけで、そのほとんどは市民にとって継続的な雇用が経済活動によって増えることにもつながらないものばかりです。維持費はかかっても、その施設自体が収入を生み出すこともなければ、その目の前で商売することさえ禁止されているのに、一等地に立っていたりします。そのまちで一番人が集まる場所で、しっかり儲けられる要素がなければ、どこで地方は仕事を生み出し、稼げるのでしょうか。
しかしながら、このようなものが「活性化の切り札」と称されることも未だにあります。とんでもない勘違いです。活性化どころか、財政と、経済の重荷になっている事が多くあります。どんどん税収が増加して、そのような施設をつくってもつくってもどうにかなる、といったような時代はもう20年以上前に終わっています。
重要なのは、地域がしっかりと利益と向き合い、経済を回していくエンジンをつくり上げていくことです。

経済を回すエンジンとは、しっかり資金を投資し、今よりも生産性をあげて利益を生み出し、その利益を原資にしてまた投資する、という流れになるものです。このサイクルを経て、新たな労働力を吸収すれば、高い生産性のまま頭数も増加し、トータルでの量も増加していきます。これは農山村漁村も都市部も同じです。

つまり、まずは「足りない量を埋め合わせる」といった足し算引き算のではなく、「生産性をあげて量を徐々に増やしてトータルを拡大させる」という掛け算の事業開発が求められています。

自治体も生産性を改善しなくてはならない

これは民間だけの話ではありません。
地方の自治体が持ち、公共資産についても、従来のように全部税金で賄って、全く地域に経済を産まないような運用の仕方はやめなくてはなりません。むしろ、地方自治体は、各地域において最大の土地持ちであることも少なくなく、大地主がその土地を運用せず、むしろ税金を使うものにしてしまっていることは、地方の衰退において大きな問題と言えます。
国土交通省によると地方公共団体が保有する不動産の規模は、426兆円とも言われ、これらが稼ぐのではなく、むしろ維持に税金がかかるものになっていることを改めていくだけでも大きな可能性があります。
公共施設と民間施設を合築して従来であれば生産性が低かった施設経営を抜本的に変えてしまう取り組みも始まっています。従来、公共施設は、税金でつくって税金で維持する、という地域の経済環境が豊かな時代はそれでよかったですが、もはや稼ぎが圧倒的に足りない状況では、この方法は妥当とは言えません。従来稼いでいなかった部分でも稼ぎをつくり、できるだけ負担を軽くしていくことも必要です。

消滅可能性とは向き合うしかない

冒頭に述べたように、消滅可能性都市の問題は、自治体消滅論として唱えられています。であれば、むしろその時代の状況に合わせて自治体の単位を見直したり、自治体にかかる収支を正して経営を改善するほうが現実的です。そう考えれば、そこまで大騒ぎすることでもありません。何もかも今まで通りに、と思うからこそ現実との乖離が生まれるわけです。
正直なところ、今のところ自治体単位だけでなく、日本全国単位でどんどん人口が減るわけで、それは一気に回復はできないわけです。いつまでも1億2,000万人クラスの人口規模に合わせた議会、自治体、公共施設など各種インフラを各自治体がフルセットで維持し続けるという発想自体に無理があるのではないでしょうか。つい50年前の1967年になってようやく人口が1億人を超えたわけですから、1億人いないと何も成り立たないということは考えられません。むしろ重要なのは、さらに1人あたり生産性をあげて、地域の経済効率を改善し、その収入に見合った自治体の規模と経営をして生活を担保することです。

このための改善策は既に全国各地でさまざまなケースが生まれています。政策よりも地方の現場のほうが最先端になっています。
これらは従来の補助金をもらって面白いことやっているといったような評価や、地元の人達の合意形成によって進められた、とかのモノサシでは図れません。新たな経済的視点をもって評価してこそ、その価値が明らかになります。紙面に限りが有るため、今回は具体的事例に触れることができませんでしたが、農山村漁村も都市部も全く同じであることを忘れてはいけません。農林水産業であるか、製造業であるか、サービス産業であるか、その違いはあっても、成果をあげているのは、かつてよりも生産性をあげ、利益を地域に生み出し、その余剰利益を新規事業に再投資していくというサイクルをつくり上げています。

消滅可能性都市は、むしろ従来からのやり方をきっぱりとやめて、未来の環境に適合する良い機会として考えれば良い、と思います。従来の中央の予算と知恵に依存し、さらには公共に依存した地方を変えるべきなのです。
既に全国各地の「地方」自体に知恵はあり、それら民間主導で地域独自の経済を着実に拡大して生活基盤を拡大していくものに学べば、地方の新たなカタチをつくり出すことは十分可能です。
地方が特色をもった独自の高い生産性の経済によって自立し、持続可能な環境を獲得してこそ、真の地方創生であり、日本全体の成長戦略となると私は思います。

*消滅可能性都市に関する詳細については、
『消滅可能性都市のウソ。消えるのは、地方ではなく「地方自治体」である。』
『「地方創生」論議で注目、増田レポート「地方が消滅する」は本当か?』
に詳しくまとめておりますので、ご関心ある方はぜひお読みください。

参考文献
木下斉『まちづくりの経営力養成講座』
木下斉、広瀬郁『まちづくり:デッドライン──生きる場所を守り抜くための教科書』
エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』
ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域』
猪瀬直樹『二宮金次郎はなぜ薪を背負っているか?』



木下斉(きのした・ひとし)
一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表。1982年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。高校1年から商店街活性化に取り組む早稲田商店会のプロジェクトに参画。2000年、新語・流行語大賞を「IT革命」にて受賞。2008年熊本城東マネジメント株式会社設立。2009年一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス設立、一般社団法人2013年公民連携事業機構設立。


201501

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