ケーススタディ:岩手県陸前高田市
──《陸前高田市立高田東中学校》

日野雅司(建築家、SALHAUS/東京電機大学准教授)

プロポーザルからの市民参加

《陸前高田市立高田東中学校》(2016)は、東日本大震災で被災した3つの中学校を統合した新校舎であり、設計選定はプロポーザルにより行なわれた[fig.1]。その設計者選定の段階から、すでに市民参加のプロセスが始まっていたように思う。まだ被災の影響が色濃く残る2012年12月、仮設庁舎の会議室に多くの市民が参加し、最終審査のための公開ヒアリングが行なわれた。そのなかには中学生の代表たちも招かれ、ファイナリストらの提案発表を聞いていた。公開ヒアリングの終盤、審査委員長の内藤廣氏は中学生一人ひとりに対して「どの案がよかった?」と質問をした。中学生たちは恥ずかしがりながらも、それぞれが好印象に感じた案を発表していった。私たちの提案も、何人かに支持された。公開ヒアリングの席で市民が発言することは珍しいケースであるが、被災地の復興という特殊な状況を配慮し、プロポーザルからの市民参加が図られたのではないかと思う。

fig.1──広田湾を見下ろす《陸前高田市立高田東中学校》。海を見下ろす配置計画。
[撮影=吉田誠]

大屋根の空間のイメージ

私たちが選定された理由は2つある。ひとつは比較的年齢が若く、市民参加のプロセスに十分に時間を割くことができそうだ、と判断されたことである。事実、設計開始後すぐに現地に一軒家を借りて拠点とし、足繁く通いながら何度もワークショップを開催した。現場常駐も含め、濃密な4年間を過ごした[fig.2]。もうひとつは、木の大屋根による空間のイメージが共感されたことである。居場所を失い、共助のなかで暮らす被災地に対して、安心と一体感のある空間を提案したいという思いから、地元産のスギ材をカテナリー状に用いた力強い空間に至った。それがプロポーザルを通して、共感を呼んだのではないか。審査委員長に意見を求められた複数の中学生からも、この屋根が印象に残ったという発言があった[fig.3]

fig.2──全工程を通して、ワークショップや情報発信が行なわれた。[画像をクリックして拡大]

fig.3──プロポーザル時の模型写真。木の屋根の下の空間。

その後の設計プロセスにおいて、計画案は大きく変化していった[fig.4]。必要諸室や平面計画はもちろん、配置計画や断面構成に至るまで、ワークショップや対話で得られた意見を参照し、それを「編集」するように組み上げた。しかし最初の木の大屋根の空間イメージだけは残り続けた[fig.5]。設計者と市民に共有されたイメージが「屋根」によりつくられる空間であったため、さまざまな使い方に対するフレキシビリティが高く、市民参加においても意見を受け入れやすい状況がつくられた。

fig.4──計画の変遷。ワークショップを経て大きく変化した。

fig.5──完成した教室の様子。木の屋根の下、生徒たちがいきいきと活動する。
[撮影=吉田誠]

建築家は前提条件をデザインする

最初に私たちから提示した強いイメージは、市民参加とは関係なく建築家としての主体性から提案されたものだ。共感を呼ぶための普遍的な手法は存在しないかもしれない。しかし市民の意見を受け入れやすい前提条件をデザインすることは可能であり、その方法のひとつが屋根の強いイメージであった。市民参加を行なうからといって、設計者が過剰に姿を消したり、恣意的なデザインを避けたりすることなく、主体性を持って参加のプロセスをデザインすることが重要である。


日野雅司(ひの・まさし)
1973年生まれ。建築家。株式会社SALHAUS共同主宰、東京電機大学未来科学部准教授。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。作品=《群馬県農業技術センター》(2013)、《tetto》(2015)、《陸前高田市立高田東中学校》(2016)ほか。受賞=グッドデザイン賞2015ベスト100、東京建築士会・住宅建築賞奨励賞、第20回木材活用コンクールほか。salhaus.com


201710

特集 建築の公共性を問い直す


公共の概念と建築家の役割
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