クロスブックレビュー:
建築と都市──1970年、1995年という転換点を超えて
建築と都市──1970年、1995年という転換点を超えて
→『建築の四層構造』目次
→『1995年以後』目次
「工学」と社会/「工学」と建築
- 『1995年以後』
エクスナレッジ、2009
難波和彦──こんばんは。はじめに『1995年以後』を読んだ感想をお話します。僕が大学を出てからしばらく一緒に仕事をしていた石井和紘という建築家と、東京大学を今年退職した鈴木博之という歴史家がいますが、僕と近しい関係にあるこの2人が、現在の藤村さんと同年代の頃に雑誌の特集で、40歳以下の40人の建築家にインタヴューしていました。1970年代の半ばだったと思います。この本を手にしたとき、まずはそのことを想い出しました。
この本を読んで印象に残ったのは、藤村さんがインタヴュアーとして若い建築家に話を聞いていくスタンスなのだけれども、インタヴューを受ける建築家よりも藤村さんのほうが明確な問題意識を持っている点です。藤村さんは建築の設計をする際に、客観的・工学的に設計していこうという問題意識をもっていて、「批判的工学主義」の名のもとに、その問題を各建築家にぶつけていく。それに共感する建築家もいるし、別のスタンスでやっている建築家もいる。けれど基本的には共感する人が多い。そのスタンスは1960年代までの、丹下健三やクリストファー・アレグザンダー、あるいは、石原舜介がやっていたことに非常に似ているなと思いました。ちなみに石原先生は藤村さんが学んだ東京工業大学に社会工学の創始者です。当時はコンピュータの能力がそれほど高くありませんでしたが、社会を成立させている変数を可能な限り収集し、社会の動きを予測し、さらにはオペレーションするというスタンスの学問でした。
そのことを思い出して、デジャブを感じると同時に、なにかが違っている。つまり時代がぐるっとひと回りしたような印象をいだきました。僕はそのような時代に建築を学びはじめたこともあって、共感を覚えたことも確かです。
- 難波和彦『建築の四層構造』
INAX出版、2009
藤村龍至──難波さんの『建築の四層構造』を拝読して、最初に気がついたことは、「都市に対する言及がほとんどされていない」ということと、「空間に対してもあまり言及されていない」ということです。私が所属していた東京工業大学の塚本研究室では、都市の形態と建築のタイポロジーの関係ついての研究をしていて「都市」は重要なキーワードでしたし、塚本由晴の師匠である坂本一成は、建築の形式と現実の間をスケールやプロポーションが関係づけるというように、非常に空間的なとらえ方をされていました。ですから、「都市」や「空間」というトピックは私が学んできたコンテクストから見ると重要な枠組みなのですが、難波さんの本に、そうしたトピックへの言及がないことが印象的でした。 ほかにも多くの発見がありました。難波さんの師匠である池辺陽さんが亡くなられて難波さんが旅に出られたのが32歳で、現在の私の年齢と同じです。それが1979年ということですから、「1968年」あるいは「1970年」という社会の転換期を、難波さんがどのように迎えていたのかということにも興味をいだきました。
さらに、《箱の家》をスタートされたのが、ちょうどわれわれが議論の起点にしている「1995年」で、それから2008年までに130棟を超える住宅の設計をされてきました。そうしたシリーズ型の建築を実践することは、どのような建築家像を切り開くのかということにも関心があります。
いまあげた感想から、今日難波さんと議論したい論点を2点あげたいと思います。キーワードは「工学」です。その「『工学』が社会とどう関係するのか」という問題がひとつ。
さきほど「社会工学」についてのお話がありましたが、1950年代から60年代にかけて、大気汚染や水質汚染などの公害問題が出てきたときに、そうした社会問題を工学的にどう扱うかというテーマを掲げて進展した分野が社会工学で、1970年代の初頭までがもっとも盛んでした。難波さんは、そうした「社会工学の時代」の後に建築家としてのキャリアをスタートされた、都市について語らなくなったいわば「都市からの撤退」の世代に所属していたと思います。1990年代、特に情報環境の発達は私たちの日常生活に新しい技術的な前提をもたらしつつあります。そのようなコンテクストで私たちは、「工学」と社会の関係をどのようにとらえることができるのか。それがひとつめの問題設定です。
もうひとつは、「『工学』が建築とどう関係するのか」という問題です。例えば、篠原一男は「住宅とは芸術である」と宣言し、「芸術」として建築をとらえたように、建築にはいろいろなとらえ方があるわけです。そのなかでも特に建築を「工学的にとらえる」ということが、現在、どのような批評性を持っているのか。
都市からの撤退/都市に対峙する
藤村──まず、最初の論点に関して難波さんに質問させていただきたいと思います。難波さんにとって、「都市からの撤退」という問題と、その時の社会、ご自身の建築との関係はどういうところにあったのか教えていただけますか。難波──僕が大学を卒業したのは1969年で、皆さんもご存知のように、その年は東大紛争があり、卒業式も大学入試もありませんでした。70年に大阪万博が開催されますが、その年は日米安保条約の改正が行なわれた年でもありました。日米安保条約は60年に締結され、10年後の70年に改正の年を迎えるわけですが、その際、60年の時のような大騒ぎにならないように、政治的な意図もあって70年大阪万博が企画されたわけです。70年万博には60年代に活躍した丹下健三を筆頭とする丹下研のメンバーやメタボリズムを中心とする戦後モダニズムを牽引した建築家のほとんどが参加しました。参加しなかったのは吉阪隆正さんと池辺陽くらいだったと思います。
「未来都市のモデルとしての万国博覧会」というキャッチフレーズで開催され、大成功を納めます。日本人の半分以上の人が訪れたという歴史的事件のようなイヴェントになりました。しかしイヴェントとしては確かに大成功だったのだけれども、都市モデルとしては大失敗だったと思います。それを明確に指摘したのは、万博のお祭り広場を設計した磯崎新さん自身でした。それ以降、磯崎さんとともに伊東豊雄、安藤忠雄といった若手の建築家たちは都市について語ることから離れていき、そうした状況のなかで、さきほど名前の出た篠原一男さんが浮上してきたわけです。僕たち団塊世代は、都市について語ることをタブーと感じるようになってしまったわけです。60年代に丹下健三やメタボリズムが提案した都市モデルが70年万博に重なり、その底の浅さが実物となって目の前に展開したという感じでした。
それ以降、僕は民間で設計の仕事をしていて都市についてはほとんど興味を持ちませんでした。2000年に大学教員になったのですが、大学で研究しているテーマが都市に関するテーマばかりだったので戸惑いました。とはいえ都市への取り組みは60年代とは、はっきり違っています。60年代はメタボリズムも社会工学も、都市を計画しよう、コントロールしよう、オペレーションしようというスタンスで都市を分析していました。現在の都市研究には、そのような意識はないように思います。都市を自生的に生まれた自然のような存在としてとらえ、自動的に展開していく都市現象のなかに、どのような建築を置いていくかというとらえ方です。その意味では、都市に対するスタンスが60年代とまったく逆だと言ってよい。これが現代の都市に対して、唯一取りうるスタンスだと僕は考えますが、相変わらず都市をコントロールし、デザインしようとするアナクロな建築家や都市計画家が多いのには閉口させられます。
都市の変数を扱う
難波──『建築の四層構造』で、僕は都市についてまったく語っていないと言われましたが、アレグザンダーの『まちづくりの新しい理論』などの翻訳もしていますし、まったく興味がないわけではない。ただ、都市をコントロールできない、与条件と言うか背景のようなとしてとらえている。少なくとも都市をオペレーションできるとは思っていないということです。それは藤村さんも同じではないでしょうか。藤村──おっしゃるように都市を一種の自然のようにみなす立場は、今回、同世代の建築家と対話を繰り返すなかでも、ある程度共有されていたと思います。他方で、『東京から考える──格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス、2007)での批評家の東浩紀さんと社会学者の北田暁大さんの対談などでも「高速道路は自動的に設計される」というような認識が出ており、同じく社会学者の宮台真司さんが「建築家は表層の料理人に過ぎない」というような一種の建築家不要論を展開しています。そのなかで、建築家はいかに都市に対するスタンスをとることができるのかということが私の問題意識です。 そのとき私は、「工学」というキーワードを手がかりに、流動的、かつ複雑な都市の環境と対峙するだけではなくて、前提条件に遡って介入できないだろうかと考えています。
そういう見方をしたところ、難波さんの本のなかにいくつかキーワードを見つけました。ひとつは第2部の「機能主義・再考」の箇所で言及されている、「変数」の問題です。機能主義を一種の関係主義としてとらえるという読み方をされていました。たしかに、社会の変数を拾ってきて、どうオペレーションするかというスタンスが、建築家が都市と関係をとろうというときに有効なのではないかと思います。難波さんが《箱の家》を設計されるとき、都市の変数をどのように拾っているのでしょうか。
- 藤村龍至《BUILDING K》(2008)
©藤村龍至建築設計事務所
難波──住宅にできることはすごく少なくて、変数(パラメータ)もオペレーションできる変数と、与条件としての変数を注意して切り分けないといけないと思います。与条件はむしろ定数として捉えるべきでしょう。さらに都市と住宅の関係は、建築の境界面だけで終わっていて、その外側に対して送ることができるメッセージというのは、非常にシンボリックなメッセージでしかないということをはっきり認識しておかないといけない。自分がコントロールできない定数まで変数と言ってしまうと、設計が非常に曖昧になってしまうからです。
藤村さんの《BUILDING K》も、都市に対する拠点開発的なプロジェクトではあるけれども、それが都市にどこまで影響を及ぼすか、あるいはまわりの人がどう受け取るかというのはコントロールできないわけですよね。とりあえずは、藤村さんが《BUILDING K》を高円寺の非常に雑然とした街並みのなかに連続させつつ、不連続な表現で置いたということが、まさに制御できる変数であって、そういう意味では《箱の家》もまったく同じです。少なくとも都市とのつながりをつくろうとします。とりあえずは都市に対して開くという方法しか僕らにはやりようがない。ニヒルに言っているのではなくて、非常にクールに、コントロールできる範囲を見極める。でも、可能な限り都市との関係を切らない。現代ではあまりにも住宅が都市と切れていて、まずいなと思います。そういう設計のスタンスです。
「工学」の本来の可能性を取り戻す
藤村──難波さんの本のなかでも、「デザインとはなにか」という議論が非常にたくさん出てきます。ここではデザインを、変数をどう読み込むかという「入力の問題」と、それを形態としてどう統合してアウトプットするかという「出力の問題」とに分けて考えたいと思います。私の個人的な問題意識は、デザインプロセスのなかで、変数をどれだけ多く読み込めるかということです。それをまた、どのようにひとつの建築として統合できるだろうか、その方法論を考えたいのです。現実には、片廊下羊羹型のワンルームマンションや3LDKのショートケーキハウスが無限に反復されるように、環境の条件なりプログラムの条件の読み直しをすることなく、プロトタイプがただ反復されています。機能主義が浸透しきったあと、工学が形骸化した合理主義に陥っています。ここで工学が本来の役割を果たして、環境の条件をもっと細かく読み込んで再構成していくことによって、建築の現われももっと変わってくるのではないかと思うのです。難波さんは《箱の家》を展開されるなかで、入力と出力の関係、あるいは、読み込みと統合の関係についてはどのようにお考えでしょうか。
難波──条件というか、環境が持っている変数というのは、こちらが仮説や明確なスタンスを持たないと絶対に拾えないと思います。設計をするときの敷地によって、どういうものが変数となりうるかというリストをあらかじめ持っているか、あるいは、僕のように、どうやって開くかという明確なスタンスを持っていて、初めて変数がクリエイティヴなものになる。漫然とたたずんでいれば変数が拾えるわけではないと思いますね。それが科学的、工学的なスタンスの宿命だと思います。
もちろん、建築家にはコントロールできない定数があるし、世の中には変数であるべきものを定数としてとらえ、パターン化されたものになっているものが多い。宮台さん、東さん、北田さんたちが言っていることは、僕たちがすでに70年代に明らかにしたことに過ぎなくて、いまさら彼らの言説に対して右往左往する必要はないと思います。これからの批評家や社会学者は、より実践的に、自分たちが都市に対して働きかけ、それを変えていくというスタンスを持ち始めなければいけない。そうなれば彼らの立場は必然的に建築家に近づいてくるでしょう。だからいまの彼らの発想に若い建築家は一喜一憂しなくてもよいのではないですか。
藤村──私は、あえて東さんや宮台さんの言説に過剰に反応しているかのように振る舞っているところもあります。例えば、「タワーマンションや高速道路は自動的に設計される」と東さんが言っていたので、東さんを建築学会のシンポジウムに呼んで、実際にタワーマンションを設計している建築家と議論をする企画を試みました。いきなり問題意識を共有するのは難しいかも知れませんが、何度か議論を反復していくと、共に現実に飛び込んで、一緒に考えるという雰囲気が生まれてくると思います。そうするためには、多少過剰に反応することも必要かなと思います。
彼らもただ分析したり、批判したりするだけではなくて、現状をふまえてどのような新しい社会をつくっていくのか提案していく段階では、建築家独特の思考が示すアイディアの構築性に刺激を受けるところもあるのではないかと思います。建築家が「表層の料理人」と言われようとも、構想家としてのロールモデルを提示して、そこに批評家や社会学者の分析的思考を取り入れることで、あらたな議論の場をつくり、社会に「工学」の本来の可能性を取り戻すことができるのではないか。それが「批判的工学主義」という枠組みをつくった動機のひとつでもあります。
- 左:藤村龍至氏/右:難波和彦氏