シンポジウム「シェアの未来」@ターミナル 第3・4回レヴュー

シェア研究会
「シェアの未来」は、東京大学・首都大学東京・明治大学の若手研究者が中心となって活動する「シェア研究会」有志主催の連続シンポジウムです。

シェアハウス、カーシェアリング、SNS など、場所・もの・情報などをシェアするという考え方には、大量生産・大量消費時代の私有や消費とは明らかに異なる価値観が見て取れます。近年、急速に広まりつつある「シェア」は、私たちの生活に、そして社会に何をもたらすのでしょうか。

今回は、こうした新しい動きを作り出し、実践する方々をお招きし、「コミュニケーションのシェア」「シェアの経済学」「クリエイティビティのシェア」の3回テーマセッションと、そのまとめとなる「シェアの未来」の、計4回の連続シンポジウムを行なっています。
「シェア」をキーワードに、いま私たちの周りで起こりつつあること、その背景にあるもの、その先に私たちが目指すベき社会を、明らかにしてゆきたいと思います。

ここでは、研究会メンバーによる各回のレヴューを掲載し、シンポジウムを振り返ります。

シェア研究会有志



◉ シンポジウム第3回「クリエイティビティのシェア」レビュー

さまざまなモノがデータとして扱われるようになり、複製はコストフリーで頻繁に行なわれるようになった。これまで価値があった作品の複製物もデータとして簡単に流出し、著作権の問題がメディアで頻繁に取り上げられている。ある作品を複製することに関してあまりよいイメージを持たれないような風潮が見られるなか、積極的にこの状況をクリエイティビティに昇華させていこうとする動きが現われている。今回はその実践者3名とコメンテーターとして小林弘人氏(株式会社インフォバーン代表取締役)とともに、クリエイティビティのシェアについて議論した。

利己的な遺伝子としてのCC


ドミニク・チェン氏

一人目のプレゼンターはドミニク・チェン氏(株式会社ディヴィデュアル取締役)。「フリー」という言葉には「無料」と「自由」という2つの意味がある。フリーカルチャーとは無料文化ではなく、自由な文化であるとドミニク氏は述べた。著作権に関する現行の法では、著作権保護(私有の領域)か、何も規定していないパブリックドメイン(公有の領域)のどちらかしかない。その間に共有の領域としてクリエイティブ・コモンズ(以下CCとする)を設定することによって、より自由な文化をつくる試みを実践している。


どんな分野でもオリジナルの作品とされているものは、ある部分で過去の作品を引用または参考にしていることが多い。積極的に自分がつくったものを未来に使ってもらうための仕組みとして、CCをつけるだけで誰でも著者に無断で複製、改変、翻訳ができる。例えば著作物を複製して利用したいときに、ひとりずつ許可していては大きなコストになる。改変、拡張、補完、改造を万人に対してあらかじめ許可しておくことで、そのコストをゼロにするという効果もある。
それではCCはクリエイティビティにどのようにつながるのだろうか。ドミニク氏は、作者へのフィードバックが最大化されることを挙げた。利用者からの反応は次の制作へのソースとなる。改変された作品は、元の作者と切り離すことはできないため、継承されていくことによって作者・作品の生態系を生み出すことができるという。駆け出しの作家にとっては、売れることより知られることがまず重要なのである。作品をオープンにすることによってその存在が認知されていき、改変等がまたさらに認知を広めることになる。CCは他者性を呼び込むためのシステムであり、それは利己的な遺伝子なのである。

契約から信頼へ


林千晶氏

グーテンベルクは15世紀に印刷技術を作った。印刷技術は生き方、知識の貯め方、産業を大きく変えた。そこから著作権の概念が生まれた。複製の歴史の紹介から林千晶氏(株式会社ロフトワーク代表取締役)のプレゼンテーションが始まった。コピーライト、すなわち複製する権利はかつて印刷会社が権利を持っていた。18世紀のフランス革命後、それは労働者のものとなり、現在の著作権の概念になった。さらにベルヌ条約(1886年)に引き継がれ、国際的な著作権法が誕生した。そして現在は、産業とライフスタイルが変わったと後世に言われる時代にあると林氏は述べた。
メディアラボ所長の伊藤穰一氏は、時代の分かれ目としてBC (Before Christ)やAD(anno Domini)があるように、BI(Before Internet)とAI(After Internet)で大きく時代が変わったと考えているという。インターネットによっていろんなものをシェアする時代となり、著作権の考えも変わる必要がある。インターネットが出てくる前のビジネスは契約を前提にしていた。契約だと成り立たないような、もっと利点や可能性があるものとして、「信頼をベースにするやり方」が今後ありえないだろうかと林氏は述べた。
林氏は2009年に森美術館で開かれた「アイ・ウェイウェイ展」で、作品の写真撮影を許可する「CC in Museumプロジェクト」を行なった。撮影した写真にCCライセンスをつけて自由に利用することが可能になるという仕組みである。当初、美術館側の多くは反対した。勝手にポストカードにしないか、マナーが悪くならないか、そしてどんなことが起こるかわからないというリスクを危惧した。しかし最終的には、来場者を信頼したことによってこのプロジェクトは実現したのである。信用と信頼は異なる。それでは、どういう状況下において信頼は生まれるのだろうか。

ウェブとリアルの評価軸


布山陽介氏

最後のプレゼンターはアーティストの布山陽介氏。楽器、センサー、プログラミングを使って音楽や映像を制作する布山氏の制作プロセスは、これまでの音楽家の制作イメージとは異なっているように感じた。布山氏は「Max/MSP」というビジュアルプログラミングのソフトウェアを用いて制作しているが、そのQ&Aのフォーラムサイトはオープンソース型となっており、ユーザーが質問したことに対して、開発者ではなく他のユーザーが答えるような仕組みとなっている。テキストやプログラムの一部をアップロードして、そのまま利用できるような投稿もあり、オープンな情報のやり取りが行なわれている。


例えば、テクノやヒップホップなどの音楽ジャンルではサンプリングという手法が使われ、過去の名曲などのフレーズを抜きだして編集・加工が行なわれている。それらをつなぎ合わせてつくる方法はスピード感があり、試行錯誤がすぐにできる。布山氏は、自らも含めて他のアーティストのプログラミングを自由にサンプリングしていくことでひとつの作品をつくる。フォーラムでコードをシェアするアーティストは、自分のコードがどのように使われるのかを知ることができる上に、複数人で新しい作品をつくり上げる緩いネットワークに参加することができる。


音楽や映像はネット上だけでなく、実空間でライブなどを行なうことが多い。その現場の空気や反応を映像としてウェブ上にアップすることで、質問や次のライブの出演依頼などが来るという。情報化されたデータは受け渡しができればいい。そんなドライで利己的な関係がウェブ上でしばしば見られる。しかしそこでは分からない空気感のようなものがリアルな世界における関係にはある。布山氏はオンライン上でも作品を公開しているが、実際にクラブなどで演奏するときは出音にかなり気を使うという。実際に音を出すときはさまざまなパラメータが存在し、それらをうまく調停しつつ、音による場を生み出すことが求められる。その場で生まれる関係や出来事はとてもウェットで繊細なものなのである。

コミュニティの拡張と信頼の形成


小林弘人氏

信頼は個人間の関係であるため、担当者が変わると一変することが多い。個人同士の信頼を大企業でいかに維持していくか。その鍵として小林弘人氏はコミュニティを挙げた。コミュニティはある閉じられたなかでの集合であるため、そこには信頼が生まれやすい。例えば企業間での信頼をつくっていくには、個人単位の信頼をコミュニティ単位に拡張するようなコミュニケーションのデザインが求められていくのではないだろうか。それは企業という枠組みを超えた、いくつかの領域にオーバーラップする集まり方である。そのようなサードプレイスとしての集まる場所をインターネット上にも物理的にもつくっていく必要性を感じた。
完結した「パッケージ文化」と改良されていく「β版文化」は、「実空間上の出来事」と「インターネット上の出来事」という対比に関係づけられるだろう。例えば建築は完全に実空間上の出来事であるし、それはβ版的なつくり方が簡単にはできない。一方、ウェブのソフトウェア開発などはコピーもアップデートも低コストでできる。ドミニク氏が「インターネット上で完結するものに限界があると感じている」と述べたように、インターネットとリアル、パッケージとβ版が交わっていくところに今後の可能性があるのではないだろうか。
ディスカッションで「質は最終的にはエンゲージメントに付随する」と小林氏は述べた。エンゲージメント、つまり絆や愛着、信頼のようなものをつくることは作品の質に大きく関わるのである。完成したモノだけでなく、プロセスをシェアすることに意味があり、そのことによってクリエイティビティをさらに高めることが可能になるかもしれない。私たちは今「ひとり」ではなく、クラウド化された多くの共同編集者たちと拡張されたコミュニティをつくりながら、クリエイティビティをシェアする時代に向かいつつあるのである。

浜田晶則(建築家・studio_01主宰)

◉ シンポジウム第4回「シェアの未来」レビュー

これまでの3回のシンポジウムを受け、各回のコメンテーターと登壇者に再度登壇いただいて議論をまとめようという第4回。

まずモデレーターの門脇耕三氏は、シェアが再注目され一般化されつつある理由として、「縮小化社会でも、物理的ストックは変わらない」「所有に対するインセンティブの減少」「所有から利用へ」「人口減少、高齢化による社会的コストをどう負担するかという問題」を挙げた。それらに対する危機感から「インターネットの普及」に後押しされてシェアという概念が再注目されてはいるものの、依然としてこれまでの社会的システムを引きずっており、そこにミスマッチが生じているとする。そのミスマッチ、つまり普段感じている社会への素朴な疑問からシェアを考えてみようという問いかけから議論が始まった。

門脇耕三氏

シェアと分業

冒頭では身近な例として、ベッドタウンから都心まで往復2時間満員電車に乗らなければいけない通勤スタイルへの疑問が話題に上り、第2回のコメンテーター三浦展氏はその制度のおかげでお腹の大きい女性が働くわけにはいかないため、必然的に男性が働き、女性が家事をするという家庭内「分業」が定着したと指摘。それが最も効率がよい状況になってしまったため、現在の「郊外」の生成につながったという。それは「都市」と「郊外」という日本社会全体の分業でもあった。直感的にはこの状況はシェアではないと皆共感できる、つまり何かを「分業」してしまうということとシェアするということは対極にあるということである。たとえ一時的に効率がよくても、その状態が何十年も「固定化」されるべきではないという。

固定化と流動化


三浦展氏(右)、馬場正尊氏(左)

それを受け第1回のコメンテーター馬場正尊氏は、ものごとが「固定化」されることに対して、本能的な危機意識があると語った。20世紀の都市にしろ働き方にしろ、分業化し、地区を分け、それをつなぐ交通機関が整備される、という方法で発展していきている。要するにあらゆるレイヤーでの「ゾーニング」が都市の基本であり、歴史であった。でもその結果われわれは、住宅ローンに苦しんでいて、ローンを返すためだけに働いているような状況になってしまっている。果たしてそれは正しかったのだろうか。満員電車に長時間乗って郊外から都心へ通勤し、郊外に買った住宅の35年ローンを返すために働き続けなければいけない状況に対して、本能的な恐怖のようなものが若い世代にはあるはずだという。
また、馬場氏はサッカーを話題に出し、スペインサッカー(やかつてのオランダサッカー)は実質的には固定ポジションを持たず、選手がどのポジションでもやれる、流動的なパスサッカーであり、その考え方はいいはずだとわかっていたのに今まではポジションサッカーに勝てなかったとした。しかしここ数年で流動的なスペインのスピードサッカーが勝っている。つまりそれはスペインサッカー的な流動化社会のシステムが、これまでの固定化社会のシステムに勝てるのではないかという示唆に違いない、と思いながらユーロの決勝を観ていたんだと言って会場を沸かせた。

固定化と流動化のバランス

一方その議論に対して第3回のプレゼンテーター、ドミニク・チェン氏は、インターネットではないメディアとインターネットが、固定化と流動化という対立のように語られることへの疑問を呈した。固定化への嫌悪感はものすごくシェアできているが、それをそのまま流動化がよいとするような二項対立的な設題自体が間違っているのではないかと指摘する。もっともこれはすべての登壇者は共有できている価値観であり、前回までの3回のシンポジウムでもたびたび、シェアというシステムがいいとしてもすべてがシェアに変わるわけではないということが話題になっていた。
また、三浦氏の近著『第四の消費社会』がとても売れており、出版後に関連する講演やインタヴューの依頼が非常に多いという。流動化、あるいはシェアの概念を取り入れた第四の消費社会について主に論じている著作ではあるものの、第四の消費社会になっても第二、第三の消費社会が消滅するわけではないという。第四の消費社会だけでは生きられないことと同様に、まったく固定化されない流動化だけの社会はありえない。二者がうまく共存していく、バランスのとり方に対して新しいヴィジョンが生まれればよいのではないかという。つまり流動化する社会自体が固定されてはダメで、時期や状況に応じて変えられるという状態が必要なのである。ある時期は「社畜」となって満員電車で通勤をしてもよいが、その状態がずっと続くということは健全ではない。完全に流動化の社会になると、それを乗りこなすことのできる強い人だけに有利な社会となる危惧があるため、流動化だけが促進されるような事態になることは逆効果であることは間違いないだろう。

コミュニティの流動化

話題はコミュニティや職能の流動性に移り、ノマドワーキングについて、ドミニク氏の会社では社員は会社に来なくてもよいという。ただし、創業以来5年間開き続けているスカイプのチャットがあり、メンバー間のコミュニケーションがすべて記録されることである程度の情報の蓄積が可能になっているという。もちろん、すべてネット化しろということではなく、会わなくてはできないことも少なくないため、完全なノマドでもない、通勤電車に揺られて定時出社するのでもない、第三の道の可能性を示唆した。
建築家の猪熊純氏は、話題に登ったシェアによるリスク軽減について、リスクはものごとの仕組みの整備で減らすことができると、自身のプロジェクトを通して語った。コミュニティについては流動性と相関性が高いものである。建築分野でコミュニティというと、地方のなくなりかかったコミュニティを守ろう、という懐古主義的な文脈で捉えられることが多い。つまり流動化ではなく、いかに保存するかということの対象になっているという。陸前高田に設計したコミュニティカフェ「りくカフェ」では、もともと現地の人のコミュニティを復活させようとして作ってきたのに、現在は外部から訪れる人が5割を超えた状況であるという。それは、コミュニティを保存するべきという立場からの変化を示しており、運営にも関わっていくなかでの地域や関係者の変化を感じているという。このプロジェクトを通して、設計や運営のバランスを設計するべきだと思い始めている。最初はまちのリヴィングとしてやってきたつもりだけど、まちの玄関になればよいかなと思い始めているという。
馬場氏とドミニク氏からはともに、成瀬・猪熊建築設計事務所が取り組んでいることは、本来行政がやることであると指摘があった。作る人としてだけでなく、動かす人、維持する人、維持するシステム、というさまざまな職能を含み、運営者としてまで関わっているようだ。そもそも公共と行政はほぼ同義だったはずなのに、現在は行政がわれわれの公共性を担保するなんてとても思えない。公共空間のリノベーションをやっていると、公共空間を行政から取りもどせという口調になってしまうが、われわれにとって本当に守るべき公共とは何かをあらためて考える必要がある。

公共と行政

馬場氏の最近のプロジェクトのひとつに、公共空間のリノベーションとして児童公園を再構築するというものがある。児童公園で何かイヴェントをやろうとすると、行政サイドに拒否される。つまり行政サイドが児童公園を私物化しているようなシステムになっていることをなんとかしたいと思っているが、一方で行政の言い分もわからないわけではない。公園法は誰にでも開かれないといけないという定義であるからこそ窮屈なものになっているという。
三浦氏は、公務員はいいなと思ったことは邪魔しない、邪魔となっている法令を一時的にでも規制緩和するという役割になるべきであるとする。システムを全部変えるのは難しいし、われわれが考えたアイディアが未来永劫続くべきかどうかはわれわれ自身にもわからない。試しにやってみる、ということが必要なのだという。公共性は本来は市民の側にある。そう考えると、シェアという概念は公共性と訳してもよいと指摘する。私と公という字は「私:穀物を囲い込む」と「公:大きな屋根の中に穀物(私有財産)を集める」という意味なので、公共は本来シェアという意味だったのが、ここ数十年で富の再配分がうまくいってないことが明らかになってきた。シェア社会では税金の使い道をどうやって決めるかがポイントになるはずだという。バブル前くらいまでは税務署に任せていても大きく間違いはなかった。馬場氏の児童公園リノベーションのアイディアにあるように、この事業に税は新たに使わないというような、役所にとっても美味しいところを用意しないとだめで、世の中を動かすにはお金で回る仕組みにしていかなければならない。そこでは、今後どんどん財政難になるという危機感が前提としてあるため、税金を使わないで市民がやってくれることがあれば行政にとっても望ましい。そう考えると縮小の時代にこそ市民の出番がある。資本の流れを再編することによって富をシェアすることができると言えるのではないか。

以上のような濃いな議論が繰り広げられたが、休憩をはさんだ後半は、会場を巻き込もうと質問を受け付けた。それらの質問をきっかけにして議論がより発展していく、非常に濃密な3時間であったと言える。関心度の現われか、来場者からの質問は途絶えることなく、連続シンポジウムのまとめの回であるにもかかわらず、議論がどんどん拡散していく様相で、ひとつの結論にいたるようなことはなかったが、シェアに関してどんどん概念が広がっていくような、次を期待したくなるような最終回であった。

中村航(建築家・博士[建築学]・東京大学大学院隈研究室特任助教/
Mosaic Design)



企画概要

第1回「コミュニケーションのシェア」
開催日:2012年4月22日
安藤美冬(フリーランス)
島原万丈(リクルート住宅総研 主任研究員)
萩原修(プロジェクトディレクター)
コメンテーター:
馬場正尊(建築家・Open A 代表・東北芸術工科大学准教授)
モデレーター:
成瀬友梨(建築家・東京大学助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
猪熊純(建築家・首都大学東京助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)

第2回「シェアの経済学」
開催日:2012年5月26日
関口正人(THINK GREEN PRODUCE 代表取締役)
田中陽明(春蒔プロジェクト株式会社 代表取締役:クリエイティブディレクター・co-lab[シェアードコラボレーションスタジオ]主宰:クリエイティブファシリテーター/アーティスト)
中村真広(株式会社ツクルバ 代表取締役 CCO/クリエイティブ・ディレクター)
コメンテーター:
三浦展(社会デザイン研究者)
モデレーター:
成瀬友梨(建築家・東京大学助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
猪熊純(建築家・首都大学東京助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)

第3回「クリエイティビティのシェア」
開催日:2012年6月23日、16:00~19:00
会場:THE TERMINAL
人生み出すクリエイティビティは、近年、著作権という形で保護が強くなる一方で、情報化社会の中でその矛盾が表面化しつつあります。そもそも文化とは、受け継がれながら改変されてい行くものであり、過度に守られるべきものではありません。こうした中で、個人のクリエイションが持つ権利を、より精密に定義し、状況に合わせて使い分ける提案が成されつつあります。
ゲストにドミニク・チェンさん、布山陽介さん、林千晶さんの3人、コメンテーターに小林弘人さんをお招きし、これからのクリエイションの行方を探ります。
登壇者:
ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル Co-Founder/NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン Director)
布山陽介(アーティスト)
林千晶(株式会社ロフトワーク代表取締役/米国NPOクリエイティブ・コモンズ アジア責任者)
コメンテーター:
小林弘人(株式会社インフォバーン代表取締役CEO/株式会社デジモ代表取締役 ソーシャル・トイ・ビジョナリー/ビジネス・ブレークスルー大学教授)
モデレーター:
成瀬友梨(建築家・東京大学助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
猪熊純(建築家・首都大学東京助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)

第4回「シェアの未来」
開催日:2011年7月21日、16:00~19:00
会場:THE TERMINAL
最終回はこれまでの3回の議論を受けた、まとめの会です。これまでがシェアに関する現在の状況からの思考であったのに対し、今回はシェアという考え方がより一般的になった今後の未来を、皆で考えていこうと思います。

ゲストにはこれまでご登壇いただいた、馬場正尊さん、三浦展さん、ドミニク・チェンさんをお招きします。
10年後のビジネス,10年後のくらし,10年後の都市将来......

私たちの身の回りの社会は、どんなことが可能になるのでしょうか。
登壇者:
馬場正尊(建築家・Open A代表・東北芸術工科大学准教授)
三浦展(社会デザイン研究者)
ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル Co-Founder / NPOクリエイティブ・コモンズ・ジャパン Director)
成瀬友梨(建築家・東京大学助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
猪熊純(建築家・首都大学東京助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
モデレーター:門脇耕三(博士[工学]・明治大学専任講師)

企画
シェア研究会有志
メンバー:
成瀬友梨(建築家・東京大学助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
中村航(建築家・博士[建築学]・東京大学大学院隈研究室特任助教/Mosaic Design)
門脇耕三(博士[工学]・明治大学専任講師)
猪熊純(建築家・首都大学東京助教・成瀬猪熊建築設計事務所 共同主宰)
浜田晶則(建築家・studio_01主宰)
川島宏起(東京大学大学院 修士課程)

企画・会場協力
コワーキングスペース THE TERMINAL

201209

特集 第13回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館


「ここに、建築は、可能か?」──ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展に向けて
「ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展 2012」レポート
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