難民/戦争/テロリズム、そのパラダイム転換

五野井郁夫(高千穂大学経営学部准教授・国際基督教大学社会科学研究所研究員)

戦争の世紀と難民の世紀

21世紀は後世から何の世紀と呼ばれるのだろうか。2001年のアメリカ同時多発テロで幕を開けた21世紀は、2015年末のパリのテロまでこの15年ほどの間は「テロの世紀」の様相を呈している。では20世紀は何の世紀だったのだろうか。
20世紀には2つの大戦があったことから「戦争の世紀」と云われている。その20世紀は同時に「難民の世紀」でもあった。総力戦化した戦争はすぐには終わらず長期化するなかで、多くの人々が住み慣れた土地や大地をあとにして、外国や国内の比較的安全な地域へ退避する難民が発生した。
国際政治や国際法を学んでいると、20世紀の難民としては、第一次世界大戦に関連して出てくるアルメニア難民、ソヴィエト革命から逃れ大量に流出したロシア難民、次の大戦に至る「危機の二十年」と呼ばれた戦間期のユダヤ難民、そして第二次大戦での各地での戦災難民などが思い浮かぶ。
20世紀には戦争と革命、そして勝者なき戦争後の空気のなかで難民が相次いで発生した。難民を救済するために国際連盟下でいくつかの国際条約が結ばれもしたが、それらは対象となる難民の範囲や保護の内容が限定されていたのみならず、締約国数も少なかったため、第二次大戦に関連にして発生した多数の難民保護には不十分だった。
実際に国際社会のなかで難民の定義がしっかりと定まりパラダイム転換が起きたのは、1951年に国連全権会議において各国に採択された「難民の地位に関する条約」、いわゆる「難民条約」においてである。同条約では、第二次大戦後も引き続き発生する難民に対して、人権と基本的自由を保障し、難民の地位に関する従来の国際協定等を修正・統合するとともに、適用範囲と保護の拡大をするために難民と無国籍者の地位を定めており、今日まで難民一般の概念を規定する基本線となっている。
難民条約の定義によれば、難民とはまず「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」がゆえに、「国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」である★1。
もちろん、こうした社会的マイノリティであるがゆえの、ないしは政治的な迫害事件の結果として常居所であったはずの国の外にいる無国籍者に対しても、当該常居所を有していた国に帰ることができない場合や、迫害の恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まない場合も、同条約の定義に含まれる。
この難民条約の基底となっているのは、同条約の前文に記載されているとおり1948年に国連総会で承認された世界人権宣言である。同宣言の第2条1項は「すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」とあり、同項の原則が難民条約の前文でも改めて確認されている。

国際美術展と難民

2015年のオクウィ・エンヴェゾーを総合キュレーターに迎えたヴェネツィア・ビエンナーレでは、シリア内戦等の影響で現在でも生じつつある難民問題について、20世紀という「難民の世紀」の顔つきをとらえる展示が金獅子賞を受賞した。それが、冒頭で紹介したアルメニア難民にまつわるアルメニア・パビリオンの展示「armenity」だった。ヴェネツィア本島から船で15分ほどの南に位置するサン・ラザロ・デリ・アルメーニ島にあるアルメニア系の修道院教会で、14名と2組の計16作品が展示された。
作家たちはいずれも世界の各国で活躍している多様な国籍のアーティストだった。イスタンブール生まれでパリ在住や、テヘラン生まれでニューヨーク在住の者、ルーマニアで生まれミラノに在住している者もいる。では、なぜアルメニアという国を代表するナショナル・パビリオンで、多国籍の作家たちが展示を行っているのだろうか。それは、アルメニア・パビリオンの作家らのいずれもがアルメニアン・ディアスポラたち、すなわち同ビエンナーレの100年前の1915年にオスマン帝国内で起きたアルメニア人虐殺のなかで難民として生き延び、世界各地へと離散したアルメニア人たちの子孫だったからである。




アルメニア・パビリオンの展示「armenity」(上・中)
アンナ・ボグヒグィアン《2015年》(下)
撮影=五野井郁夫
ちょうど第一次大戦中の1915年、オスマン帝国内のアルメニア人キリスト教徒はロシア帝国と結んでオスマン帝国への謀叛を企てたとしてその多くが標的となりジェノサイドの対象となった。この虐殺についてはファティ・アキン監督の映画『消えた声が、その名を呼ぶ』(2015)に詳しいが、最も被害が多かった1915年から1917年までの間に殺害されたとされるアルメニア人の数は、実に150万人だとされている。なお、ミネソタ大学のホロコースト・虐殺研究センターによれば、1914年以前にオスマン帝国領内に居住していたアルメニア人は210万人ほどだという。オスマン帝国から国を継承したトルコ政府は、150万人という数字を認めず、30万人のアルメニア人が戦争や病気で命を落としたとしている。ようするにトルコ政府は1915年の大虐殺を認めることによって賠償金の支払義務が生じることを懸念しているのだ。
「全世界の未来」と題されたエンヴェゾーによる2015年のヴェネツィア・ビエンナーレは、21世紀でもシリア内戦など、結果として多くの人々が難民とならざるを得なくなっている世界状況と今後の展望を描いたのだった。
なお、2015年はイスタンブールでもアート・ビエンナーレとしてキャロライン・クリストフ=バガルギエフが総合監督として腕をふるった、第14回イスタンブール・ビエンナーレ「ソルト・ウォーター」が開催された。筆者は同展の現地調査も行ったが、かつてオスマン帝国の首都だったイスタンブールの7会場を回っても、難民と流転を扱った作品はあったものの、主だってアルメニア人虐殺をテーマとした作品は見当たらなかった。

戦争の変容

主権国家間の国際紛争である戦争と主権国家内の非国際紛争である内戦。これらふたつの紛争から難民は生じるのだが、難民条約採決後の20世紀後半はどうだったのだろうか。冷戦構造のなかでも、とくに米ソ対立とかつての宗主国─植民地国間関係が複雑に絡み合い代理戦争化した地域や、冷戦終焉後の秩序が不安定化していた地域で、引き続き多くの難民が生じた。
そもそも戦争の交戦資格は、伝統的にはすでに他国から承認されている国家と、内戦のさいに叛乱軍が一定の地域を占拠し、事実上の政府を樹立するに至った場合に与えられる交戦団体に限定されていたが、分離独立しようとする民族自決権を駆使する人民にも交戦資格が認められるようになった。ただし、民族自決権に基づく交戦資格が、そのまま他国による国家承認と主権の付与を意味するわけではない。

フランシス・アリンゼ枢機卿
撮影=五野井郁夫
この戦争おける交戦資格を有する団体の認定をめぐって問題となった象徴的事例が、ビアフラ戦争である。1967年にナイジェリアからビアフラ共和国が独立したものの3年足らずで鎮圧された同戦争では、多くの難民と餓死者が発生したものの、国連はこの戦争に介入することができなかった。それはたんに冷戦時の米ソ二極対立という力学からだけではない。新興独立国のビアフラ共和国を認めた国が少なく、かつ独立された側のナイジェリア政府が同戦争をあくまで「内戦」と主張したからである。これらの事由から、既存の国境内で自治独立運動が起き内乱となった状況下では、他国の協力や軍事介入は内政不干渉義務違反となるため、他国や国際社会による明示的な介入は許容されなかった。結果的にビアフラ共和国政府は補給路を断たれ、戦死者よりもはるかに多くの餓死者を出し、150万人もの人々が死亡した。
こうした状況下で主権国家の縛りから比較的自由に行動できたのは聖職者だった。ローマカトリック教会のフランシス・アリンゼ枢機卿はビアフラ戦争で本人も難民となったなか、赤十字等の医療団体や多くの医師たちとともに、主権の網の目をかいくぐってビアフラに救護活動を行い多くの人々の命を救った★2。
だが、当時はナイジェリア政府の妨害や、内政不干渉義務のもと思うような活動できなかったという。このビアフラでの救護活動で活躍した青年医師らが、内政不干渉義務等の縛りのなかでも難民救護等の活動をできるよう立ち上げた国際NPOが、のちの「国境なき医師団」である。

テロリズムと戦争の変化

他方で内政不干渉義務を越えて、政治的な目的をもって行われる暴力行為にテロリズムがある。21世紀になってから相次いで起きたニューヨークやマドリード、ロンドン、パリ、イスタンブールなどのテロ事件がメディア的にフォトジェニックであるがゆえに、テロリズムというものを特定のイデオロギーをもった私人ないし集団による無差別テロとして想起しがちだ。けれどもテロリズムには、何も私人や特定集団のみならず、国家が主体となって引き起こす「国家テロリズム」や、国家に資金や武器等の提供を受け支援された個人や団体が行う「国家支援テロリズム」も含まれる。
そのテロリズムの趨勢が近年変化しつつある。まずは政府の転覆を目論む左右両極の政治的イデオロギーよりも、キリスト教原理主義からイスラム原理主義まで、宗教的な動機に根ざしたテロが多くなった。加えて、ターゲットの変化も特徴として挙げられる。過去の多くのテロが対象を特定の人物や要人、そして場所も目的に随伴する施設としており、また国家テロであれ、イデオロギー集団によるテロであれ、国際法上の交戦法規における文民保護とのアナロジーで、巻き込みや無差別殺人の回避がなされていた。
しかしながら、この15年近くの世界諸都市で起きているテロに共通するのは、標的の無差別性である。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロのなかでも世界貿易センタービルを狙ったテロは、ツインタワーというアメリカの資本主義を代表するシンボリックな建築物ではあったものの、事件当時攻撃目標となった場所にいたという点を除けば、とくに共通性のない人々を狙った無差別テロだった。この無差別性という特徴は、2005年7月7日に起きたロンドンの地下鉄爆破事件や、2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件も同様である。
この無差別性は国家テロにも共通する特徴である。アメリカテロへの報復としてアメリカと有志連合によって広くアフガニスタンからイラクまで戦われた一連の「テロとの戦争」(本来、戦争とは狭義には国家間で行われるものである)の標的は、一義的にはテロリストだった。だが、結果的には攻撃を受け殺害された者の多くが、テロリストではなく民間人であったことは、「テロとの戦争」を戦争ではなくアメリカ合衆国とその有志連合による「国家テロ」と見なすならば、テロの標的は無差別であってよいことを、皮肉にも世界中にメディアを通じて知らしめてしまったことになる。
他方で「テロとの戦争」を戦争の一形態だとした場合も、この四半世紀ほどの間に西欧を中心とする国際社会で築かれ、ジュネーヴ条約に書き込まれた文民保護という極めて近代的な国際規範も、テロ攻撃を受ける側にとってはこのたった15年ほどの間で形骸化しつつある。つまり、テロリズムと戦争における移民保護をめぐるパラダイム転換が起きつつあるのだ。
ところでこの陰鬱とした世界的な趨勢は何を意味するのか。おそらく各国に暮らす人々は、常住居地の国家や場所が体現している価値観の体系とのつながりを日常からさほど感じていないのと対照的に、無差別テロ行為を行う者たちにとって標的の場所にいる人々やランドマークは、テロリズムの標的である各国の主権在民化した「国家的身体」の一部、ないしはテロリストが傷つけたいと思っている価値観体系にとっての「身体」の一部と見なされていると云えるだろう。
この無差別性ないし価値体系への攻撃という点に加えて、先述の通りトリガーとなるイデオロギーが必ずしも政治的動機だけではなく宗教的動機が強く出ている点を重ね合わせてみると、20世紀末のある事件が、期せずしてこの2点の特徴を有していることに気が付く。それは1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件である。オウムは伝統的兵器ではなく生物兵器や化学兵器等を使用して政府との「戦争」、そして終末戦争を目論んでいたことからも、オウム事件は今後テロリズムがさらに悪化する場合のひとつのシナリオを示している。

近代的な価値観を徹底して守ること

戦争がテロに引き寄せられ、他方でテロを戦争へと引き寄せる言説実践がまかり通りつつある。アメリカ政府が言説実践してみせたように「テロとの戦争」を、戦時国際法が適用される交戦団体たる準国家団体と、国家との間のイデオロギー対立を内包する非対称的な戦争として捉えることもできるだろう。
ただし、国家建設を前提としていない、国境を越えたネットワーク型のテロリスト集団ならびに、そもそもネットワークの内部にいない者が勝手に「覚醒」することで発生する一匹狼型のホーム・グロウン・テロリズムをも、旧来型の戦争概念での交戦として捉えうるかについては疑問が残る。だからといって国境を越えた警察行動として制圧することを是とするのであれば、それはかつて稲葉振一郎が『ナウシカ解読──ユートピアの臨界』(1996年)で指摘した、秩序の侵害そのものを排除する警察の論理による統治によってグローバルに監視し、潜在的なテロリズムの恐怖を排除しようとする「万人が警察官である社会」の世界規模での現実化を意味する。
このような潜在的なテロリズムの恐怖にさいなまれる社会では、ゼノフォビアから難民とテロリストを結びつける言説が容易に流通しうる。さらに悪いことに、人々の恐怖に乗じて支持層を拡大しようとする極右政党や極右団体が油を注いでいる。
実のところ、ほんらい戦禍から逃れて来た一番の被害者たる難民を、まるで潜在的なテロリストか何かのように口さがなくレッテル張りする言説こそ、偏見と差別を助長し、荒唐無稽な恐怖をまるでそこに実体があるかのように錯覚させているのだ。そして人々の日々の漠然とした不安を煽ることで恐怖を増幅させ、難民や社会的マイノリティを恐怖の具現者や媒介者であるかのようにでっち上げ、自分たちの政治的・社会的不安をすべて難民らのせいにしようとする。さらに偏見やゼノフォビアがかき立てる「わたしの人生がうまくいかないのは、すべて外国と外国人のせいだ」という誇大妄想から戦争への距離はかぎりなく近い。
こうした偏見と差別、誇大妄想をもたらす有害な言説は、問答無用で打ち消し、押し返さねばならないことは云うまでもない。世界人権宣言が謳い、難民条約が確認しているように、すべての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることがあってはならないという、われわれが築きあげてきた近代とその基礎となる価値を改めて擁護し徹底的に守り抜く必要が、この時代になって再び生じつつある。われわれが生きている現代とは、この数世紀間積み重ねてきて当たり前と思われていた価値観の存続が危ぶまれている時代なのだ。
この時代感覚と危惧感はひとり筆者だけが感じているわけではない。ウェス・アンダーソンも同様に映画『グランド・ブダペストホテル』(2014)で、たとえファシズムが政権を掌握し人間性が失われつつある世界でも、近代が築きあげてきた文明のかすかな光の灯火が失われてはならないことを、登場人物に語らせている。とくにレイフ・ファインズ演じる軽薄で虚栄心の強い主人公が、アルメニア難民への非礼を恥じて尊敬すべきひとりの人間として歓待するシーンは、いかなる苦境下にあっても、われわれが身を挺してでも守らねばならない近代の諸価観を、明瞭に標示している。
それは、われわれの生きている21世紀が、20世紀のような「戦争の世紀」や「難民の世紀」をもうこれ以上二度と繰り返してはならないし、「テロの世紀」も今すぐにでも終わりにしたいと願っているからにほかならないためである。



★1──外務省人道支援室『難民条約』(外務省国内広報課、2004、35頁)
★2──フランシス・アリンゼ枢機卿へのインタビュー。2010年11月12日、ヴァチカン市国のアリンゼ枢機卿邸にて。

五野井郁夫(ごのい・いくお)
国際政治学、政治哲学。高千穂大学経営学部准教授・国際基督教大学社会科学研究所研究員。著書・編著=『デモとは何か──変貌する直接民主主義』(NHK出版、2012)、『国際政治哲学』(ナカニシヤ出版、2011)ほか。共訳=ウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店、2008)、イェンス・バーテルソン『国家論のクリティーク』(岩波書店、2006)ほか。




201601

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