世界とのインターフェイス
──グーグルマップの社会学をめぐって

若林幹夫(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)+松岡慧祐(奈良県立大学地域創造学部専任講師)

地図/マップの使い方

若林──『グーグルマップの社会学』の第5章「グーグルマップの未来」、200ページに、東浩紀さんの『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎、2014)を引きつつ、「旅先で重要なのは、つねにネットに接続し、新しく手に入れた検索ワードをすぐに検索できるようにしておくことであるという。このようなことはグーグルマップの使い方にも応用できるだろう。まず身体を移動させることで、わたしたちは新たな場所に出合う。そこで重要なのは、現地でグーグルマップにアクセスして、地図をググり、その場所をマッピングすることである」「......マッピングをくりかえす。そうすることで『いま・ここ』はたんなる断片ではなく、相互につながり、重なり合って、シークエンスやレイヤーを構成するようになる」と提言されています。これには半分同意するのですが、それだけでいいのかなとも思います。建築家の古谷誠章さんは、学生が海外旅行へ行くときに「『地球の歩き方』を持って行くな」とアドバイスするそうです。『地球の歩き方』を持って行くと、そこに書いてあるところへ行き、書いてあるものを見てきてしまう、自分の目で見なくなってしまいます。学生には世界をちゃんと経験してほしいのでそうしたガイドブックを持たないでほしい、と。これは東さんや松岡さんの主張と正反対ですね。グーグルマップやSNS、さまざまなサイトから得られる情報の量は、『地球の歩き方』どころではないのですから。


若林幹夫『増補 地図の想像力』
(河出文庫、2009)

もうひとつ思い出したのは、『増補 地図の想像力』の文庫版のあとがきでも書いた堀淳一さんのことです。堀さんは地図マニアであり、歩くのがすごく好きな方で、地図には描かれていないものや、痕跡だけ残っているものを見つけるのが楽しいとおっしゃっていました。古道は地図上の地割を見るとわかりますし、廃線も発見できます。もちろん、それを読み解くリテラシーがあればということですが。これは、東さんや古谷さんが言うのともまた違った地図のあり方、用い方です。
『グーグルマップの社会学』では、データベースに人が入り込んでいくことが強調されていますね。世界についての知覚をデータベースを媒介に広げていくのは現代的だし、多くの人が日常的にやっていることですが、月並みなことを言えば、データベースのなかにすべてがあるわけではありません。データになっていない世界に出会うための触媒としての地図があり得ると思います。堀さん流に言えば、地形自体が一定の選択の規則の下に作られたデータベースなのですが、当然ながらそこにすべての情報があるわけではない。地形から読み取られた情報を選択的に構成したひとつのレイヤーが国土地理院の地図なのですし、グーグルマップも、そのほかのネット上の情報もそれとは異なるレイヤーを構成していますが、地理的な世界、経験される世界のすべてがそうしたデータベースに収められるわけではない。


松岡慧祐『グーグルマップの社会学
ググられる地図の正体』(光文社、2016)
松岡──僕も『グーグルマップの社会学』で、グーグルマップでは世界中の地図情報を検索できるようになったとはいえ、検索できるのはあくまでデータベースのなかにあるものに限られると書きました。それでも、グーグルマップを持ち歩いて移動することで、そこに載っていないものに偶然出合うことはありますし、グーグルマップはそうした偶然性を排除しているわけではありません。そういった偶然性も含めて、さまざまな経験や物語に開かれていく前提としてグーグルマップがあるのではないか、ということです。地図マニアにとってはグーグルマップのようなデータベースは必要ないかもしれませんし、古地図だけで街を歩ける人もいるかもしれませんが、例えばいまの若い人はグーグルマップがなければそもそもいろいろなところに移動する気にもならないし、遠くに行くことへの不安もあるようです。観光マップには限られたエリアの限られたスポットしか載っていませんが、そんな観光マップの外に出て行くため、また、マップの隙間を見つけるため、自分の居場所をズームアウトして全体像を掴むためにグーグルマップを使うこともできると思います。「見たいものしか見ない」というのは人の常ですし、それはグーグルマップが促してきたことでもありますが、見たいものをずらす、見たいものを増やすためのデータベースとして、グーグルマップを捉えることもできるのではないでしょうか。いままで見なかった地図を見る、いろんなレイヤーによって「いま・ここ」を見ることで、新しい経験、想像力の広がりをもたらすと思います。


若林──なるほど。ただ、「グーグルマップがないと始まらない」というような状況になったのはなぜでしょうか。もしかしたらグーグルマップや「食べログ」などのネット上のデータベースにアクセスし、リスクを回避することが身についてしまったからかもしれません。以前、早稲田大学の近くのよく行く昔ながらの喫茶店で、大学2年生くらいの女性2人組が入ってきました。おじさんとおばさんだけでやっているので、空いている席に勝手に座って注文を取りに来てくれるのを待つようなお店ですが、その学生たちは入ってきたのはいいけれど、「いらっしゃいませ」とも「こちらへどうぞ」とも言われないので立ちすくみ、「システムがわからないから帰ろう」と言って帰ってしまいました(笑)。飲み屋でも「飲み放題3,000円」とか、料金システムがはっきりしているところでないと怖くて入れないという話も聞きます。つまり、偶然性やリスクを回避するシームレスなデータベースの世界があり、そこに載らないものは存在しないものとして見過ごされてしまうという面があると思います。『地図の想像力』が出た頃、荒俣宏さんと対談する機会がありましたが、そのとき、カーナビをポータブルにして歩行者が使えるようにしたGPSナビゲーターが話題になり、これが普及したら、載っていないお店や場所は現実の世界にも存在しないことになってしまうんじゃないかとおっしゃっていましたね。


松岡──逆に高齢者はスタバのシステムがわからなくて戸惑うわけですが、若者のほうがそうしたマニュアルへの依存傾向は強いのかもしれないですね。たしかに、リスクを回避するマニュアル的なものがないと動きづらいという側面もあると思いますが、いまの若い世代はそもそも普通の道路地図を使った経験がありません。僕は1982年生まれなので、大学生のときには道路地図や都市地図を使っていて、それが徐々にグーグルマップに変わっていったという過渡期を知っています。ちなみに、僕自身は就職活動をしなかったのですが、かつては就活生が面接会場に向かうときに、ポケットタイプの都市地図しか携帯していなかったので、よく道に迷って大変だったという話を友人から聞いたことがあります。いまの大学生はそれがなく、いきなりグーグルマップがあります。ですから、彼らにとっては、地図とはグーグルマップやカーナビであり、それしか世界を開くツールがないのかもしれません。そうだとすれば、グーグルマップを捨てるのではなく、グーグルマップを使って何ができるかを考えよう、という方が現実的だと思うのです。そういった世代論の問題は考える必要があると思います。


若林──私の場合、車のカーナビを使うようになって知らない場所に行くのが楽にはなりましたが、道を覚えなくなりました。ルートのことを考える必要がなくなったわけですが、それによって世界が広くなったのか狭くなったのかはわかりませんね。道路地図を使っていた頃は、運転しながら地図を見ることはできませんから、あらかじめ地図で予習をしておいて、交差点の目印を見逃さないように意識しますし、その意識によって、あとからでも頭のなかでぼんやり地図と、それに対応する風景を思い出すことができました。地図の画像を体と頭のなかに入れ込み、それにあわせて風景を記憶するというプロセスがありましたよね。


松岡──たしかにそうですね。でも、グーグルマップによってそれまでまったく地図を見なかった人が見るようになったという側面もあります。僕の妻もまさにそうで、移動先でグーグルマップを見ていますし、「広域的な都市の位置関係を把握できるようになった」と言っています。いままで地図を見ることがなかった場所でもパッと開いて現地の地図を見ることができるようになり、3次元の局所的な現実に過ぎなかった場所を2次元に変換したり、2次元と3次元を往復するという経験ができるようになりました。そう考えるとグーグルマップは世界を「開いている」とも言えるのではないでしょうか。地図マニアではない僕自身も、グーグルマップが出たことで、地図を見る機会そのものは確実に増えたので、やはりそちらの視点に立ってしまいます。


若林──「開く/閉じる」はどちらかではなく、ある種の開き方が閉じ方も同時に生み出しているのだと思います。『地図の想像力』の第3章「近代的世界の『発見』」でも書きましたが、近代的な地図によって近代的世界が「開かれ」、一方で、想像力の余地が狭まり、国民国家や地方自治体の境界線のなかに「閉じられ」ていきます。そう考えると、地図はどのようなかたちであれ、何かを開き、何かを閉じてしまうということですね。


グーグルマップの地図表示

松岡──グーグルマップはナビゲーションのためだけにに使うと閉じてしまいますが、なだらかにシームレスにつながった2次元の全域的な空間像があり、局所にしか生きていなかった人でも全域性へと開かれる可能性のあるツールだと思います。
実際はナビゲーションとして使っているだけの人がほとんどだと思いますが、僕自身は、人と話をしていて出てきた地名やニュースで聞いた場所を知らなかったら、まさにネットをググるような感覚で、その場ですぐにグーグルマップを検索したりします。そうして、いままで絶対に見なかったような場所の地図を見るようになりました。これはやはりグーグルマップが開いた可能性だと言えます。たしかに、自分とはまったく関係のない地図を検索することはなかなかないかもしれませんが、スマフォにグーグルマップが内蔵されたことで、その気になれば、いつでも地図によって世界とつながることができるようになったことは間違いないでしょう。問題は、どうやって自分をその気にさせるか、ということですが、やはり東浩紀さんと同様の立場から言えば、知らないところに行こうとすることが重要だと思います。グーグルマップがあれば、以前のように本屋で地図を入手することから始めなくてもよくなったので、知らないところにも気軽に出かけて、その場所の地図を開くことができます。


若林──私も知らないところへ行くときにはよく使います。子どもがオーストラリアにホームステイに行ったときには、ステイ先の家や街をグーグルアースやストリートビューに切り替えて見たりしました。「この家、プールがあるんだな」とか「ずいぶん広そうな家じゃないか」とか(笑)。妻もこの夏、ロサンゼルスに行く前に、旅行先のホテルや、友人が住んでいる場所を調べて、ストリートビューで見ていました。私のゼミ生でも、原広司さんの世界の集落調査についての本を読んで、それをグーグルマップやグーグルアースで探すことにはまってしまった学生がいました。そうした使い方はこれまでなかったものですね。グーグルマップの空間がシームレスなだけではなく、そうした情報への接続によって、世界へのアクセシビリティが高くなったのは確かです。ただ、そのような使い方をしている人はどれくらいいるのでしょうか。
ストリートビューを見ていると、進みたいのになぜか入れないところがあり、現実には存在しない結界が張られているようで違和感があります。やはり、グーグルマップもどうしても現実の地図という感じがしません。松岡さんのご本に吉本隆明さんの言う「普遍視線」と「世界視線」が引用されていましたが、「世界視線」は上から写真のように見ている、ランドサットなどの目であり、地図はまさにそれを描いたものです。それと比べてもグーグルマップは何かツルツルし過ぎていないでしょうか。「地図の画像」だと言われればわかるのですが、私たちがこれまで知っていた「地図」とは違う。実用的にはまったく問題がないのですが、どうしても違和感が抜けません。


ストリートビュー

松岡──やはりストリートビューは写真を使って現実を装ったものであり、もちろん現実そのものではありません。シームレスのようでいて、結界があります。通常の地図では見えないはずの現実を見せようとしているのに、見えないものがあるという違和感はありますね。また、グーグルマップに対する違和感は、その縮尺では見えるべきスポットがしばしば省略されるせいもあると思います。少しズームアウトしたときに、同じ路線でも表示される駅とそうではない駅があったり、役所のように結構重要なスポットが消えることがあります。普通の地図だと、主要なスポットが選ばれて載っていますが、グーグルマップは均質性を装っているだけで、取捨選択が案外ランダムというか、意図がわからない気持ち悪さがあります。


若林──たとえて言えば、それを制御している規則がわからないロボットが喋っているような感じですね。それは人が描いていない地図、プログラムによって生成される地図だからでしょう。人間の知や思考は人間が自らつくり出してきた言説や規則のなかで作動しますが、データによって生成されるシステムは感覚が違いますね。そうした新しい感覚のなかで生きている人が、旧来の地図についてどう思うかは気になりますね。


松岡──逆に使いづらいと思うかもしれませんね。ポケット地図帳のほうが1枚の地図に表示される情報量は多いと言えますが、情報量が多いと、自分で情報を取捨選択しなければならなくなります。グーグルマップは、結局ユーザーがデータを検索して抜き出すことを前提としたデータベースなので、人間の思考に即した規則性のようなものはそれほど重要ではないのだと思います。


若林──旧来の地図とグーグルマップの関係は、純文学とラノベの関係みたいな感じかもしれません(笑)。


松岡──APIを公開し、最低限のツルンとした地図を提供していて、それをもとにユーザーが検索でき、カスタマイズもできる。基本的にはフラットなのですが、冗長性はユーザー次第というスタンスだと思います。先ほどの話に戻ると、場合によっては、そこから物語が立ち現れてくることもあり得るということです。


若林──そうか、白地図なんですね。ところで、そんな白地図にユーザーが書き込んだ情報や写真をグーグルはどう使うんでしょうね。


松岡──わかりませんが、どんどんグーグルマップに反映されていくことにはなるでしょう。いまのところは、お店の情報などが多いですね。口コミも投稿されています。ただ、熊本地震のときには、一般のユーザーによって被災地のさまざまな情報がマッピングされ、それがグーグルの災害情報マップに活用されたという事例もあります。


若林──地理的情報の集合知を目指しているということですね。


熊本・大分県内 避難所一覧(現在の更新は停止しています)
作成=塚田耀太(Youth action for Kumamoto)

201611

特集 地図と都市のダイナミズム──コンピュテーショナル・マッピングの想像力


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