学校建築の経験と展開
──これまで学校建築を手がけられた経験から、よい学校空間、よい学校建築
とはどのようなものか、お話し下さい。
小嶋一浩──先生たちや住民たちに対して、あるいはプロポーザルでもそうですが、どんな学校かと説明するときに、まず子供たちがいきいきしているのがよい学校だという話をします。建物は立派だけど子供たちが沈んで見えるというのは学校としてはあまりよい印象が残らない。逆に子供たちがいきいきしているという印象を持った学校は、建築の印象はあまり残っていなくてもすごくいい感じだったという印象が残ると思うんです。本来は美術館や他の建築物でも同じでなくてはいけないのですが、学校は特にそういう面が強い。ブリューゲルの《子供の遊技》(1560年頃)という絵のスライドを見せて、僕らは設計した学校で、この絵のような風景ができればいいと考えていると話します。《子供の遊技》は街の広場で子供たちがいろいろ遊んでいて、よく見るとけっこう危ないことをやっていますが、建築などなくても子供たちがいるだけで学校の空気は作れると思う。 だから子供たちの目がいきいきしていることは、言葉を換えれば、自分の意志であるところに行くことができ、その場所の選択多様性がすごくあるということでもあります。
赤松佳珠子──子供たちが元気ですということは、単にグラウンドで遊んでいる元気さがあるということではなく、いろいろなことをやっている子供たちがいることです。グラウンドを走り回っている子供もいれば、サッカーしている子供もいる。あるいは建物の中で静かにおしゃべりしている子やゆっくりと本を読んでいる子供もいる。だからその元気さというのは、わーっと活動しているという元気さというよりは、幅を持ったいろいろなあり方がある、ということだと思います。そういう意味で子供たちの多様な活動が出てくる学校がよいのではないかと思います。
- 宇土市立宇土小学校
小嶋──ただ、僕は大学に入るまで学校が好きだったことは1度もありません。だからこれまで手掛けた学校建築は、自分の学校の原体験から来ているというよりも、学校のあるべき姿、こうあってほしいということが反映されていると思います。つまり、自分の経験がある意味反面教師になっている。学校は教室に閉じこめられて、先生に支配されている空間だという観念が強力にありました。だから、オープンスクールは僕らが始めたことではないのですが、「よそ見をしてはいけない」とか、「教壇至上主義」とは違った教室なり学校があっていいのではないかということはずっと考えていました。
子供がいきいきしていることが大事だと言いましたが、授業中でも目がとろんとしているのに、上からかぶせて教えても頭には入るわけがない。まず本人がアクティヴな状態になって初めてエデュケーションは成立するのだということです。それには空間的に閉じこめたり、その教室に入ったらおもわず黒板に集中してしまうような教室というかたちで建築や空間の力を行使しないほうがいい。あまり大声では言っていないですけれど、よそ見しないでも黒板のすぐ横に窓があって、目玉だけ動かしたらよそ見できるようなことがあってもいい。そういう意識で設計しています。それから先生が魅力的であれば子供は自ずと、特に小学生だと先生にくっつきたがる。だから先生が力を出してくれるように作る。逆に先生がさぼっていても黒板に集中するような教室というのはちょっとあやしい。こういったことがオープンになっていくこととつながっていくのではないかと思います。
赤松──難しいところですが、先生の力がないから子供が騒ぐのだというのも極端な話で、逆に先生や子供たちが自分でいろいろな工夫ができたり、あんなことやってみたい、こんなことをやってみたいと思えるきっかけをあげられればいろいろな可能性が出てくると思います。そういう意味で、画一的なもののなかに閉じこめるよりは先生も含め、いきいきとできることが重要だと思います。
──学校の設計のスタディはどんなことに留意しているのですか?
小嶋──学校建築を考える場合、僕らはまず、敷地や条件で周辺環境も含めて、子供たちがのびのびと活動できるかということを考えます。僕らの作った学校は平べったい校舎が多いのですが、それも動線に行き止まりがなくて、どんどん突き進んでいってもどこかでぐるっと回って帰ってこられる。4階まであったとすると、4階というのは地面からするとどんづまりになってしまうので、そういうどんづまりはできるだけ作りたくない。それから日本では学校には体育館がつきものですが、全然ヴォリューム感が違うものを端っこに置くと、体育館ならそこに裏ができてしまう。そういう場所を作らないように全体の配置をします。それで地域と自然につながっていて、「ここから先は学校なので襟を正してください」みたいにならないほうがいいとも考えています。
赤松──条件設定に面積や教室数などが当然あります。それをばーっと分析しながら、敷地に対してどういう配置にするのかマスタープラン的な観点のスタディから始めます。同時に教室周りや実際の子供たちの活動領域をどうとらえるのかということもケーススタディになり、相当幅の広いスタディを延々と繰り返すことにはなりますね。
小嶋──配置は200分の1の模型を作って、ありとあらゆるパターンを置いて、こんなの考えられないよな、というパターンもとりあえず並べて考えてみる。建築の場合実績主義みたいなものがあって、 新しい設計デザインを達成すると、次からどうしても同じようなビルディング・タイプ(学校)になってしまう。僕らは毎回、前の学校とは違う建築的なありようを実現したいと思っています。だから成功モデルがあってそれをリピートするというようにはやりたくない。しかしそうはいっても何度もやっていると手づまりになる。それをどうやってもう1回突破するかというのが、建築家として学校に取り組んでいることのたいへんなところです。特に〈宇土小学校〉は熊本アートポリスの、プロポーザルコンペで、審査委員長が伊東豊雄さん、審査員が桂英昭さん、末廣香織さん、曽我部昌史さん、と厳しい目で見ている人たちでしたから、前に僕らが作った学校を使い回して出しても絶対に1等にはならない。ではどうするのか? これは答えがどこかに書いてあるという話ではないんです。
赤松──新しく学校を設計することになると、私たちは、それまで手がけた学校に行って、先生たちと話し合いをします。そして実際に学校の使われ方を見て、もっとこういう可能性もあるのではないかと考え、今までやってきたことの蓄積のうえに、学校建築としての新しさ、あるいはそれまでとは違うコンセプトの提案ができると考えます。建築としての新しさと同時に教育環境としての新しさの両方があるべきだと思うんですね。その両方がうまくリンクしていくのがよい方向にいくことで、だから学校としてすごくよくできているだけでは、今までのところで止まっているのではないかと思います。今は教育内容もどんどん変わってきているので、それに併せて、そういった意味での相乗効果は必要だと思います。
それから、それぞれの学校や地方自治体、校長先生によって教育の方針が変わります。少人数クラスをどうやっているのか、ティーム・ティーチングや習熟度別学習をどの程度取り入れているのか、どの教科でそのようなことをやっているのか、といったことも全部ヒアリングします。コンペの提出段階ではそこまで詳しいことができないので、想定のもとに習熟度別学習だとこうなるし、少人数だったらこういう分け方になると想定しながらやります。実際に設計する段階で相手が見えていると、きちんとそこまで踏み込まないと新しい教育環境は作れないですね。また、ワークショップをやったりすることももちろんあります。そうすると子供たちの意見が反映されて設計コンセプトが変わっていくことはあります。
小嶋──建て替えの場合だとその学校の歴史や文化に対して耳を傾けないといけない。勝手に押し売りをしてもうまくいくはずがないわけです。他方新設校の場合は、単純に人口が増えて学校を新設する場合はあまりなくて、統合や新しい住宅地を作ったけれどそこに人を呼びこみたいといった、その地域の願いがあります。だから新設校の場合は、そのヴィジョンをどうサポートするかということがあって、単純に何クラスだからとか、教育の制度から設計できるわけではないですね。
最初の千葉市立打瀬小学校は、何もない埋め立て地に新しい住宅地区と同時期に作ったので、完全な新設です。千葉市立美浜打瀬小学校はあの地域の3校目の学校で、そのときは打瀬小で始めた塀のない学校やオープン・エデュケーションを支持する人たちがあの街に続々やってきていました。2校目は僕らではなくて地元の事務所が作ったのですが、打瀬小を踏襲して、ものすごく調査して作られていました。それから打瀬小のときは僕らにとって初めての学校建築だったので、計画アドヴァイザーとして首都大学東京の上野淳さんに入っていただきました。2校目のときも千葉市はアドヴァイザリーとして上野さんに依頼しました。だから2校目を見に行って、これがシーラカンスの作品だと思って、他の学校を見ずにそのまま帰っちゃった人もいました(笑)。3校目はプロポーザルに呼んでもらったのですが、住民説明会でもそういう学校のあり方に誰も異議をとなえない。池田小事件の後に住民説明会をやったのですが、「フェンスを作って学校を囲え」とは誰も言わない。周りがマンションなので「上からみんなで見下ろしているから大丈夫だ、見守っています」と言う。そのときびっくりしたのは、住民説明会で、ある住民が「打瀬小学校と今度の学校とのコンセプトの違いは何ですか」と訊かれた。そんなことを住民から訊かれるとは思わなかった。
赤松──新設校の場合は基本的にはうち合わせ相手が教育委員会になります。ただ同じ学区域、近隣に小学校や中学校の授業の風景や給食はどのようにやっているのか、を見に行って、先生に話をうかがいます。美術室とか理科室の特別教室は全部専任の先生と細かい打ち合わせをやります。建て替えの場合は旧校舎の調査を徹底的にやります。
──学校建築で一番ネックになる要素は何ですか。アイディアを出しても、どうしても建築家の考えと折り合わないことが出てくると思うんですが。
赤松──先生によって教育に対する信念がけっこう違ったりするんです。ひとりの先生と打ち合わせをしたことで「これはすごくいいですね」となっても、ほかの先生に話したらまた全然違うことをおっしゃる。だから専科の先生が言うことをすべて反映すれば先々でき上がった後もそれでよいのかというとけっしてそうではないところが難しい。そこは「これに関しては取り入れるけれど、これに関してはそこまでやると別の視点から見ると固定化してしまうだろう」というように、ある程度こちらが取捨選択しながら説明していかなくてはいけなくて、それでわかってくださる場合もあれば、かたくなな反応もあるので難しい。保守的な考え方の先生とある程度発展的にやっていこうと考えられる先生とではずいぶん違いますので、どういうふうに話していくのかはその都度その都度違います。
小嶋──僕らがやっているのはインターナショナル系の学校以外は全部公立の学校です。公立の学校は先生がどんどん代わっていくけれど、私立の場合は先生の異動がないので、あるポリシーに特化した教室を作ることは可能です。
僕にとって難しいのは校長先生の異動です。校長先生によってはオープンタイプの学校自体に否定的な方もいないわけではない。校長先生が代わるとそれまでいきいきと授業をやっていた先生たちも新しい校長先生の方針のもとでやらなくてはならない。学校の作り方というよりも、子供の自発性をどう引き出していくかというタイプのエデュケーションの考え方もあれば、反対に教え込みをしっかりやるんだという考え方もあって、ひとつの学校の中で切り替えがあるんです。それからオープンタイプだから自発性があるということではなくて、オープンタイプの学校でも8割くらいが教室の前で先生が授業をする一斉授業が行なわれますが、それが10割でないといやだという校長先生もたまにいらっしゃる。
赤松──展開する授業をやるにしても、それとオープンであることが必ずしも連動していないということもあります。教室は普通の教室としてあるべきで、分かれるのは教師の采配でいくらでもどうにでもなる、と思っていらっしゃる方もいます。
小嶋──僕らが設計した校舎を、チャンスだからいかそうと思っていただくタイプの先生と、何でこんな変なことをやったんだという方に分かれる(笑)。
赤松──否定するところからしか入らない先生は全部ネガティヴになりますし、そのへんは意識改革をしていただかないと、というところがあるのは確かです。本当に先生によって考え方は千差万別です。
小嶋──最初の打瀬小学校では、新設校だったので設計中は先生はまだ全然決まっていなくて、竣工した後の開校直前の3月になってから登用されました。校長先生になった方はすごくポジティヴで、その校長先生がいらした3年間はTVにも何回も出たり、あらゆるメディアに出ていました。そのときにも「某校」という言い方ではなくて全部名前を出して、パブリッシングするということでした。結果としてそれが海外に駐在して、帰国子女問題で親が頭を抱えているときに、この学校に入れればそういう問題は何もない、という現象さえ引き起こすくらいになった。
赤松──自由で、先進的な教育を公立の学校でもやっている学校があるんだということが海外駐在員のあいだでばーっと広がって、帰国したときにどこに子供を入学させようかと考えたときの選択肢に相当入っていた。だから日本へ帰ってきて、千葉のその学区域内に住むようになったという人も多いんです。
小嶋──幕張エリアに関しては、今に至るまでそういうことが継承されているので、高度成長期のニュータウンより子供の数が多いんですよ。今でも多摩ニュータウン時代の基準で新しい住宅地が計画されるので、推計人口から小学校3校が必要になったのですが、少子化の今の時代に3校も作ることはないだろうと思っていたのに、3校とも24クラスという現在のフルスペックで作ってもまだ足りない。それは、子育てを終わった人が分譲で買ったマンションを賃貸に出してまた次の子育ての人が来る、というように子育てしたい人だけでショートサーキットしているからです。
赤松──幕張の場合は、段階的に住宅ができていったので超高層などが建って、そこに子育ての世代の人たちがばーっと入ってきて、子供の数がすごく増えました。
小嶋──家族のなかに子供がたくさんいるという時代ではないから、数少ない子供をどこで育てるかというのは重要な問題で、そういうことを考えている人たちから支持されている。
校長先生の話に戻すと、最初がその校長先生で、2人目にいらした先生も最終的にはうまく対話ができるようになったのですが、最初の校長先生と僕らが打ち合わせをして作った学校だと思われていました(笑)。
赤松──カラーがすごく強く出ていて、逆に出すぎていたのでそのように思われたのかもしれない。逆にあれだけのことをやった後に、次の校長先生として入ってこられるというのはそれはすごくやりにくかったのだろうなと思います。
小嶋──一般的にはメディアの取材では校長先生の個人名まで出さないんです。ところが最初の先生はそういうことも含めてどんどん出ていった。その方は中教審の委員もやっている方だったので、国の制度を決めるところに入っていた先生が校長としてきたわけです。それで、いい方に振り切れてくれて、僕らが作った学校を使い倒してくれたんだけれど、一般的な先生たちからするとかなり極端なケースになっていたと思います。
最初に作った学校でそういうことがあるのだと学びましたが、ほかの学校でもケースバイケースです。だから赤松が先ほど言いましたように、できるだけ学校に顔を出すことが大切です。つまり校長が代替わりすると空間が設えられている理由が継承されないんです。そうすると意味がわからなくなって、死んだ場所になってしまったりする。それは掲示板ひとつとっても、「ここはこういうふうに掲示するためにあったんですか」と訊かれたりする。宮城県迫桜高校の例なのですが、コンクリート打ちっ放しの一部に掲示用としてパンチングメタルとボードを組み合わせた仕上げにしておいたところ、新しく来た先生はそれを装飾だと思って、そこをよけてコンクリートのほうにテープで貼って掲示していた(笑)。あるいは掲示できるようにと作っておいた壁の前に、市販の掲示板を置かれたりする。だから顔を出すことは重要で、同時に、一般的に言うとなんでこんなに不思議な学校なんだということを丁寧にコミュニケーションしてわかってもらう必要がある。どのくらい学校に顔を出すかというのはその学校によります。理想的には年度替わりごとに行ければそれが一番いい。
吉備中央町立吉備高原小学校の場合は、赤松が神戸芸工大に非常勤講師として年に数回行っているので、毎年神戸芸工大の学生たちを連れて吉備高原小学校の見学ツアーをする。そのときに「どうですか」という話をする。子供たちのアクティヴィティも見られますし、吉備高原小学校は集成材で木造で作っていますから、ある程度経年変化でメインテナンスも必要で、1年に1度見ておくと安心です。
- 宇土小学校、内観
──小嶋さんは「僕たちの作った学校ではいじめは少ないですよ」とおしゃっていましたが、学校建築の理念やコンセプトと、いじめや暴力という問題はクロスする部分があるとお考えですか。
赤松──先生と話をしていてよくおっしゃっているのは、従来の片廊下の学校よりはオープンだと先生同士も子供同士もお互いの関係がよく見えるということです。閉じた部屋の中で先生の王国を作って、そこで子供たちに対して行っている振る舞いと、オープンになってほかの先生も見ている、ほかの子供も見ている場合とでは、先生の振るまい方は明らかに変わってくることはあると思います。それはわれわれがやっていることにかぎらず、オープンスクールというのはそういう点があると思います。以前美浜打瀬小学校の先生が、子供たちは普通だと「自分は4年1組です」、「2組です」となるけれど、オープンな学校だと「自分は4年生です」という感覚になるとおっしゃっていました。つまりクラスより学年のなかに自分がいるという感覚のほうが強くなる。そういう意味では、自分が1組で仲がよくない友だちと一緒になっても、ほかの2組、3組に仲がよい友だちがいればそこまで追い詰められない。担任の先生とうまくいかなくても隣の2組の先生とは仲がいいということが起こりやすいとその先生はおっしゃっていましたが、そういうことはあると思います。今までの片廊下の学校だとどうしてもこの教室の中に嫌いな子がいてもわざわざ隣のクラスの友だちのところまでは行きにくい。その点は圧倒的に違うと思います。
小嶋──大人の世界もそうですが、閉じた人間関係はヒエラルキーを作ってしまいます。それに対して、一応何年何組というのはあるけれど、オープンだとそんなに閉じていない。いじめにしても体罰にしても、閉じているところで何かが蓄積して発生する面があると思うんです。オープンだとそれが常に開放されている。学校の設計しているときにスタッフに言うのですけれど、例えば1年生の女の子が忘れ物をして6年生のお兄ちゃんのところに「消しゴムを貸して」と行ったときに、あの1年生は何でこんなところにいるんだろうと思われてしまう空間の作り方はあまりよくない、ということです。何年生の子がどこにいても何の違和感もない、というふうに作っておくと流動的なわけです。その流動性はすごく大事だと思います。それとも関連するのですが、もうひとつは、徹底的に行き止まりを作らないこと。例えば校長先生の部屋が廊下の端にあったら、その部屋の前にいたら何か言いつけに行っているのではないかとか、不自然なところにいると捉えられていろいろ思われるわけです。大人の世界で社長室や会長室が端にあるのと同じです。だから「職員室にあの先生はいるのかな」と見に行って、いなかったらそのまま知らん顔して通過して別のところに行ってしまえる作り方はすごく意味があると思います。
赤松──打瀬小や吉備高原小もそうですが、職員室を突っ切って別のところに行けるルートが職員室のゾーンのなかに入ったりしています。
小嶋──職員室も出来る場合はオープン化しています。ただ、管理諸室の扱い方は地域による考え方、方針があるので無理強いすることはありません。それでもガラスの入れ方で、前の廊下を通るときにちらっと職員室が見えるようにするなどしています。
ほかの建築家の場合でもオープンな職員室の事例はあります。でもスタンダードではないですね。ただ行き止まりを作らないということを僕らぐらい徹底的にやっているのは他にはないかもしれない。その前提として校舎が平べったいとか、そういうものを作ること自体が一般的でもないし、やはり集積回路建築みたいなことはあるという気もします。
それから小さいコーナーを作ることも必要だと思います。宇土小学校はL壁がいろいろなコーナーを発生させるという作り方で、アルコーヴと呼ばれているような空間です。最初の打瀬小を作る際にいろいろ先行事例を見に行ったのですが、なかでも象設計集団が作った東武動物公園にある〈宮代町立笠原小学校〉に、大人だとちぢこまらないと入れないくらいの小さな小屋みたいなものがあちらこちらにくっついていて、それがいきいき使われていた。それで僕らも打瀬小学校で教室の脇にお茶室みたいな寸法の空間を作ってみたら、子供たちが大好きな空間になりました。打瀬小を作ってから少し経ったとき、発達心理学会がシンポジウムをやるので打瀬小を貸してほしいと校長先生のところに依頼が来た。それで打瀬小で発達心理学会のシンポジウムが行われ、僕もパネリストとして参加したのですが、そこでリーダーでどんなに元気な子でも個人的な波があって、ちょっと沈んでいるときがあるという話がありました。普通の学校だとそういうときは保健室以外の選択肢がない。我慢するか保健室へ行くかです。だけど1度保健室まで行くと戻りにくい。ところが僕らがそんなことを意識にせず作ったアルコーヴの小さな空間に、授業中そういう子がこもっている。でもこもっているところからクラスが見える。自分が見られていない小さな空間から自分が所属している集団が見えるのはすごくいいんだそうです。それでまたやる気が出てきたら戻ることができる。割と短い周期でそういうことがあるそうで、「だからこの空間がすごく効いているんだ」と言われました。「そんなものか」と、作ってから教えられました(笑)。
──宇土小学校のL壁にもそういう意味があるんですか。
小嶋──L字によって小さなコーナーのようになったり、そのコーナーの周りにいろいろな場所を発生させています。
赤松──子供はちょっと狭いところが好きだったり、隙間に入っていったりしますよね。そういう場所がなんとなくあって、L字のちょっとコーナーになっているところで床に座って本を読んでいるのを見つけて、「あら、こんなところにいたのか」ということはあります。
小嶋──子供がその都度場所を選べるようになっている。でも子供個人にとって場所を選ぶだけでなく、授業形態自体も、今はクラスに補助教員がつくので理解の早い子と教え込まなくてはいけない子とを分けてやることもあります。そういうときに教室の数とクラスの数が1対1だと分かれたときにやるところがなくなる。全国的には少子化なので空き教室を使っているんです。美浜打瀬小や宇土小も、僕らが作った学校は教室と教室のあいだが必ず離れていて、壁1枚で教室同士がくっついているということはありません。その離れているところに小さな空間ができるので、そこにテーブルがひとつ置くと6、7人が集まって何かやっているという展開になります。つまり学習環境としても使えるし、それが子供の心理的な面にもフィットしていて、いろいろな特性を持った場所を作ることができる。美浜打瀬小だと場所ごとにアート&サイエンスコーナーとかティーチャーズ・コーナーと名前をつけたのですが、宇土小ではもう個別の名前をつけなくて、自然発生的にどんどん流動的に場所が生じてくるような、よりプリミティヴな作り方にしています。僕らの中で、それまでの学校から宇土小でひとつジャンプできた例かなと思っています。
- 宇土小学校、L壁のスケッチ
──先ほど赤松さんが、4年1組ではなくて、4年生だという感覚になると言われましたが、それはある意味でクラス分けの解体ですね。社会学者の内藤朝雄さんがいじめの防止、いじめの対策としてクラスの解体があり、最終的には学年も解体させるべきと言われていますが、そういうことは学校建築の経験として感じられますか。
赤松──まず4年1組という母集団があってその次ではあると思うのですが、それが今までは強い輪郭で4年1組、4年2組があって、それら全体で4年生だったわけです。しかしその輪郭がぼやけて、場合によっては溶け出している、そういうことだと思います。
小嶋──「解体」と過激に考えているわけではなくて、建築の問題で言うと空間には容器型の空間と場的な空間があって、閉じた教室、片廊下は容器型なのに対して、僕らは場的に作っている。だから何年何組という場はあるけれど、輪郭がはっきりしないという作り方です。僕らの作る学校は、それが学校中につながって、基本的に一部の部屋をのぞくと学校中がワンルームのようになっている。2階建てになっても幅の広い階段でつないで、今は1階にいるとか、あるいは2階にいるということを思わないで動き回れるようにしている。体育館も校舎に組み込んで、体育館のキャットウォークが動線になったりしている。だからわざわざ体育館に行くという感じにならない。それは職員室でも同じです。L壁が場を発生させ、いろいろな濃淡のある場ができ、時間によって人口密度が増減して、それが天気図のようにうつろっていく、というイメージで作っています。結果としてクラスなどを解体していると思う人もいるかもしれないけれど、僕らは「解体」とは思っていない。そんなことを設計打ち合わせで言ったら喧嘩になってしまう(笑)。
赤松──でも輪郭は溶け出していく方向で考えています。なんとなく融合して、じわーっと広がって、いろいろな重ね合わせができてくる。
小嶋──結果としては、内藤さんが僕らの作った学校を見て「こういうことだ」と言うかもしれないけれど、僕らは「解体」までは思っていない。ただ互いに溶け合っていくような感じと言ったほうがいいと思います。
──それは学校建築としては希有な例ですか。ほかにたくさんあるということではないですよね。
小嶋──オープンスクールも、今はそんなに珍しい存在ではないので、こういうことは僕ら以外はやっていないということはないです。ただ従来型の、廊下の幅を広げてそこの仕切りを取っ払ったり、可動パーティションにしたり、というオープンスクールと僕らが作っているものとはだいぶ離れたところにあると思います。僕らが設計したのではない学校でも、あるとき見たらすごくいいと思ったけれど、次に行ったら先生たちが変わったりして全然違って見えたりすることもある。だから長い時間で見ないとだめだと思っています。
1995年に最初に作った打瀬小から数えると、18年くらい経っていますが、ポリシーはそんなに変わっていないです。同じことを実現するのにできるだけ建築的には少ない手数でやれたほうがいいと思う。それと変わったとしたら、宇土小では窓をほとんど折戸にしていることです。夏になって窓を全開にすると、ガラス面がほとんどなくなってコンクリートの躯体だけがあるみたいな感じになる。こういうのはこの学校が初めてで、メーカーに協力してもらってやりました。それから渡り廊下は冬は閉めているんですけれど、夏になると外廊下のようになる。教室も開けていくとサッシュが残らないで完全に開いてしまう。一応バリアフリーで外のウッドデッキとレヴェル差が少なくて、内も外もないわけです。
──より自由に、開放感のある学校ということとセキュリティの問題はどのように折り合いがつくのでしょうか。池田小の事件後、一方では過剰な警備があり、警備員がいて外の人間は入ることはできない。僕らが小学生の頃は学校には特に門などなかったから自由に出入りできました。
小嶋──今でも地方に行くとそういう学校はあります。例えば宇土小学校の場合だと、地域の幹線道路に面した表門は閉めるけれど、反対側の住宅地に面した裏門は開いています。そもそも僕らが乗り込む前は門がなかった。だから割と臨機応変というか、ケースバイケースで、幕張の2つの公立学校はではフェンスや門を作らないことを主張としてやりましたけれど、その後はできたらオープンなほうがいいけれど、地域が閉めたいと言うならそんなに無理はしない。箕面で作った止々呂美小学校・中学校は池田小に近いところだったので、箕面市は2メートルのフェンスで囲うと決めた。実際の敷地は山の中を切り開いた住宅地の端にあるのどかなところなので、ここまでやるかなとは思いましたが。
赤松──地域によるのかもしれないですけれど、それこそ城壁で囲うように、塀で囲ってしまうことも起こっています。道を歩いている人に、学校で子供たちが活動しているところを見られること自体が危ないという発想になってきていますが、それは明らかにおかしい。フェンスはあるにしても、子供たちの活動が街に対してもにじみ出していき、道を歩いている人たちから子供たちが元気に遊んでいるところが見えるほうがやはり地域と学校の関係を作っていくうえでは絶対重要だと思うんです。いくら2メートルの塀にしても本当に意志があって飛び越えようとしたら中に入ってしまえるわけです。住宅でも塀で囲っても泥棒が1度入ってしまったら周りから見えないからかえって危ない、という話もあります。そういう意味でセキュリティについて、門や塀で閉鎖していくという方向が安全だというのはとんでもない間違いだと思います。
- 宮城県迫桜高校
小嶋──箕面のケースでもネットフェンスで囲って、シースルーで見えるようには作っています。
赤松──フェンスを塀にしなさいと言われたらせめてフェンスまでと闘ったと思います。箕面の場合はフェンスだったので、見えるのであればそれ以上はということでした。
小嶋──池田小の場合は、入られてしまって子供が追い詰められたわけです。僕らの作った学校で子供を追い詰めようとすると、どちらにでも行けるので追いかける方は相当たいへんです。
赤松──宇土小学校は建て替えでしたので、先生や校長先生、保護者、近隣住民からなる改築検討委員会の人たちと相当密に打ち合わせをしたのですけれど、最初はセキュリティに関しては相当心配されていました。「こんなのはどこからでも入られてしまうではないか」「どこからでも上がってこれる、いったい子供たちの安全をどう考えているんだ」と言われたのですが、いったいどんなものを作っているんだと思っていたと思うんです。それで、今のような話をして、「こちらから人が来ればあちらに逃げられる。テラスもあればいろいろなものもあるので、ばーっと逃げられるし、何か向こうでへんなことが起こっていればこちらからも見えます」と説明しました。「お互いに見えるし、逃げられるほうがよっぽど安全だと思いませんか」と話したら「ああ、そういうことか」とご理解いただいた。今までと違うことをやろうとすると皆さんが心配するのは確かで、それでも「こういう作り方のほうが安全です」というと「そう言われてみるとそうだな」と理解していただけます。
小嶋──それも敷地を容器的に作るか、場的に作るかということだとも思うのです。対話可能な範囲ではできるだけ閉じないように作ったほうがいい。でも壁も何もない空間が仮に可能だとして、原っぱみたいなものが学校になるかというとそれは無理で、やはり手がかりがないとだめです。その手がかりをどう置いていくのかということで、宇土小学校の場合だとファーストステップでこんなのを考えたわけで
赤松──L壁が手がかりとしてありました。流動的にといっている中に、外も同じように入ってくるんです。普通の学校だったら教室やワークスペースとなるところが、われわれの場合はそれが中庭まで含めてとか、テラスまで含めて場として流動的に使う。だから上履きで出て行けるようにウッドデッキになっていて、必ず外と1対1、等価に扱っています。
小嶋──実際小学校低学年の生活科の授業は外で「これから何をやります」と言ってみんなが座って聞いて、その後アウトドアにちらばっていくというように、必ずしも授業がインテリアで行われなくてもいい。だから外にいきなり黒板があったりします。吉備高原小でも外に黒板壁がある。
──小嶋さんはルイス・カーンの「1本の大きな木があり、そこに教える人がいて、教えを受ける人がいれば、それが学校である」という言葉を引かれていました。
小嶋──カーンの言う木にあたるのがL壁です。カーンの話は子供が20人くらい、大人がひとりくらいだったらいいけれど、子供が800人だとさすがにそうはいかないのでもう少し手がかりが必要で、しかも高密度になるのでお互いがじゃまにならないくらいに隔てる必要もある。でも完全に隔ててもいけない、とやっていき、実際の宇土小学校になりました。理念としてカーンが言っていることを実際に800人の子供がいるところでやったらこういうことになるのではないでしょうか、ということです。
──最後に現在取り組んでいらっしゃる新しい学校プロジェクトをご紹介ください。
赤松──現在進行しているのは、まず立川市立第一小学校があります。年明けからが始まったばかりです。立川第一小学校は日本で2番目に古い公立の小学校で、143周年ということで建て替えですね。これは、L壁とはまったく違います。住宅地のなかでかなりコンパクトな敷地なので3層積みになっていて、かつ公民館、図書館分館、学童保育の複合施設です。
小嶋──もうひとつは流山でやっているのですが、それは小中併設で、かつアクティビティホールなどの公民館的なものや、学童保育の施設、子供用の図書館分館などを含めて延床面積が2万2千平米という大きなものです。
赤松──最初1万9千平米だったのですが、子供の増加率をカウントし直したところクラス数がぐっと増えて、それで2万2千平米になっています。
小嶋──学校が学校だけではなく、いろいろな複合施設へと変わってきているんです。それはいいことだと思っていますが、大人が子供の空間にダイレクトに混ざってる。それだけにセキュリティはどこで切るのかなど、丁寧にやらないとだめですね。
赤松──立川のケースでも小学校の保護者への説明と、公民館を使っている側、学習館の使用者への説明とそれぞれ違う説明会や合同説明会を行なうのですが、それぞれの側から「何で一緒にするの」とおっしゃる方がある一定数以上います。学校なのに地域の公民館と一緒にしてへんな人が入ってきたらどうするんだという声や、公民館を利用する側からはすごく規制されてしまうのではないかという声があります。最初はどうしてもそうなるんですけれど、セキュリティの考え方は「ここでこうすれば安全なセキュリティの区画がとれますよ」と丁寧にやっていけば、一緒にいることのメリットもわかってくださる。東日本大震災以降、学校がどんどん孤立化していくよりは学校が地域の施設としてどのようにあるべきかということに対して、意識が変わってきていると思います。
小嶋──震災でそういうことをもう1回問われるようになっているのは確かだと思います。今の学校は防災備蓄倉庫がセットでついてきますから、災害が起きてから初めて学校に行くのではないほうが当然いい。それから高齢化社会の問題ともずいぶん関係してくる。日本の場合地域社会で学校以外にそういう機能を持つ場所で、若い両親しかいない子供たちが高齢者に接する機会は何もないわけです。だから震災後、やっとそういうことをやっておかないとまずいね、となってあらためて考え直されている。だから学校でおじいちゃん、おばあちゃんが子供たちと互いに見る、見られるという関係になったら、当然いじめとか体罰もやりにくいですよね。
- 小嶋氏、赤松氏
[2013年2月8日、CAtにて]