東京藝術大学 中山英之研究室

中山英之(建築家)

東京藝術大学美術研究科建築専攻第2研究室は、前任の元倉眞琴先生から引き継いだ修士2名を無事送り出し、2015年度から中山研としての修士1期生を迎える、これからはじまる研究室です。東京芸大には学部生のゼミ所属がないため、修士1年の3名に中山と助手(岩瀬諒子)を加えた計5名で、小さな一歩を踏み出します。

中山英之研究室 URL=http://nakayamalabo.tumblr.com/

研究室単位での活動の計画もいくつかありますが、大学院の最終到達点はなんといっても修士設計です。中山研究室でも、個々の学生が2年間掛けて研究するテーマをそれぞれ定め、毎週のゼミで発表を積み重ねながらひとつの仮想プロジェクトにまとめあげていくというオーソドックスなスタイルを採る予定です。テーマの決定は概ね自由。ここでは、たったいま「概ね」と書いた、そのことについて、いくつかの本を梯子しながら、触れてみたいと思います。

qp+柴崎友香+中山英之『窓の観察』(『建築と日常』別冊、2012)

qp+柴崎友香+中山英之
『窓の観察』
(『建築と日常』別冊、
2012)

唐突ですが最近、建築にはひとつ大きな弱点があるなと感じていることがあります。ここに挙げた本には、ある山荘の設計案をつくっていく過程でこの「建築の弱点」について考えたことが、絵本のようなかたちで書かれています。仮に「赤道」を、地球という球体を二つの領域に分ける輪であると考えたなら、大きさこそ違えど家(ここでは山荘)という小さな領域だって、数学的にはこれと同じ仲間です。赤道ほどの大きなリングなら、二つの領域はどちらも有限な存在としてイメージすることができますよね。ところが家という領域は、エベレストや南極大陸や何億台もの自動車や、つまりそれ以外のすべてを含む領域に比べてあまりに小さいために、輪の向こう側を「無限」に錯覚した場所として、意識の彼岸に追いやる働きを持ってしまう。これが僕の感じた「建築の弱点」です。たとえばゴミの日に集積所にゴミを出すことを、僕たちは「捨てる」と表現しますよね。けれども、数学的に考えればそれは、たんにある領域から別の領域に、移動したに過ぎません。実際にはそれらは、どこかの海岸線のかたちを日々つくり変えてしまうほどなのですから、家を設計する仕事とは、意識の彼岸をつくることであると言い換えることも、できてしまうのかもしれません。逆に小さな建築をつくることが、どこかで海岸線の形をつくる働きにつながっているのだとしたら。そんなダイナミズムのほうにこそ、僕はちゃんとした言葉を持ちたいと、なんだかファイトも湧いてきます。

バックミンスター・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』
(芹沢高志訳、ちくま学芸文庫、2000/原著1963)

B・フラー『宇宙船地球号
操縦マニュアル』
(ちくま学芸文庫、2000)

そうは言っても、小さな山荘の設計に「赤道」まで持ちだして、やっぱりおかしいですよね。でも、地球を1隻の船に見立てて、そこに建つ建築を、まるで船室(コンパートメント)かなにかのように考えていた建築家なら、1人知っています。僕たちはよく、「敷地条件」という言葉を使います。この言葉の次に続くのは、「周辺との関係」でしょうか。この建築家(と呼んでしまうのはふさわしくないかもしれませんが)=バックミンスター・フラーにとって敷地とは、具体的なアドレスである以前に、まず「地球」でした。周辺環境は、たとえば「太陽」です。仮に「エコ住宅」と言ってみたときに僕たちがイメージするのは、コスト(家計簿)のことや、精一杯想像しても、その先にある資源についてでしょうか。フラーに言わせれば化石燃料とは、「10億年かけて貯めた太陽エネルギー」のこととなります。コスト(富)に至っては、そうして手に入れた貯蓄と、それを消費する速度の関係性がはじき出す、「未来の日数」のこと。つまり「時間」(!)であるということになるのだから、僕たちにとっての「建築」が、どれほどの領域を意識の彼岸に置いてけぼりにしてきたのかを、いまさらながら思い知らされます。そうは言っても、建築家である以前にひとりの船員として、「地球の有限性」を大上段から述べられるほどのクルーであると、僕など到底自負できそうにありません。だからせめて、船全体の調子について、日々思いを馳せることのできるような、そんなコンパートメントを設えてみたいと僕は思います。

マーク・フラウエンフェルダー『Made by Hand──ポンコツDIYで自分を取り戻す』
(金井哲夫訳、オライリー・ジャパン、2011/原著2010)

M・フラウエンフェルダー
『Made by Hand』
(オライリー・ジャパン、
2011)

『宇宙船地球号操縦マニュアル』の訳者あとがきに、19才でフラーの講義を聞いた、あるひとりの学生のエピソードが紹介されています。フラーはその日、大学の建築科で夜の7時にレクチャーを開始。圧倒的な量のスライドを、猛烈に聞き取りにくい英語をまくしたてながら繰り出したかと思えば、突然スクリーンを脇に追いやって、分厚いメガネを掛けた顔に映像が投影されたまま板書をはじめるといったありさまで、徐々に生徒が教室から脱落していく。そんなことはお構いなしに、残った学生たちを集めて、「さあ、本題に入ろう」と話し始めたのが、『宇宙船地球号操縦マニュアル』の構想なのだから、こんなに贅沢なことはありません。講義は結局、14時間にも及んだといいます。いつしか教室には朝日が差し込み、研究にすべてを注ぎ込むあまり、「貯金も保険も全くな」かったフラーのために、学生たちが朝食をご馳走するあいだも、彼はしゃべり続けていたのだそうです。フラーは言いました。「生計を立てることを心配することはない。この地球の存在理由を理解して、その役割をちゃんと果たしてさえいれば、宇宙が面倒を見てくれる」(筆者意訳)。

涙なしには読めないこのエピソードの語り部となった学生の名は、ジェームス・テナント・ボールドウィン。建築家ニコラス・グリムショウらによる「エデン・プロジェクト」に使われている通称"ETFE 枕"は、彼が開発し、意図的に特許をとらなかった技術がもとになっているというのだから、フラー仕込みのそのスピリットは筋金入りです。そんな彼が主要な編集メンバーのひとりとして発行に関わっていた出版物のタイトルを聞いて、こちらはどのくらいの人が声を上げるでしょうか。その名前は『ホール・アース・カタログ』。あなたがもし、文明社会から距離を置いたコミュニティをつくりたいと思い立ったとき、きっと必要になるであろう道具や知識が網羅されたこのカタログは、1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、先駆的な若者たちのバイブルとなりました。その1人、スティーブ・ジョブズがスピーチに引用したことであまりにも有名になった言葉「ハングリーであれ、愚か者であれ」は、このカタログの最終号のコピーです。そして創刊号の表紙はもちろん、宇宙船「地球」号の写真でした。

などと、ちょっと知ったようなことを書いてしまいましたが、本当のところを言うと、自分が生まれるよりも前に刊行されたこのカタログについて、当時の気分を聞きかじりで語ることには、少し躊躇があります。どことなくロックがビートルズからいつまでもアップデイトされないみたいで、面白くないですよね。だからここには、同じ精神を現代に引き継ぐ1冊として、『Made by Hand──ポンコツDIYで自分を取り戻す』を挙げました。たとえばこの本で触れられている話題。全米の家庭で、週末を前庭の芝刈りに捧げることに充てられるコスト(=世間体のために注がれるエネルギー)を、なにかもっと素敵なことに振り分けてみようと考えたあなたのための、上手な芝の殺し方について。たとえばそんなテーマの先にあるのは、ひとつのとても単純な感覚です。つまりそれは、週末(人生)を、自分の手に取り戻すこと。そして、その小さな誰かの週末が、もっと大きななにかを動かすかもしれないという予感です。

加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014)

加藤典洋
『人類が永遠に続くのでは
ないとしたら』
(新潮社、2014)

2014年に出版されたこの本のなかで『ホール・アース・カタログ』は、先に挙げたジェームス・テナント・ボールドウィンらを率いて同カタログを編んだ中心人物、スチュアート・ブランドによる近著『ホール・アース・ディシプリン』(2009/邦訳:『地球の論点』英治出版、2011)と並置されるかたちで、この半世紀のあいだに起こった一大事を考えるうえでのナビゲーター役を担っています。その一大事とは「インターネット革命」。加藤は、『ホール・アース・ディシプリン』のなかで「地球温暖化には新しい核融合炉が、食糧危機や人口問題には遺伝子組み換え技術が、それぞれ切り札となるだろう」(著者引用部を筆者意訳)と予想するに至ったブランドに、スティーブ・ジョブズ(アップル)やエリック・シュミット(グーグル)、それに続くマーク・ザッカーバーグ(フェイスブック)といった、現代を生きる私たちにとってお馴染みと言ってよいメンバーたちを育んだ土壌や、彼らが辿った成長とその先を重ねます。そこにあるのは、人間の無限の創造性への信頼と、それを叶える、あるいはその先にある営利性の肯定です。『ホール・アース・カタログ』の申し子と言ってよい彼らの、その後の圧倒的な経済的成功は、ノーマン・フォスターやBIG+トーマス・ヘザウィック、フランク・ゲーリーらによる各社のオフィスプロジェクトを例に挙げるまでもありません。あるいはグーグルのカリフォルニア社屋のプロジェクトに、エデン・プロジェクトや、その先にあるフラーの影を見ない人はいないでしょう。

けれどはたして、それは本当に「宇宙船地球号」のいちコンパートメントとしての視座を、僕たちにもたらすものとなるのでしょうか。正直に言うと、僕にはまだよくわかりません。ただひとつわかるのは、そうした到達の根底に間違いなく存在するのは、19歳でフラーに朝食を差し出し、後にその薫陶の成果を惜しげもなく公開した、ジェームス・テナント・ボールドウィンであるということです。『人類が永遠に続くのではないとしたら』のなかで著者は、「インターネット革命」の伏流をなす、リーナス・トーバルズ(リナックス)やジュリアン・アサンジュ(ウィキリークス)といった、いわば無償性のその先にある、人間の多様さや偶然性にかけるもうひとつの指向に「地球の有限性」を引き受ける思想の徴を見出します。リナックスに巨大オフィスプロジェクトはありません。そのかわりにあるのは、無数の、そして無名の小さな小さな部屋たちです。その部屋たちを空間上にマッピングしたとき、そこに浮かぶもうひとつの「ホール・アース」にこそ、建築の未来があるような気がしてなりません。

さて、おしまいにもういちど修士設計のテーマ設定について。はじめに「概ね自由」と書いた、その「概ね」の部分ですが、ひとことで言うなら、選ぶ敷地アドレスのあたまに、ぜひ「地球」と書き足してみてほしいということです。それがどこかのシャッター街再生計画であろうと(最近とても多いテーマ)、ヒマラヤ高地の巡礼施設であろうと(去年とても感動した修士プロジェクト)、どちらも同じ球体の表面で、同時に起こっている出来事です。どんなに小さなプロジェクトであっても、むしろ小さなプロジェクトであるからこそ、その視野のなかに、どんなふうにこの球体を捉えることができるのかを、僕は研究室のメンバーたちと考えていきたいと思っています。


なかやま・ひでゆき
1972年生まれ。建築家、東京藝術大学准教授。中山英之建築設計事務所主宰。作品=《2004》ほか。著書=『中山英之/スケッチング』ほか。http://www.hideyukinakayama.com/


201505

特集 研究室の現在
──なにを学び、なにを読んでいるか


経験としての建築研究室──学んだこと学ばなかったこと、そして考えたいこと
東京大学 村松伸研究室
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