インテリアと建築の新しい出会い
『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク
『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク
東京ストリートカルチャーのインテリア
安藤──ひとつの店舗に膨大なイメージを投入することで、新しさが生まれている好例ですね。さて、これまでお話しした2つのブランドはいずれも海外のブランドですが、東京のストリートから生まれたお店にも面白い試みをしているところがたくさんあります。まずひとつめが《FAKE TOKYO》(2010)です。元は新宿二丁目にあったお店で、2010年に現在の渋谷の店へ移転しました。アーティストがつくったインテリアが特徴的で、アルミ箔を貼った壁や血が垂れたようなペイント、単管を組んでつくられたラックなど、自分たちが面白いと思うデザインを組み合わせてお店がつくられています。小さなお店ですが、海外への影響力も大きく、有名人が買い物に訪れるなど、ストリートが直接世界へとつながっていく様はデジタル時代ならではと言えるかもしれません。
もうひとつは高円寺にある《キタコレビル》(2008)です。廃墟寸前の建物を若者たちが格安の賃料で借り、自由に改装しながら店をつくりあげている場所です。マンガの誌面をコラージュした壁など、セルフビルドでつくられたインテリアにエネルギーを感じます。
彼らのインテリアデザインに共通するのは、「編集」ではないかと考えています。海外ブランドに対するあこがれではなく、ただ自分たちが面白いと思う組み合わせを考えながら、新しい空間をつくりだしている。また、ある特定の時代を背負ったデザインでない点も面白い。こうした自発的な編集型のインテリアが東京の新しい姿をつくりだしているように感じています。
浅子──ポストモダン・デザインも編集型の一種だと思いますが、現在ポストモダンが流行した70−80年代のファッションがリバイバルしていますよね。Opening Cremonyは、80年代ファッションをいち早く取り入れたブランドとして2000年代に登場し、その後ウンベルトとキャロルの2人はKENZOという実際に80年代に流行したブランドのクリエイティブ・ディレクターを務めるようになった。インテリアもこの流れと連動している。
インテリアとブランドが抱える問題
浅子──次は中山英之さんにお話しいただきます。じつは中山さんと最初にインテリアについて話したきっかけは、これから話していただく《CÉLINE OMOTESANDO》(2014)でした。会うなり、「セリーヌ見た?」「見た見たあれは超ヤバい!!」と2人で盛り上がったのを覚えています。細かい部分も丁寧に読み込んでいて、建築家のなかでは珍しくインテリアデザインに愛がある方だと感じました。ただ、さすがに見ていない人に「超ヤバい」だけでは伝わらないので(笑)、今日はあのヤバさをどうやって言語化するのかを期待しています。- fig.3──
『日本インテリアデザイン史』
(オーム社、2013)
2013年に刊行された『日本インテリアデザイン史』(内田繁監修、鈴木紀慶+今村創平著、オーム社、2013)[fig.3]のなかでは、そもそも日本では木造の軸組み(=建築)と建具(=インテリア)とが分かちがたく存在していたため、「インテリア」だけを抜き取って語る視点そのものが比較的新しい概念であると指摘されています。日本人は近代以降、例えば集合住宅のようなドアの向こう側に、それぞれ別個の区切られた空間が並ぶような様式に、初めて出会うことになったというわけです。外部とは切り離された、この「インテリア」なる概念に向き合うとき、まずあったのが「◯◯風」、つまりどこかにあった既存のスタイルを参照することでした。いわゆるインターナショナル・スタイルすら、日本にとっては「風」の規範に入ってしまうかもしれません。そこに風穴が開いたのは70–80年代で、樹脂や科学製品、照明機器などの新しい製造加工技術と職人的な技巧が結びついた、特定の場所性に属さない新しい様式のようなものが発明された。倉俣史朗に代表されるように、署名付きのインテリアデザイナーもこのとき誕生しました。
にしても、安藤さんが指摘されたように、現在でも東京の主流はまだまだ「◯◯風」のインテリアなのですね。例えばファッションブティックはいつの時代もインテリアデザインのエッジにありますが、ハイブランドの多くはヨーロッパに本店を持っているので、基本的に東京にあるそれらはパリやミラノなどにある本店のイメージの「再現」です。ただ、そうした状況に今、本質的な変化が起こりつつある。
ファッションブランドの名前になっている人物、つまりブランドイメージの中心になっている人物は、すでにこの世を去りました。さらにブランドのグローバル化やグループ統合も進み、「創業の地」に結びつくようなブランドイメージそのものが虚構化してきていることに、世の中も気づき始めています。そうした状況の延命装置として用いられているのが、『TOKYOインテリアツアー』でも言及されている「クリエイティブ・ディレクター」という方法です。カール・ラガーフェルドやエディ・スリマンといったカリスマが、ブランドの世界観を刷新しながら、あるサイクルでブランドを渡り歩いていくシステムで、この手法がここ20年ほどで完成されつつあります。
そんな状況にあって、ではインテリアデザインとは、どこに向けて為されていくものなのでしょうか。その極北を垣間見せてくれるような気がしたのが、《CÉLINE TEMPORARY STORE》(2008)だったのではないかと、今になってみると思うのです。ぼくは2人のようにインテリアデザインを普段から見て回っているわけでもなければファッションアディクトでもないのですが、このブティックの前を通りかかったとき、思わず乗っていた自転車に急ブレーキをかけて見入ってしまいました。それは、現在の《CÉLINE OMOTESANDO》と同じ場所に期間限定であったお店で、当時CÉLINEのクリエイティブ・ディレクターに就任したばかりの、フィービー・フィロによるものでした。彼女はそれ以前にも、Chloéのヘッド・デザイナーを務めてブランドを急成長させた人物です。当時の大ヒット作である「パディントン・バッグ」をご存じの方も多いかもしれません。その彼女がCÉLINEで手がけた代表的なバッグ「カバ」は、紙袋のようなそっけない型を、やわらかでとても上質な牛革でつくっています。もうひとつの代表的なバッグ「ラゲージ」でも、数年使い込んでマチが広がり、元の形が変形してしまったような状態が最初からデザインされています。フィービーがCÉLINEで試みていたのは、ラグジュアリーとリアルライフの最大振幅を往復するような意識と言えるかもしれません。
CÉLINE TEMPORARY STORE──ブランドイメージの虚構を暴く
- 中山英之氏
このインテリアは、その名の通りテンポラリー(仮設)であることが前提だったので、現在あるのは2014年に、同じフィービーのディレクションで再度リニューアルしたお店です。この新しい《CÉLINE OMOTESANDO》のファサードには、巨大なオニキスが使われています。機能としてはバーティカル・ブラインドということになるのかもしれません。ただ、ブラインドと呼ぶには巨大すぎて近くからでは視界に収まらず、通りの向こう側から見たときにやっと何かわかるぐらいです[fig.4]。内部空間も、高価な無垢の自然素材を多用しているにもかかわらず、それらは厚みがわからないようにモルタルに埋め込まれていたり、なんだかCGソフトを初めて使った素人が既成の素材集から選んだテクスチャーを適当にマッピングしたような、素材感とスケールが合っていないような不思議な感じがします。ここでも虚構と現実、スーパーラグジュアリーとスーパーバナールが、最大振幅で同時に存在するような態度が踏襲されています。
フィービーの就任がCÉLINEにもたらした業績を反映するように、売り場面積は「テンポラリーストア」時代よりも大きく広がっています。CÉLINEが入っている《ONE表参道》(2003、隈研吾建築都市設計事務所)は、多くのハイブランドを束ねるLVMHグループの日本におけるヘッドオフィスが入っていて、通りには他にも、同グループのブランドショップが並んでいます。ですからこのビルにおけるそれぞれの専有面積が、そのまま日本におけるブランドの人気勢力図を反映しているとも言えます。
- fig.4──《CÉLINE OMOTESANDO》撮影=中山英之
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