インテリアと建築の新しい出会い
『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク
『TOKYOインテリアツアー』刊行記念トーク
ポストモダン・インテリアの可能性
中山──安藤さんの今日のお話は、ポストモダンと編集型のデザインについてでした。「引用」とその「編集」がデザインの方法としてさまざまに試された時代がポストモダンであると考えた時、インターネットの普及によって時間や場所を超えた図像の並列化が爆発的に起こっている現代に、スタイルとしてのポストモダンの再来を感じることは、必然と言えるのかもしれませんね。参照元の圧倒的な多様化は、フェイクとリアルの対立、みたいな構図すら相対化してしまって、両者の振れ幅を最大振幅で表現することがデザインに見えてしまう、というところに現代都市の新しい特徴があるように感じました。今回注目したCÉLINEのテンポラリーストアに至っては、編集の対象に自らのヒストリー、しかも近過去のストアまでをも動員してしまうほどです。事ここに至って、これからのインテリアや建築はどこに向かっていくのでしょうか?- 浅子佳英氏
中山さんからCÉLINEのラゲージというバッグについての話がありました。今日のハイブランドにとってバッグは非常に重要です。なぜならハイブランドは衣服ではなく、バッグやシューズが売上の大半を占めているからです。
ハイブランドのバッグの代表例としては、なんといってもHermèsのバーキンがありますよね。その名前は女優のジェーン・バーキンからきているのですが、彼女はもともとなんでも放り込める籠バッグを愛用していることで知られていました。ところが飛行機で籠バッグの中身をぶちまけてしまい、それをたまたま見ていたエルメスの社長がポケット付きのバッグを薦め、その結果つくられたのがバーキンバッグだと言われています。
予約しても2年待ちだとか、大変高級なイメージがありますが、慈善活動などで世界中を飛び回る当のジェーン・バーキン本人が使っているバーキンバッグはお守りや数珠がついていたり、ステッカーが貼られていたりと道具そのもので、やはりいろんなものを放り込んでいるのでマチが広がったままになっています。その姿は彼女の人生を表わしてもいるようで本当にかっこいい。この使い古されたバーキンを見て、フィービーは最初からマチが開いたラゲージをデザインしたんじゃないか。ぼくの勝手な推測ですが。
とはいえ、たしかに中山さんが心配するように、このようなハイブランドのなかでのイメージの引用自体が閉じていると言えば閉じている。一方でフィービーは3人の子どもを持つ母親としても知られています。アクセサリーとしてのバッグではなく、働く女性のための、道具としてのバッグをデザインしているという意味では、本質的な社会の変化についての答えになっているとも言える。だからぼくは彼女らのデザインが無駄だとは思わない。
安藤さんが話していた編集型のデザインについて、ぼくが知るなかで最も心が動かされたのは、ニコラ・ジェスキエールがクリエイティブ・ディレクターを務めていた当時のBALENCIAGAです。ジェスキエールは軍服や制服などの過去の衣服を調べ上げ、それらを利用しながら非常にエレガントな服をつくっていました。さらにショップづくりも秀逸で、そのデザインはインテリアデザイナーや建築家ではなく、ドミニク・ゴンザレス=フォステールという女性アーティストが行なっていました。彼女たちは本当に多様で新しいショップデザインを数多く生み出しました。CGのようなポリゴンの多面体を全面的に使用したのもBALENCIAGAです。また、LEDにしろ色づかいにしろ、さらには、最近流行しつつある岩をまるごと置いたようなオブジェや、さまざまな年代のミックスも直近のオリジナルはBALENCIAGAであるということは強調しておきたいところです。なぜ、そのような多様なデザインを生み出すことができたのかというと、当時のBALENCIAGAのショップはすべてデザインが異なっており、ひとつひとつをショップというよりも、その場所でしか体験できない作品としてつくっていたからだと思います。それは今思うとネットが普及する時代(ジェスキエールのファーストコレクションは1998 Spring/ Summer)にちょうど対応している。こちらも編集型と言ってしまえばそれまでですが、やはり社会の変化について見事に応えている。
DIYの可能性
浅子──さて、これからのインテリアと建築がどこに向かっていくのかという話ですが、《東急プラザ表参道原宿》は、地下から2階までの三層と屋上についてはとても実験的な試みがされていたものの、そのあいだの中間階についてはほとんど手つかずのままでした。また、その三層の論理も別の場所では、百貨店をまるで癌のように蝕んでいる。さらに、近年百貨店に代わり売り上げを伸ばし続けてきたショッピングモールも「三層ガレリア式」といって、中央に大きな吹抜けを設け、エスカレーターでそれぞれの階をつなげた構成で、三層(最近は四層)を基本にしています。どちらも三層以上の階をどうつくるのかという問題には答えられていないという点で共通している。ただ、今後起きようとしているのは、さらなる一部の都市への集中化とそれに伴う高層化であり、それには三層以上の階をどうするのかという問題は避けて通れないでしょう。
もうひとつ補助線を入れます。先日、日埜直彦さん、吉本憲生さん、市川紘司さんとともにアップルストアについて話をしたのですが(web版『建築討論』「建築・プロダクト・インテリアを巡る言葉──アップルストア表参道から考える」)、ガレージでパーソナルコンピュータを自らの手でつくって販売までしたかつてのアップルはまさに西海岸的なDIY精神に溢れた企業だった。それが成功を納め、洗練に洗練を重ねていくうちに、美しいけれどユーザーに一切のカスタマイズを許さない、とても息苦しい世界をつくってしまう。iPhoneはもちろんのこと最近のアップルのラップトップは一切カスタマイズができません。
近年、まちづくりやコミュニティの建築が流行していますが、一方で都市部の再開発も勢いを増しています。ただ、こちらに建築家はまったくコミットできていません。また、新築をつくる仕事は失われつつある状況だということもあって、リノベーションやDIYも流行しています。ただ、このふたつに重要な点は、既存のもので満足するということでも洗練させていくということでも全然なくて、もう一度都市やシステムまでをもハッキングして自分たちの手でつくろうという野蛮な精神にあるのではないでしょうか。
インテリアと建築の幸福な出会い
浅子──最後に、基準階を考えるうえで、ヒントになるような試みを3つあげたいと思います。ひとつめは表参道にある《GYRE》(2007、MVRDV+竹中工務店)のオリジナル案です。渦巻き状にテラスがつながっていくというプランは実現したものにも見られますが、当初の案では中央に現在のようなエスカレーターはなく、外部テラスにエスカレーターを設け、基本的にすべて外からアクセスすることが計画されていました。下階だけでなく上階でも内部と外部が連続し街との一体感が保たれるという案です。
ひとつのブランドが自分たちで百貨店をつくってしまおうという試みもあります。DOVER STREET MARKETはComme des Garçonsの川久保玲が「美しきカオス」をテーマにつくったショップで、さまざまなデザイナーやアーティストがいろいろなものを持ち込んで、カオティックな空間をつくっています。オープン後もどんどん改装を続けていて、その意味でも今後のインテリアと建築を考える上で示唆に富んでいます。
もうひとつ優れた例として取り上げたいのが《Comme des Garçons青山店》(1999、2012リニューアルオープン)です。これは路面店でワンフロアのショップですが、プランが大変複雑でこのようなプランを他に見たことはありません。これを基準階に見立てると面白いと個人的には考えています。
中山──建築の世界では、同じ平面図を何層も積層したようなビルのことを「基準階型」って言うんですよね。建築はそういう均質な仕組みでつくっておいて、そこに違いを与えるのがインテリアデザイン、という退屈な住み分けをどうやって超えていくのか、というのがここで浅子さんが問題にしようとしていることです。
浅子──美術館や図書館などの公共空間の基準階のつくり方は、90年代には盛んに試みられた議論なんですよね。《せんだいメディアテーク》(2000、伊東豊雄建築設計事務所)はまさにそのような時代を背景に、この問いに鮮やかに答えたものでした。また、OMAの《ジュシュー大学の2つの図書館コンペ案》(1992)はスラヴを曲げ、立体的なストリートを建物のなかにつくっていくという試みで、未だこれを超える案をぼくは知りません。当時のOMAはとにかく強烈だった。あの時代に試みられていたことを今一度検討し直すのが、重要なのではないかと思っています。
安藤──東京は都市の面積を広げるべく、あるいはインテリアを増やすべく、上へ上へと建物が伸びています。そうして伸びた先に人が登っていくため、商業施設は基準となる階をもう一度考えなければいけない。そのときにインテリアと建築の邂逅も生まれるだろうというわけですね。
中山──インテリアと建築の関係を考えたときに、使い手の主体性をどう捉えるのかというのはすごく大事だと思います。自分の身の周りをいくら好きなもので固めても、そんな個室やフロアが並んでいるシステムを建築が反復しているかぎり人は空間にとらわれたままです。だから、そうしたシステムをデザインの力で乗り越えていくことは、インテリアデザイナーの真骨頂なのだと思います。DIYというのも、極言するなら自分の人生をシステムから自分自身の手に取り戻す行為なのだから、それはデザイナーだけの問題ですら、もはやないのかもしれません。与えられた枠のなかで編集材料を検索しながら組み立てられたデザインではなくて、そういう枠組みそのものを別の何かに読み替えていくようなインテリアに出会ったとき、ぼくはきっと、急ブレーキをかけて自転車を止めてしまうのだと思います。同じことを建築の側から考えたときにも、目の前の状況だけではない、もっと長い時間や空間の広がりのなかに、自分たちの今を感じることができるような、そういう風景のつくり方について、今日の話が届いていたらいいなと思います。基準階批判とDIYの交差する地点には、建築とインテリアのそんな関係があるのではないでしょうか。
安藤──特に渋谷は再開発が進み、放っておくと基準階型のビルが建ち並んでしまいそうな気配があります。渋谷はどうなってしまうんだろうと不安に駆られることもありますし、空間をハックできる、DIY型のインテリアが自発的につくられていく余地のある建築ができていくことを切に願っています。
[2016.7.21、紀伊國屋書店新宿本店にて]