「ブロックチェーン」とレボリューション
──分散が「革命」でありうる条件とはなんですか?

西川アサキ(情報哲学、倫理)

分散と革命


去年、2015年、国会議事堂前に安保関連法案に反対した群衆が集まり、2014年、香港民主化を求めた若者たちは黄色い傘を背に座っていた。
そこには不満と熱、なんらかの善意があった。しかし何に繋がるかわからなかったし、事実物のわかった大人たちは冷笑するしかなかった。一体それで何が変わる。選挙に行け。その通りだ。だが。一方、彼らを抑える機動隊員たちは何を思ったのか? 国の代理人として権力を行使するサディステックな満足か、それとも、こうするしかない、それが破局を避け社会を維持するましな方法だからという絶望なのか。

そして2016年6月。おそらく大部分の人が知らないうちにまたひとつの熱が消えた。The DAOという「特殊な組織の作り方」にごく一部の人が熱狂し、1億ドル以上とされる資金を投資したが、ほどなくクラッキングに遭い、事実上の管理者であるEthereumによって凍結された。DAOとはDistributed Autonomous Organization(分散自律組織)の略だ。中央銀行によって発行されず、匿名の一個人が勝手に始めた暗号通貨ビットコインは、時価総額1兆円を超え今も動き続けているが、その仕組み(の一部)をブロックチェーンという。ブロックチェーンを応用し、特権的な(人間の)管理者や階層的な権力構造なしで自動的に機能する組織を可能にする「はず」の仕組みだった。なぜ人々はThe DAOに熱狂したのか? 管理者なしの組織に人は何の希望を託したのか?

The DAO、デモ、それを抑圧する人々。子どもの現場主義、大人の冷笑、組織人の絶望。一見何も関係がないこれらを繋ぐのは、まさにそこ欠けているものだ。 それはかつて「大きな物語」と呼ばれたもの、熱を具体的な構造変更へ導く経路だ。マルクスが焚きつけた共産主義という経路への熱狂は人類史上最多に近い犠牲者を出し、なんとなく「地獄への道は人の善意で舗装されている」という気分を肯定した。その失効は可能なのだろうか?

ブロックチェーンと分散組織の夢

「ビットコイン」は悪名高い。麻薬の非合法取引に使われた匿名暗号通貨、クラックによって多額の資金喪失を産んだいかがわしい情報技術。つい数年前にはそれが常識だった。しかし、今もビットコインは元気に「経済成長」を続け、この前もトランプ相場で値上がりしたばかりだ。さらにビットコイン2.0と言われるような動き、「ブロックチェーン」というビットコイン内の仕組みを、貨幣発行管理以外の分野に転用したり、現行の銀行が管理する勘定系システムに対する置換検証実験など、ビットコイン界隈は今のほうが熱い。

ここは技術解説の場ではないので、「ブロックチェーン」を、とりあえずビットコインのアルゴリズムにヒントを受けて現われたさまざまなプロジェクトの集合というふうに大雑把に捉えておく(中身について知りたければ良い解説がいくつも出ている)。
ブロックチェーンによるプロジェクトは無数にあるが、そのなかでも分散組織系のプロジェクトが最も「革命」に近いと筆者は思う。国家もひとつの組織であり、その構造や形式を変えることが革命の一部だからだ。そして、冒頭に挙げたEthereumとそれを基盤にした分散組織プロトコルThe DAOは「革命」の有望な候補だった。

分散組織とは?

分散(型)組織Distributed Organizationはまだ存在していない。ビットコイン通貨圏が管理者なしに運営されていることはその雛形ではあるが(ただしコア開発者という特権者はいる)、「貨幣発行・管理・決済」という非常に特化した機能の分散化・冗長化であって、汎用性があまりない。一方、Ethereumというシステムは、任意のプログラムを実行可能なP2Pシステムを、ブロックチェーンを応用して運営開始し、現在その資産規模はビットコインに次ぐ地位を占める。Ethereumは、特定機能を持つシステムというより、ブロックチェーンを使った汎用の分散型仮想計算機であって、その上にさまざまなアプリケーションが花開くことを狙っている。
すでに数多くのアプリケーションがその上に作られつつあり、The DAOはそのひとつだった。詳細に踏み込む余裕はないので、ここでは分散組織が持つだろう特徴をラフに列挙してみる。

(1)中枢的な経営者、リーダーがいない=分散化されている
(2)意思決定は基本的にメンバーの投票による
(3)意思決定すべき議題もメンバーが提出する
(4)生産物の決定、分業方法、配布方法、報酬の分配はメンバー間の契約に基づく
(5)議題の価値づけを行なう方法は不明、もしくは分散組織ごとに異なる

さらに「分散自律組織DAO」というのは、分散組織であって、しかも契約が(理念的にはすべて)自動的に遂行できるものをいう(「The DAO」はDAO概念の実現例)。契約の自動化というと遠い世界に感じるかもしれないが、クレジットカード決済、自動販売機など特化した契約に関してはすでに日常だ。一方オークションサイトなどは、ほとんど自動だが、時々人が介入する余地があるハイブリッドな契約=取引と言える。
The DAOの場合、技術的には、契約が中枢の承認なしにEthereumのブロックチェーン上で稼働するプログラム(スマートコントラクト)として実装される。現行法の契約が、日常言語による複雑な記述、裁判所や弁護士によるその解釈と議論、強制力による執行の中枢化=国家への一元化を伴うのに対し、スマートコントラクトは、形式言語による記述、人による解釈なしの実行、強制力ではなくブロックチェーンコミュニティによる承認を用いる。

ここまで読んで、鋭い人は「解釈なしの実行」に危惧を抱いたかもしれない。そう、まさにその脆弱性を突かれてThe DAOはある特定メンバーに巨額の送金を行なうスマートコントラクトを実行され、結果凍結される事になった。
The DAOに今のところ再開の見込みはない。が、もし理想的な分散(自律)組織が現われたとして、それは「革命」なのだろうか?★1

分散組織が「革命」でありうる条件を考えるには?

一見、分散組織には「良い」ことしかない。経営者の保身、特権階級の形成と格差増大、中間階層増加による意思決定の非効率化、部門間の利権争いによる無意味な政治活動、革新を阻む勢力による改革の骨抜き化、恫喝する上司、株主に搾取される労働者の余剰生産物......の消滅。
しかし、それは誰にとって「良い」ことなのだろうか? 株主だろうか、労働者だろうか? それとも消滅する中間管理職や経営者だろうか? ステークホルダーごとに革命は違う。そして「革命」の条件はどのステークホルダーを重視するかで変わってしまう。本稿で革命ではなく「革命」と記す理由のひとつはこれによる。当然「みんな」にとっての革命はない。だが「敵」の設定は歴史の悲劇を繰り返すトリガーになる。

では、どんな視点で分散組織による変動を評価すればいいだろうか? たとえば、経営者の功罪、ガバナンスの配置と効率、幸福あるいは苦痛の総量と格差の問題などの視点を既存の組織や経済に関する学問から借りてくることができる。
ここに挙げた観点は、比較制度分析、組織経済学、経営学、行動経済学、倫理学などから、素朴で古典的な論点を拾ってきたものだが、それだけでも分散化が「良い」ことか疑問視するには十分過ぎる検討材料がある。経営者がいない組織は、どうやって一貫したビジョンを作るのか? 痛みの伴う改革を実施せず結果的に組織を潰すのでは? あるいは分散組織に保身や利権争いは存在しないか。
もちろん、それぞれの論点を最新までフォローしたり、数理化するには個別検討が必要だが、ここでは全体のつながりに主眼を置いてみる。

分散組織が持ちうる問題候補

唐突だが、先の視点から得られる分散組織の問題点を列挙してみる★2

(1)経営者機能の分散化が部分的である

現状提案されている分散組織は、経営者機能のうち、意思決定権限、報酬や資本リソースの分散化に重点を置いている。もちろんそれは自然な観点だが、経営者にはプラスの側面もある。経営者は、ビジョン探索・採掘・実施管理(組織と外部環境の地図を利用した投資目標設定、実行)に集中できる。また、機能が一人もしくは少ない個体に担われることで、ビジョンの一貫性維持ができる。よって、たとえば組織構造のコーディネーションや知識ベースがチグハグにならないよう維持する機能を果たしうる。2つの部門が同時にあるタスクを果たしたときだけ成果があるような状況があるとしよう。分散型組織では、それぞれの部門に相当するメンバーが勝手にそのリンクを発見する必要がある。また、経営者は、外部組織の垂直統合と、生産分野の水平拡大に関して組織境界の決定を構想することもできる。もちろんこれらの機能は分散組織でもメンバーが勝手に行なうことができるだろう。ただ、それをやる責任を専有するメンバーがいてはならない(それがいたら階層組織になってしまう)。分散組織が意図的にこれらの経営者機能に対する分散化も試みてもいい(実際には経営者のビジョンが抵抗にあって実現できない、そもそも間違っているなど無能な介入である場合や、能力が経営者の報酬コストに見合わないことがありうるだろうが)。

(2)組織に慣性が生じうる

分散組織の余剰生産物が投資家に配分される場合、それは投資家集団による支配を受けるだろう(もし投資家が一人だったら、それはオーナー社長が経営する組織だから分散組織にはならない)。この場合の分散組織は、投資家層と労働者層からなる2層分散組織ともいうべきものだ。未来の資本主義で、株主たちが「経営者」という存在やその下に作られる固い権限配置構造を見捨てた場合、2層分散組織が現われるだろう。2層分散組織が投資家層に従い徹底的に効率を追求する際、労働者のモチベーションを無視するなら、これは権限が分散していても厳しい労働に満ちた組織になるかもしれない。

一方、余剰生産物が組織メンバーに配分される場合、それは労働者管理企業と呼ばれる。労働者管理企業では、投資家によるコントロールが小さく、労働者の利益を最大化する。投資家には投資引き上げが起こらない最低限の余剰生産物を引き渡せばいい。これは労働者にとっては良いことに見えるが、分散組織が労働者しか持ちえないコントロール権を持っていたり、権限の先着順的配分を持つ場合、組織の権限変動がなかなか起こせず「慣性」が生じ、市場に十分適応できない可能性がある(実際Back Feed Protocolという分散組織の提案では労働者しか組織に対する権限[「評判」と呼ばれる]を持ちえない)。
つまり、分散組織では、そのプロトコルの作り方や毎回の契約によって投資家と労働者の力関係は変わりうるから、完全な投資家によるコントロールと完全な労働者管理の間を扱う必要がある。両者の利益をバランスさせる特殊な経営者が要求されるが★3、その機能は何が提供するのだろうか? また痛みを伴う改革のような「慣性」に逆らう組織権限の変更は分散組織によって簡単になるのか、それとも経営者がいないことで一種の衆愚政治に陥り難しくなるのか? 結論はわからないが、論点であることは明らかだと思う。

(3)効率の要求が苦痛を増加する可能性がある

現状、分散組織には苦痛への関心がない。まだ誰も分散組織に嫌々勤める状況を体験したことがなく、勝手に入り、勝手に出ていくビットコインの延長に未来がイメージされているからだろう。嫌なら辞めればいい。しかし、ある分散組織に長く所属し、そこでしか意味を持たない学習や技術を大量に習得(関係特殊投資と呼ぶ)したり、技術進歩により転職可能性が非常に下がっていたりするなら、そういう状況は起きうる。
分散組織のアウトプットを使うユーザーや、投機的に分散組織内通貨を購入する投資家は分散組織のパフォーマンスにしか興味がない。激しい競争環境では、分散によって階層組織の不効率性やモニター不能性、経営者の無能性といった「責任の分散」に護られない、より厳しい労働環境が生まれる可能性は大いにある。経営者や組織は無能かもしれない。だが、あなたや私はそれ以上に無能かもしれないのだ。
分散組織を実現したはいいが、大部分の人間がより苦しくなるとしたら、それは「革命」というより、たんなる制度改革の失敗といってもいいだろう★4

「革命」の条件


分散性と「革命」の条件

つまり、分散性だけでは、既存の組織より良いとは限らない。では「革命」の条件とはなんだろう?

分散型組織と「革命」の条件例:PS3

幾つかの望ましい条件があって、既存の組織構造ではすべてを同時に満たすことができないが、分散組織ならそれが可能だとする。その時、分散は「革命」でありうる。 そのような条件も無数に作れるが、とりあえずのたたき台を提示してみよう。

持続可能性:既存の組織形式すべてと競争力を持つ程度に効率的である

たとえ分散組織が労働者にとって夢の環境を提供したとしても、あまりに効率が悪かったり、生産性が低かったら、その生産物は競争力を持たず、組織は解散に追い込まれてしまう。分散すれば効率が高まるとは限らないのでこの条件は重要だ。比較対象は既存の組織で同じ生産物を作っている場合となるだろう。

苦痛最小化:ステークホルダーの苦痛総量を可能な限り減らす

もし、分散組織によって非常に良い効率が得られたとしても、組織メンバー集団の激しい苦痛によって贖われるなら、個人的にそれを「革命」と呼びたくない。苦痛最小であって、幸福(効用)の合計最大化ではないのは、巨大な格差を持つ分散組織なら、苦痛があっても「効用の怪物」に相当する一部のメンバーによって合計は増大しうる、または投資家の効用だけが増大するという事態を想定してのことだ。また多くの革命活動がこの条件を無視したがゆえに「組織のための犠牲」を強いたという反省を踏まえている。

スケーラビリティ:メンバーが増大しても同じプロトコルで他の条件を満たし続けられる

少人数で始まった雰囲気の良いベンチャー企業が、巨大化後単なる官僚組織になるのはありふれた事態だ。分散組織の夢はその解消にも向けられているのだろう。しかし、メンバーの知能や認知能力に限界がある以上、組織の巨大化と分業、権限の分割は避けられない。既存組織は多くの場合それを階層化によって解消している。分散組織はより良いスケーラビリティ保証策を見つけられるだろうか?

セキュリティ:悪意ある攻撃者によって組織を破壊される可能性が低い

いい人しかいない世界を考えよう。そこでたまたますべての条件を満たした分散組織ができたとする。しかし、それがたった一人の利己的な侵入者によって破壊されるなら、その組織構造は不安定すぎて採用できない。「革命」によって一時的に「よい制度」ができ、そして一気に様変わりする事例も歴史は数多く提供する。では、すべての人を信用しないのか? ブロックチェーンに関連して言われる「ゼロトラストシステム」という言葉は、基本的にそのような態度を意味する。他者ではなく、プロトコルを信じる。はたしてこれが正しいことなのか。この条件は他の条件を破壊する場合が多く、満たすのが難しい(異常なリスク管理によってスケーラビリティ、効率、苦痛最小化が侵されていくなど。ゼロトラストで運用する仕組が莫大な利己的参入者集団を生み出してしまったビットコインは、今後もしそのことで被害が生まれれば結局セキュリティと苦痛最小化がなかったことになる)。

以下では覚えやすいようにこれをPS3条件と呼んでおく(Pain, Scalability, Sustainability, Security)。なおPS3は、たとえば才能への資源集中とその創造性のみを社会的な評価とする、というような立場とは相容れない。

既存組織構造とPS3条件の関係

では既存組織構造はPS3を満たせないのだろうか? PS3を満たす既存組織構造があれば、個人的には分散組織の必要はない。

(1)階層組織→苦痛の最小化(および効率)

まず企業や官僚組織などの階層型組織を考えよう。じつは階層型組織は現状最強の大組織構造だ。もともとスケーラビリティを満たすために始まったから、それは当然満たし、トップを含めすべてのメンバーを交換可能にしておけばセキュリティ性能も意外に備わる。持続可能性に関しても、より効率のよい組織が現われていない現状では一応ある。組織人が絶望しながら、それでもこれを維持するしかないと考えても不思議はない。
最も弱いのは苦痛最小化だろうか。無意味な社内政治や、連絡不能性による協調的改革の不可能性、情報伝達不足に由来する不可能なノルマの指令、上位層の結託によるリッチクラブ化・不労所得発生、など階層組織が市場と結合し苦痛を生み出す事例には事欠かない。また効率に関してもほかに比べましというだけで、良いわけではない。最悪、カフカの小説で描写される何を目的としているかわからない煩雑な機械装置のようになってしまう。分散組織に最も期待されているのは、階層構造をうまく解消することで、この構造と競争力のある大規模組織を作ることだろう。

(2)フラットな組織→スケーラビリティ、セキュリティ

なぜ大規模組織なのか。社長とそのほかの社員しかいない企業や創業間もないベンチャーなどでは、経営者の力量次第で、ほとんどフラットな構造を持った組織を、苦痛少なく効率的に運営できることがある。しかし、経営者の情報処理能力という認知限界に大きく依存するため、大規模化ができない(自律的に中リーダーが出現し、勝手に解散していく仕組を確保できれば、認知限界を乗り越えられるかもしれないが、もはやそこまで行けば、経営者も必要がなく、ほとんど理想の分散組織になる)。もちろん交換不能な一人の経営者・リーダーの力量に依存しているわけだから、いわゆる単一障害点があり、セキュリティも弱い。

(3)独裁→セキュリティ、苦痛の最小化

たとえば良い独裁者・経営者は前述のフラットな組織のように、セキュリティ以外の条件をたまたま満たしてしまう場合がありうる。が、彼の精神状態がおかしくなる、死ぬなどの単一障害で変質してしまうからセキュリティ条件を満たせない。ビットコインの原論文★5でサトシ・ナカモトが指摘したP2P組織の利点はここであり、分散組織には恣意的な介入を阻む強力な手立てが用意できるという強みがある(ただし想定を超える大量の結託を起こせば介入可能であり、たとえば中国がビットコイン関係者である国民に強制すれば、現状のビットコインはすでに操作可能な状況にある)。また効率の良い独裁は時に恐怖に満ちた組織を作る。スティーブ・ジョブズは市場に歓迎されたが、組織内の苦痛を最小化したとは言い難い。PS3を満たす分散組織はこのような「効率良い独裁組織」に対し持続可能性条件を満たすことができるのだろうか?

(4)計画経済→持続可能性、苦痛の最小化、セキュリティ

規模がだいぶ違うが、計画経済というものも一種の組織構造と考えることができる。階層型組織+市場の、市場を消してしまったバージョンだ。国家全体が労働者管理企業になったようなもので、株主や市場によるモニターを欠き過ぎていたため、モラルハザードが起き効率が落ちたのだろう。その意味で持続可能性がないわけだが、同時になぜか独裁と虐殺に転じやすいという脆弱性も持つ。

結局、PS3全部を満たす既存組織構造はないように見える。だからもし、分散型で条件をすべてを満たせるなら、分散組織による「革命」はありうる。

PS3条件を満たすように分散組織を構想する視点

PS3を拒絶したり、追加したりする自由はもちろんあるし、おそらく筆者が見落とした条件があるからPS4のようなものがあったほうがいいと思う。しかし、今はPS3しか使えないので、PS3条件を満たすために分散組織が使えるのはどういったカードか予測してみる★6

(1)モチベーションとインセンティブの違い

あるタスク(たとえば選挙事務所からDMを送る)をする際、それが労働者のモチベーションに合った内容(支持政党の事務所)か、それとも反するようなもの(反対陣営の事務所)かが、作業効率(処理した手紙の数)に影響を与えるという実験がある★7。直観的に当たり前なのでなぜそんなことを調べる必要があるかわからないかもしれないが、この実験は、モチベーションとインセンティブ(努力に対する金銭的な報酬)のどちらが効果的か、あるいはインセンティブがモチベーションを逆に破壊しないのかといった論点に関係がある。 努力の違いに対するインセンティブがなければ人は仕事をしない。よって人により収入やその結果としての資産に差があるほうが良い、というのはわかりやすい理屈だが、インセンティブとモチベーションの関係はそれほど自明ではない。上の実験の場合、インセンティブの効果より、モチベーションのほうが効率に影響を与えるという結果が出ている。
インセンティブを受けることでかえって生産性や効用が下がるという仮定★8をしなければ、インセンティブ+モチベーションの両方が揃うことがもちろん最大のアウトプットを生む。しかし、インセンティブによって、モチベーションがない状態を無理やり働かせている組織(フレキシブルな権限変更が苦手な階層的組織で起きがちな状況)と、モチベーションに合う仕事をなるべく渡すように仕事を分配し、インセンティブを払わない組織では、どちらが効率的かわからない。インセンティブを払わなければ生産物の価格を下げることができるから、それはモチベーションの配置も(インセンティブと同等、あるいはそれ以上に)競争力の源泉になりうることを示唆する。
またモチベーションとタスク、あるいは組織目的・状態の揃わないことを広く「苦痛」と考えれば、「環境外部性に近い概念としての苦痛(環境問題としての苦痛)」という観点が出てくると思われる★9。もし、これを減らすこと自体が組織の効率を高めるように分散組織を設計できれば、PS3の苦痛総量最小化と持続可能性を同時に満たす展望も開ける。

(2)認知限界と経営者のポジティブな側面

細かい議案が膨大にある場合を考えるのは、認知限界と階層・分業化への対策として重要だ。じつはThe DAOでは事案の粒度が大きく、基本的には大きなプロポーザルに対し、キュレーターと呼ばれる特殊メンバーが内容を査読し、さらに全体の2割を超える投票率が得られた場合のみ採用するという形式を取っている(「神の存在を信じるか?」という冗談のようなものもあるが)。一方、後発のBack Feed Protocolは、このやり方が、十分に集合知を使っておらず、プロポーザルを書く能力のある一部のメンバーに権限が限定されているとし、どんな貢献であっても、それが組織メンバーから多数の評価を受ければ価値を産んだと認められるべきと主張した。しかし、この方向は当然提案の粒度を下げ、思考実験としては莫大な提案スパムに皆が困り果てる分散組織が生じる。だが、この莫大な意思決定を処理する新しいやり方があれば、それこそまさに分散組織が階層組織と異なることの証明になりうる。提案スパムのルーティングやフィルタリングに対し、素朴には特化型AIを利用できるだろうが、それは階層化以外の解決策になりうるだろうか? その場合の問題点(たとえばAIによる脆弱性の増加)は対策可能だろうか?
また先に触れたように、現在の分散組織は経営者のポジティブな側面についてはそれほど信頼を置かず、むしろ権限の分散化に力点を置いている。たしかにビジョンの着想や問題点の発見については集合知によるメンバーの自発的な発案任せで行けるかもしれないが、その一貫性や方向づけ、複雑な手続きを踏むプランについてはどうだろうか? あるいは、いわゆる痛みを伴う改革、一時的に現在の効用水準を下げるが、うまく協調して組織変更を行なえば、組織全体に対する効用が増加するタイプの改革を分散組織で実行する方法はあるのだろうか?

(3)苦痛をプロトコルにどう組み込むか?

モチベーションと組織目的の不一致(による苦痛)を賃金増加のインセンティブでまかなうこともできる。が、この場合、虚偽の不一致申告をどう防ぐかが問題になる。虚偽の申告が不利益になる仕組みを作れるだろうか? むしろ苦痛を賃金に直接反映するのではなく組織の機能失調シグナルとして、権限配置への摂動に利用するのはどうだろうか? メンバーのモチベーションやその組織との不一致度合いは効率を考えるうえで重要な情報だが、不完全にしかモニターできそうにない。しかし、苦痛をうまく利用すれば、得られる情報を増やし、それを組織の権限配置や提案、タスクのルーティングに活用できる可能性がある。結果、タスクごとにフレキシブルに生成する権限配置をうまく作れるなら、それは巨大なフラット組織として振る舞う可能性が出てくる(なお、ここで書いた素材をもとにしたPS3条件を満たすプロトコルについての試案は、このエッセイと同時に執筆された別稿(『現代思想』2017年2月号、青土社、に掲載予定)で展開するので、興味のある方はそちらも検討してほしい)。

国家と「革命」

最後に国家と分散組織の関係について簡単に触れて終わる。
「国家」は強制力(軍備、警察、徴税)や外交権を備えた特殊な組織ともいえる。立法、行政は分散組織でも代替可能性が高そうだが、強制力や外交についてはあまり目星がつかない。市場の失敗が起きやすい分野への介入についても謎だが、はたして現状、国家はこの分野でどの程度機能しているのだろうか?
組織に対してできない「革命」は、当然より難しい問題である国家にもできない。だから分散組織だけが理想的に実現してもそれはまだ国家に及ばない。「革命」と括弧をつけた理由のもうひとつはこれが理由だ。
たとえば分散組織の雛形であるビットコイン(あるいは継承者の)経済圏が数百倍のオーダーで巨大化し、EU並の経済規模になったとする★10。この時、「強制力や外交権を持たない国家以上の共同体」といういびつな存在が現われる。このコミュニティは、既存国家と利益が背反する場合に共存できるか? すべきなのか? たとえば現状のビットコインに対し巨大な影響を持つ中国は、表向き規制しているが実際は黙認という、いつでも反故にしうる態度を維持することで支配力をキープしているようにみえる。

もし分散に「革命」的意義があるなら、おそらく団結とカリスマは必要がないと思っていた。必要なのはプロトコルを改良し続ける思考への熱であり、良くできたプロトコルは勝手に採用され、知らないうちに何かが起きてしまう。ビットコインがそうだった。組織の維持と動員が暴走すること、内部権力闘争とリーダーの発狂が革命に伴う宿痾だ。分散型の「革命」がこれらをなくすなら、それだけでも意義がある気がした。しかし、たとえば良さそうな分散組織の実現を、ただ既存制度と合わないという理由で禁じられた場合どうするのか? 熱を排出する方法がデモ、冷笑、絶望しかなかった時代はおそらく終わり、再び大きな物語たちが乱立を始める。皆もう忘れているかもしれないが、シンギュラリティが起きないと決まったわけではないし、生きたままゲノム編集ができる時代の生命倫理は「そもそも死ぬ必要があるのか?」という切実な問題を突きつける。社会は緩慢で無慈悲なリソース配分摂動装置として死を活用してきたが、その代替があったら? 組織の革命とは別枠にまだまだ大きな物語がある。

しかし、選ぶことがある、というのはいいことだ。



★1──本来は具体例に基づいた詳細な分析が必要だが、それは後述する別稿参照。次に挙げる問題点は別稿の議論結果を先取りしている。
★2──これらの論点は、The DAOの問題点改良を目論んだBack Feed Protocol(BFP)の検討を通し別稿で得た中間部結論を抜き出したもので、導出はそちらを参照(『現代思想』2017年2月号予定、青土社)。またThe DAOはBFPと違い、本稿で論じる程粒度の細かい分散組織を目指していなかった可能性が高い。
★3──青木昌彦+奥野正寛『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会、1996)第7章での双対的コントロールを実行する中立的経営者。労働者管理企業などの用語も同書による。
★4──もっとも、ある組織内の労働者は、投資家、ユーザーとして振る舞うこともできるから、問題はもっと複雑で、分散組織が社会に溢れたことで生じる効率上昇による受益分まで含めた方程式を立てて考える必要がある。
★5──Satoshi Nakamoto, "Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System", 2008. https://bitcoin.org/bitcoin.pdf
★6──Back Feed Protocolを題材に、この部分を詳細に展開した論考は後述する別稿参照。
★7──Jeffrey Carpenter and Erick Gong, "Motivating Agents: How Much Does the Mission Matter?", Journal of Labor Economics 34.1, 2016, pp.211-236.
★8──モチベーション・クラウディングアウト。その概念を使った社会全体の数理モデル Timothy Besley and Maitreesh Ghatak, "Market Incentives and the Evolution of Intrinsic Motivation", 2016. まである有名な心理学、経済学上の概念。
★9──類似した観点の研究を探したが、たまたま見つけられなかった。経営者や組織自体を経済主体とみなすなら、研究目的は異なるがモデルが近いのは Joachim Fünfgelt and Stefan Baumgärtner, "Regulation of Morally Responsible Agents with Motivation Crowding", Available at SSRN 2077515, 2015. かもしれない。この研究の場合、「ある主体Aがその経済行為によって別の主体Bに外部性を持った損害を与えるが、その程度に関する情報が不足している」という状況を考え、そのうえでピグー税などがモチベーションに与える影響を分析する。Aを「組織という経済主体」と考え、Bを「ある組織メンバー」と考えるなら状況は似ているが、生産に関する分析ではない。
★10──じつは複数の分散組織がトークンの為替レートで接続している状態は、「国家の集合」と似たモデルによる扱いを要求すると思われるが、ビットコインやEthereum上にはそのような状況が起きうる。


西川アサキ(にしかわ・あさき)
1975年生まれ。情報哲学、倫理。慶應義塾大学政策・メディア研究科、神戸大学自然科学研究科卒業後、理化学研究所特任研究員、東京大学情報学環助教を経て、現在、早稲田大学非常勤講師。主な著書=『魂と体、脳』(講談社、2011)、『魂のレイヤー』(青土社、2014)、ほか共著多数。


201701

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