「東京の〈際〉」を制作せよ──
関係の写像を超えて「未来」を拡張するためのプログラム

上妻世海(文筆家・キュレーター)

1.
関係の束としての「東京」──多位置的実存、写像としての「東京」

インターネットがまだ存在していない時代、僕たちは地図上の区画とそこに重なる広告的イメージによってのみ「東京」を把握していたのかもしれない。もちろん、「東京」の特定の地域に住んでいた人はその地域の口コミネットワークのなかでさまざまな場所と繋がっていたのだろうけれど、ほとんどの人にとって「東京」は物理的=記号的都市として存在していた。

しかし現在、僕たちは街を歩いている時でさえ、つねにスマートフォンによって情報空間に接続している。それは物理空間のなかでは〈いまここ〉にいながら、情報空間のなかでは〈いつかどこか〉にいることを意味している。もっと言えば、〈いまここ〉にいながら〈いまここ〉に意識はなく、さまざまな〈いつかどこか〉へと意識が散り散りになっていると言える。僕たちはひとつの時空間に存在することができない「多位置的実存」として生きている。〈いまここ〉にいながらつねに〈いつかどこか〉と接続した、いわば膨大な幽霊を抱えた分裂した実存を生きている。その散り散りになった〈いつかどこか〉がつくりあげるのがグーグルマップの上の「お気に入り」である。つまり、その時々で意識が向けられている興味の対象=検索ワードが「過去」だけでなく「未来」をも「現在」に取り込んでしまうのである。〈いまここ〉は無数の〈いつかどこか〉によってとり憑かれているのだ。

例えば、先日、僕は「東京」から「札幌」に向かっている途中、飛行機のなかで小腹が空いていたので、新千歳空港に着くとすぐに電車に乗り込み、窓から景色を眺めるのでもなくスマートフォンの画面をじっと見つめ、「札幌 美味しい 店」とグーグルに打ち込んだ。するとそこには、SEO対策されたキュレーションサイトのランキングや有名ブログ、食べログなどのグルメサイトが大量に表示された。僕はそこに情報はなく、広告だけがあると思った。たしかに僕は〈いまここ〉にいた。しかし「北海道」の風景を見るのでも、電車の音に耳を澄ませるのでもなく、その膨大な広告の海を泳ぎながら、その広告に対応するグーグルマップ上の〈どこにでも〉いた。しかし、僕の足はどこにも動かない。

僕は途方に暮れ、検索するのを諦める。そして、その散漫な意識はツイッターやフェイスブック上を千鳥足で右から左へとただうろつく。そこには僕の友人、僕の知り合い、僕の興味を持った人たちの情報がある。そこはその時の僕の「人間関係」と「興味」の写像としての情報しかない。もちろん僕は初めて「札幌」に来たし、僕のタイムラインは「札幌」の美味しいお店について何も教えてくれない。情報空間には、SEO対策にお金がかけられる店の広告と僕の写像としての関係=情報だけが表示される。もちろん、僕の関係と興味の外側にある情報もウェブ上には存在するのだろう。しかし、僕はその検索ワードに辿りつかない。僕は、再度諦め、先に札幌入りしていた先輩にフェイスブックメッセンジャーを使って連絡し、彼が行ったおすすめのお店を紹介してもらった。そして僕は、彼がおすすめするいくつかの店をグーグルマップ上で「お気に入り」した。しかし、結局、近くにあった吉野家で軽く小腹を満たしてしまう。

この出来事は札幌で起こったことだ。しかし知らない街に出かけると、それまで都市生活で頼ってきた条件が意識化される。たしかに振り返ると、グーグルマップ上の僕の「東京」にはすでに行ったことのある再訪したい場所とこれから行ってみたい場所が無数に書き込まれていた。いつか遠い過去になるその書き込みは、各々の「現在」によって織り込まれただけでなく、その現在の書き込みこそが「未来」の「目的地」を限定する。そしてその各々の「現在」はその時々の「人間関係」と「興味」によって限定されている。つまり、グーグルマップが教えてくれるのは、物理的都市と記号的都市は「地図」と「僕たちのイメージ」のなかにだけあり、経験しているのは僕にとっての「都市」、つまりここでは、僕は僕の人間関係の写像としての「東京」を経験しているのだということである。大文字の「新宿」「渋谷」「品川」「上野」は象徴として機能し、僕にとっての「新宿」「渋谷」「品川」「上野」は僕の関係の束を表わしている。つまり、新たな「地図」は「興味→検索→SEO対策された情報→その情報に基づいた目的地→経験 or SNS→友人や知り合い→その情報に基づいた目的地→経験」という媒介を経て、各々の「東京」を描き出しているのである。僕にとっての「東京」は「過去」の「興味」と「人間関係」によって限定されているのである。

勘違いしてほしくないのは、グーグルやSNSによる囲い込みによって僕たちが各々の人間関係の写像としての「東京」を生きるようになったのではないということである。安易なテクノロジー忌避は避けられるべきであり、技術が生み出した環境について冷静に分析するべきである。たとえ、インターネットの出現以前に「新宿」をぶらぶらと歩いたとしても、目に入るのは雑居ビルの1階に位置しているコンビニや牛丼チェーンやドラッグストアだけだろうし、テレビや雑誌で特集された話題の店だけであろう。当時であっても、僕たちは雑居ビルの上階にどんな会社の事務所や店があるのかを知る由もない。言い換えれば、物理的な目線によって雑居ビルの1階に僕たちの散歩は限定されている。そして無数の雑居ビルのなかに入る動機づけは物理空間の、その時々の関係のなかでしか手に入らないのである。条件はインターネット以前も以後も同じである。その「都市」をいかに経験するかは各々の「物理的条件」「広告的記号」、そして「興味」と「人間関係」によって限定されている。むしろ、検索エンジン、SNS、そしてグーグルマップは僕たちの「都市」生活の条件を可視化してくれているのである。

2.
同質の過剰接続を超えて──「異なる関係への媒介としての場」へ

「東京」は物理的にも記号的にも限定されている。そして、関係の束によって偶然性に開かれた「未来」=各々の「東京」の可能性は運命論的に縮約してしまう。つまりSNSによって過剰に接続するようになったのは同質の人々との接続であって、それは私の写像、自意識の肥大化を意味している。接続が求められているのは異なる興味や関心を持つ人との接続である。僕たちは再度縮約された現在から開かれ、偶然性に満ち満ちた「未来」を取り戻すために異なる関係への媒介を必要としている。そして、「AとBの間」という〈際〉の定義を考えると、現在の関係と、その外、あるいは現在の興味=検索ワードとその外を繋ぐ媒介こそが関係の束としての「東京」における「東京の〈際〉」ということになるのではないだろうか。なぜなら、「現在」の関係性と興味は「現在」だけでなく「未来」の在り方を限定し、それによって僕たちは「都市」と共に生きる作法を獲得していくからである。換言すれば、「関係性」と「興味」の変容を生み出さない限り、「未来」は「現在」のぼんやりとした延長としてダラダラと続くばかりだ。

そして、重要なことは、それが概念的なものだけではなく、僕たちの「都市」経験のあり方を検討した結果導かれた結論だということである。これは多くの人にとって詭弁のように聞こえるかもしれない。しかし、事実としてそうなのである。例えば、僕にとって「中目黒」は物理的には「池尻大橋」と「恵比寿」「代官山」「祐天寺」に囲まれた区画であり、記号的には「おしゃれな若い男女が夜な夜なおしゃれなカクテルを飲んでいる街」だった。しかし、展覧会の企画を「中目黒」のギャラリー(青山目黒)で行なうために何度も「中目黒」に通っていると、「地元のおじいちゃんやおばあちゃんだけが通う古い喫茶店」や「地元の若者に慕われる元ヤンキー風の店主が経営するラーメン屋」に通うようになり、今やそのなかの関係性によって僕にとっての「中目黒」が新たに形成されたのだ。そしてその喫茶店やラーメン屋に通う最初のキッカケは青山目黒のギャラリスト(青山秀樹)に連れて行ってもらったことであるし、そうでなければ紹介されることもなく、関係は生じなかった。つまり、ひとりの人間がもつ関係の束は異なる種類の関係が多層になっており、僕と青山さんが現代美術という繋がりで繋がっていたとしても、その繋がりは異なる関係(地元のコミュニティ)への媒介としても機能するのである。

物理的な区画に基づいて考えると、「東京の〈際〉」は「川崎」や「大宮」や「松戸」になるのかもしれない。たしかにそこは独特の魅惑があり、分析に値するだろう。しかし、上記したように、「東京」を各々の体験によって生じるものとして見る場合、それは各々がその街の人々と結んだ関係の束である。そして、「東京の際」は、ある既存の関係から異なる新たな関係への媒介である。つまり、「東京」の物理的な領域内に、無数の〈際〉がざわめいているのだ。そして、それは運命論的に縮約されてしまった「未来」を、再度生き生きとした生命的な偶然性に満ちたものとして捉えかえす場所である。

なにより、上記のように、関係の束としての「東京」というレイヤーに気づくことは、都市開発の定義も二重に分かれることを意味している。つまり、都市開発において新たに道路を整備することや象徴的な建築物を建てることは物理的都市や記号的都市の開発として定義される。そして、異なる関係への媒介を制作することは関係の束としての都市開発を意味している。それは人々の生活と共にある都市を開発することであり、都市への魅惑を制作することを意味しているのだ。

そのことは近年、駅前再開発などで駅前にコミュニティスペースが作られることが多いことにも表れている。そして、上記の「東京」観を受け入れることで、それ自体、都市開発を指向しているのだと理解できる。つまり、これまでの都市開発プランに加えて、関係の媒介を制作すること、「未来」の偶然性への開かれを再度制作することが都市開発であると考えられてきているのだ。そして、このテキストが多くの情報技術による条件の可視化によって書かれたものであることからもわかるように、情報社会における都市開発とは、「関係の媒介としての場」を「都市」の内部構造に組み込むことであると言えるかもしれない。たしかにすでに「出会い」や「出来事」に対する需要は強く、その需要に対するビジネスは多数あるよう思える。しかし、ここでの媒介とは「食欲、性欲、睡眠欲」などの、基礎的な欲求に基づいた繋がりを生み出すものではない。それは共通性を拠り所にした媒介ではなく、差異を拠り所にした関係への媒介なのである。そうでなければ、僕たちの関係の束を同質的な関係の束から別の関係の束へと繋ぐ媒介とは言えないのだ。

最後に、情報社会にとってそれが必要なのであれば、それを都市の内部構造に埋め込む方法について考えなければならないだろう。

第一に、何の固定的役割も与えられずふらふらしているように見えるけれど、とにかく訪れた人と人がその差異によって繋がるための媒介として機能する人をその場に配置することである。それは先ほど、僕にとって青山さんが「中目黒」のおばあちゃんやおじいちゃんとの繋がりを生んでくれたように、僕のことを紹介し、相手のことを僕に紹介してくれるような複数の関係を多重的にもつ人であることが望ましい。そして、なるべく人が気負わずに訪れることができるような優しく気楽な雰囲気を醸し出せる人物であればなおよい。つまり、その人は、多くの種類の人を惹きつけ、その人々を共通点によって繋げるのではなく、両者を知ることで両者の特性を紹介し、差異による共同性を生み出すのである。

第二に、クライアントや現状に向けたプランやプログラムだけでなく、関係の媒介としてのイベントやハプニングなども踏まえた、未来の変容に向けてのプログラムを事前の提案と予算のなかにいかに組み込めるかがポイントになる。これは過去の基準や文脈に対して成功/失敗を決めるのではなく、人々の関係の束としての「都市」を未来に向けてどれだけ豊かにすることができたかが評価の軸になるということである。そもそも、体験としての「都市」が各々の関係の束の変化によってその形象を変化させるのであれば、その関係の束そのものにどのように働きかけることができたかという点が都市開発において評価軸になることは至極当然のことであるように思われる。

僕たちは上記の文脈のうえで、ベルナール・チュミの「プログラム論」を再読できるだろうし、未来への基準としてエリー・デューリングの「プロトタイプネス」という軸は使えるかもしれない。チュミの「プログラム論」は「形態だけでなく、利用形態(プログラム)まで射程に入れなくては、建築はとらえきれない」と考える立場であったが、現代哲学への傾倒や観念的過ぎる点への批判もあった。しかし僕は、そこに具体的な人間と場との関係性を構築するイベンターを置くことと、第一の提案のような媒介者を置くことをクライアントへのプランに組み込むことで、より現実的な提案として再考できるのではないかと考えている。また、デューリングの「プロトタイプネス」は作品を過去の文脈や価値基準に基づいて評価するのではなく、未来における無数の作品の原型としてどれだけ機能しているかによって評価するものだが、それは過去向きのプランだけでなく、未来へのプランも現在に織り込む方法論として転用できる。それは、クライアントへの上手なプレゼンテーションや建築史上の文脈の更新といったこれまでの評価軸に加え、上記の提案を機能させるうえで必要な軸であるように思える。

もちろん、上記の提案は「東京の〈際〉」を一人称視点における「都市」の経験から再定義することで見えてきたことであり、熾烈な競争を生き抜く建築業界から見たら実践的に意味を持たない提案かもしれない。しかしここで、僕が真に提案したいことは、僕たち一人ひとりがすでに「都市開発」する権利と可能性を獲得しているということである。事実、上記の「異なる関係への媒介としての場」を機能させているのは、大型資本による駅ビル内のコミュニティスペースというよりは、Chim↑Pomが高円寺で運営するスペース「Garter」のような場所であり、宇川直宏が広尾で運営する「DOMMUNE」のような場所であろう。そこでは芸術家だけでなく、ミュージシャンやファッションデザイナー、伝統芸能の巨匠までさまざまな差異をもつ人々による共同性が保たれている。再開発の担当者は彼らの組織運営から何かを学ぶことができるはずであるし、僕たち自身も彼らからなにかを学び、新たな「東京の〈際〉」を制作することができるだろう。そしてその時に制作された「東京の〈際〉」は限定され疲弊しきった未来を切り開き、再度偶然性に満ちた、危険と希望への小さな冒険の一歩になるかもしれないのだ。


上妻世海(こうづま・せかい)
1989年生まれ。文筆家・キュレーター。主な展覧会は「≋wave≋ internet image browsing」(TAV GALLERY、2014)、「世界制作のプロトタイプ」(HIGURE 17 -15cas、2015)、「Malformed Objects──無数の異なる身体のためのブリコラージュ」(山本現代、2017)、「時間の形式、その制作と方法──田中功起作品とテキストから考える」(青山目黒、2017)。


201709

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