アルゴリズム的思考と新しい空間の表象

柄沢祐輔(建築家)
現代社会における建築の可能性とは何処にあるのだろうか。情報技術によって社会構造が激しく変化を遂げているなかで、物理的な建築はどのように変化を遂げてゆくのだろうか。建築はいうまでもなく社会的状況と深く結びつき、その時代の美学を表現してきたが、現代の情報化社会においてはどのような建築が可能なのだろうか。



そのような問いに対して、筆者は一昨年前に雑誌『10+1』No.48において「アルゴリズム的思考と建築」という特集を責任編集者として編集を行ない、建築のみならず情報理論、社会設計などの多岐に及ぶ分野の識者・建築家に対してのインタヴュー・対談・取材を通して探求を行なってきた。そこで私はアルゴリズムを「時系列を伴った決定ルールの連なり」として定義し、その思考が生み出すさまざまな可能性の検証を行なった。その成果が現在、ひとつの住宅として結実しようとしている。アルゴリズムの可能性とは何か。情報化社会における建築の姿とは何か。それらが今日の建築の世界を一体どのように更新しようとしているのか。ここではささやかながら先日竣工を迎えた住宅を通して、アルゴリズム的思考の持つ可能性の一端の説明を試みたいと思う。

fig.1──《villa kanousan》空間概念ダイアグラムとコンピュータモデル



アルゴリズムとは「時系列を伴った決定ルールの連なり」であると先に述べた。このアルゴリズム的な思考は多様な建築的な手法を導出することができるが、ひとつには建築空間を生み出す手法を「時系列を伴った決定ルールの連なり」として定義することによって、建築空間を根底から支える幾何学をまったく新しい幾何学へと進化させることが可能となることが指摘できる。いわゆるギリシアの時代から現代にまで綿々と受け継がれてきたプラトン的な幾何学(円・三角・四角・黄金比、etc)などが、まったく新しい幾何学、いうなれば非線形幾何学へと置き換え可能になるのだ。ひとつに例を挙げれば、ギリシア時代の幾何学は正方形にしても多角形にしても、辺においては同一の比例関係(1,1,1,1......)が反復されることによって生み出されるが、非線形の幾何学においては異なる比例関係の予期しない連続が連なり、最後に閉じた環を成すことによって生み出される。例えば1.3.4.3というランダムな数が連なり一辺を構成する不定形な多角体の図形が空間上に生み出される様を想像してみると、これはたやすく理解されることになるだろう。このランダムで予測できない数を内包した辺が最後に閉じた円環を成し、その閉じた図形が空間を埋め尽くすことによって非線形幾何学はさまざまなヴァリエーションを生み出すことが可能になる。非線形幾何学とは、最も簡明に説明を行なうならばこのような定義となる。

fig.2──《villa kanousan》空間生成ダイアグラム



この非線形幾何学はアルゴリズムによって操作・定義可能であるが、これによって従来のギリシア幾何学を用いた建物の反復する単調さから、私たちは逃れることが可能である。そしてそれは建築空間と造形原理の根本的な刷新となるばかりでなく、私たちの時代に相応しい空間概念と近接することになる。



いうまでもなく今日私たちは誰もが携帯電話などの情報端末やインターネットなどの情報ネットワークを日常的に利用しているが、これらの情報技術の浸透によって私たちの経験する空間の概念は大きく変わってしまった。その空間概念の変容を、ダンカン・ワッツ、スティーヴン・ストロガッツらのアメリカの複雑ネットワークの研究者達は「スモール・ワールド・ネットワーク」という概念で表現する。それは一言で言えば、「より距離の遠いものとより距離の近いものの関係が撹乱された世界」であり、近くのものを取り結ぶ関係性と遠いものの関係が複雑に錯綜するグラフ構造によって図示される世界である。このような空間概念はまさにインターネットによって変化を遂げた空間概念を生々しく表象するものであるが、アルゴリズムによる非線形幾何学も同様にインターネットによって変化を遂げた空間の概念を、直接的に抉り切り取るものなのだ。



そもそもスモール・ワールド・ネットワークの概念は、物理的な距離概念が意味を成さない抽象的なネットワーク構造における社会的なコミュニケーションの様態をどのように理解し図示するかという問題系によって発見されたものだが、このような抽象的なネットワーク構造やインターネットの情報空間のように物理的距離が存在しない世界では、個別の要素の関係性だけが操作の対象となる。そのために個別のばらばらの要素をどのように関連づけるかという離散数学が応用されることとなった。この離散数学に基づく空間概念を、私たちは離散的空間と呼び習わすことができる。先にアルゴリズムの定義として取り出した「時系列を伴った決定ルールの連なり」とはひとえにこの離散的なばらばらな要素をどのように新しく関係づけるかということであり、またアルゴリズムによる非線形幾何学とはその結びつけるプロセスを図示して空間化したものなのだ。このアルゴリズムによる非線形幾何学によって、私たちはようやく、個別の要素がばらばらであるが繋がっているという離散的なインターネットの時代の空間の概念の建築化を行なうことができる。因習的・伝統的なギリシア時代以来の安定した線形的な幾何学ではなく、ランダムかつ複雑に錯綜するネットワーク構造をかりそめにも具現化するものとしての非線形幾何学は、21世紀の空間概念である離散的な空間を物理的に建築化するための大きな触媒となるだろう。

fig.3──《villa kanousan》外観と内観(現場写真)



先日竣工した住宅《villa kanousan》(設計:柄沢祐輔建築設計事務所)では、この離散的な空間性をアルゴリズムによってどのように実現するかという問題系に対するひとつの現時点での私なりの回答である。ここでは、山の斜面に佇むキューブの中が1階4部屋、2階4部屋の合計8個の空間に積層されながら分割されている。その空間の間仕切る壁と天井の交差する位置(交点)に、再度キューブを差し挟み、そのキューブそれぞれを個別に回転させながら位置を動かし、空間を抉りとった残余空間がそれぞれの室を視覚的・空間的に接続させている。この個別の空間を視覚的に繋げるキューブの回転の角度がアルゴリズムによって生み出されている。このような操作によって、単純な操作の連続によって複雑な空間が生み出され、視覚的、身体的に多様で濃密な体験を与える最小限の空間が実現している。そして空間を抉り取るキューブの回転の角度がアルゴリズムによって厳密に規定されており、それぞれのキューブは離れて配置されながらも回転の角度の関係性においては連続しているため、いわば空間のエレメントがばらばらではあるけれども繋がっているという独自の空間の様態を実現している。このようにそれぞれのキューブの位置関係と回転角が見えない法則性を内包しているがゆえに、空間は単純なカオスにならず、多様な見えがかりが背後で統一された不思議な秩序感を訪れる者は体験することができるようになっている。この多様性と統一性の共存は、アルゴリズム建築の最大の特性であり、また単なるカオスへと陥ってしまったポストモダン建築と現代にふさわしい建築を峻別する最大の要因ともなっていることが指摘できるだろう。

fig.4──《villa kanousan》内観キューブの切り欠き部



私たちが生きているこの世界。この社会をポストモダンと呼ぶものはもうすでに誰もいないであろう。しかしポストモダンが事実上終焉した後に訪れている社会を、まだ正確に理解しているものは実は少ないのではないだろうか。そのような状況のなかで、ポストモダンが目指した差異の肯定と、近代が目指した規範性、言葉を換えるならば秩序のあり方をゆるやかな形式として両立させるアルゴリズム建築の性質は、単純にポストモダン建築の次の様式という皮相な意味を超えて、社会の今後の行方を図らずも予告的に示しているのではないだろうか。おそらくはかつてポストモダンという概念が他の分野に先がけて建築の分野から生み出されたように、アルゴリズム的思考に基づく建築物は今後の社会のあり方と世界の今後の状況を、建築の分野からささやかに照射し始めているのかもしれない。

からさわ・ゆうすけ
1976年生まれ。慶応義塾大学大学院建築・都市デザインコース修了。文化庁派遣芸術家在研修制度派遣員としてMVRDV(蘭)に在籍を経て、2006年柄沢祐輔建築設計事務所設立。


200909

特集 きたるべき秩序とはなにか──システム、パターン、アルゴリズム


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