分析的展示の新たな可能性──「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来」展レビュー
内在する二つの問い
2010年3月10日から20日にかけて、「デザイナーズ集合住宅 過去・現在・未来展」が新宿NSビル16階のインテリアホールで開催された。「えっ、今さら『デザイナーズ』?」
そう思った人も多かったのではないか。であれば、企画者がまず一本とった形だろう。
なぜなら、本展は通常の展覧会のように、これが「デザイナーズ集合住宅」であるという解答を示すのではなく、二つの問いを内在させていたからだ。ひとつは「デザイナーズ集合住宅」とは何か(何だったのか)という問い。もうひとつは、そこから導き出される「集まって住む」とは何かという問いである。
展覧会を主催したのは、住宅を中心に建築家による設計を実現させていくAプロジェクト(ミサワホーム)だ。企画監修に若手社会学者の南後由和氏を起用し、建築家の大西麻貴氏が会場構成にあたった。東京大学、日本女子大学、東京藝術大学の大学院生が勉強会を積み重ね、展示内容を詰めている。
会場に入ってみよう。中央に家型を思わせる構築物があり、その内部と四方向の余剰がそれぞれ異なる展示内容になっている。
1. デザイナーズ集合住宅のデータ・マップ
2. デザイナーズ集合住宅の因数分解
3. 企画・仲介業者
4. 集まって住む
5. Aプロジェクト
の5パートがそれぞれ自律しながらつながるという内容構成が、会場構成と合っている。
「~とは何か」を問いかける分析的な展示となると、ともすれば難解だったり、稚拙だったりと「学芸会」的な展示に陥ってしまう危険がある。それがかなりの程度回避されていたことに、まず感心した。
アイロニーと無縁な空間性とウィット
「1.デザイナーズ集合住宅のデータ・マップ」には「歴史・社会編」という章立てが冠されている。「デザイナーズ集合住宅」のいったい何割がRC造か? 居住者の年齢層は? といった疑問に9枚のデータパネルで視覚的に答え、その姿を素描する。グラフィックが、下敷きにしたというオーストラリアの社会学者オットー・ノイラートの「アイソタイプ」ほぼそのままであることが少し気になったが、興趣がわくのは確かだ。「2.デザイナーズ集合住宅の因数分解」では、「デザイナーズ集合住宅」でよく用いられるものとして「コンクリート打ち放し」や「螺旋階段」など10の要素を取り出し、模型で見せている。模型台には、なぜそれを用いるのかというアンケートの声が記されている。会場全体の照明計画は岡安泉氏が担当した。あえて陰影をつけたライティングと模型スケールに誘われて、来場者は虚実の間にある「デザイナーズ集合住宅」の全体像を自らの頭の中で構成するだろう。ここにも分析的展示としての仕掛けが施されている。
「3.企画・仲介業者」は、前のパートと共に「不動産編」と名付けられている。企画仲介業者6社──アールエイジ、アルファプランナー、タカギプランニングオフィス、ブルースタジオ、リネア建築企画、リビタ―が、それぞれ1枚のパネルを作成しそれが並べられている。
「4.集まって住む」は、中央の家型の中に位置している。ここからが「建築編」だ。古今東西の集住のかたちを「ネットワーク系」「セルフビルド系」といった10の「系」に分類し、それぞれに不動産のような売り文句を付けて紹介する。私のような世代だとすぐに連想するのは隈研吾の『10宅論』だが、あのようにアイロニカルではない。《ハビタ67》や《沢田マンション》といった6建築については模型がつくられている。空間構成がよく分かる。来場者が熱心にのぞきこんでいた。
「5.Aプロジェクト」では、Aプロジェクトの中から現在進行中の物件を模型とパネルで展示している。石上純也、OMA(重松象平)、中村竜治、成瀬友梨+猪熊純、長谷川豪、若松均による6プロジェクトである。
展示の番号は以上のようになっているが、会場に示された順路に従うと「5.Aプロジェクト」が先で、それを見てから最後に「4.集まって住む」に至ることになる。まだ到来していない「Aプロジェクト」のさらに先に、古今東西の集住のかたちが置かれているのだ。
展示内容は現状から過去/未来へと展開し、表現も記号表現から空間表現へと次第に姿を変える。それを通じて、「デザイナーズ集合住宅」から「集まって住む」へと「問い」も変貌していく。会場構成の狙いは、このようにまとめられるだろう。
それは分析的な展示の新たな可能性を感じさせる。建築は背景やプロセスも含めて建築なのだが、それを展示で示すのは簡単ではない。本展は1980年代生まれの新世代による展覧会らしく、アイロニーとは無縁で、二つの問いをまじめに焦点にしている。それが成功しているのは、書籍ではない展示空間ならではの効果に配慮していることと、パネルや会場構成に埋め込まれたウィットだろう。形式的なようで柔らかい中央の家型には、いくつかの開口部が設けられている。よく見ると、その小口は異なる色彩で塗られていた。そういえば先ほど「2.デザイナーズ集合住宅の因数分解」の要素のひとつとして「カラフル」があった。しかし、これはアイロニーではないだろう。ここに現われているものもまた、空間性とウィットに違いない。
「集まって住むことの拡がり」──三つの特徴
話を再び、空間から企画に、建築家から社会学者に戻そう。なぜ、「デザイナーズ集合住宅」を問題にするのか。当然、Aプロジェクトの展示という前提条件が影響しているだろうが、だったらなおさら、「建築家住宅」をテーマに据えるのが通常だ。そこになぜ、あえて「デザイナーズ」という「建築家」に敬遠されかねないテーマを設定したか。このタイトルで関心を抱いた者も多いだろうが、来場をパスした方も少なくないと思う。もちろん、そこにはアイロニーは無い。会期中には2回の関連シンポジウムが開催されたが、3月16日に開催された2回目のシンポジウム「集まって住むことの拡がり」で南後氏は、本展には三つの特徴があると語った。そのひとつが「建築家から不動産、住まい手、メディアまでが共通に議論できるプラットフォームとしての『デザイナーズ集合住宅』」という設定である。それは「建築家のデザインを身近に感じてもらい、建築の魅力を社会に伝える」というAプロジェクト側の要望を受け止めたものであり、「作家論や作品論に自閉しがちな建築界」を開くものであると言う。残り二つの特徴は「社会学視点の導入」と「ボトムアップ型、セルフビルドの展覧会」である。
しかし、これを「デザイナーズ集合住宅」は「建築界」の内外がそのまま意思疎通な可能な場であると楽天的に読んでしまっては、今回の企てを見落としてしまうだろう。なぜなら、「デザイナーズ集合住宅」という言葉は本当に建築界と社会をつないでいるだろうか。そう自分の胸に問いかけてみれば、否定的な答えが返ってくるのではないか。現実に「デザイナーズ集合住宅」という言葉に感じられるのは、建築界と社会の両方にどちらにも収まらない、居心地の悪さだろう。本展のタイトルに感じた最初の違和感も、そこにある。不動産の側も大同小異の怪しさを感じているかもしれない。
「デザイナーズ集合住宅」という跋扈する不気味なもの。そこにフレームを設定したことが、社会学者の面目躍如だ。なぜなら、皆が通過している不思議な事態にこそ、社会、すなわち人々の関係性に接近する手がかりがあるのだから。そう考えるからこそ、社会学はあらゆる領域に手を伸ばして、現在の学的な隆盛がある。検討すべき対象はマイナーなものとは限らない。「日常」の中にも、通常でない状況が潜む。「デザイナーズ集合住宅」も、そのようなもののひとつだ。
そして、それは自らは語り得ない。展示会場をしばらく眺めていると、その中で一番来場者の密度が薄い、つまり滞在時間の短い空間が「3.企画・仲介業者」だった。実際それは、5つのパートの中で最も「デザイナーズ集合住宅」の送り手に近いにもかかわらず、発見的とは言い難かった。内容もレイアウトも、概して何かを伝えたいと思っているようには見えない。「デザイナーズ集合住宅」に対する考えを尋ねたアンケートの結果も同様である。決して彼らが隠しているのではないだろう。語りたがる「建築家」とは違う。むしろ建築家のほうが特殊なのかもしれない。それは他人が語らないといけない領分に違いない。「デザイナーズ集合住宅」という目前の不思議に柔らかく、真正直にあたり、その裂け目から「集まって住むこと」とは何かを見ようとしている意欲的な試みが、本展なのである。
デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展
会 期:2010年3月10日(水)〜20日(土)時 間:10:00〜18:00
会 場:新宿NSビル16階 インテリアホール
出展作家:石上純也、OMA(重松象平)、中村竜治、成瀬友梨+猪熊純
長谷川豪、若松均、株式会社アールエイジ
株式会社アルファープランナー
株式会社タカギプランニングオフィス、株式会社ブルースタジオ
株式会社リネア建築企画
企画監修:南後由和、大島滋(ミサワホームAプロジェクト)
会場構成:大西麻貴
照 明:岡安泉
パネル構成:栄家志保、工藤浩平
協 賛:株式会社INAX、東京電力株式会社、東リ株式会社
発泡スチロール再資源化協会