デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展シンポジウム「集まって住むことの広がり」

大島滋+南後由和+篠原聡子+馬場正尊+大西麻貴+鈴木志麻+成瀬友梨+猪熊純+大島芳彦

デザイナーズ集合住宅の第2ステージ

大島滋──「デザイナーズ集合住宅、過去、現在、未来展」、シンポジウム「集まって住むことの広がり」を開催させていただきたいと思います。時代が大きく変わろうとしているときに、住まい方にも様々な変化が見られるようになってきました。今回のシンポジウムは展覧会の標題の「デザイナーズ集合住宅」とは違った住まい方──同じ建築家ではありますが、デザイナーズの作家性というか作品性といいますかそれを排した、もっと住み手の側に立って設計されている方々の集住あるいは共同住宅が脚光を浴びてきています。
というより、時代の急激な変化にオーナーや不動産会社はユーザーの求めている変化に気がつかず、また、多くの建築家は従来通りの建て方をしていて時代の変化に気がついていません。今日お招きしました建築家の方々はいまの時代に求められている集住、あるいは共同生活のニーズを敏感に察知し「集まって住む」を自身で実践している方々です。
そして、今回の展覧会で若い社会学者の南後由和さんを起用しましたのは、この展覧会が単なる建築的な視点からだけでなく、社会学的な視点から集合住宅を考察してもらうことで、いままでにない住むことに対する新しい展望が開けるのではないかという期待からです。
建築関係の人だけでなく、一般の人にまで関心を持ってもらえるようにとの狙いがあります。

もうまもなく新学期を迎える季節です。新しく学校に通う人、新しく社会人になる人......、春はまぶしい光とともにやってきます。新しい気持ちでスタートを切るには、生活空間もそれにふさわしい場所が必要です。集住はそういう意味で、とても大切な人生を過ごす場所だと考えています。
今回のシンポジウムは、こうした若い人にとって、あるいはこれから高齢化社会を迎えるわれわれ団塊の世代にとっても、安らぎを得るための住処の見直しと"集まって住む"について考える契機になればと思います。
それでは7人のゲストの方々を紹介いたします。

馬場正尊──本日は、「集まって住む・働く、空間の多様化。デザイナーズの第2ステージ」という題で話したいと思います。まず、現在のデザイナーズマンションが、以前とは異なるフェーズに移行したという仮説を提示しておきます。私は「http://www.realtokyoestate.co.jp/東京R不動産」という不動産ウェブサイトの運営もしています。このサイトは東京中から、少しクセのある物件や変わった物件を集めた不動産仲介サイトで、最大の特徴は、サイト上のアイコンにあります。これまでの不動産は「駅から何分。フローリング。追い焚きあり」など性能情報で語られていましたが、このサイトでは、定性情報で物件を説明しています。このような表現は、建築関係者には一般のことなのですが、不動産業ではこれまでなかったことのようで注目されました。そのような視点からすると、現在のデザイナーズマンションはステレオタイプ化されており、際立って面白いというわけではありません。googleで不動産と検索すると、重要検索単語10個のうち、東京R不動産も出てきますから、われわれのような物件の捉え方も決してニッチではないようです。
近年のデザイナーズマンションは、いわゆる空間のデザインには留まらず、デザインされる対象が拡がっている印象があります。それは共有の方法(シェア)のデザイン、所有形態のデザイン、時間のデザイン、働き方のデザイン、これらをミックスした経済性のデザイン、場所のデザインなどです。いわゆる空間を作るだけではないところまで踏み込み始めたのではないかと仮説をたて、これを第2ステージと呼んでいます。それぞれに内容も多様化しています。例えば、シェアハウスは安いだけの居住空間ではなくなっているのです。オフィスの中心にバーカウンターを備えたシェアオフィスがあり、そこではバーカウンターをコミュニケーションのハブにして、編集者、建築家、プロダクトデザイナーがシェアしています。ここで情報交換なども行なわれ、Mixi(ミクシィ)のようなSNS的空間とも言えます。昼間はオフィスで、夜はクラブになるような物件もあり、「複合コンテンツ二毛作」と呼んだりしています。これは時間のデザインの例です。
ボロビルが、地域の中心になることもあります。ショップやカフェ、アトリエの入居が繰り返されるうちに、その影響が周囲に伝わり場のポテンシャル自体が変わっていくこともあります。
これらの事例は、いわゆる空間デザインではなく、所有の形態や、時間の使い方であり、働き方、収益のデザインです。場所を作っていく、発見していくという意味でのデザイン行為・実験が行なわれているのです。これまでの建築デザインの領域は、建物オーナーから頼まれて始める受注型のデザインだったのですが、今後は領域を拡張し、その背景にある文脈までをデザインしていく必要があるのではないかと思います。

「デザイナーズ」のその先にあるもの──展覧会とシンポジウムの企画趣旨

大島滋──ありがとうございました。馬場さんはここで退席されます。ここからは、モデレーターの南後さんにお話いただきます。

南後由和──モデレーターを担当します、南後と申します。前半は、今回の展覧会を企画監修した私から、展覧会の解説と、本日のシンポジウムの趣旨説明をします。その後、大西麻貴さんと鈴木志麻さんから、展覧会の「集まって住む」セクションの概要説明をしていただきます。後半は、成瀬友梨さんと猪熊純さんから、今回出展していただいている《A-Housing》(2009-)のご紹介をいただいて、その後、ブルースタジオの大島芳彦さんにプレゼンテーションをお願いします。そこで休憩をはさみまして、パネリスト、コメンテーター、モデレーターの全員でディスカッションを行ないたいと思います。

まず、私から展覧会の解説とシンポジウムの趣旨説明をさせていただきます。この展覧会の特色は大きく三つあります。一つ目は、ミサワホームAプロジェクトが展覧会を主催しているということです。今回の展覧会は、大島滋さんが私に相談をくださり、Aプロジェクトを紹介するような展覧会企画の依頼をいただいたことに始まります。Aプロジェクトとは、ハウスメーカーが建築家と住まい手の間に入ってコーディネートをするという従来にはない業態です。大島さんからの依頼では、建築家のデザインを身近に感じてもらい、建築の魅力を社会に伝えることを重視したいということでした。そこで、模型と図面のみを並べた建築展ではなく、Aプロジェクトの理念を包括する、より大きなテーマで展覧会をすることによって、建築と社会のインターフェイスを広げることができるのではないかと考えました。そこで着目したのがデザイナーズ集合住宅です。もちろん、デザイナーズという言葉自体に新奇性を感じているわけではありません。むしろ、90年代から2000年代で、あるブームを終えたと思っています。終えたからこそ、その先のことを考えていきたい。デザイナーズ集合住宅が面白いのは、様々な立場の人が関与しやすいのに加えて、一般の人でもイメージしやすく、ツッコミを入れやすい点にあります。建築家や企画・仲介会社、不動産業者に住まい手、メディアが共通の土俵に立って議論が出来るのではないかと思います。例えば、第2セクションの不動産編パネルでは、企画・仲介会社の方からおすすめ物件や問い合わせが多い物件を紹介していただきました。また、雑誌を小屋のなかに置いたり、テレビ・映画、住宅産業などを横断したデザイナーズ集合住宅の関連年表を作成しました。このようにデザイナーズ集合住宅を建築家、不動産、メディア、住まい手などの立場から多角的に捉えつつ、それらをフラットに展示することにより、専門家や素人、内部や外部といった境界を変容させる多元的な評価軸を導入できたのではないかと思います。例えば、会場中央に建てられた小屋は、僕らが理想とする不動産屋のひとつのモデルです。内部には不動産屋さんでよく目にするようなチラシが30枚ほど貼ってあります。ここでは「デザイナーズ」という枠組みを超えて、「集まって住む」という原点に立ち返って、古今東西の集住の事例を独自の切り口で紹介しています。ただし、作品集や教科書のような体裁にすると遠い存在になり、身近に感じにくいと思います。賃料や最寄り駅からの距離など、不動産屋のフォーマットに置き換えることによって、そこに実際に住むという想像力を働かせながら、よりリアリティのあるものとして見てもらえるのではないかと考えました。
二つ目の特徴は、企画監修としてAプロジェクトの大島滋さんの他に私という社会学者が関わらせていただいたことにあります。大学にいる社会学者が、建築のキュレーションをした展覧会はこれまであまりなかったのではないかと思います。社会学的視点の特徴について二つほどお話します。ひとつは、建築物が竣工後にどのように使われていくか、あるいは建築がどのように一般の人やメディアに受容され消費されているかを考える視点です。「デザイナーズ集合住宅の因数分解」というコーナーには、後者の視点が活かされています。不動産の検索データベースから見れば、世界的に著名な建築家の設計も、無名の建設会社による設計も、フラットに「デザイナーズ」というカテゴリーに並べられます。しかも、螺旋階段やコンクリート打放しというステレオタイプな要素をひとつでも備えていれば、デザイナーズというカテゴリーに回収されてしまう。そのような社会的な現実を、批評も込めて展示構成しました。
もうひとつの社会学の特徴は、社会で当たり前とされている前提条件を遡り、斜めの角度から読み替えていく視点です。それを活かしたのが、「集まって住む」のセクションです。現在ある集住のかたちが歴史的にどのようにかたちづくられ、変容してきたのかを見るのが社会学のまなざしです。
この展覧会の特色の三つ目は、展覧会がボトムアップ型で、セルフメイドであるということです。照明は岡安泉さんにお願いし、Aプロジェクトのコーナーは各建築家の方に模型とパネルの出展をお願いしました。また、小屋の施工自体も工藤工務店さんにお願いしましたが、それ以外の展示には、東京大学、日本女子大学、東京芸術大学を中心とする大学院生・大学生のアイデアが反映されていて、パネルや模型、家型カンテラなどもすべて自分たちで制作しました。皆さんがおられるシンポジウム会場でオープン直前まで作業していました。3徹の作業を初めて経験し、まさに新宿NSビルで「集まって住む」状態でした。
展覧会の解説を順番にさせていただきますと、「1. 歴史・社会編」は、デザイナーズ集合住宅のデータマップです。資料は日本女子大学の篠原聡子先生の研究室から提供していただいて、芸大の大学院生の栄家志保さんと工藤浩平くんが翻訳をし、グラフィック化しました。その際に参照したのが、オットー・ノイラート(Otto Neurath、1882-1945)という哲学者/社会学者/政治経済学者が作ったアイソタイプという視覚記号です。学会などの研究発表においては、円グラフや折線グラフ、図表などが用いられますが、記憶に残りにくく、視覚的な情報伝達力が弱いのです。対してアイソタイプは、日本語や英語のような、文字言語の制約を超えた伝達の可能性を持っています。そこには、見る人間の知識量に関係なく瞬時に情報を伝達できる、アイソタイプの力を見て取れます。ノイラートは20世紀前半から半ばにかけて活躍し、建物の人口密度や、ドイツにおける1年間の出生数と死亡数を人型のアイコンの数量で表現するといった仕事をしました。そのような彼の仕事を参照しつつ、デザイナーズ集合住宅のデータマップを作りました。例えば、デザイナーズ集合住宅に住んでいる居住者の年齢層をパネルに表しました。20代後半から30代前半が多く、その背景には、少子高齢化や晩婚・非婚化などがあると思われます。単身者や子供のいない夫婦は、住居にまわす資金的余裕があるので、90年代から00年代においては、彼らがデザイナーズ集合住宅の担い手となってきたのです。
次のセクションは「2. 不動産編」です。デザイナーズ集合住宅を因数分解する形式をとり、それぞれ10個のパーツを、家型カンテラ照明を用いながら、模型とOHPとQ&Aパネルで展示しています。手前に植栽やエントランスのパーツが紹介されていて、奥に進むにつれて、コンクリート打放し、螺旋階段、ガラス張りのバス・トイレ、カラフルというように、外部空間から内部空間の順に並んでいます。これは、入口から建物に入っていく時の空間経験を再現したレイアウトで、これら10個のパーツを組みたてると「ザ・デザイナーズ集合住宅」が完成する仕掛けになっています。その際、なぜガラス張りのバス・トイレや、打放しを採用することが多いのかを、Q&Aのアンケート形式で建築家の方、企画・仲介会社の方にご回答いただきました。答えづらい質問だったと思いますが、それを見ていただくと建築家や企画・仲介会社の方の合理的な思考や各々のスタンスの違いもわかるようになっているのではないかと思います。
その先が企画・仲介会社のコーナーになっており、アールエイジ、アルファープランナー、タカギプランニングオフィス、ブルースタジオ、リネア建築企画、リビタのパネルを展示しました。
「3. 建築編」では、Aプロジェクトと先ほどご説明した「集まって住む」というセクションがあります。Aプロジェクトでは石上純也さんに《houses h》(2007-)、OMAの重松象平さんに《SAN-NO HOUSE》、中村竜治さんに《練馬の集合住宅》(2008-)、成瀬友梨+猪熊純さんに《A-housing》(2009-)、長谷川豪さんに《練馬のアパートメント》(2007)、若松均さんに《桜並木の集合住宅》(2008-)を出展していただきました。以上が展覧会場の概要です。

続いて、本シンポジウムの趣旨説明をさせていただきます。デザイナーズ集合住宅をめぐる動向の功績のひとつには、建築と社会の間に開かれたインターフェイスを用意したことがあると思います。13日のシンポジウムでは、『ブルータス』編集長の西田善太さんがデザイナーズ集合住宅の普及に関し、一般誌は一定の使命を果たしたということをおっしゃっていました。定着し、入口が用意されたのであれば、その先をわれわれはどのように模索していけばよいのか、通過点としてのデザイナーズ集合住宅の先をどのように考えるのかということが問われていると思います。本日のシンポジウムでは、それを「集まって住む」という観点、あるいはその広がりから考えていきたい。これからのプレゼンテーションやディスカッションで議論したいことを端的に先取りするならば、それは集まって住むことの困難さと可能性です。13日のシンポジウムで、コレクティブハウスにはカリスマ的なオーナーやユーザーがいないとまとまらないというデメリットが指摘されていました。しかし、それはソフトだけの問題なのでしょうか。そこで本日は、現在進行形のプロジェクトを中心に、空間面についても議論したいと考えています。さらにどのようにすれば、建築家と住まい手の境界を越え、集まって住むことの新たなかたちを実現できるのか、従来の家族や所有のあり方を超えた集合住宅のあり方についても考えたい。デザイナーズ集合住宅の居住者には、単身者や若者のイメージが強かったと思いますが、一方で、単身者には高齢者もいるわけで、彼らは集まって住まざるをえない。介護の人の手も必要になる。その際に、高齢者の人達が集まって住むことに対し、建築的なかたちを与える建築家の役割、可能性を考えるべきではないかと思うのです。
また、集合住宅は地域にも影響を与えます。点としての集合住宅だけではなく、それが集まった「地域」という視点から、集合住宅のあり方についても議論ができれば、刺激的ではないかと思います。以上が、本シンポジウムの狙いです。では、会場構成を担当した大西麻貴さんと、同じく企画運営チームの鈴木志麻さんからプレゼンテーションしていただきます。

「集まって住む」住宅の事例研究

大西麻貴──それでは、企画運営チームより「集まって住む」セクションの説明をさせていただきます。この展覧会の会場構成は、東京大学、日本女子大学、東京芸術大学の学生を中心に昨年の6月頃から準備を始めました。そのなかでも、「集まって住む」セクションは初期の段階から、1ヶ月に1度ほどの勉強会を重ねながら展示内容を決めました。「集まって住む」セクションを作ろうと考えたのは、集まって住むこと自体は魅力的な事柄であるにも関わらず、現実に建築家が集合住宅を設計するとなると、例えば収益性の問題等様々な問題が立ちはだかり、魅力的な集合住宅をつくるのが困難なのではないかという点に疑問があったためです。その点について古今東西の事例を追究することによって、社会的な問題を引き受けつつも、その先に向かう手がかりをつかめないかと思ったのです。会場構成では、会場の中心に私たちが理想とする不動産屋さんの小屋を建て、内部に、古今東西の集まって住んでいる事例を模型とパネルで展示しました。
集まって住むということを考えた時、単系からユートピア系までの10の切り口を考えました。パネルには通常の建築的な表示ではなく、賃料や家までの歩行時間などを表示することによって、見る人がリアリティを実感できるような展示を心がけました。スペックだけではなく、空間や住まい方の魅力を同時に伝えられるような表示の仕方を考えました。そのなかから特に、模型でその魅力が伝わりやすいものを6つ選んで実際に模型を作って展示しています。模型を製作した建築を紹介したいと思います。

▼《ハビタ67》
ひとつ目は、単系、個系、カプセル系と呼んでいた《ハビタ67》という集合住宅です。これは、モントリオール万博(1967)で建設された、モセ・サフディ(Moshe Safdie、1938-)という建築家の集合住宅です。全部で158戸の住宅から構成されています。ひとつ一つはキュービックなのですけれど、それらの集合によって特異な形態が生み出されています。住戸の上が、他の住戸のテラスになっていたり、思いがけない隙間から空が見えるような風景を生み出しています。それは必ずしも、建築家のエゴイスティックな形態操作とは言えない合理性を持っており、同時に空間の豊かさも生み出しています。キューブの連なりは住戸同士の立体的な関係性も生み出していて、住まい方自体に影響を与えているのが興味深いと思います。この住宅は現在、高級住宅としても成り立っていて、そのことも興味深いです。

▼《森山邸》
次は、西沢立衛さんの《森山邸》(2005)という集合住宅です。オーナーの住戸と、賃貸の集合住宅を兼ねた集合住宅です。通常の集合住宅は、ひとつのボリュームのなかに、それぞれの部屋が整然と並んでいますが、《森山邸》では、ひとつ一ひとつの部屋をばらばらに敷地の中に配置することによって新しい関係性を生み出していると思います。また、それぞれの部屋を小さな単位に分解して敷地にならべることによって、周囲の環境に対しても、とても自然な状況を生み出していると思います。部屋の間には露地状の空間ができて、そこに植栽があったり、無造作にソファがおかれていたり、時折、近所の人が通り抜けたりします。集合住宅の形式そのものを再考し、部屋を敷地にばらまいた配置が、近所との新しい関係を生み出しています。

▼《かんかん森》
鈴木志麻──《かんかん森》(2003)は、日本初の多世代型コレクティブハウスです。上層階の高齢者住宅、1階の内科診療所や保育園などからなる複合居住施設の2、3階に《かんかん森》は位置しています。0歳から81歳までの住民がおり、共同の食事や暮らしのための自主的な活動と、個々の住戸における独立した暮らしの両立が目指されています。建物外観は、よくある集合住宅のようですが、内部はそれぞれの個室と、住人が共有で使うリビングルーム、40人収容のダイニングルームなどから構成されています。キッチンやランドリールームに、ゲストルーム、菜園などもあります。入居のコーディネートや管理は全て、居住者有志による「株式会社コレクティブハウス」と、居住者組合「森の風」が行なっています。住民は必ず、なんらかのサークルに属していて、食材の共同購入を行なうコモンミールプランニンググループや、野菜草花を育てるガーデニンググループなど18のグループが活動しているそうです。世代を超えた「お隣以上家族未満」な関係のなかで、住民の集まり方、暮らし方の新しい可能性を実践しようとしています。これからの高齢化社会において、世代を超えて集まって住むことの需要は高まっていくと予想されます。《かんかん森》はその先駆的な事例といえますが、このような住宅のかたちや集まり方の可能性にはまだまだ追究の余地があると思います。

▼海外事例
次は海外の事例です。デンマークのコペンハーゲン、イェヤースポー駅すぐのところに建つ、元貯水塔です。地域のランドマーク的機能を残しつつ、コンペで選ばれた建築家の手によって、学生向けの公共集合住宅へと低予算でコンバージョンされました。住戸面積は30㎡前後で、内部には利便性を追究したキッチン、デスク、ベッド、クローゼットなどのシステムが完備されています。内部は円形で、パイプが通る場所もありますが、天井が高く、改修時に付け加えられた特徴的な大きな出窓からは、パノラマビューが楽しめます。低層階は多目的室やリクリエーション施設が充実しています。通常、個人ではとても住めないような建物でも、集合住宅として再生することで居住可能になるということが興味深く思いました。そのことによって、利便性と眺望の良さを手頃に獲得できたユニークな事例です。

▼《沢田マンション》
次は、セルフビルド系《沢田マンション》(1971-)です。オーナーの沢田夫妻とその子供が30年以上に渡り、手を加え続けたセルフビルド建築です。地下1階、地上5階建、幅70mで、住戸数は約60室あります。建築家が全体を設計するのとは異なる自制的な秩序が構築されている集合住宅です。複雑に折り重なる階段やバルコニー兼用の広い通路が特徴的で、迷宮のような空間を生み出しています。通路には住民の持ち物や生活がにじみだし、立体的な路地のような風景が生まれています。緑が多いのも特徴的です。沢田マンションには個性的なオーナーがいて、余白的な空間を上手く生かし、住民同士がイベントを開催するといった独特な親密感を持った集合住宅です。家族同士の濃密なご近所付き合いというよりも、賃貸ゆえの単身者をベースとした緩やかな関係が展開されている事例です。

▼タンベルマ族住居
次は、アフリカのタンベルマ族の住居で、現在も住まわれています。西アフリカのギニア湾一帯は、17世紀から18世紀にかけて多くの黒人奴隷が移送され、奴隷海岸と呼ばれました。この奴隷狩りから逃れた部族の隠れ家が集まった地域があり、この集落もそのひとつです。屋敷全体が土壁で囲われて閉じているのは、敵の侵入を防ぐためで、屋根は敵を見張り迎え撃つ場でもあったとのことです。閉じられた世界の内部は機能的かつ合理的でユニークな構成になっています。タンベルマ族は一夫多妻制の種族で、そのこともかたちに影響を与えています。まず、人は2階に住み、家畜は1階に暮らし、女性の専用個室がいくつもあります。一家族の住居ではありますが、自給自足の生活のなかで、動物と、おそらく女性同士の微妙な距離感もあると思われ、そのことと外界から家族を守ろうとする意思がこのような特徴的なかたちに表されています。

▼《レイクショア・ドライブ・アパートメント》
▼《ラ・トゥーレット修道院》
大西──これまで説明した作品のほかにも気になったものを2点紹介したいと思います。ひとつはミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886-1969)の設計した《レイクショア・ドライブ・アパートメント》(1951)です。私たちはこれを、垂直系と表現しましたが、現在のタワーマンションの先駆けと言えます。タワーマンションや高層集合住宅のもつ圧倒スケールには、ある種崇高さすら感じます。形態の可能性には余地があると思いますし、そこに住まい方の魅力を付加することができるのではないかと感じています。
もうひとつは、私たちがハイブリッド系と呼んでいるものです。プログラムが集合住宅とは異なるものの、集まって住んでいると見ることができると考えたものです。ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887-1965)の《ラ・トゥーレット修道院》(1960)や富山型と呼ばれる富山のデイケアセンター、ヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron、1950-)の設計したリハビリテーションセンター(2002)をこの系に含めました。

鈴木──集まって住むという観点から、古今東西の事例を見た時、そこからどのような未来の住宅の可能性が浮かび上がるのか考えてみると、その可能性は大きく二つあると思います。それは、集まって住むことによって生まれるかたちの可能性と、住まい方の可能性です。かたちの可能性とは、人や動物が集まって住むことによって獲得されるかたちは、結果的に豊かで面白いものになりうるということで、例えばタワー型のものや、《ハビタ67》や《中銀カプセルビル》(1972)のようにユニットが集合したものなどは、単世帯の住宅では得られないようなスケール感やかたちの面白さを有していると思います。また、集まって住むかたちや住居同士の関係性を根本から考えていくことで、形骸化された形式が解体されるということを《森山邸》や、タンベルマ族の住居に学ぶことができます。
住まい方の可能性とは、コレクティブハウスやシェアハウスに見られるような新しい住民の集まり方や、《かんかん森》や《沢田マンション》《森山邸》のような、ただのご近所関係、家族関係を超えた住民のあり方のことです。《沢田マンション》や《森山邸》を見ると、そこでは個性的なオーナーやカリスマ性をもった住民の存在が鍵になっているようにも思いました。また、パネルではネットカフェやホテルの事例も紹介しましたが、単に住むということを超えて、自分の居場所や活動の拠点をどのように創出するかということは、集まって住むことの未来を考えるうえで重要だと思います。かたちと住まい方の可能性は、どちらかに分けるというものではなく、両者にまたがる事例もあります。むしろそのような住宅こそ、理想的な未来の集まって住むかたちではないかと思います。

南後──ありがとうございました。ここで、篠原さんから展覧会全体や、大西さん、鈴木さんのプレゼンテーションに関してコメントをいただきたいと思います。

篠原──「集まって住む」ということがテーマなわけですが、皆さんのプレゼンテーションを聞いていて印象的だったのは、「家族」という言葉がほとんど出てこなかったことです。私たちの世代は、さんざん家族の話をしてきました。しかし、馬場さんをはじめ、皆さんの話を聞いていると、家族は居住単位として既にオルタナティブなものである気がしました。馬場さんはデザイナーズ集合住宅の第2ステージという言葉を使われていましたが、私も家族という視点から、「集まって住む」も第2ステージという気がしています。

南後──家族という従来の集住のあり方を超えた例でいうと、《アクティ汐留》(UR都市機構、2004)があります。間取りは3LDKなのですけれど、玄関が三つあり、入ってすぐに個室があります。それぞれの個室にトイレやシャワーがあり、奥にリビングルームがあります。家族がシェアをするという感覚を空間化した典型例ではないかと思います。
続けて、成瀬さんと猪熊さんにプレゼンテーションをお願いします。

猪熊純──早速、プレゼンテーションを始めたいと思います。馬場さんや大西さんのプレゼンテーションを伺っていて、目指している方向は似ているように思いました。今回お話するプロジェクトは会場に展示しておりますので、ぜひそちらもご覧になってください。
建築のプロセスを考えると、当然ですがプログラムがあることによって初めて設計が行なわれます。住宅などでは、お施主さんから話を伺って設計作業に入るわけですが、大きな施設ではプロデューサーやディベロッパーの方がいらっしゃいます。プログラムは、建物の使用方法を規定しているので、プログラムが既に決まっている場合は、設計作業中にやることが少なくなるのが現状です。最近興味があるのは、そのような状況で設計するということそのものを考え直すということです。そういう意味では、馬場さんが現在なさっているようなことには非常に興味を持っています。
設計作業からスタートしつつ、本来の役割を超えてプログラム側に遡ることと、具体的に使うということを細かく考えることを同時にやっていかないと、うまく使われない建築がどんどんできてしまう。住み方とそれを成立させるシステム、空間を同時に提案することでしか、新しい可能性は作っていけないのではないかと思うのです。

▼《A-Housing》
《A-Housing》(2009-)は、展覧会のチラシに掲載されている写真と、会場で展示されているものが大きく異なっています。チラシの写真は、最初にお施主さんにプレゼンした模型です。それが展示会では、全く異なるものになっています。この間にあった経緯が、日頃考えながらやっていることと、現在感じている可能性に繋がっていると考えています。元々、クライアントさんが土地持ちでなかった時点で、設計条件が厳しくなるであろうことは想定していました。そこで、法規的に高さ制限が緩い場所であったのを利用し、天井高を高くして、豊かな住空間を作ることを提案しました。また外壁のガラスも、写真の時よりもだいぶ減らして一般的な量にしつつ、限界まで施工費を安くするように試みました。ところがそれでもクライアントの望む額には合わない。つまり、そもそも集合住宅の実現自体が困難ということです。


そこでもう少し収支が良さそうなオフィスやホテルなどを視野に入れましたが、不景気なのでオフィスは契約者がなかなか決まらない、ホテルは一社が一括管理するので、その会社が傾けば一気にその影響を受けるというリスクがあります。そこで検討したプログラムがシェアハウスです。ところが、これまでのプレゼンテーションで紹介されていたように、シェアハウスのほとんどが改修による物件です。シェアハウス専門の不動産サイト「ひつじ不動産」によれば、シェアハウス自体は2007年当時、改装もいれて都心に集中して450件あるとのことでした。一方で新築は20件くらいと少なく、実現困難なのかとも思いました。しかし、そうはいっても一般的な集住を改築して収支が回るのであれば、新築のシェアハウスもあり得るだろうと、こちらで勝手に踏み切ったのです。実際に試算してもらうと、結果的にこの収支が一番良かった。住戸数が増えるにも関わらず、1戸あたりの賃料も共同住宅と同等に設定できるとのことでした。
私たちは、せっかく新築なので、他にも様々なことができるのではないかと考え、試みています。例えば、共用部の多い階や少ない階を設け、各階の共用部を縦にぽつぽつと繋げることにしました。10階建の建物のなかに、街のように大小の共用部を点在させています。10階建41戸からなる建物は、1-3階・4-6階・7-9階、つまり13戸・14戸・14戸の3つのまとまりに分けて構成されています。3層が軽いワンセットになっていて、ダイニングキッチンを共有します。ラウンジや水回りは、各階にあります。そして10階は全て共用部となっています。このことは、新築であることによって実現したことです。巨大なテラスになった外部空間も設けていて、ここは9層の全員が共有する場所を想定しています。室内にはダイニングさえ無く、大テラスと同時に利用する、巨大なキッチンが設置されています。皆でパーティをしたり、花火を見ながら騒ぐとか、昼は日向の場所で本を読みながら休憩したりと、普通の集合住宅では無理なことが自然にできるのではないかと思っています。この地域では、幸いこの建物が一番高くなりそうなので、空に浮いたような、他では得られないような広い共有スペースで、生活を楽しむことができるようになると良いなと思います。
2階・5階・8階の共用のダイニングキッチンには個室では不可能なほど大きな開口部が開いていて、しかもそれぞれの階が別の方向を向いています。こうすることで、それぞれ全く異なる景色を味わえるような共用部が3つできあがります。一般的なシェアハウスの廊下にある共用部と違い、天井高が2倍になるので、かなり異なった雰囲気が味わえる場所になるのではないか期待しています。共用スペースはキッチン部分を広くとっているので皆で料理をすることもでき、上の吹き抜けから降りて来る人もいます。共用部を直接眺められるような開口を持った個室もあります。
共用部が特徴的であるために、個室面積が小さくなっているのではないかと思われるかもしれませんが、一番狭い部屋で5畳、広いところで8畳くらいあります。いわゆるワンルームから水回りとキッチンを抜いた部分の面積と比較すると、同じくらいの広さがあります。友人を招く際は共用部に招けば良いので、本当にプライベートな空間として使うことができます。その意味では個室の部分も一般のワンルームと遜色なく快適に過ごせる場所になっていると感じています。
今回、面白かったのは、収支が合わない物件のプログラムを見直し、事業計画を練るパートナーも自分達で探したということと、それによってこの建築が、より魅力的なプロジェクトとして動いているということです。このような方法は今後、いっそう大事になっていくのではないかと思います。以上です。

南後──従来1階が共用部という集合住宅が多かったわけですけれど、《A-housing》では、共用部を垂直に分散させる提案がなされていました。《森山邸》の場合は、水平方向にそれぞれの機能が分散されているのに対して、《A-housing》のプロジェクトはそれを垂直に展開させていくことによって空間的な魅力を醸し出しているのが興味深いといえます。
今回の展覧会で、単系として紹介しているようなカプセル住宅やカプセルホテルは、1室にバスやトイレ、キッチン、ダイニングを最大限集約させるのに対して、このシェアハウスのプロジェクトは、そのような機能をアウトソーシングしています。若者が普通のワンルームマンションに住み、冷蔵庫をコンビニで代替するという、生活を都市にアウトソーシングしていく話はこれまでもありましたが、このプロジェクトはひとつの建物のなかでアウトソーシング化と個室の関係を巧みに編集することにより、これまでなかったような共用部や空間、コミュニケーションのあり方を展開しているのが印象的です。新築のシェアハウスによって、プログラムと空間を一緒に提案しているという、とても魅力的なプレゼンテーションでした。
続いては、不動産と建築設計を合わせた業務を展開されているブルースタジオの大島芳彦さんに、その設計方針についてお話をうかがいたいと思います。

大島芳彦──私たち、ブルースタジオはおおよそ建築設計7割、不動産3割の比率で業務をしています。住まいの設計を不動産的要件の選択からデザイン、インテリア、広告、コミュニケーションまで様々な異なる要素を同じ座標軸上で編集する、という行為で行なっています。
編集という言葉が私たちのキーワードですので、今日は、ナラティブデザイン・物語のデザインをテーマとして話したいと思います。
当社は建築設計の仕事をはじめてから約10年が経つのですが、さまざまなことが大きく変化した期間でした。消費者の価値観は相対的なものから自分らしさや人との違いを重視する絶対的なものに変化し、様々なプロダクトもハードウェアからソフトウェアの時代へと移行しました。住まいの価値基準も、かつては物件単体のみを見ていた時代から、その背後にある物語性を問う時代になりました。住環境は買うものではなく、創るものなのだという認識がポピュラーになってきたのです。別の言い方をすると空間が舞台装置で、生活者は演者、コンセプトはシナリオです。
事業用の集合住宅をデザインする場合、施主はいるものの、演者は決まっておらず、シナリオと舞台装置について考えなければいけません。設計者の立場からいえば、創りあげた世界観を演者にシェアしてもらうことが最も重要で、例えばシェアハウスの設計をしようとした場合、台所やキッチンを共用にするといったテクニカルな操作だけではそこにストーリー性は無く、他のシェアハウスとの差別化ははかれません。設計の背後に魅力的な物語、シナリオがあれば、まずクライアントを説得しやすいばかりでなく、その世界観はエンドにまでスムースに伝わり入居者の決定に繋がります。

▼コンバージョン事例
築40数年たったオフィスビルのコンバージョンの事例を紹介します。2004年に竣工しました。集まって住む、ということに関して非常に上手くいったと思います。当初、オーナーさんからはデザイナーズマンションにして欲しいという要望をいただいたのですが、周辺には広告関係など、クリエイティブな仕事をしている人が多いので、デザイナーの手によるマンションというよりはデザイナーのためのマンションを創りましょうと提案させてもらい、「コミュニティーとしてのクリエイターズヴィレッジ」というストーリーでSOHOの提案をしました。そして、その物語に合致するクリエイターに入居してもらえるよう、建物のデザインだけでなく、建物全体のテナントミックスまで検討をしました。2階以上はSOHO、低層部のテナントはコンペを行い、1階には深夜まで営業するカフェと、旅をテーマにした素敵な本ばかりを扱うブックストアに入っていただきました。入居クリエイター達は、階下でそんな素敵な本を仕事のリファレンスとして購入することができ、カフェは夜中の3時まで営業しているので、打合せ場所にも事欠かないですし、コーヒーなどのルームサービスもありがたいサービスです。また、地下には空調機械室だったスペースがスカッシュコート1面分ほどの大きさであり、そこはフォトスタジオに入ってもらいました。このようなテナントミックスによって、建物のデザインにはストーリー性が付加され、入居クリエイターに最善の環境が出来上がったのです。この建物はグッドデザイン賞と不動産学会賞業績賞をいただき、特に後者は、地域のニーズにとってランドマーク的な存在として、周辺地域の価値を高めたことまで含めて評価をいただきました。
以上、ナラティブデザイン、建物を超えた物語のデザインがこれからの建築家が目指していくひとつの方向性になるのではないかと考えています。

南後──大島さんのプレゼンテーションをうかがって気をつけなければいけないと思ったのは、価値観や世界観を共有すること自体が、ある意味、強制や押しつけになってしまっては、その枠内に入ることができる人と、できない人を選別してしまうということです。社会学の分野でも1990年代以降、価値観が多様化するなかで、世界観や価値観を共有していくことの困難さが議論されてきました。大島さんがおっしゃる、世界観や価値観の共有という問題はデザイナーズ集合住宅のブームが根づき、住まい方に対する意識が定着したことによってこそ、ある部分での共有が可能になったと思うのです。そこでの人間関係というのは一昔前の町内会的、会社共同体的なものではありません。賃貸という契約を介した一時的な人間関係であり、場合によっては容易に「解除する」、「降りる」ことができるという気軽さが、現在の集まって住むということのひとつの面白さとして浮かび上がって来たのではないかと思います。
後半のディスカッションはまず、篠原さんから成瀬さんと猪熊さん、大島さんのプレゼンテーションに対してコメントをいただきたいと思います。

新しい集住の質と物語の構築

篠原──皆さんのお話を伺っていて感じたのは、これからの建築家には、形態の操作だけでなく、自身で物語を編集する力、読み替える力が必要だと強く思いました。また、価値観の共有に関連したことですが、集団は、場所を持つと結束力が強くなる性質があります。それは良い方向に働くこともあるけれども、集団の大きさとフレームの大きさが一致した時には排他性を持ち、内部の関係が硬直化していく性質も持っています。私が前半で触れた家族と住宅の関係もそうで、1戸の住宅に一家族が住み、その永続的な維持が強いられる場合には精神的な圧迫も生まれます。
そして、昔は物語が既に用意されていたと思うのです。生まれて、結婚し、賃貸に住み、マンションから郊外の一戸建へ転居する、という物語が用意されていました。今後は、ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも、物語は自分で作らざるをえない。誰と住むかということは、どうやって生きていくかということと同義なので、自分で物語を作れる人、選べる人が強者になると思います。ですから、ある集団が楽しくシェアし続けられると同時に、その関係がある種の包摂性をもって、新しく来た人、価値観の違う人を巻き込めるような仕組みはどのようにしたら作っていけるのかということが私のテーマでもあります。それは、集団が空間を所有することによって持つことになる排他性を、どうやわらげるかということでもあります。

南後──篠原さんの指摘は、集団の大きさと空間のスケールが合致する時に、集まって住む結束力と同時に、閉塞感や排他性も生じうるということでした。集合住宅にもさまざまなスケールがあると思いますが、適正な住戸数や住人数はどれほどなのか、今までの研究成果や成功例などあれば、教えていただけますか。

大島芳彦──感覚的には30世帯あたりがひとつのまとまりだと思います。私たちの仕事のひとつの柱に、区分所有マンションの専有部を完全にデザインし直すリノベーションがあります。施主がその題材として選ぶマンションもその規模で、多くても50世帯程ではないかと思います。 何百世帯もあるようなマンションは、大きな集団のなかには属したく無いということで敬遠されがちです。

篠原──民間の分譲マンションなどで調査をすると、200戸前後の規模で10年以上経過することが、コミュニティが形成されたと認識できる基準のようです。そのような規模のマンションは共用施設が持て、竣工から10年以上の経過した時期には大規模修繕が行なわれます。人間関係ができるきっかけは問題の共有なので、大規模修繕のような問題の共有を通して住民間にネットワークが構築されるのです。そして、居住形態とコミュニティという面から見ると、200戸前後の戸数規模になると、いくつかの中間集団ができてきます。大島さんがおっしゃっていた30世帯、50世帯というのは、1個の中間集団、思想や価値観の規模で、200戸以上の規模ではそのようなものが形成される可能性があるのです。50戸以上の規模では、《A-housing》のように、クラスターによって関係が見えるように工夫しないと、住民間でのネットワーク形成は難しいのではないかと思います。

猪熊──コミュニティの成立は規模に加えて、運営の仕方とも連動しているのではないかと思います。大島さんのリノベーション事例は、物語を完全に共有できる人数だからこそ成り立っていると思うのです。われわれのプロジェクト、41世帯が完全に物語を共有するのは困難なので、緩やかなクラスターを用いたということです。人間関係のクラスターができるまでに時間が必要なわけで、何カ月かに1回パーティを開き、毎日建物の掃除をするなど、全員が知り合いにならなくても維持できる管理をすることでコミュニティが成立するよう工夫しています。また、規模と管理方法の組み合わせによっては、日本中に様々な規模のシェアの仕方が自動的に生まれることになると思うのです。

南後──篠原さんの指摘にもあった物語という点に関して、住宅双六というものがありますが、木賃アパートから始まって、賃貸マンション、分譲マンション、庭付き一戸建に住むという持家志向に対する幻想は弱まりつつあります。現在は、賃貸住宅だからこそ可能な、集まって住むことの多様性を考えることが重要なのではないかと思います。
また、もう1点は、シェアし続ける仕組みを時間のプロセスのなかにおいた時、どういうことを建築に携わる人が考えていかなければならないのか、議論すべきではないかということでした。特に、《A-housing》は新築であるということで、今後の時間との関係をどのように考えられているのかお話をいただきたいと思います。あるいは、建物の管理運営方法について具体的に考えておられることはありますか。

猪熊──時間という意味でも、41戸という規模は新陳代謝できるスケールではないかと思っています。41世帯全員と知り合いになるには相当な時間がかかるうえに、建物が積み上がっていることもあり、1階の人と9階の人はエレベーターのなかで出会うか、元々、同じ階に友達がいるような状態でないと会う機会はないと思います。その意味では緩く繋がりつつ知らない人もいるという状態が、街中のように維持されていくスケールなのではないかと思います。その過程で、転居する人もいれば、入居する人もいるはずで、上手く管理すれば持続するスケールなのではないかと思います。

第1ステージから第2ステージへ
──時間的・空間的なカスタマイズの可能性

南後──展覧会を準備していくなかで大学院生も定期的に勉強会を開きました。大西さん、鈴木さんからもゲストの皆さんにお聞きしたいことがあるということです。

大西──まさに、時間の問題についてお聞きしたいと思っていました。篠原先生が楽しく永続的にとおっしゃっていましたけれども、集合住宅が設計者や企画者の手を離れ、住まい手に手渡された後、どのように時間を刻めるかに興味があります。大島さんのお話の中には、イベントなどを定期的に企画して、ソフト面で継続していこうという事例もありました。建築を設計する側としてソフトな面の可能性を感じつつも空間そのものとして永続的であり得る空間がどのようなものなのか気になりました。

大島芳彦──物語の設計という話をしましたが、物語とは時間が強く関係するものだと思います。賃貸住宅においては退去時に室内の原状回復をする必要があるわけですけれど、これは毎回入居時の状態に初期化してしまうことを意味する。その行為によって時間の経過が醸し出されるわけではない。例えば住んでいた人の記憶や形跡をあえて残すことによってその変化が価値に変わっていけると面白いと思うのです。経験の蓄積が建物の存在の価値になっていく。それを実現するために、どのようなハードウェアを設計すれば良いのかというと、上質なキャンバスのように、絵、つまり個々の生活を描きだされる事を前提とした。ある程度柔軟に発展できるような自由なキャンバス。そんな空間が必要だと思います。

南後──篠原さんも、空間的な仕掛けについてお聞かせいただけますか。

篠原──ポジティブに言えば、更新性、カスタマイズの可能性が見えるような建築でないといけないのではないかと思います。言い換えると、手間のかかる建築、手間のかけられる建築でないといけないのではないでしょうか。
例えば、《沢田マンション》は、当初の制作者は亡くなっていますが、奥さんと3人のお嬢さん、それぞれのお婿さんに引き継がれています。マンションのなかには材木工場があり、徐々に作り替えていくことが可能です。そのような仕組みを手放さずに、工事を続けているのです。そのことがあのマンションに不思議な活力を与え、人を惹き付けるのだと思います。あのマンションは現在6階くらいまで建っていて、建設途中の柱も建っています。クレーンも乗っています。実際には7階建にしようとしているらしいのですが、役所からはこれ以上は高くしないでほしいと言われています。けれど、役所がそれ以上言わないのにも理由があるのです。高齢単身者は民間の賃貸アパートを貸してもらえないのですが、沢田マンションは引き受けてくれ、値段も安い。役所の福祉課も《沢田マンション》を勧めるらしいのです。その仕組み、手間のかかる建築に手間をかけ続けてオープンエンドに至った感じが、様々な人を引きつけているのだろうと思います。東大大学院を出てシンクタンクに勤めている人やアーティスト、生活保護で暮らしているような人が一緒に住んでいる。このような環境は私たちがデザインしてできるものではありません。

南後──時間の大きな流れのなかで、集団的に育てていく《沢田マンション》は、かたちの意味ではなくて、植物的、生命的なエネルギーがあふれているひとつの例だということですね。続けて鈴木さんからコメントをお願いします。

鈴木──今回、いろいろな集合住宅を見せていただきましたが、自分が住むとなると疑問に思う点もありました。例えば、シェアハウスは友人が住んでいたら、遊びにいきたいと思うものの、自分が住むとなると躊躇してしまう。《A-housing》も、家族や親戚でフロア借りして住みたいと思うものでした。どんな住民がどのように集まるのかといった疑問やギャップも感じつつ、面白みを感じました。

南後──大島さんにお聞きしたいことがあります。デザイナーズ集合住宅は1990年代から2000年代前半のブームを過ぎ、第2ステージに移行しつつあります。住人、オーナーに関しては、90年代から現在までで、どのように変わりつつあるのでしょうか。

大島芳彦──ブルースタジオのウェブサイトで会員登録をしていただく際には、会社員、やクリエイター、など5つくらいの選択肢をもって、その方の属性を伺っています。7年前は、会員数が約2千人ほどの規模だったのですが、属性をクリエイターと答える人が6割以上を占めていました。対して、最新の会員数が1万人を超えたデータでは、反対に会社員と答える人が7割近くいます。それだけ個性的な住宅が一般化したわけなのです。自分自身を会社員と答える人はコンサバティブな感覚を持っていると思うのですが、そのような人も家にこだわりはじめている。そのようなことが入居者側に起きた変化だと思います。また、都市部のオーナーにも変化があります。1960年代以降急速に作られた収益物件、賃貸住宅は前世代の人々の手による産物と言えます。それから40年以上の年月がたち、建物は劣化の問題に加え、70〜80代になったオーナーから、40代以降の若いオーナーに引き継がれはじめています。その世代が考える賃貸業とはサービス業としての感覚、意識などかつてのオーナーのそれとは大きく異なるものになりつつあります。

南後──少し話がそれてしまうのですが、大島さんはターゲット層のマーケティングをなさっているという話が印象的でした。《A-housing》は新築で一斉に入居者募集をすると思うのですが、設計の段階で、入居者層や年齢層は想定されているのでしょうか。

成瀬友梨──鈴木さんの質問にお答えしたいと思います。鈴木さんは自分が住むとなるとハードルが高いとおっしゃっていましたが、実は私もシェアハウスに好んで住むような性格ではないと思っています。ワンルームに住むことへの抵抗はありませんし、むしろ家族と住むのが得意ではありませんでした。一方で、建築家は自分の想像の範囲のものだけを作っていてはいけないなとも思うのです。このような人に住んでほしい、育ってほしいというための空間を作っても良いと思うのです。もちろん、無責任に押し付けるという意味ではなく、そういうことをしても良いのではないかということです。最近、NHKの「無縁社会」という番組を見ました。現在、日本では無縁死、つまり誰にも知られず、引き取り手もないままなく亡くなっていく人が増えていて、その数は年間3万2千人だそうです。それに加えて、数年後には男性の3人に1人、女性の4人の1人が生涯結婚しないという状況になるそうです。これは問題なのではないかと思います。もう少し他人や社会に対して開いた人が増えていくと良いなと思います。こういった問題を考えると、シェアハウスのように他人との係わり合いの中で生活できる人が増えると良いなと思うのです。シェアハウスを設計するにあたっては、そこで生まれる交流や、そこから転居した場合にもシェアハウスでの交流が繋がっていく可能性を感じています。自分もある程度のリアリティを持って設計はしているのですが、自分の性格というか好みは意識しすぎないようにしています。

篠原──お話を伺っていて、思い出したのですけれど、コレクティブハウスという住み方があります。私の大学の住居学科では、コレクティブハウス居住者の居住歴について調査した学生がいて、それによると、コレクティブハウスの居住者には、若い時にルームシェアしていたり、大家族で暮らしていたような人が多いというデータが出ています。したがって、そのような経験を若いうちにしておくのが、将来的には有効なのではないかと思います。いろいろな住居経験をするのは将来にそなえて重要かもしれません。

猪熊──南後さんの質問にお答えしますと、われわれの事務所はリサーチが決して得意ではありませんが、与条件によって決まってしまうこともあります。土地が決まっていて、想定家賃も決まっているので、それを支払える人を引き込むために、家具の趣味など、ある程度、設計に反映させていくことができると思います。

南後──《沢田マンション》の場合には、空間が育っていくという話があったのに対して、今のお話からは、空間が育てるというもうひとつの側面が指摘されたと思います。篠原さんからは、住宅双六とは異なる、住まい手の居住経験の履歴の重要性も指摘していただいたように思います。成瀬さんからは、無縁死のお話もありました。第1ステージのデザイナーズ集合住宅の典型的な居住者と言えば20代後半や30代前半という広い意味での若者世代でした。けれど、今後は高齢者や高齢化についても考えていかなければならないという問題があったと思います。

「住むことの広がり」へ

大西──今日は、コレクティブハウス《かんかん森》や、富山型のデイケアセンターが例に出ましたが、高齢者が集まって住むことに関しては発展の余地があると思います。富山型のデイケアセンターは、民家にデイサービスで高齢者がいらっしゃり、同時にカフェのように若者や赤ちゃんも来ることができる。かつ、泊まりたければ宿泊も出来ます。それが富山という場所で、とても上手く機能していて、全国から視察に多くの人が訪れます。富山型と言われて普及するぐらい上手くいっている事例です。それが行なわれている空間は、従来の民家であって、そこに空間的な発展の余地があるのではないかと感じました。南後さんもおっしゃっていましたが、20-30代の若者や、70-80代の高齢者ではなく、現在50-60代の人々が自分の高齢化を見つめた上で、集まって住むことを意識した時にどのような可能性があるのか伺いたいと思いました。篠原先生いかがでしょうか。

篠原──デイケアセンターやグループホームで上手くいっているところは民家を使っているところが多いのです。それは空間の履歴が、空間の包摂性、許容力を高めているからだと思います。そう思うと、デザイナーとして時間を設計するのは難しいのですが、状況を積極的に読み替え、プログラムも合わせて既存のものを用いていく方法は間違っていないと思います。新築では、どうしても生みだせないものがある。それが高齢者施設という用途に上手く合致したということだと思うのです。
また、高齢者の住まいに関しては、家という範囲ではなく、地域という範囲で考えても良いと思います。私自身のことを考えれば、今住んでいる家にそのまま住めなくとも、そのエリアのネットワークのなかで暮らせれば問題は無い。その意味では、出て行った人々がまた遊びにくるような、オープンな空間は良いなと思います。時間という概念を考えた時には、ひとつの建築で収束する必要もないと思います。

大島芳彦──高齢者住宅の話をする時にいつも思うことがあります。高齢者をサービス漬けにしてはいけないということです。老いさせてはいけないという発想も必ず必要です。篠原先生もおっしゃっていましたが、デイケアセンターのようなものは、シェアのひとつのかたちなのですけれど、そこでシェアされているのはサービスにすぎません。趣味を持った元気な高齢者を育てるコンセプトマンションもできるべきではないかと思うのです。

篠原──日本では地域の町内会長が煙たがられることが往々にしてありますが、以前調査した台湾では高齢者を地域のコミュニティの核として受け入れる下地がありました。若い人は、高齢者を介護するだけでなく、コミュニティのインフラとして活用するべきではないかと思います。時間の蓄積も知識も彼らは持っているわけですから。

大島芳彦──孤立させないということですよね。老人だけで集まる必要もないということです。

南後──富山型の特徴は、時間単位で利用できるということです。大局的には、ネットカフェもそうですけれど、どっぷりの町内会的な人間関係ではなく、一時的にその施設を利用できるのが富山型の魅力ではないかと思います。
また、篠原さんからは、高齢者と地域ネットワークの視点から集合住宅に集まって住むという論点をいただきました。この点の議論を深めていけば、ストックとして集合住宅を考えることに繋がっていくのではないかと思います。
今回のシンポジウムのタイトルは「集まって住むことの広がり」だったのですが、住むということ自体、もはや、買う・借りるという意味を超えています。今日だけでも、働くことのデザインやシェア、時間のデザイン、高齢者の住まい方に加え、プログラムのハイブリッドという話がなされました。これらは、果たして「住む」という言葉だけで回収できるのでしょうか。これに代わるような新しい言葉を生み出せるのかということも今後議論できれば、面白いのではないかと思います。最後に、このAプロジェクトを主宰されている大島さんからご挨拶いただきたいと思います。

大島滋──白熱した議論になり予定よりも1時間もオーバーしてしまいましたが、ちっとも時間を感じさせない有意義なシンポジウムであったと思います。
今回の展覧会は私どもにとって初めての試みでしたが、世帯数よりはるかに住宅戸数が上廻っている状況の中で少しでも質のよい住宅を提供していくためにはわれわれ一企業の問題としてだけでなく業界全体が認識していくことがとても重要なことと判断し、展覧会を企画しました。一企業がやることにまだ抵抗がある企画仲介会社や建築家の方もいましたが、初回としてはまずまずの出来ではなかったかと思います。
とても小さな展覧会でしたが、南後さんや大西さんや大学院生のおかげで内容の濃い展覧会にすることができたと思います。予想を超える来場者があり、全国から学生以外にも地主さんや不動産関係者など、当初来場を期待した方々はもちろん、多くのメディアや設計事務所、ゼネコン、ハウスメーカー、など多方面から来場いただいています。
Aプロジェクトでは今後もこれからの時代に求められる"住むことに対する意識向上"に関する展覧会やシンポジウムを積極的に展開していきたいと考えています。
本日はどうもありがとうございました。

2010年3月16日:新宿NSビル16階 インテリアホール

総合プロデューサー:
大島滋(ミサワホームAプロジェクト)
モデレーター:
南後由和(東京大学大学院情報学環助教)
コメンテーター:
篠原聡子(日本女子大学家政学部准教授)
パネリスト:
馬場正尊(東京R不動産)
大西麻貴(東京大学大学院)
鈴木志麻(東京大学大学院)
成瀬友梨+猪熊純(成瀬・猪熊建築設計事務所)
大島芳彦(ブルースタジオ)

201004

特集 デザイナーズ集合住宅の現在


デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来 展シンポジウム「集まって住むことの広がり」
分析的展示の新たな可能性──「デザイナーズ集合住宅の過去・現在・未来」展レビュー
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