レム・コールハースの「ファンダメンタルズ」はどのように受け止められたか
──建築家のイベントから建築そのものを問い直す試みへ

山形浩生(批評家・翻訳家)

はじめに

今年のヴェネチア建築ビエンナーレは、総合コミッショナーであるレム・コールハースのもと「ファンダメンタルズ」というテーマを掲げて行なわれた。そしてこれは、建築ビエンナーレのイベントとしての方向性自体を変えようとしたユニークで野心的な試みでもあった。今回、ぼくは日本館のメンバー(と言いつつほとんど何もしていないのだが)として、本稿では、その内容と成果──といってもまだオープンしてから執筆時点で一カ月しかたっていないが──を簡単にレビューしつつ、その試みについての現時点での評価を簡単に述べよう。

2014年のコンセプト:「ファンダメンタルズ」とは

アートビエンナーレと交互に隔年で行なわれるこの建築ビエンナーレは、これまで各国ともいわば自国建築デザイン業界のショーケースとして、スター建築家(または理論家)をフィーチャーし、そのスターが自分なりのコンセプトで、作品展なりインスタレーションなりを行なう形式が主体となっていた。もとイタリア館で2009年からは中央パビリオンとなった部分でも、あるテーマに沿った建築家たちの作品展やコンセプト展が中心だった。
基本的には、これはアートビエンナーレのやりかたとほぼ同じものとなる。その意味では、実績ある枯れた形式ではある。が、その一方でアートビエンナーレとの差別化が打ち出しにくい、ということにもなる。もともと造形やグラフィックによる表現として両者には共通点が多いし、コンセプト重視になれば両者の差はさらに縮まる。

今回の総合コミッショナーであるレム・コールハースも、この点を懸念していたようだ。あちこちのインタビューで彼がしきりに強調していたのは、建築ビエンナーレが、建築のビエンナーレではなく、建築家のビエンナーレになってしまっていた、ということだ。ビエンナーレは、有名建築家のショーケースではなかったはずだ。むしろもっと大きな建築をめぐる課題を考えるものだったはずだ。
だからその意味でコールハースが今回のビエンナーレで掲げたテーマ「ファンダメンタルズ」は、もちろん建築にとっての根本的なものとは何か、という問いかけであると同時に、この建築ビエンナーレの本質を問うものでもある。そしてその取り組みとして、まず中央パビリオンでは、「建築の要素」と題して、各種建築のパーツごとに大規模な展示を行なっている。まさにそれは実際の建築を構成する部材であり、それをつくりあげる根本的な要素だ。そして各国のナショナルパビリオンに対しては、初めて共通テーマを設けた。「モダニティの吸収: 1914-2014」。各国は与えられたこのお題に対して、思い思いの取り組みを実施することとなった。いずれの展示も、思いつきだけではなく、きちんとしたリサーチをベースにした展示が示唆されていた。

中央パビリオン:建築の要素

中央パビリオンの「建築の要素」展は、従来の建築ビエンナーレを予想していた観客にとって、ある意味で目新しく、ある意味では面食らうものとなった。窓、階段、カーテンウォール、屋根、トイレ、ドア、斜路、天井、廊下、台所、冷暖房や空調、照明、その他ありとあらゆる建築パーツがひたすら並んでいる。そして一部では、その製造プロセスまで。
まるで建材メーカーのショールームみたい、というかまさにショールームそのものといっていい。が、同時に屋根の構造やトイレの変遷など歴史紹介も行ない、またバルコニーの展示では世界のバルコニーで展開された歴史的イベントをもあわせて示すことで、それが持っていた政治性や歴史性をも描き出そうとする。実に欲張りな展示だ。
確かにこれは、コールハースの主張したとおり、建築家ではなく建築の展示になっている。これだけのものが一堂に会している様子は、それだけで迫力を醸し出す。多くの人が漠然と見過ごしている、建築を規定しているモノを改めて見直すいい機会でもあるし、たぶん何かしら、自分のツボにはまる建築パーツが見つかるはず(個人的にはローマ時代の便所がお気に入りだ)。むろん、たとえば壁だけについてですら、すべてを細かく見ている余裕はとてもないが、その広がりだけでも十分感じられるはず。そしてその個別パーツの広がり同士の無数の組み合わせこそが、いわば建築の可能世界の集合でもあるのだ。
いや......本当にそう言っていいのだろうか? この展示に対する批判もまさにその部分に関するものが多かった。ショールームにすぎないじゃないか、と。火災報知器がたくさん並んでいるけど、それがどうした? 建築とは、建築部材の集まりではないはずだ、むしろ建築の本質というのは、その部材ではなく、部材に囲まれた何もない空間にあるのではないのか? こうしたパーツは建築の要素なのだろうか?
だが、ある意味でこうした批判が出てくること自体、建築の本質/ファンダメンタルズを考えたいと思ったコールハースの意図が成功しているという証拠でもある。批判する人たちは、まさにその建築のファンダメンタルズについて考えることを余儀なくされたわけだもの。

ナショナルパビリオン:モダニティの吸収

日本館のオープニングで開催したトークショーで、チャールズ・ジェンクスが今回のテーマについて指摘したことがある。「モダニティ」と「モダニズム」と「モダニゼーション(近代化)」とは必ずしも同じものではない、ということだ。が、今回の各国の展示は、あるところはモダニズム建築の流れを重視し、あるところは自国の近代化における建築の役割(たとえばニュータウンなど)を重視する。決してみんな、同じ方向を向いているわけではない。
そしてそこから出てくる疑問がある。モダニティって何? ある建築様式としてのモダニズムはわかるし、社会や経済のモダニゼーションというのもわかる。でもモダニティというのは......はっきりしない。が、逆にそこに解釈の余地がある。そしてそれが、各国のアプローチに幅を与えていたように思う。

だが、幅といっても、このコールハースの問いかけに対しては、ナショナルパビリオンすべてを一通り見渡すと、きわめて標準的なアプローチがあることがわかる。

 ・その国における100年を描いた年表をつくる。
 ・そこにそれぞれの時代の重要な(モダニズム)建築をプロットする。
 ・その流れにおける自国の独自性を抽出する。

これをストレートにそのまま行なったところも多い。そしてそれが、今回のビエンナーレに対するひとつの批判にもつながっている。「どの国も、ウィキペディアに書いてある各国建築史のおさらいみたいだ」というものだ。もちろん、どんな国も近代化を行なったりモダニズム建築を受容したりする過程で、その国の状況に合わせた工夫はしているだろう。そしてそうした建築史は、どの国についても勉強すればそれなりにおもしろいにはちがいない。が、ビエンナーレにきてそれを数十カ国についてやりたいか、というと、なかなかそこまでの熱意はない。特に、それをアート的表現に託したパラグアイやタイは、そもそも何を表現しているのかも不明確で、少々もったいなかった。やはり最後の、その国の独自性がどこまで普遍性を持つか(または異様か)というところで人々が興味を持つかどうかは決まる。
だがその部分もまた、いくつかのパターンに落とし込める。

 ・モダニティが何らかのイデオロギーと結びついた。
 ・モダニティがその国の民族性や歴史性を受容しつつ進んだ。
 ・モダニティが希望をはらみつつ幻滅をもたらした。

© Keigo KOBAYASHI

最初のものの例としては、南アフリカは、モダニズムによる団地建設が、アパルトヘイト時代とその後の時代のいずれでも進歩イデオロギーと結びついていたことを表現していた。またバーレーンも、アラブ圏のモダニズム建築がその政治的な動きと密接にからんでいたことを示す。そして何よりも、銀獅子賞を受賞したチリはあるプレハブコンクリート式団地があらゆる政治体制において、近代化と繁栄の象徴としての意味合いを常に負わされてきたことを、プレハブ式のコンクリート窓枠の実物を中心にバランスよく表現していた。
民族性や歴史性の反映は、実に多くの国で見られた。金獅子賞を取った韓国館はその典型だし、メキシコもそうだ。またそうした歴史的経緯の説明に苦慮して、ポルトガルやチェコのように、それを展示で表現するのをあきらめ、むしろ印刷物をつくってそれをメインの展示とし、パビリオンはその配布スペースとしたところもある。
そしてモダニティの希望と幻滅は、まさに理想と現実を並べてみせたアルゼンチンや、フランスなどが主な例となるだろう。また個人的にはきわめておもしろかったのが、スカンジナビア諸国パビリオンだ。ここでは北欧諸国がアフリカに対して行なってきた、都市開発関連の開発援助(ODA)がテーマとなっていた。そこではキラキラしたモダニズムと近代都市計画に基づいた援助が行なわれ、アフリカ側もそれを開発と発展の象徴として歓迎した。だが、それは決して成功したとは言えない。
こうしたモダニティへの幻滅はあちこちで表現されつつも、安易なモダニズム否定はどこにも見られなかったことは指摘しておこう。過去100年を見れば、もちろんどの国もモダニズム建築、没個性的なオフィスやアパートを大量につくることで発展を遂げてきた。少し調べれば、それを否定するわけにはいかないことは明らかだ。
もちろん、こうした枠組みにおさまらないパビリオンもたくさんある。ダニエル・リベスキンドのドローイングをもとにした完全なインタラクティブアートをつくっていたヴェネチア館、自国の枠を超えて、モダニズムとナショナリズムのせめぎ合う建築として世界の国会議事堂を一堂に集めたオーストリア館、住宅や公共建築が主体のビエンナーレの中で、唯一工場をテーマにしたルーマニア。非常によい目のつけどころで、確かにモダニズムというのは工場大量生産なくしてはありえない(惜しむらくは表現がいまひとつ)。全体として見ると、各国が同じテーマの中で、似たような問題意識を抱えつつも多様なアプローチを見せており、その相互の共鳴もあれば反発もあるという、非常に一体感のあるビエンナーレになっているように思う。

日本館の位置づけ

さてその中で日本館はどうだったか。
日本館の考え方については、すでに別稿で触れられているはずだ。そして前節の枠組みの中での位置づけを考えると......すべて何でもかんでもやってしまっている、というのがたぶん正しい。日本館は1970年代を中心に扱ったが、その基本的な考え方は、モダニティの見直しそのものが当時すでに多種多様な形で行なわれた、ということだ。そして70年代の百花斉放の時期を経て、当時の成果の一部は、はっきりと現在の日本建築にもうけつがれている。日本館は、大量のモノを通じてそれを表現しようとした。
そこにはイデオロギー的な指向もあれば、民族性と歴史性の重視もあり、そしてもちろん幻滅もある。もちろん、モダニティへの幻滅とともに、その積極的な取り込みも表現されている。そして、それをすべてモノで表現した日本館は、自画自賛ながら、一般の人でも楽しめるパビリオンとして今回のビエンナーレではかなり上位に入るはずだ。
過去100年における、ある重要な年代に注目したという意味で、発想として最も近かったのはイギリス館だろう。彼らは1960年代をひとつの時期として考え、モダニズムと自然主義の融合といった建築都市計画上の考え方を示すと同時に、そうした発想が受け入れられた社会文化的な下地(映画や小説も含め)をきれいにまとめていた。
また展示のスタイルとして似通っていたのは、ギリシャ館だったと思う。ギリシャ館のテーマは、観光だ。ギリシャのモダニズムは観光開発と並行して進んできた、観光がもたらした資本主義と享楽主義の無責任な──だが楽しい──建築や関連ガジェットをばらまいた展示の雑多な感じは、日本館のごちゃっとした感じに最も近い。

© Keigo KOBAYASHI

文句をつけるなら......

ついでながら、今回のビエンナーレでもうひとつ変わったのは、会期が三カ月から六カ月に延びたことだった。ある程度時間をかけてテーマを検討して、何か成果を出そうというわけだ。そしてこの点で、もう少し配慮があればよかったな、とは思う。
というのもこのビエンナーレ、一般オープン前に内覧期間が数日あり、そこで審査員が全パビリオンを見学する。並行して各館がオープニングを行ない、グランプリが出る。そして一般向けにビエンナーレがオープンし......そして主要な関係者はすぐに帰ってしまう。その後の期間は、館としての活動は低調になる。せっかく期間を延ばしたなら、関係者がもう少し居残るような体制にしてするほうがよかったかもしれない。
そしてパビリオンとしての評価も、期間中のイベントも含めて考えるべきだっただろう。たとえばアメリカ館は、「オフィスUS」なるテーマのもと、アメリカ館自体がひとつの擬似的なオフィスであり、期間中ずっと業務(つまりは建築展に関連したイベント)を行なうというコンセプトだった。毎週何かしらやっている──現在だと、そういう努力はあまり評価されないことになってしまう。本当なら、金獅子賞は会期の最後のほう(たとえば11月になってから)選考贈呈するほうがよかったかもしれない。

総合評価

でもいまのケチがかなりマイナーなものであることからもわかるとおり、全体として今回の建築ビエンナーレは、これまでのあり方を刷新するのに成功していると思う。なかでも最大の収穫は、各館同士が同じ土俵の上で対話を行なう下地を与えてくれたことだ、と個人的には思っている。
これまでの各館バラバラな取り組みでは、期間も短かったし、こちらの展示とあちらの展示とで多少なりとも対話があるような状態とは言いがたかった。だがそれが今回は、共通のテーマがあるために話もしやすい。モダニティについて、お互いに自分たちの展示を組むにあたり、似たようなことは考えてきたのだ。各国とも、同じ力に直面するにあたり、似たような悩みと苦労を抱えて現在まできているのだ。実際、トークショーなどでの他館との対談もきわめてスムーズに運んだし、そして自分たちの話していることが、ビエンナーレそのもののテーマとも密接に関連しているという認識は得やすい。
同じくトークショーに出てくれた評論家ジュリアン・ウォラルが、「これまでの日本館は、ビエンナーレの中で別世界を創り出していたが、今回初めて開彼た存在、他のパビリオンと同じレベルで話し合う存在になった」と語っていたのは、もちろん日本館関係者の努力に負う部分も大きい一方で、共通テーマがあったからこそ他と通じ合う土壌ができた面は大きい。
たぶん建築関係者だけではない。やはりチャールズ・ジェンクスが、社会学者や経済学者ももっと建築ビエンナーレにこさせてコメントさせたほうがいいと述べていた。半分エコノミストであるぼくとしては大賛成でもある。たぶんこれまでの建築ビエンナーレでは、エコノミストの出番はほとんどなかっただろう。それを考えると、建築ビエンナーレを建築家だけの内輪のイベントから解放すべきだと述べたコールハースのもくろみは、かなり成功しているのではないか、とぼくは思うのだが。

山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年生まれ。著書=『新教養主義宣言』『要するに』。訳書=ウィリアム・S・バロウズ『ソフトマシーン』、フィリップ・ K・ディック『死の迷路』、ポール・クルッグマン『クルーグマン教授の経済入門』、ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』ほか


201407

特集 2014ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展


レム・コールハースの「ファンダメンタルズ」はどのように受け止められたか ──建築家のイベントから建築そのものを問い直す試みへ
日本建築の切断面としての1970年代を軸に、濃密なコンテクストを提示 ──日本館「現代建築の倉」
建築における日本近代化100年の「倉」とは──第14回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展プレビュー・トーク
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