建築が町にできること
マネされること
橋本──マネできることを設計する、という前提はすごくおもしろいですね。例えば10年後20年後に、十日町に根付いた時に初めて見えてくるようなものなのでしょうか。以前訪れたことのあるヴィチェンツァでは、パラディオの形式が根付いていたのを見ましたが、感動的な建築の残り方でした。そういえば、僕らもマネされたことがあります。天井材を細かく切断して、床材として敷き詰める《渥美の床》の方法を用いてリノベーションしたい、という人がいたんです。手法だけアドバイスしたのですが、シェアハウスにするために、延べ300人くらいが参加してDIYでやったそうです。その床には参加者それぞれの工夫で模様や絵が描かれていて、《渥美の床》とはずいぶん違ったものになっていましたが、手法の伝播の仕方として興味深かったです。
青木──確かに何がマネされるのか、という問題はありますね。僕たちがルイ・ヴィトンをデザインすると、そのパターンだけが取り出されて、他のルイ・ヴィトンのお店でも使われます。僕からすれば、それらはまったく違うデザインなんですけれど。
辻──はい、浜松の百貨店にもあります(笑)。
青木──まあ、それはそれでいいんです。ガラスと壁のダブルスキンにして、その両方の面にパターンを施すとモアレが生まれる。それを一歩引いて手法として取り上げれば、これはもう、ルイ・ヴィトンだけでなく、外装の一つの手法にまでなってしまいました。それもそれでいいんです(笑)。
手法の先には形式があるでしょう。表面的なところでのコピーではなく、その表面を外しても残る構成のようなもの。今回の「マーケット広場」はそんな形式のひとつです。形式というのは、人によってそれぞれに変奏できる。あるいは、そういう変奏の大元に見出されるのが形式だと言ってもいい。形式の良し悪しは、そこから多様な変奏が引き出されるかによっている。こう言うとなんか、上部構造に対する下部構造みたいな話になってしまいますけれど、ともかく、いつも更地にして、そこにまったく新しいものをつくるというのではなく、本歌取りのように、すでにあったこと、すでに誰かがやったことを前提にして、その上でできるクリエティヴィテイというのがあるのではないか、と思うのです。
そういうことをかなり意識的に考えはじめたのは、東日本大震災の影響で実際はできなかった《青森》での展覧会を準備していた頃でした。2010年に展覧会のオファーがあって、アーティストの杉戸洋さんと一緒に、どんな展覧会にするか、1年ほど考えました。
展示って不思議なもので、スタジオ・ジブリの展覧会など、大きな動員が見込まれる展覧会では、仮設壁がたくさん建てられる。展覧会が終わるとそれが捨てられる。展覧会のたびにフィクションの世界がつくりあげられ、終わったら壊され、捨てられる。単純にそれは、かなりもったいないことではないだろうか、と思いました。それに、展覧会が催される会場のもともとの空間が感じられないまでに、展覧会場をフィクションで覆ってしまっていいのか、とも思いました。
どうも僕たちが展覧会をイメージする時、それとは違うことを思い描いている。それを一言で言おうとすれば、展覧会とは展示空間の一種のリノベーションだという考えに行き着きます。展示とは、与えられた空間を気持ちのよい空間にする行為で、極端に言えば、作品でさえそのためのもの。そうすると、展覧会が終わっても、設営は残され、次の展覧会で、より気持ちいい空間へとさらにリノベーションされる。それを繰り返すことで、建築がずっとアップデートされ続けていく。いろんな人が関わりながら展示空間が変わっていったらおもしろい、と考えました。
その場合、それぞれ関わる人の建物へのリテラシーが必要になります。その空間の本質が残っていくように引き継いでいく。考えてみると、そういうふうに引き継がれた町がいい町だし、いい建築ですよね。
僕らはずっとこの十日町に住むわけではない。建築ができあがったらいなくなっちゃう。ですから、ここで僕たちがやってきたことが、町のなかに引き継がれていくことが重要です。十日町のまちなかにつくった僕らの事務所の十日町分室(ブンシツ)で僕たちが設計していることが見えるようにして、どういうふうに設計しているかを伝えようと思いました。リテラシーも含めてマネしてもらいたいな、と思います。
市川──《十日町》では、既存の躯体と今回のリノベーションでできた建具が明確に分かれて見えるような、対比を強調する設計をされているように感じました。これはこれまでの青木さんの建築とは異なる印象です。青木さんはこれまで、例えば《青森》における白と土の扱い方のように、新旧という時間制や素材の対比をあえて曖昧化することを好んでいたように思うのですが、《十日町》はそういう対比が積極的に現れているように見える。ばらばらなものをばらばらなままで......という考えゆえのことなのかなとも思いましたが、古いものは古く、足したものは足したように見せることで、マネをされるためのリテラシーを醸成しようという意図があったのですか。
青木──どちらかというと、古いところと新しいところの区別がつかないようにしたつもりなのですけれど......。とはいえ、例えば、別の敷地にあった茶室を《分じろう》に移築していますが[fig.5, 6]、この茶室はかなり唐突ですね。今までだったら、もっと全体像を優先して、色だけは白くするとか、もう少し手を加えたと思います。それをしなかったので、茶室の古さが既存部の新しさを際立たせている。
- [fig.5, 6]《分じろう》2階茶室
彌田──古いものと足されたもので言うと、1,800ミリの建具の上にあるスチールのサッシが気になっています。おそらく足されたものだと思いましたが、茶室のように直接的でないというか、分かりづらくなっていました。これは十日町で引き継いでほしい形式なんでしょうか。
青木──あれは新しいけれど、既存部の雰囲気に合わせてつくったところですね。気持ちとしては、躯体の一部です。つまり、高さ1,800ミリのところより上は、日常的には手を入れるのが難しいですから、この框の水平線で見切って、その上は既存部の領域だと。で、その下は、セルフビルドでつくってもよい、アップデートされていい気軽な領域として、つくりました。その意味では、古いもの/新しいものという対比はないけれど、アップデートを想定していない領域/している領域という対比は、確かにありますね。
彌田── 1,800ミリの建具と上のサッシのプロポーションや素材の対比のさせ方[fig.7]に青木さんのこれまでやってきた「もの」に対する視点が感じられました。異なる素材が身体的なモジュールで引き合わされ、全体として町にないスケール感でまとめられています。「マーケット広場」という半公共的な性質をおびる空間として、快適に使われそうです。そういう「もの」の組み合わせ方も含めて、引き継ぐべきなんじゃないかと思いました。
- [fig.7]《十じろう》3階
青木──ということは、こういう対比のさせ方に僕のデザインがある、ということなのですね。それはおもしろい。「マーケット広場」は、アーケードの上の高窓から光を入れるため、2層分必要で、そこからこの場所の大きなスケールが生まれています[fig.8]。その大きさと、高さ1,800ミリの実直な木製連窓サッシのスケール感の対比は、確かに引き継いで欲しい感覚かもしれません。
- [fig.8]《十じろう》マーケット広場
建築と時間軸
青木──僕が403architecture [dajiba]というグループに最初に興味を持ったのは、流動した状態、バラバラな素材をある時間において留めることを「建築」と呼んでいるところでした。403architecture [dajiba]がつくるのは、空間の性質=ものとして見えている世界だけではなく、その世界をつくる仕組みをつくろうとしている。橋本──青木さんがおっしゃった「動線体」は、人の行動や生活は一続きだということですよね。たまたまそこに「くくり」ができて、建築になる。僕たちは人間の生活だけでなく、マテリアルも一つながりで、流動しているものだと考えています。その一部の流れを変えたり切りとったり、「くくり」をつくることで、建築がたちあらわれる。
青木──僕が「動線体」という言葉を使った時には、そういう大きな時間の流れのファクターが入っていなかったのです。やはり、竣工した時の状態が完成だという意識があって、その完成の後は、次第にノイズが入ってきてルーズになっていくというふうに感じていたのだと思います。しかしもっと引いて、大きな流れが見えるところまでくれば、当然、竣工時が到達点ではなくなりますね。
建物って、まず基礎をつくって、躯体を据えて、それから仕上げをして、と到達点を目指して順々に構築されていく感じがあります。しかし、パーツが離合集散して、いろいろな機能のさまざまな合体ロボが生まれる、というイメージもありえるわけで、403architecture [dajiba]の「流れ」に、僕はそんな感じを持ちました。そうすると思い出されるのが川合健二のコルゲートチューブの家で、あれは基礎がなく、チューブが地面にごろんと転がっているだけの物体。板を持ってきて組み上げたら、家がそのままできあがる。確かあれがあるのは浜松のそばでしたね。
橋本──川合健二邸には、浜松で活動を始めてしばらくしてからお伺いする機会がありましたが、ものの流れだけでなく、目には見えないエネルギーの流れを構想した、非常に野心的な住宅でした。
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- どうつくるか
- 設計環境をつくる