建築が町にできること
どうつくるか
彌田──僕らは、川合健二さんも含め、多くの方々から影響を受けていますが、青木さんの影響も大きく受けていると思っています。青木さんの『原っぱと遊園地』の本が刊行した年と、僕らの横浜国立大学入学は、同じ年なんです。建築教育を受け始めた時には、すでにそこにあったので、設計課題が始まると色んな方から進められました。当時、ひねくれていたんだと思いますが、影響を受けすぎでしまうのが嫌で、実は、僕は『原っぱと遊園地』を読まなかった(笑)。辻──今はもう......、読んでるよね(笑)??
彌田──もちろん(笑)。今回、再度読み返しましたが、改めて重要な本だと思います。
- 市川紘司氏
私がとりわけ青木さんの「原っぱ」を興味深く思うのは、「こと」という曖昧に生起する事象を重要視しながらも、いかにそれを「もの」として人為的につくれるか、それを徹底的に検討しているからです。「原っぱ」は「遊園地」と対比されたことで有名ですが、それだけでなく、青木さんは「野原」とも違うのだと厳密に指摘されていますね。「遊園地」は「もの」があらかじめ至れり尽くせりで準備されている空間ですが、「原っぱ」というのは、「もの」がまったく準備されていない完全自由な空間(これが「野原」)ではなく、ただ「もの」を構成していたルールがもともとの意味を失っていたり、見えづらくなっているだけ。だから「原っぱ」のようにルールが見えない建築をつくれば、「こと」が先行する空間を「もの」として設計できる可能性が残されている。「野原」のような建築をつくりたい......では自然物礼賛の印象論にしかなりませんが、「原っぱ」はあくまでも建築の設計方法論です。「こと」重視なんだけれども、それを「もの」としてどのようにつくればよいのか。あくまでもそういう態度を手放していない点で、「原っぱ」という概念は今でも非常に魅力的だと思うのです。
橋本──僕が青木さんから学んだのは、つくること自体に対する尋常ではない関心だと思います。かつて「つくることを対象化する」とおっしゃっていましたが、つくるということをとことん真摯に追求すると、理解しなければならない視野があるのだと知りました。
青木──その場合の「つくる」は、自分の手で「もの」をつくるという時の身体的な意味での「つくる」ではなく、どう「もの」を構想するか、という意味ですね。つまり、設計という意味。その設計を、僕はどうも無自覚にできない。自分が今、設計しているという行為が、気になってしまう。
橋本──《十日町》でも、地域に入って建築をつくるというと、その受動性がイメージされますが、使い手が言うとおりにつくるということではない。一方で当然、つくり手の表現としてつくるというわけでもない。「使い手の声を聞く」ことは分かりやすくて共感を得るので、そればかりが強調されがちですが、青木さんはずっと「つくる」ことを使い手、つくり手の両方からひき離そうとしている。
つくり手、使い手
青木──住宅を設計する時、住み手の話を聞かないで設計することは、まずないですよね。ふつう、住み手の頭のなかにあるのは「そこでどういう生活をしたいのか」という漠然とした気分です。僕たちがやるのは、そのぼんやりとした夢をどんな形で実現できるかってことです。どんな住み手にも固定観念はあるし、要望を言語化したとたん、逆にその言葉に縛られてしまうわけですから、言われたことをそのまま設計に取り入れるのではなく、その背後にある夢にフィットする形を提案しようとするわけです。だから、うまくいけば、案をお見せした時、まるで想像もしなかった案だけど、これこそ自分が望んでいた案、と言ってくれる。
でも公共建築ではそれができない。具体的にこの人、という相手がいないからです。美術館の使い手って誰でしょう。それはアーティストかもしれないし、学芸員かもしれないし、管理・運営している人かもしれないし、お掃除している人かもしれない。一つの建物に、みんなが違うふうに関わっている。誰が主役であるという答えはない。そこが住宅と違うところですね。
今回の《十日町》の場合でも同じです。誰が使うのか。使いたいって言ってくる人たちはいる。でもその人たちだけが使うわけじゃない。だから必要なのは、何も言ってこないけれど、潜在的にここで何かしたい人がいるはずで、ではそれはどんな人なのか、っていう想像を自分のなかにインプットすることだと思う。
橋本──住人とのコミュニケーションは、リサーチの一種だってことが意識化されるべきですよね。住人の声を聞いたら、それを反映しなくちゃいけないとか、それで行政にアプローチしやすくなるとか、直接的な陳情として受け止めがちです。情報を集めるために、形式的なヒアリングを超えた、直接的なコミュニケーションが有効なのであって、それは猛烈に資料を収集して歴史的な経過を調べることや、高度な技術を使ってシミュレーションすることと、基本的に等価だと思います。
青木──そう、それらは等しく、考えるためのバックグラウンドですね。十日町には十日町特有のものがあるだろうけれど、それは住民に聞いても、直接の答えとして返ってくるものではない。でも付き合っていって、そのうちになんとなく感じられる像として、体のなかに実感できてくるものがあるんです。そうなれば、その像を判断基準にして、設計を進めることができます。たぶん要望を聞くことよりそのことが大事で、これが今まで公共建築を考える時に抜けおちていたポイントかもしれません。
《青森県立美術館》をつくる時には、役所や準備室の人、アーティストとは話をしたけれど、県民と話したことはありません。《大宮前》や《三次》でも、説明会やワークショップはあったけれど、住民と膝を突き合わせて話し合う機会がありませんでした。だから、その場所のバックグラウンドを、もしかしたら自分が身体化できていないかも、と不安でした。
市川──花田佳明さんが以前、「青木さんの建築について語ることは何もない。よく考えてつくられた建築が、よく使われている。他に何を論じることがあるだろうか」というような内容の文章を書かれています(「青木淳論序説」『建築文化』1999年11月号、彰国社)。これは「青森以前」の作品に対する評論でしたが、《大宮前》にもまさにそのような状態が生じているような気がしました。
《大宮前》のように、ワークショップをしなくても、町や人の生活に馴染み、よく使われるような建築は成立します。ワークショップはあくまでもリサーチ、考えるためのバックグラウンドであるという意識は、それが無批判的に前提化する現在においてはとくに重要ですね。実際、ワークショップでは、そこに参加していない人、あるいは根源的に参加不可能な「未来の人たち」の意見は聞けないわけです。問われているのは、設計者がどこまでそのようなテーブルに、参加できない人々に開かれた「大きな器」をつくれるかという、設計の論理・倫理だけだと思います。
- 辻琢磨氏
そもそも《十日町》のコンペの要項では主体性をどう消すか、ということが求められていたように思うんです。また昨今の公共物件の設計では、コストを抑えて、あたりさわりのないものにしてください、という流れがありますよね。そういう状況と青木さん自身の知的好奇心の進化のタイミングが奇跡的に合致して《十日町》に結実したんだと思います。ただし、この《十日町》のようなコンペの要項は特殊ですから、今後もそれほど増えないでしょう。だから、このような仕事の進め方を今後どう展開していけるかを考える必要があります。青木さんが僕らのような小さなプロジェクトを町の中にくくっていくような仕事をしたらどうなるのか。あるいは僕らが青木さんのような公共的なプロジェクトに携われるとしたら、何ができるのか。
青木──このところ、最初に決める設計のフォーマットが全体を統御するコンセプトや構成にまでならないようにしています。だから定期的に現場に通って、担当のスタッフと打ち合わせをするのですが、基本的には「どうしようかね~、どうしようかね~」と言って、帰るだけ。これはかなり不安です(笑)。
でも、何も決まらなくても、こうやってコツコツ考えていけばきっと良くなる、と自分に言い聞かせています。頭のなかで何度も同じところを回っていれば、いつか、こうすれば気持ちいい、という状態に出会えるはずって。理論の演繹ではなく、そういう作業が建築をつくっていくと思っているのですね。小さな住宅を設計するのは大好きですが、最近、頼まれません(笑)。でも、このことはたぶん、住宅でも、公共建築でも変わらないと思います。
403architecture [dajiba]が公共建築をやるとしたら、どうなるのでしょう?
橋本──それはやっぱり、まずブンシツをつくるんじゃないかな。
辻──住んで、生活するということが大切だと思います。僕らは、町により同化しながら判断していくと思います。
青木──同化、ですか。しかし同時に、判断のための客観性を保つには、対象と距離が必要な気がしますね。 距離といえばそもそも、403architecture [dajiba]内の距離はどうなっているんですか? そこも同化なのでしょうか? 一つのプロジェクトを3人でやっているんですか?
- 彌田徹氏
辻──常に少数派が偉いというルールになっていますね。2人で盛り上がっても、押し黙っている1人の顔色を気にしなきゃいけない。3人全員が「それはおもしろい」と思うところまで時間をかけ議論をドライブしていくんです。
橋本──打ち合わせやスケジューリング、実質的な作業など、ある程度の分担はしますが、それでも常に全員が図面をチェックしていて、異論があればいつでも止められるようにしています。
青木──それだと最大公約数的な案になりそうだけど、そうならないのが不思議ですね。3人がだいぶ違う方向を向いていて、結果的に誰かの案ではなく、誰にも属さない「重心」にとっての案ができる、ということなのかな。
そういう揺れ動きのなかで案が決まるのは、僕も同じかもしれません。はっきりと「こっちに行け」とはあまり言わない。漂っている。
竹内吉彦──僕らが誰かから要望を受けて「それはないだろう」と思ったことでも、青木さんは否定しない。いったん受け入れてやってみて、その反応をうけとるってことは何度も繰り返していますね。
青木──判断はいつも間違うと思うんです。とくに美意識は。今日の僕の美意識は、明日には違っているかもしれない。だからその時「ない」って思っても「ありかもしれないな」って思う。僕はそう思わないのに、スタッフは「いい」って言う時は、どうしてそれをいいと思っているのか興味がある。だから、「なぜいいわけ?」って聞くのだけれど、ほとんどの場合、意味不明の答えが返ってくる。まあ、「いい」ってなかなか説明できないから仕方ない。でも「いい」と思うのは感覚だけれど、その感覚の後ろにはきっと論理がある。そして、その論理を意識化することで、その人の美意識は変わるし、僕の美意識も変わる。そこがつくることのおもしろさですよね。
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- マネされること
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- 設計環境をつくる