建築が町にできること
設計環境をつくる
辻──その時に重要なのは設計期間、時間の確保だと思います。現地にいた方が得られる情報は質、量ともに多いわけです。時間をかけただけ、いろんな要素をダラダラと巻き込みながら設計できるというか、時間の区切りをどんどん曖昧にしていければ理想的です。だからブンシツには共感します。単なる現場事務所ではなく町との回路を持った編集室のような場所ですから。青木──行ったり来たりしながら、建物ができあがった時に設計が終わる、というのがいいと思うんです。最後の最後まで「作業」にならないようにして、現場に入っても、大枠を疑って、考え、試行錯誤して、もっと良いものに変えていきたい。でも、それだと「設計」にはなりませんね。
彌田──お施主さんも許してくれないですよね。ちょっとした条件が変わると、全部が変わってしまいますから、僕らも何回も考え直しますが......。
辻──向こうから見たらほんの小さな変更にすぎないのだけど、その変更によって僕らが設計全体を考え、なかなか次を決められなくなると、お施主さんは早く決めてくれ、と業を煮やす。この構造自体は当たり前に理解できるものなんですけどね。
青木──「作業」することが「仕事」という風潮にどんどんなってきていますね。それだと、つくること=WORKではなく、労働=Laborだと思うのだけれど。誰かがそう仕向けているというわけではなく、社会全体がそういう風潮に向かっている。そういう社会のなかにいるから、役所はWORKでは認めてくれないし、施工者はこちらがWORKとしてやってしまうと大迷惑を被る。現場で変更すると、施工作業が増えますからね。《十日町》の場合だと、住民だけがつくること=WORKを認めてくれた。
日本での建設はもともと、タテマエでは設計と施工は別でしたが、ホンネでは設計と施工が一体でした。だから、現場に入っても設計をしていたし、施工者もある意味で一体となって、一緒に設計していたんですね。設計期間は短かったし、設計料は安かった代わりに、工事費は高かったのはそのためです。社会的コストから考えても、決して悪いシステムではなかったと思います。 でも、今たまたまイギリスの仕事をしていますが、向こうは違うシステムですね。つまり、日本がタテマエを脇に置いてホンネでやっていこうというシステムだったのに対して、向こうはホンネに合わせてタテマエを変えていくシステムです。その時点その時点でのタテマエには従わなくてはならない。だけど、タテマエは絶対ではない。その結果、設計はつくること=WORKというよりは、労働=Laborに近づいていきます。ただし、設計期間は長く、設計料は高い。
日本に話を戻せば、バブルが弾けてからこのかた、工事費が下げさせられるにつれ、施工者に余裕がなくなって、一緒に設計をしてくれなくなりました。図面通りにつくることしかしてくれなくなったのです。と同時に、設計期間のなかでちゃんと設計を終わらせないのはおかしい、という風潮になってきた。つまり、ホンネでやってはダメで、タテマエを守れ、となった。だとすれば、設計期間はもっと長くしなければならないし、設計料ももっと高くしなければならないのだけれど、そうなっていません。つまり、ホンネでやるのをやめて、タテマエで行くなら、ホンネに合わせてタテマエも常にアップデートしなくてはいけないのに、タテマエは変えない。こんな風に西欧のシステムの悪いところ取りをしていったら、設計は疲弊しますね。
市川──それはゼネコンが実施を引き受けることと関係がありますか。
青木──最近増えてきたデザインビルドのことでしょうか。設計は基本設計と実施設計に分かれています。基本設計は、その後、誰が実施設計をやっても、同じ内容になるところまで設計内容を決めた設計図書の作成のことで、実施設計とは、その基本設計内容を施工者に正確に伝えるための設計図書の作成のこと、という区分のタテマエがあります。もしタテマエ通りに時間と設計料をもらうなら、基本設計が7に対して、実施設計が3でしょうか。しかし、これまでは基本設計をやったところが実施設計を続けてやるのが通例でしたから、実際にはこの区分は守られていませんでした。基本計画レベルのものを基本設計と呼んでいて、それを役所も認めていました。この程度でよければ、基本設計が3に対して、実施設計が7で構わないし、実際にそういう時間と設計料でした。ここでも、ホンネに合わせてタテマエを変える、あるいはタテマエに合わせてホンネを変えるということがなかったのですね。
デザインビルドというのは、施工者が実施設計を含めて行なうという方式です。これはタテマエとしてはありえる方法です。だって、基本設計までに、設計内容は決まっているべきなのですから。ところが、実際はそういうふうに運用されていなかった。だから、デザインビルドが採用されると、今までの3の期間とお金で、7の内容をやらなくてはならなくなる。ある意味で、設計者の自業自得なんですけれど。
市川──中国では設計院と呼ばれる組織事務所と、アトリエの建築家の役割がぱっくりと分かれています。申請のための図面の作成はその特殊な資格をもった組織のみが基本的に可能で、建築家は多くの場合、「概念設計」や「方案設計」というきわめて初期の段階にのみ参与可能です。建築の全体に責任を持つ西洋的な建築家というよりも、デザインのコンサルタントになっている。
青木──グローバルスタンダードとしては、デザインとは圧倒的な個性を持って「こういうことをしたい」と主張することですね。イメージを売る仕事になっている。
現在、公共建築は、住民参加を積極的に進めているわけですが、それをアリバイではなく本気で進めるなら、設計の位置づけや工事の位置づけも、変えていかなくてはならないと思います。だって住民が望んでいることは、建物が竣工することではなく、どんな場所が必要か考え、それを試行錯誤しながら、より良い場所に育てていくという、つまり生活そのものなのですから。そのために、設計者はプロとしてどう付き合ったらいいか、施工者はプロとしてどう付き合ったらいいか、もう一度、定義し直した方がいい。
公共建築と公共性
市川──403architecture [dajiba]が公共建築をつくるとしたら何を目指すのかを改めて聞きたい。さきほどの青木さんからの質問にはブンシツ設置などの考えをおっしゃっていましたが、もっと直接的に空間のあり方としてどのようなものを良しとするのか。
「動線体」や「原っぱ」などから青木さんが一貫しておっしゃるのは、「人を自由にする空間をつくる」ということですよね。それは倫理的なことだと思う。建築は物質的な環境をつくり出す以上、人の行為を促したり束縛したりする。それはポジティブに言えば創発的な「アフォーダンス」だし、ネガティブに言えば権力的な「アーキテクチャ」ですが、いずれにしても、人間をある標準的な行動をする身体と見なしているようで違和感が少なからずあります。だからこそ、設計者の意図から外れたルールこそをポジティブにとらえたり、ばらばらなものをばらばらなままで残そうとする青木さんの建築は倫理的、あるいは公共的な態度のものだと思うのです。403architecture [dajiba]が考える建築の公共性とはなんでしょうか。
彌田──公共建築で何を目指すかというのは、これまで取り組んだことがないので、ちょっと想像がつかないのですが、どんなに小さなプロジェクトでも公共性を持っている、あるいは持たせたいと思っています。その公共性とは何だ、というのもまた難しいのですが、建築が具体的なものや場所と深く関わっているからこそ、単体に留まることなく地域的な拡がりのなかで、どのように位置づけていくことができるかが大切だと思いますし、そのためにも、あらゆるものに目を向けながら建築をつくっていけるかが大事だと思っています。
僕らは浜松を拠点に活動して5年になりますが、浜松という都市は、コミュニティがありながらも、同時に流動性もあるおもしろい場所です。僕個人としては、そのような地域で、過去にあったものを現代的に解釈しながら、未来に引き継がれる空間をつくれるかに興味があります。プロジェクトの密度が増えているなかで、最近思っていたこととして、引き継がれる空間のためには、地域における形式が必要ではないかと考えていました。
ですから、《十日町》では、「マーケット広場」が町にどう展開していくのかとても興味があります。マーケット広場は、その町の文化を形成する、雁木という形式の現代版ということになりますよね。
青木──「マーケット広場」は一種の形式ですが、実際にはそこに「もの」としてできあがります。「形式」は見えないけれど、「もの」は見えるし触れることができる。使う人に影響を与えるのも「もの」のレベルです。では、その「もの」はどうあったらいいのでしょう?
- 橋本健史氏
「もの」と形式のあいだには、ギャップはあるかもしれないけれど、分かちがたい関係性がありますよね。つながっている。だからそれらを微妙にいったり、きたりすることで、さまざまなものがずれながら継承されていく、そういう不確かな流れがおもしろいんじゃないかと思います。
辻──僕は建築空間のあり方よりは、建築家という存在がどう公共的にふるまえるかに関心があります。《十日町》のブンシツ的なしかけのような、設計環境づくりに興味があるんです。明るく大きな空間が道沿いにあるべきだという「マーケット広場」に対する青木さんの意思のように、建築家はそれぞれが実現したい空間を持っているはずで、それこそが建築家の存在意義だと思います。ただ、空間の公共性は「正しさ」だけでは判断できないところがありますよね。だから今は建築家という職能が持っている「原っぱ」性を考えたい。
橋本──何をデザインするのかを問い続けることでしか、デザインというものはできないように思います。設計を始めた時には思いもしなかった領域を設定することが、デザインなんじゃないか。
「今後どういうことをやりたいか」とか「今後どうなるべきだと考えているのか」と聞かれることが結構多く、ずっと違和感を感じているのですが、それを最近では「ヴィジョン問題」って呼んでいます。その答えが、最初から燦然と僕らの側にあるとしたら、それはたいしたことじゃない。
むしろ理想的なのは、僕らと関わったり空間を体験した人が、「ああいうことができるんだったら、自分はこういうことがしたい」というように、その人のなかで新しい発想や連想が生まれることです。そういう人がどんどん出てくる、可能性が高まっていくような状態を目指したいです。
辻──今、十日町で起こっていることは、雑誌やウェブを含め既存メディアのレイヤーを1枚隔てるととても分かりづらいし、明確なヴィジョンはなかなか示せない。でも、確かな存在価値として人に伝えたいと思います。そういう不安との葛藤には共感するし、考えたいところです。
青木──ヴィジョンについての態度が、3人で共有できているのですね。僕も、そこは共有しています。でもそれだけじゃ「もの」はできないわけで、そこにいつもひっかかる。できたものには必ず僕のキャラクターが出てきてしまう。そのキャラクターは、つまりどういうことなんだ、と考えてしまう。
彌田──それが、冒頭でお話しした、僕が持っている青木さんの建築に対する印象と通じるものなのでしょうか。それは体験する人によってや、最終的には「もの」としてやりたいことが現れてしまっているということですね。
青木──コツコツと考え、つくっていって、その結果として、特定の「もの」ができあがるとすれば、その「もの」そのものがヴィジョンだと思うのですね。最初にヴィジョンがあるのではなく、レトロスペクティブにヴィジョンが現れる。そしてその内容に対して意識的・批判的であることで、先に進める気がします。今回の作品集は、そういう「レトロ・ヴィジョン」を絞り出していく作業だったのだろうと思います。
辻──たしかに、その意味ではこの作品集と《十日町》は双子のような位置づけでもありますね。この本で扱われているものは《十日町》以前の作品ではありますが、青木さんの建築を伝える意思のようなものが一貫して絞り出されているように思いました。そして、今度はこの《十日町》をどのように伝えるか、あるいは《十日町》の次のプロジェクトはどうくくられていくのか、その価値について一緒に考えていくことができればと思います。
[4月18日、十日町ブンシツにて]
- 建築が町にできること
- マネされること
- どうつくるか
- 設計環境をつくる