【第4回】[特別寄稿]富山市の都市特性と都心地区の活性化概要

京田憲明(富山市建設部理事)

はじめに

富山市では、都市管理コストの増大、中心市街地の空洞化、過度な自動車への依存による二酸化炭素排出量の増大など、さまざまな問題に対応するため、公共交通を活用したコンパクトなまちづくりを推進しており、なかでも、「ポートラム」「セントラム」など、日本で唯一、トータルにLRT(Light Rail Transit)を整備したことで、世界から注目を集めている。 また、まちなか賑わい広場として整備した「グランドプラザ」は極めて高い利用率とその運営手法がわが国の広場活用の先導事例として多方面から評価されている。
本稿では、本市が進めるコンパクトなまちづくりの施策のなかから、これらの事例を紹介する。

1. 富山市の都市特性とまちづくりの基本方針

富山市は、水力発電の安価な電力に育てられた工業都市であり、製造業で働く市民が多い。扇状地で地形が平坦なことから、道路整備率が高く、渋滞もなく、車での移動に適しており、昭和40年代頃から、市街地が四方に無秩序に分散して広がった、典型的なスプロールの街である。
富山高岡広域都市圏第3回PT調査(「人の動き(パーソントリップ)」調査)では、車の分担率は全目的の7割を超えている。
ところが、人口が減少し高齢化が進行した現代社会においては、
① 車を自由に使えない市民、運転ができない若年層や高齢者にとっては、極めて生活しづらい。
② ごみの収集やホームヘルパーの巡回、道路の維持管理など、各種行政コストの効率低下がある。
③ 中心市街地の空洞化による諸問題の発生。
④ 車依存によるCO2の排出など環境問題の発生。
などの諸課題が顕在化し、こうしたことをトータルに解決するためには、街をコンパクトにしなければならなくなっている。
なお、富山市のコンパクトなまちづくりの特徴は、すべての機能を中心市街地1カ所に集中するのではなく、鉄道駅や幹線バス路線のバス停の周辺拠点を「団子」と見立て、居住機能や生活関連施設を拠点に誘導するとともに、拠点を繋ぐ公共交通を「串」と見立て利便性を向上することで、「団子と串」の都市構造によるコンパクトなまちづくり進めようとしていることにある[fig.1]

fig.1──団子と串の都市構造(概念図)

2. 富山市における公共交通活性化の施策

本市が目指すコンパクトなまちづくりの実現には公共交通の活性化が必要不可欠であることから、これまで交通事業者に委ねてきた交通事業に、行政が適切に関与し戦略的に事業を展開していく必要があると考え、公共交通の活性化に対しても、行政が一定のコスト負担をしている。
具体的には、日常生活や都市活動を支えるLRTネットワークの形成や交通結節点の整備、より快適で利用しやすい路線バスの実現のための路線の維持や快適性の向上、生活交通確保のためのコミュニティバスの運行、歩行者・自転車交通環境整備のための歩道のバリアフリー化、また、公共交通利用促進のためのICカードの導入や啓発活動などである。

2-1. 富山ライトレール(ポートラム)

公共交通の活性化によるコンパクトなまちづくりの事業として、最初に取り組んだのが、富山ライトレール[fig.2]の整備である。
これは、JR富山駅から北へ約8kmのJR富山港線について、富山駅周辺連続立体交差事業が計画されたことを契機として、富山市が引き継ぎ、全国初となるLRTシステムとして再生し、平成18年4月に開業したものである。富山市が施設の建設費や維持管理費を負担し、新たに設立した第三セクター(富山ライトレール(株))が運賃収入等により運営を行っている。 全編成を低床車両とし、停留所等も完全なバリアフリー化を図った。さらに、大幅な増便や始発・終電時刻の改善、新駅の設置、フィーダーバスの整備等を行なうことにより、平日で2,000人強、休日で1,000人程度だった利用者が、平日・休日ともに平均して4,000─5,000人程度に増加し市民の足として定着している。

fig.2──ポートラム

2-2. 市内電車環状線(セントラム)

市内電車環状線は、富山地方鉄道が経営する既存の軌道線を活用し、約0.9kmの軌道を新設することにより、富山市の中心部1周約3.4kmの環状運行を可能としたもので、平成21年12月に開業した。
日中は10分間隔での運行、上質で魅力ある車両等のデザインや街路空間の整備などにより、開業前と比較して市内電車全体の利用者数が約1割増加した。
利用者数は平日よりも休日が多く、利用の目的別では買物が約半数を占めるなど、中心市街地の活性化に大いに効果を発揮している。
この事業では軌道線において全国初となる上下分離方式を導入し軌道の整備や車両の購入などの施設整備を富山市が軌道整備事業者として、車両の運行は富山地方鉄道(株)が軌道運送事業者として、それぞれ担っている。

2-3. その他の公通施策

その他の交通施策としては、JR高山本線では、新駅として婦中鵜坂駅を市の負担で設置するとともに、社会実験で増発実験を行ない、実験で効果が見られた時間帯の増発を行なっている。
富山地方鉄道上滝線では、平成23年9月から列車増便社会実験を開始したほか、市内電車と接続している南富山駅からの市内電車の乗入れについて、事業者である富山地方鉄道(株)と協議を進めている。
バスについては、イメージリーダーバス路線におけるバス停の美装化、コミュニティバスの運行及び地域の住民や企業が費用負担してバスを動かす「自主運行バス事業」への支援等の対策を行なっている。
さらに、ICカードの導入による利便性と速達性の向上、高齢者が市全域と中心市街地を片道100円でバスに乗れる「おでかけ定期券」による高齢者の外出機会創出と中心市街地活性化などを目的としたソフト施策にも力を注いでいる。

3. 富山市都心地区の活性化

本市が進めるコンパクトなまちづくりのもうひとつの柱は都心地区(中心市街地)の活性化である。
富山市の都心地区では、過去40年で夜間人口は半減し、まちのなかには虫食い状の駐車場や空き地・空き家が年々増加し、中心商店街の歩行者数や売り上げも減少を続け、いわゆる空洞化が大きな問題となっている。
そうしたなかで、平成19年2月に、全国第1号として「中心市街地活性化基本計画」の認定を受け、「公共交通の利便性の向上」、「賑わい拠点の創出」、「まちなか居住の推進」を3本柱として、具体的な26の事業を進めてきた。

3-1. 総曲輪(そうがわ)地区の市開発事業と賑わい広場の整備

中心市街地活性化の取り組みのなかで、最も注目をされてきた事業が再開発事業である。 再開発事業は、事業前に地権者が所有していた土地や建物の権利を、事業後の新しい建築物の床の権利(権利床)に、同価値で置き換える(権利変換)とともに、事業費は地権者が負担するのではなく、余分に建設した床(保留床)を第三者に売却することで捻出する複雑な事業であり、そのため、行政が初めて取り組むにはたいへん難しい事業であるが、富山市では、第1号の再開発が昭和51年に完成し、それから30数年で15カ所の再開発を完成させてきたので、市の担当職員の経験値は高く、市民や議会も再開発に慣れた都市である。
それでも、平成4年から「総曲輪通り商店街」の一画で始まった再開発事業は、権利者100人を超す、富山市が経験したなかで最も大規模で困難が連続する再開発事業であった。
構想から約15年、平成17年3月に630台の駐車場を核とした再開発「西町・総曲輪地区」、平成19年9月に地元百貨店(大和富山店)を核とした再開発「総曲輪通り南地区」の2地区の組合施行の再開発が完成し、合わせて両地区の間に賑わい創出の屋根つき広場「グランドプラザ」を公共事業として整備した[fig.3, 4]。以下、それらの事業について紹介する。


fig.3──事業施行前(上)、事業完成後(下)

fig.4──2地区の再開発と広場(断面図)

3-2.「総曲輪通り南地区」の再開発事業

総曲輪通り南地区再開発事業は、北陸の老舗百貨店である「大和富山店」の店舗老朽化による移転建て替え候補地として浮上し、平成8年頃から移転を前提とした検討が始まった。
富山市は初動期における水面下での関係者調整に始まり、権利者交渉、参加組合員(床取得者)交渉など、本来ならコンサルタントや地権者が自ら行なうべき仕事に、積極的に関わってきた。詳細は別の機会に譲るが、特筆すべき点は、キーテナントである大和百貨店が保留床の大部分を自ら取得したことである。安定したビル運営のためには譲れない部分であり、構想から10年以上かかった再開発は、平成19年9月にオープンし、安定した集客を見せている[fig.5, 6]

fig.5──総曲輪通り南地区の床取得・利用状況

fig.6──総曲輪通り南地区の完成写真

3-3.「西町・総曲輪地区」の再開発事業

西町・総曲輪地区では、平成7年5月に「再開発協議会」が結成された。百貨店側の準備組合設立から3年後、百貨店側の駐車需要に対応するため、市から働きかけた事業である。
この再開発ビルの特徴は、630台、8階建ての駐車場棟を中心に、その周りを1─3階建ての外向き店舗が鉢巻き状に取り囲んだ形状をしている点である[fig.7]

fig.7──西町・総曲輪地区(概念図)

経済情勢が厳しいなかで、大きなテナントを継続的に確保するリスクを避けるため、権利者が自ら使う以上の商業床は作らないという考えで、保留床はすべて駐車場、権利床は外向き区分所有の商業店舗の再開発ビルが平成17年3月に完成した。
鉢巻状に外向き店舗が並んでおり、外観ファサードも店舗ごとに違うので、路面店が並んでいるように見える。ビルの運営上も、商店街のアーケードに面した店舗の連続性の確保の観点からも、こうした施設計画の先見性を評価する声が強い[fig.8]。駐車場の経営も、百貨店客の利用で安定している。


fig.8──アーケード側からの外観(上)、駐車場出入り口側からの外観(下)

4. まちなか賑わい広場「グランドプラザ」整備の概要と効果

4-1. グランドプラザ建設の経緯と概要

富山市では、2地区の再開発事業に合わせて、その間に、屋根付きの賑わい広場「グランドプラザ」を整備した。土地は2地区の再開発事業区域内にあった区画道路を中央に集約したものであり、両地区のセットバック部分(組合再開発完成後の一筆共有地の一部)も無償で借り受け、市が一体的に整備を行なった。
駐車場と百貨店を人が行き来する「真ん中」を一番賑やかにし、再開発事業完成後の継続した賑わいづくりを支援できると考えたものである[fig.9, 10]

fig.9──再開発地区と区画道路の状況(従前)

fig.10──完成後の土地利用の状況(従後)

財源としては、平成16年に創設された「まちづくり交付金」を活用した。総事業費は約15億円である。 従前は道路であったが、完成後の広場の利用制限をなるべく少なくするため、道路認定を廃止した。都市公園法などの制限が及ぶ「広場」などの指定も意図的に行なっていない。また、使用料金などを決めるために新しい条例(富山市まちなか賑わい広場条例)を制定したが、施設の損傷や貼り紙を禁止している以外は、利用についてほとんど制限はない[fig.11]

fig.11──グランドプラザの完成写真

グランドプラザは、2つの再開発ビルの間に、幅21m、長さ65mの広場を生み出し、19mの高さに全体を覆うガラスの屋根をかけたものであり、グランドプラザと2地区の再開発は、事業主体も設計者も建設事業者も別々である。
しかし、グランドプラザの構造体は百貨店側の再開発ビルと繋がっており、建築基準法では一体の建築物として取り扱っている。屋根の荷重の過半は百貨店側の柱で支えている。
一方、2つの再開発ビルを繋ぐ上空通路は、百貨店の3階と6階に2本あり、建設費用は百貨店側の再開発事業で負担している。
すなわち、一体的に使用している土地は三者の所有部分にまたがっており、民間の土地に、富山市所有の屋根がはみ出して架かっているし、屋根の加重は民間の再開発ビルの柱で支えてもらっている。一方、市の土地の上を、民間再開発の上空通路が通っている。
この三者の関係の整理については、まずは、関係者の総意として「こうあるべき」というかたちを先に考え、費用負担や土地の使用の考え方は事業を進めながら後から調整している。 細かな事務手続きにとらわれず、まずはやるべきことを共通認識したうえで、後から事務手続きを考えるという方法が成功した。関係者の信頼関係に基づく成果と感謝している。

4‐2. グランドプラザの設備

設備の特徴としては、全体をイヴェントなどに使う際に邪魔にならないように、ベンチや樹木などの固定物は置いていない。
一方、通常はテーブルやイスを配置して、オープンカフェのように使っており、その時には、ヴォリュームのある緑がほしいので、fig.12の大型植木鉢を5基設置している。重量は3tあるが、圧縮空気でホバークラフトのように浮き上がらせてから押すことで、簡単に移動できる。

fig.12──モバイルグリーン(大型植木鉢)

また、グランドプラザにはテーブル、イス、テント、パーテーション、音響設備、照明装置、人工芝マット、ガスヒーター、ミスト発生装置など、イヴェントに必要な備品がかなり揃えてある。しかも、それらの備品は、大型地下収納庫が、電動で地下からせり上がり、そこから備品を取り出す仕掛けになっている。手頃な高さで止めると、そのままステージにもなる。

もうひとつ、グランドプラザの特徴的な設備が大型ヴィジョン(277インチ)である[fig.13]
主にイヴェント時に使用するために設置したものであるが、通常は、地元の風景や広報番組を流している。時々、関係機関の許可を得て、スポーツ中継のパブリックヴューイングも行なっているが、有料で広告放送を流すことは当初から想定していない。
さらに、床下には、電気、通信、上下水道の設備もあり、こうした設備や備品が充実していることによって、非常に多くのイヴェントが開催されている。
施設の計画・設計を設計者任せにするのではなく、計画の初期段階から、具体的な利用のイメージを設計者と発注者(行政)が共有しながら、さらに、将来の利用者である市民の意見を細部にまで反映させ、使いやすさを追求したことが、完成後の高い稼働率に繋がっていると考えている。


fig.13──電動地下収納庫(6m×6m)。ステージ利用時(上)、倉庫部分上昇時(下)。通常は地面とフラットになっている。

おわりに

本市が進めるコンパクトなまちづくりは、公共交通の活性化やまちなかの広場整備のみにより実現できるものでなく、また、コンパクトなまちづくりそのものが本来の目的でもない。
人口減少、少子超高齢社会が進展するなかで、いかに地方都市として持続可能であるのか、言い代えれば、市民に今後も安定した公共サービスを提供し、良好な生活を保障し続けることができるかを考えた時に、その答が「コンパクトなまちづくり」だったのである。 税収が上がらず、一方で社会保障費や社会資本の維持管理コスト等の費用が増大しつつあるなかで、地方都市を取り巻く厳しい環境は、年々厳しくなっている。
しかし、富山市は危機感と希望の両方を持ちながら、地方を代表するリーディングシティとしてのチャレンジを続けていく決意を新たにしている。

201205

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